Neetel Inside 文芸新都
表紙

屈託のない人に用はない
30週の記録(2月某日)*女の子への葛藤

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 妊娠期間中、心身ともにもっとも過ごしやすい安定期(5~7ヶ月)と呼ばれる季節が終わり、妊娠後期(8ヶ月~)に入った。身体は相変わらず変化を続けている。良い点は、寒くなったせいもあるのかお風呂でのぼせることがなくなって、わりとゆっくり湯船に浸かれるようになったこと。しかしお風呂で見る自分のシルエットは更に凄味を増して、なんだか奇行種の巨人(@進撃の巨人)みたいになっている。手足は以前とさほど変わらないのにお腹だけが異様に膨らんでいるせいだ。顔は丸くなったんだけど。
 それから、歩いていると息が切れることが増えた。疲れているわけじゃないのに気付くとはあはあ言っている。「運動不足なんじゃない」と夫に言われたものの、手元のマタニティブックを紐解くと「子宮がおへその10cm上ほどまで大きくなっていて肺が圧迫されるため息が切れやすい」とのこと。これは身体の構造上の問題なのだよ、と主張しておいた。
 とはいえ、息が切れやすいだけではなくて、実際にもかなり疲れやすくなっている。ちょっと頑張って家事をした日の夕方にはなんだかぼーっと疲れて横にならずにはいられなくって、「なんでこのくらいで疲れてるんだろう?」と首をかしげていたのだけど、軽い貧血らしいと検診で判明した。血液量がどんどん増えて成分が追い付いていないらしい。食生活とサプリで改善するまで、意味もなくぐったりと倒れていることが多くて辛かった。
 つわりの時期は「どく」とか「まひ」とかの状態異常にかかっている感じだったけど、今は最大HPそのものが7割以下になった感じがする。元々が低いのにね。
 そして頻尿。これはもうずっと。胎児にも水分が必要なせいでとにかく喉が渇くのに、膀胱は子宮に圧迫されているから、しょっちゅうトイレに行く。些細なことのようでこれが意外と面倒くさい。つい我慢したくなる。私の場合はそこまでひどくもないようだし、夜中にまで起きることはほぼないのでいいけれど、夜でも30分おきにトイレに行くような妊婦さんもいるらしい。
 というか、肺だの膀胱だの、内臓って圧迫されてもそんなにすんなりと受け入れちゃうの? なんだかすごい。体内の仕組みが想像以上にファジーすぎる。
 さらには、眠り自体がすっかり浅くなった。ひどいときには一晩に5、6回目が覚める。覚醒するほどではないけれど、なんだかぼんやりと夢うつつで目を覚まして、ごろごろして(お腹が重たくってあんまりごろごろもできないけど)、また眠る。そして5時間くらいで目が覚めてしまう。ただでさえ疲れやすいので睡眠時間が足りなくて、仕方なく昼間に寝て補充する。産後の夜通しの子育てに備えてレム睡眠が増えるらしいけど、周囲の妊婦たちは口をそろえて「そんなの産後でいいから今はがっつり眠らせろ」と文句を言っている。本当にねぇ。
 妊婦にお決まりのトラブルらしい便秘は今のところない。野菜をいっぱい食べるからかな。これまた定番の足がつるというのも、二度ほど寝ているときになりかけたくらいで、まだそんなに困ってない。時々恥骨が痛いものの腰痛はない。しかしどれも8か月以降、妊娠後期から本格化するらしいから、今後も油断はできない。
 8か月。そうか、もうそんなに経ったんだ…。妊娠は4週を1ヶ月と数えるから、暦の上でそのままきっちり8か月というわけではないのだけれど。
 お腹がずいぶんせり出してきて、おへそはかなり浅くなったけれどまだかろうじてくぼんでいる。「妊婦になるとへそがなくなってへそゴマが全部きれいにとれる」と聞いてちょっと憧れていたので早く体験してみたいのだけど。しかしこれ以上お腹が大きくなってしまっても本当に大丈夫なんだろうか。母子手帳の記録によると腹囲86cmとのことだが(これは妊娠前の私のお尻よりも大きい)、寝ているときの計測値なので、立っているともっとあるはず。ちなみに私は平均よりもかなりお腹が大きめみたいだ。
 でも現時点の胎児の大きさはごく平均的な1300gくらいらしい。出産までにまだ倍以上まで体重は増えるはず。そもそもお腹ってそんなに大きくなれるものなんだろうか? 皮、伸びきっちゃうんじゃないかな……。57センチとかだった頃に、とは言わないまでも、せめて常識的なサイズくらいには戻るんだろうか。元々どんな体型だったのか思い出せなくなってきた。多少のくびれくらいはあったはずなんだけど、なんかもう、自分がそんなかたちだったなんて信じられない。

 胎動はもう頻繁に「ぐいぐい」という感じで、とにかく腹の中でなにかが動いているのが当たり前の日々になった。たまに夜中に活発にどんどんどんどんお腹を蹴りまくったりしている。椅子に座っているとお腹が勝手にぐいんぐいん動いていたりもするし、姿勢がよくないときは居心地が悪いのかがしがしとお腹を蹴って修正を促してくる。普段はそんなに激しくはなくて、内側からちょうどおへそのあたりをぐりぐりごりごりと押してくるパターンが多い。いったいそこになにがあるというんだ……。痛くはないけど、中から腹筋をごりごりされるとすごく不思議な違和感で気持ち悪いので、腹の上からすりすり撫でて「ちょっとやめて、お願い」と頼んでみたりする。順調にこの奇妙な被寄生生活にも慣れてきた。初期の、「本当にお腹の中に赤ちゃんのもとがあるのかなぁ」と不思議がっていた日々はもう随分と遠い。
 仮の胎児ネームで呼びかけてみたり、洗濯を干しながら「お前のお父さんはね」と話してやったりもする。元々独り言が得意なのでちょうどいい。夫がいかに面白かわいい生き物なのかという話が主である。呆れて誰も聴いてくれないようなノロケもどんどん言えて楽しい。なかなか素敵な思い出話がけっこうあって、話しながら感極まって一人で涙ぐんだりする(情緒の振り幅は相変わらず大きい)。
 ある日ふと、夫の話ばかりしているけれど自分の話はしなくていいんだろうか? と思い至ったが、特に語るべきことが思い浮かばない。なんとなくこれは「夫の子」であって、「私の子」だという意識が希薄なようだ。これでいいのかな、母性。ちょっと不安だ。

 性別は女の子でほぼ確定した。夫婦でなんとなく男の子が産まれると思いこんでいたので、検診で聞かされた時にはちょっとしっくり来なかった。というか夫が「女の子なんてありえない、かわいすぎて耐えられない、彼氏を連れてきたら殺してしまうかもしれない、だから男がいい」とずっとずっと主張していたので(馬鹿だなぁ)、私も「確かに男の子ってバカで単純でかわいいし楽しいかも。思春期になったら放っておいて悪さした時はぱかんって殴っとけばいいし、なんだか楽そう」とその気になっていた。が、性別がわかるようになってくるという20週頃からずーっと「女の子かなぁ」とぼんやり言われ続け、ここに至ってもうほぼ確定、とのこと。
 そうか……。
 なんだか釈然としない気分で、そろそろ悩まないとねと「赤ちゃんの名前辞典」(図書館で借りてきた)なんかを開いてみるのだが、男の子のも一応考えておいた方がいいのかな、と思ったりして。ずっと女の子だと言われていても生まれてきたら男の子でしたというケースもそれなりにあると聞くから(なにせ超音波検査でモノが見えるかどうか、という判断基準なので)、もしかしたらこの子もそうかも……とか、やたらと意識が男の子へと向かってしまう。
 でもこれは以前書いたような「予感」とはちょっと違うな、と思った。なにか後ろめたさのようなものが自分の内側にある。そう、私は「女の子が産まれるとちょっと都合が悪い」のだ。日が経つにつれ、自分がそう思っていることがだんだんはっきりしてきた。
 なぜだろう?
 女の子の育児のイメージ。難しそう。気を遣いそう。小さな女の子の、こまっしゃくれたあざとい言動につきあうのが面倒くさそう。もっと言えばイライラしそう。あら、なんだかすごくネガティブ。
 これはたぶん、私自身に女性としてあまりいい思い出がないせいだろう。
 今までの人生の半分近く、私はずっとずっと「自分が女でさえなければ」と思っていた。自分はきれいでもかわいくもなくてそのせいで人に嫌われると思っていたし(今にして思えば、性格の悪さが原因だったと思う)、そのうえ女なんて弱くって痴漢だのレイプだの脅かされるばかりで、かといって警戒すれば自意識過剰と笑われて、なんというか、すごく不利だ。セックスばっかり求められて自分自身なんか認めてもらえない。女なんかに産まれたくなかった。向いてない。才能がない。
 ずっとそう思っていたのだけれど、それがあまりに辛い考えだったので(なにせ実際には女として暮らしていかなければいけなかったので)、小説を書いたりして少しずつほどいていった。そして夫と暮らしている今では「女じゃなかったらこの人と結婚できなかったし、よかったなぁ」くらいには思っている。そしていかに才能がなかろうが向いてなかろうが、私の本質はやっぱりどうしたって女なのだともわかってしまった。出来の悪い女に生まれることの悲劇を昔は嘆いていたけれど、今はまぁどうにか生き延びてしまったので「え、なんか文句ある?」ってくらいの貫録である。見た目のこともけっこうどうでもいい。実際それは、愛されるための必要条件でもないのだ。
 それでも、女の子を産むのが怖い。
 自分と同じように不器用な人生をぼろぼろに歩んでいくのを見るのが怖い。不快だし嫌だ。みっともなくてみじめだ。どうやらそんな風に思っているらしい。
 なんだかひどい話。
 結局、前回の記録で書いたことと変わっていないじゃないか。自分に都合のいい子が生まれるとは限らない。そんなのコントロールできない。だから彼女がどんな人生を歩むとしても、もしもそれが私にとって不快なものだとしても、それを否定したり必要以上に干渉する権利なんかない。わかっていたはずだったのに、やっぱり全然わかっていないのだ。
 
 母親は、娘に呪いをかけることができる。強い呪い。それは嫉妬や征服欲からできている。色気を出すな。あざとく振る舞うな。清廉潔白で居ろ。あからさまな憎しみのかたちではなくても、苦笑交じりで少しずつ呪いを刷り込んでいく。あなたは男の子みたいね、女々しくなくていいね、そんな態度普通の女の子みたいよ。ある種の母親は、少女が女になるのを恐れている。なぜだろう?
 私自身がこれから試されるんだな、と思う。赤ちゃんのときは別にいい。問題はもっと自我が芽生えてから。彼女の女性性が花開いていくのをやさしくあたたかく見届けられるかどうか、全然自信がないのだ。それが脅かされるのではないかと心配したり、不潔なものと忌み嫌ったりしてしまうのではないか。そういうものごとと向き合いたくなかったから、できれば女の子じゃない方がいいなと思っていた。もしかしたら容姿のことで傷つきながら人生を歩んでいくかもしれないし、そうなったら辛い。
 でも、やっぱり、きっと。それは私の問題ではない。彼女自身の人生のはずだ。そしてもし私が彼女に呪いをかけようとするのなら、その呪いと向き合うべきなのは私自身のはずなのだ。
 夫と出会って一緒に過ごすようになって、私は生まれて初めて「女の子」として安心して呼吸ができるようになった。女性であることは危険で脅かされることでもなければ、利用されることでもないのだと理解できた。私自身が求められることと、女性として求められることは矛盾しないのだと。
 10代前半で自分が女であると認識してからそれまでずっと、安心できたことなんかなかった。それはあまり楽な生き方とは言えない。でもそんな屈折が今は嫌いじゃない。私はあまりにひねくれすぎて頑固だったせいで、むしろ一番まっすぐなところにやって来れたような気がしているから。
 私が私自身から生まれるこの女の子に出来ることなんて、本当に限られているんだろう。呪いをかけないこと。たとえそれが屈託ある人生でも、祝福する強さを教えてあげること。
 というか、夫と出会う前には「屈託ない人なんて」と思っていたのだし(序文参照)、今だってちょっとそう思っているところがあるし、別に屈託ある赤子が生まれて来たらそれはそれでけっこう仲良くできるのではないか。もう少し気楽で楽しい性質に生まれついてくれればそれもまたハッピーなことだし。
 そして本当はちょっと、「大丈夫なんじゃないかな」とも思っている。だってそのあたりは私が存分に取り組んでおいたから。ある種のオブセッションは血を通して遺伝していくと、私はなんとなく信じている。血脈の中にある呪い。自己破壊的で鬱屈とした強い衝動を持ったもの。父の中に、父の家族の中に、それはあった。今もある。死んだ人もいる。生きることを諦めて感情を亡くした人もいる。でも私の内側に取り込まれたその呪いは既に「完了」している。私は私を壊さずに済んだ。およそ10年かかったし、女の子としての一番いい時期のすべてが犠牲になったけれど、そういう全てを理解して評価し、私を愛してくれる夫に出会ったのだからもう充分だ。
 そして私はきっと、この子にそういう呪いを残さないように歯を食いしばってきたんだな、と思う。これはやっぱり「予感」。なんの根拠もない思い込みに過ぎないのに、なぜかくっきりと輪郭を備えた確信。人が聞けば頭がおかしいしか思えないだろうから、こういうところでしか書かないけれど。

 そんな風に私が女の子について葛藤している間、夫もやはり葛藤していた。女の子か……とひとりため息をつくのを何度も聞いた。既に娘が2人いる友人に電話をして、「女の子なんて10歳超えたら好きな男とかできて、父親はそれからずっと鬱だよな」と大真面目に肩を落としていたりする。いやあの、初恋なんか3歳で済ませるよ。
「金髪ギャルに育っちゃったらどうしようね」といじめるのが最近の楽しみである。ケバい女が死ぬほど苦手な彼は「娘を殺して僕も死ぬ」と辛そうにうめく。思いつめすぎだし、幻想持ちすぎだろう。夫はぱっちりおめめのベビーフェイス(しかし体は筋肉質)なのだけど、これで彼に似たかわいい女の子が生まれてきたりしたら、心の仕組みがうまく耐えきれなくて大変なんじゃないか。
 私はなぜだかとにかく父親のことが大好き! で育ってきたので、自分の娘もぜひそうなるように仕向けたいと思う。「お父さん」というのは人間として欠点やダメなとこはあるにせよ、やっぱり娘にとっては自分を大切にしてくれて、頭が良くて、なんでも知っていて、頼りになって、かっこよくて、優しくって、いつでも助けてくれる素敵な存在であるべきなのだ。小さな女の子にまっすぐに愛されるという至福の体験を彼にもプレゼントしてあげよう。愛情というものの揺るぎない強さを教えてあげたい。幸せであればあるほどお嫁に出すのが辛くて苦しくて堪らないだろう。ふふふ。そういうのを見られるのも楽しみの一つなのかもしれない、女の子育児。
 

       

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Neetsha