番外・切ないマタニティマーク

 マタニティマーク、ご存じでしょうか。
 お腹に赤ちゃんを宿したお母さんのイラストが目印の、「妊娠しています」ということを周囲に知らせるためのエンブレムで、ストラップやキーホルダーで鞄に付けられるようになっている。初期の妊婦はお腹が出ていないので傍目からはわからないけれど、もっとも体調がデリケートなのも、つわりの辛さがピークなのも大体はこの頃。優先席に座らせてもらうこともあるので、マークを付けておくと周りも「妊婦さんなんだな」とわかりやすい。2006年頃から使われるようになったとか。
 私は「なんとなくマークの存在くらいは知っている」という程度だったのだけれど、ちょうど妊娠が判明する少し前にネットのニュースで取り上げられているのを目にした。このマークを付けていて嫌な思いをする妊婦さんが多いのだという。鞄につけて立っていると前に座っている人からあからさまに不快な顔をされただとか、「そうまでして座りたいなんて」とひそひそ言われたとか。もっと怖いものだと、わざと足をひっかけられたりつきとばされたり、お腹を殴られたという人の話さえ載っていた。周囲の意見としても「正直、迷惑。妊婦は電車に乗らなければいいのに」「わざわざアピールする意味がわからない。親切の強要のようで不快」とネガティブなものが取り上げられていた。もちろん「別に気にならないし、つけていてもいいと思う」とか「むしろ妊婦かどうかわからなくて席を譲っていいのか迷うこともあるので、つけていてほしい」という中立・肯定派の意見もあったけど。
 私より少し前に妊娠が分かった友人は「なんだか嫌だから見えるようにはつけない」派だった。鞄の内側に付けておいて、優先席に座った時だけ外に出す。妊婦なので使わせてもらってます、という合図にするのだ。ネットの意見でもこういう人はけっこう多かった。
 なかなか妊婦さんも気を遣うのだなぁ、と思っていたらすぐに自分がそのマークをもらう立場になってしまった。区の保健相談書で母子手帳をもらうとき、ほかの書類一式とともに封筒に入っていた。ちなみに妊婦向け雑誌の付録になっていたり、東京メトロでは窓口でお願いすればもらえるらしい。
 さて、このマーク、どうするか。
 ほんのちょっと迷ったものの、次の日から鞄に付けた。ネガティブな意見も気にはなったし、世間に「妊娠してますアピール」をするようで気恥ずかしかったけれど、結局のところ好奇心が勝ったのだ。これをつけていたら実際にどう感じるものなのか、ネットのニュースの内容を肌感覚で味わっておきたかった。それに実際につわりで体調に自信もなかったから、満員の通勤電車の中では、やっぱり妊婦だと知ってもらう方がいい場面もあると思ったので。
 結論から言うと、朝夕の通勤電車で席を譲ってもらったのは一回きりだった。
 つわりもピークの時期。夫はほぼ毎週地方への出張で平日は不在だったけれど、時々は東京でお仕事をする週もあって、そんな時には私の通勤先の駅を経由するように通勤経路を変えて、同じ電車に乗ってくれていた。10分ほど遠回りになるし、家を出る時間も早くなるのに。うむ、優しい。それで、乗り降りがあるたびに目を光らせて私が座れるように、立ちっぱなしでもどこかにはつかまれるようにと安全に配慮してくれていた。面倒見いいのよね。
 その日は二人で優先席の前に立っていた。通勤ラッシュ時の優先席なんてちょっと後ろめたいだけの普通の座席なんだろうし、席を譲ってもらおうという期待はなかった。その三人がけの席に座っていたのは、六十代くらいでぴったりとしたパンツスーツを着た、おばあさんと呼ぶにはまだ躊躇するような、溌剌とした雰囲気の中年女性。それから二十代半ばくらいの男性二人。どちらもすらっとしてソツなくおしゃれで、パーマのかかった髪はきちんとセットされていて、けだるげにスマホをいじっていた。いわゆる現代風のイケメン。夫からすればこの状況で男性二人が座っていられることが信じられないらしく、吊り革をつかみ彼らをじろじろと睨みつけている。さすがに居心地が悪いので、「私なら大丈夫だから」と小さな声で諌めた。そもそもマタニティマークなんて見えてないかもしれないし、見えていたとしても席を譲る義務はないし……。
 でもやっぱりなんだかなぁ、と思った。というのも、私の隣にはもう一人妊婦さんが立っていたのだ。まるくて大きいお腹の、マークなんてなくてもぶっちぎりの妊婦さんだった。
 私もさすがに、「この人は座るべきではないのか」と思った。大きいお腹の人が混雑した中に立っている姿はなんだか見ているだけではらはらしてしまう。夫もその妊婦さんに気がついて、「信じられん」とぶつぶつ呟いた。すると端っこに座っていた中年女性がぱっと立ちあがって、すごく申し訳なさそうに「気付かなくってごめんなさい」と席を譲ってくれた。
 いやいや、違う。あなたじゃない。
 とっさに「おばあちゃんに譲っていただくわけには」と言おうとして、いやおばあちゃんと呼ぶには失礼なくらいお元気そうだし、えっと……と躊躇しているうちに、その女性はささっと席を離れた(その後、相手が降りるタイミングで夫が改めてお礼を言ってくれた)。それならば、と「お腹も大きいですし、座ってください」と隣の妊婦さんに声をかけたのだけれど、どことなく儚げな笑顔で(おきれいな人だった)「大丈夫ですよ」と言われてしまい、結局、恐縮しつつ肩をすぼめて座席に収まった。
 その後の夫はもはや腸煮えくり状態でイケメン二人にメンチを切っていた。うーむ。
 わかんないですよね。男性たちだって、全然そうは見えなかったけれども実はめちゃくちゃ体調が悪かったとか、目に見えない疾患を抱えているとか、夜通し大変な仕事をしていてようやく帰りの電車だったとか、なにか事情があったのかもしれないし。でも余裕しゃくしゃくでスマホをいじる姿を見ていると、やっぱりこの状況なら、せめてお腹の大きい妊婦さんには席を譲ってほしいなぁと思ってしまった。これは妊婦の傲慢なんでしょうか。……難しい。
 私が妊娠してから、夫は電車で席に座る前には必ず辺りを見回して、マークを付けている人がいないか探すようになったらしい。「自分が死ぬほど疲れているときは別だけど」と付け加えてはいたけれど。
 結局それきり、通勤電車では何も起きなかった。特に危ない目にも遭わなかった。マークってあんまり意味がない。敢えて言うなら、吊革につかまって立っていると、それまで読書をしたりスマホを触っていた人々がすやすやと眠りについていくことが多かった。最後の方にはせっかくの通勤時間を眠るフリに使わせてなんだか申し訳ないような気分にさえなった。いや、これは本当に、皮肉ではなくて。体調がいい日にはそっとマタニティマークを鞄の内側に隠すようになった。

 妊婦だからって甘えるな。そういう意見も目にするし、実際に妊婦であることを笠に着て人の善意を当然のようにむさぼるのはよくない。みんなが個々の事情を抱えて電車に乗っている。妊婦だってもちろん、元気なときなら立っていてもなんの問題もないのだ(お腹が大きくなってくると重心がうまくとれないのでちょっと危険かもしれないけど)。
 具合が悪い時はやっぱり辛いし、座れたらいいなと思ってしまう。それは誰だってそうだろう。ただ妊婦の場合、自分が辛いというよりは「お腹の赤ちゃんになにかあったらどうしよう」という不安の方がむしろ大きい。もちろん私のお腹の中身なんて乗り合わせた人々に関係ないのはよくわかっているんだけど。
「妊婦は満員電車に乗るな」という意見も、わかる。でもどうしても乗らないといけない場合だってある。私もぎゅうぎゅうに混みあう通勤急行は避けて、時間をかけて普通電車で通勤していたけれど、それでも朝の時間は混む。時短勤務にもできなかった。「それで調整できなくて他人に迷惑かけるなら仕事を辞めろ」なんて意見も目にする。これにはぎゅっと胸が痛くなる。「好きで妊娠したのだから電車に乗るのも何をするのも自己責任」。ああ、そうだね、正しい。理屈は通っている。生まれ持った障害や病気とは違うもの、事前にリスクに備えて当然。
 でも、なんだか、せつない。
 
 仕事を辞めてからは、なるべく電車の混まない時間に移動するようになった。お腹が大きくなってきてのろのろと歩いていたので、「妊婦なのでゆっくりです。追い越してください」という意味合いでマタニティマークは相変わらずつけていたけれど、席を譲ってもらえたらいいな、という意識はもはやきれいさっぱりなくなっていた。通勤電車の洗礼である。
 ある土曜日の昼間、山手線に乗った。運が良ければ座れたかな、というくらいの混み具合の車両で吊革につかまるが早いか、目の前の五十代後半くらいの男性がにっこりと微笑み、「どうぞ」と席を立ち颯爽と去っていった。目が合ってから去っていくまでがあまりに素早くて、お礼を言うのが精いっぱいだった。ぼんやりと座りながら、ああ、妊婦だから優しくしてもらったんだな、と思った。
 すごい。そしてなんだか不思議だ。
 見ず知らずの人が、私のお腹に赤ちゃんがいるという理由で、なんの躊躇もなく親切にしてくれたのだ。その人にはなにも関係ない赤ちゃんなのに。
 ちょっと涙が出た。
 そして、私はちょっと傷ついていたんだな、と思った。電車に乗っていて具合がよくない時には、なんだか電車に乗った人みんなから無視されている気がしてしまうのだ。「あ、妊婦だ、まぁいいかめんどくさいや」って、そこにいる人々みんなから天秤にかけた上で放置されている気分になっていたのだ。みんながマークを知っているわけでもなく、目に入っているかどうかさえ分からない。自分の勝手でマークを付けているだけで、そもそも譲ってもらって当たり前だなんて思っているわけでもないはずなのに、やっぱりどこかで期待していたのだろう。めんどくさいなぁ。
 実際に優しくされてみるとそれはなんだか面映ゆく、少し申し訳ないようで、でも心が不思議な部分からぽかぽかとあたためられるような、自分の内側の小さなものがいっそう愛おしくなるような、それは新しく出会う種類の優しさだった。
 
 その後も、何度か席を譲ってもらうことがあった。金曜の夜遅くの地下鉄で譲ってくれた人さえいた。もう安定期に入っていて体調も悪くないし、なにより楽しい予定の帰り道で、こんな時間のサラリーマンの方々は疲れているだろうから、譲ってもらうつもりはなかった。ゆったりしたコートを着ていたからお腹もそんなに目立たなかったし、マタニティマークも隠していた。でもわざわざ斜め前の席を立ってにこやかに譲ってくれた。
 意外なことに中年以降の男性に譲ってもらうことが多かった。あとは年配の女性。たぶん「知っているから」なんだろうな、と思った。男性はきっと自分の奥さんの妊娠でその体調の辛さにきちんと寄り添い、理解した人なんじゃないかな。あるいは娘さんが妊娠しているのかもしれない。年配の女性は自分の経験があるからかな。若い子はほぼ無視、という感じだったけれど、そもそもマタニティマークも知らないし、妊婦の体調なんて想像する機会もないし、席を譲るということ自体に照れがあったりもするのかも。
 繰り返すけれど、席を譲ってくれて当たり前だなんて、ぜんぜん思ってない。譲ってくれる人がとても親切なだけだ。でもそうしない人が不親切なわけでもない。知らないから想像できない、あるいは体力的に余裕がない、気付かない。そんな人がほとんどで、別に私は悪意にさらされていたわけじゃない。
 私だって、妊婦さんに席を譲ったことはない。今までそういう状況に置かれたことがなかったけれど、単に妊婦さんが近くに立っていることに気付いていなかっただけかもしれない。
 マタニティマークのことを「前に座っている人が眠る魔法のマーク」なんて皮肉ったことをちょっと反省した。そして思った。これからしばらくは小さな子ども連れでやっぱり人々に迷惑をかけたり親切にしてもらったりしやすい立場が続くだろう。でもいつかきっと元気な中年ババアになって、そのときはどんどん妊婦さんや子連れの人に親切にしよう。だって自分がそうしてもらったら嬉しいもの。
 妊婦って、やっぱり弱者側に居る。もちろん病気や障害とは違うけれど、どうしても行動が制限されるし、個人差はあれど体力だって落ちる。世の中の普通の生活をしている人々のルートから少し外れてしまう。そこはなんとなく不可思議な場所である。助けられたり、無視されていると感じたり、ほんのりとあたたかくほのかに暗いような、ある種のモラトリアムにも近い、とにかくそれまで居た場所とは少し異なるステージなのだ。

 あのとき朝の通勤電車で、お腹の大きい妊婦さんを差し置いて座ってしまって申し訳なかったな……としばらく思い出すたびしゅんとしていたのだけれど、自分もあの妊婦さんと同じくらい大きなお腹になった今では、ひとつわかったことがある。お腹が大きいのは確かにしんどいし、席を譲ってもらえるのはすごくありがたい。でも、心身ともに電車が辛かったのも、座れたらありがたいと思ったのも、圧倒的に初期の頃だった。もし今の私が同じ状況に出会ったら、やっぱり初期妊婦さんに譲るだろうなぁと思うようになって、あのときのきれいなお姉さんの儚げな笑顔はそういう優しさを含んでいたのかな、とちょっとほっとした。
 知っているか知らないかで、世界はけっこう変わるのだ。きっと。
 どうかみなさま、体力と気持ちに余裕があったら、妊婦さんには優しくしてあげて下さい。特に、お腹が目立たないけれどマタニティマークをつけている初期の妊婦さんは、本当に体調に余裕がない場合が多いです。そうでなければつけないという人も多いから。
 善意の強要って言われてしまうと、やっぱりちょっとさびしい。
 
sage