Neetel Inside 文芸新都
表紙

屈託のない人に用はない
18週の記録(12月某日)*これは本当に私の身体なのかね

見開き   最大化      



 18週に入った。いわゆる安定期だ。5か月(16週~)に入ると子宮の中に胎盤が完成し、赤ちゃんの状態も安定すると言われる。そんなわけで心配ごとも減り、つわりも完全に去り(とても晴れやか)、しょっちゅうあった腹痛もなくなって、ようやく「妊婦であること」にずいぶん慣れてきたし、ちょっと楽しくなってきた。
 でもお風呂に入るときに鏡で身体を見て、「お腹、でかっ!」とびっくりすることには未だに慣れない。どちらかというと華奢な方で、胸はないけど腰つきはすんなりしていることくらいが自己満足ポイントだった身体から、くびれなんてものはどこかへ吹き飛んでしまった。ぴったりする服を着るとなんともまぬけで愛嬌のあるシルエットになる。
 もともとは大好きだったお風呂だが、この頃は長く入れなかった。妊娠してから異様にのぼせやすくなったせいだ。つわりのときはちょっとあたたまると吐き気がしたし、今でも湯船に浸かっているとすぐに疲れてしまって5分と入っていられない。そんなわけで12月に入って気温もぐっと下がり、コートの出番も増えてきた今でも私はぬるめのシャワーだけ、それも髪を洗うのは3日に1度である。うん、まぁ、汚い。でも冬なのでそんなに汚れないし、肩甲骨を越え腰に届こうという長い髪は洗うだけでも体力を消耗し、乾かすのにも時間がかかる。つわりの間なんて床にぐったり座りこみ壁にもたれかかりながらどうにかドライヤーをあてていた。
 そんな状態なので自分の裸をきちんと見る機会があまりなく、そのせいか見るたびにちょっと驚く。前から見るとまだそこまでの異変は感じないのだけど、斜めに身体をひねると、くびれどころか立派な膨らみが主張する。妙なシルエットだ。さして美意識が高くもないので嫌というほどではないが、「これ、誰の身体?」とは思う。
 そして足や胸の青い血管がやたらと存在感を増した。日に当たらない部分なので白い肌に生々しく血管が主張して、なんだか見る者を不安にさせる。静脈瘤が出来る人もいるらしい。赤ん坊を育てるために血液の量が1.5倍まで増えるせいでそうなるのだけど、当然ながら血液なんてそんなに気安く増えるものではないので、量は増えても成分が追い付かず、貧血になる妊婦も多い。そして増えた血液を循環させるために心臓も普段の5割増しで働かなくてはならないし、血液の浄化をする肝臓や腎臓の負担も大きくなる。私は一時的だったけれど立ちくらみが増えたし、今でもやっぱり以前よりは疲れやすいなと思う。そりゃ、身体にこれだけの変化が起きるのに以前と同じパフォーマンスを発揮するのは難しいだろう。
 あとはこう、胸元というか、なんというか。今までささやかで頼りないもののそれなりに寵愛を受けてきた謎のモニュメントであったそれは、確実に存在感を増した。こんなポテンシャルがあったのなら平常時からもうちょっとがんばってくれてもいいんじゃないかな。
 ホルモンはすごい。

 妊娠すると情緒不安定になりやすい。これもホルモンのせいらしい。
 無性にイライラしてとにかく怒ってばかりの人もいるらしいけれど、私の場合、普段はいつも通りのんびりしている。もともとゆっくりな動作もさらに遅くなってのんきさに拍車がかかったくらい。ただ振れ幅は確実に大きくなっている。悲しいニュースを見れば以前は胸を痛めるくらいだったのが、今は「うううううっ」と声に出して泣いたりする。子どもの虐待のニュースで胸を押さえてむせび泣いたりもした。実にくだらないことで夫とケンカして(家のオリーブの木の剪定がどうのこうのとか)、やたらこじれて、人生初の過呼吸にもなった。夫はわりと優しい方だと思うがかなり頑固なところがあって、事が起きると「自分が間違っていないと思う限りは主張するし、決して誤魔化しでは終わらせない」というタイプなのだけど(そして私もこのタイプなのでこじれるときは本当にこじれる)、それでもこのケンカ以降は相当に手加減してくれるようになった気がする。涙と鼻水にまみれる私を見て「妊婦はやばい」と学んだのだろう。
 それにケンカはお腹の子どもにも良くない。ストレスを感じると、なぜだか子宮はぎゅーっと縮むのだ。ふわふわのはずのお腹がかちかちに硬くなる。「お腹の張り」と呼ばれる現象なのだけど、これが起きると中に居る胎児だって狭くて苦しい。ぎゅうぎゅうされると下に押し出されてしまうので、あまり繰り返すと早産の原因にもなる。母体だって痛いし。それからストレスホルモンも血液を通して胎児に伝わってしまう。またホルモン。
 ストレスゼロ、完全無欠の生活なんてそりゃ無理だけど、出来るだけ心穏やかに過ごすのはやっぱり大切なのだ。妊婦の頭がやたらとぼんやりするのはたぶんそのせいだろう。物忘れが増えた。難しい本が読めなくなってきた。料理中に冷蔵庫を開けて「なにしにきたんだっけ?」と首を傾げるのもしょっちゅう。このまま頭が悪くなるのかもしれないけど、まぁ、それでもいいか……と1日8時間ぐっすり眠る怠惰な日々。

 ちょうど安定期に入ってしばらくして、初めての「胎動」があった。
 お腹にいる胎児は常に眠ったり起きたりを繰り返している。起きているときには羊水のプールの中で泳いで遊んでいるらしい。子宮の壁を蹴ったりくるくる回ったり。「たまひよ」のアプリ(今日は耳が完成しましたよ、とか毎日の赤ちゃんの発育を知らせてくれる。無料。すごい時代だ)でそう読んで、なんだかファンシーな光景を想像した。ぷかぷかのミントグリーンの雲の中でかわいい小さな赤ちゃんが遊んでいる感じ。人のお腹の中で好き勝手やってくれるなぁ……というくらいの感想だった。
 しかし胎児がどんどん成長してくると、力も強くなってきて、その動きが母体にもわかるようになってくる。最初は、お腹の中で何かがぴくぴくしているような……というささやかな気配だった。ネットで見た「お腹の中で金魚が泳いでいる感じ」というたとえが一番しっくりきた。自分以外の生き物が本当にお腹の中にいるんだなぁ、とちょっと感慨深かった。
 しかしその感覚はどんどん強くなり、頻繁になり、ぴくぴくなんてかわいいものではなく、今ではぽこぽこと遊んでいる。たまにドゥン、という感じで激しい蹴りも入る。にゅるり、ぐぬぬぬぬぬ、となにか塊がお腹の内側をこすっていくこともある。
 お腹の中に、本当に、マジで、なにか生き物がいる!
 それが動いてる!
 ぴくぴくのときはちょっと微笑ましくて「かわいいなぁ」とか思う余裕もあったのだけど、こう顕著に生々しく生き物らしさを発揮されると、「エイリアンが腹に居る」という気分になってくる。夫婦でお腹を触りながら「すごいね。でもなんだかちょっと怖いね……」と言いあった。「赤ちゃんって、生まれておぎゃーって言ってからだと思ってたけど、もう確実に生き物だし、魂はここにあるよね」と夫が言う。そうだねぇ。いよいよ後戻りできなくなってきた感じもある。
 生き物をお腹の中で育てる。どう考えてもよくわからん。奇妙である。最初に考え付いたの誰なんだろう。便利なような、不便なような、とにかくシュールだ。でも存在する人類の全員がこうやって育てられてきたのだ(たぶん)。なんだかすごいことだ。子宮なんて普段は50mlくらいしか容量のない小さな臓器なのに、最終的にはこれが4リットル近くになるらしい。女体の変幻自在さたるや。
 女体には生々しいファンタジーが詰まっているのだ。平常心ではとても妊婦なんてやってられない。世の中にはこれを「嬉しい!」「赤ちゃん、楽しみ!」とひたすらポジティブにまろやかに受け入れられる女性も居るみたいだけど、そういう女性の胆力はほんとにほんとにすごいと思う。只者ではないよ。

       

表紙
Tweet

Neetsha