信じられない光景だった。
結局、ペイルは、湖に向かった。
勝算があったわけではない。それでも、向かわずにはいられなかった。
ペイルは、もう、あまり考えないようにした。
もしかしたら、運よく、サンドを助けられることも、ないことはないはずだ。
すると、途中から狼獣の死骸が、ごろごろ転がっていた。
なんで?
可能性として考えられるのは、たまたま、獣狩の人間が近くにいたのか。
それとも、あの三人が……? いや、まさか。
しかし、少し気持ちが強くなって、ペイルは、足を速めた。
すると、林の中から、音が聞こえた。
せわしないような、静かなような、がさがさと複数が動く音だ。
狼獣か、と思い、そっと木の陰から覗いた。
そこで、ペイルは、信じられない光景を目にした。
十匹どころではない。何十匹も狼獣がいて、さらにその数は増えているようだ。
それよりも驚いたのが、その真ん中で、二人の人間が戦っていることだった。
一人は、さっきのじいさんだった。素手で戦っている。とんでもない強さだった。
もう一人は、全身真っ赤だ。小さい。まさか、さっきの女の子なのか。
そして、じいさんの近くに、サンドが倒れているのに気がついた。
まさか、死んでいるのか……。
しかし、じいさんが、サンドを守るように戦っているのを見て、そうじゃない、と思った。
そして、突然、一匹がサンドに向かっていくのが見えた。
思わず、駆け出していた。
ダークという男が、声を上げながら、剣を振り回していた。
ともあれ、男の子は助かった。とシエラは思った。
「シエラ!」
ボルドーが大声を出して、自分の後ろを指差していた。
しまった。一瞬、気が散ってしまった。
振り返ると、もうそこに、牙をむき出しにした、狼獣がいた。
あ……。
それだけだった。
狼獣に重なるように、二本の平行な横線が見えた。
次の瞬間、その狼獣は、左右に飛び散った。
その後ろに、両手に小剣を持った、グレイがいた。
さらに、その後ろにいたはずの狼獣の群れが、すべて、切り刻まれていた。
「って、うわっ、大丈夫!? シエラ。真っ赤じゃない!」
「あ……」
「ちょっと、ボルドーさん! 無茶させすぎでしょう。女の子だよっ!」
「来るのが遅い!」
ある程度、残った狼獣を片付けながら、ボルドーが言った。
とりあえず、周りに、生きている狼獣はいなくなった。
ダークという男は、肩で息をしていた。
「一旦、移動しよう。わしが先頭で道を拓く。グレイは、しんがりだ」
「わかった」
「おい、ダークとやら」
ダークが驚くように、ボルドーを見る。
「おまえは子供を背負ってくれないか」
「は、はいっ。わ、分かりました」
「シエラは、彼を守ってやってくれ」
「はい」
「よし、行くぞ」
圧倒的だった。
後ろを気にしなくてよくなったボルドーは、そこに、何もないが如く、狼獣を蹴散らして進んだ。
後ろや、横から来た狼獣も、悉く、グレイが切り裂いた。この人も、相当強い。
シエラは、ほとんど、何もしなくてよくなってしまった。
男の子を背負って走る、ダークと並走しているだけだった。
フと、遠くの高台が目についた。
そこに、赤っぽい狼獣がいるように見えた。
林の中、少し小高い山の中腹に、小さい洞穴のような所があり、三人は、そこに入った。
グレイだけ、外に残った。
ダークとシエラは、息が上がっていた。
「ダーク。子供を、地面に寝かせてくれ」
ボルドーが言った。
「え? あ、はい」
「念の為、子供の気を起こしておく」
ボルドーは、寝かせた子供の胸の上に両手を置いて、心気を集中させ始めた。
「もしかして、心気医療ができるのですか?」
ダークが言った。
「ああ。だが、勘違いしないでほしいのは、心気医療とは、傷口を塞いだり、病気を、あっという間に治したりするものではない。あくまでも、本人の、気を起こすだけだ。ただ、それで治る病気もあるし、致命傷を受けても、生き残ることがある」
言いながら、ボルドーの手に力が入った。
少しして、男の子が咳をして、うっすら、目が開いた。
「サンド!」
「……、ダーク……、さん……」
それを確認して、ボルドーは、腰を上げ、外に向かって歩き始めた。
シエラは、それに着いていった。
外では、グレイが、両手に剣を構えて立っていた。
「どうだ?」
「なんか、急に来なくなったね。なんでだろう?」
「ふむ」
「ただ、下の林の中は、うじゃうじゃ集まっているみたいなんだけど」
ボルドーは、考える仕草をした。
「グレイ。あの、赤い狼獣を見たか?」
「あの、高台にいた、一回りでかい奴でしょ。あんなの、初めて見たよ」
「わしは、あれが、狼獣達の指揮を執っていると思えてならんのだ」
「指揮って、人みたいに?」
「戦っていて、たまに遠吠えが聞こえた。それに合わせて狼獣達が動いているとしか思えん」
「そんなことってありえるの?」
「わしらが、最初に襲われた、場所、状況を考えれば……、奴ら、子供を囮にしたのだ。狙いは、最初から、わしらだったのだろう。ただの、狼獣が、そんなことできるわけがない」
「なんで、二人を狙うのよ?」
「わからん」
二人とも、考える表情をした。
「確かに、考えたら、なんだか私は、湖まで引き付けられてたような気がする」
グレイが言った。
「やはり、あの赤いのは狙う必要があるな」
「もしかして……、ダークさんが、助けてくれたのですか……?」
横になって、うっすら目を開いたままのサンドが、小さい声で言った。
ペイルは、その横で、膝をついていた。
「すいません……。また、お手を煩わせてしまって……」
ペイルは、自分が情けなくなってきてしまった。
「すまん……、サンド」
ペイルは、俯いた。
「俺は……、俺の本当の名は、ペイルっていうんだ。心気の師範っていうのは、全部、嘘なんだ。俺は……、ただの、詐欺師なんだ」
サンドの表情は動かない。
「お前を助けたのも、俺じゃない。俺は、お前が襲われたって聞いても、最初は逃げようと思ったんだ。俺は……、卑怯で、情けない、ただの臆病者だ……」
言った。
沈黙。
「……、知ってましたよ……」
「え?」
思わず、ペイルは、顔を上げた。
「嘘だというのは、なんとなく分かっていました……。おいらに、人集めの説明をしましたでしょ。そのときに、そうなんじゃないかと、思ってたんです……」
知っていた?
「え? ……、じゃあ、なんで?」
「だって、詐欺でもなんでも、あなたが、おいらを狼獣から助けてくれたのは本当でしょう……。自分を助けてくれた人なんだ、憧れるのは、当然じゃないですか。今だって、逃げようと思ったって言ってましたけど、来てくれているじゃないですか」
言って、サンドは、力なく微笑んだ。
「やっぱり、おいらの中では、あなたは、卑怯でも、情けなくなんかもない。強くて、かっこいい、おいらの、憧れの人だ」
憧れ……。
そういうものを目指したはずだった。
いつの間にか、頬に涙が流れていることに気が付いた。
「サンド……。俺、もう、詐欺はやめるよ」
決意した。
「おまえの、憧れに恥じない男で、あり続けられるように頑張ってみるよ」
ペイルは、サンドを見た。
サンドは、寝息をたてていた。