型も何もなかった。
数十合、シエラと打ち合って、セピアは思った。
と思えば、突然、型のような動きが出てくる。
ほとんど、無意識にやっているように思えた。
セピアは、昨日の、一閃の剣技を警戒していた。
一応、対策は考えている。昨日、見えなかったのは、油断していたからだ。集中している今なら、見えないということはないはず。見えさえすれば、剣線をずらすことができる。あの大振りを外させれば、勝ったも同然だろう。
待っていたが、使ってくる気配はなかった。
さらに、打ち合いは続いた。
どうも、シエラは、突きを嫌がっているように、セピアには感じられた。
途中から、セピアは、あまり突きを使わないようにした。
使うなら、決め手だろう。
その機会を、セピアは待っていた。
「ああ、それはルモグラフ将軍の娘さんですよ」
穴の空いた、店の壁を、木の板で修復しながら、ドーブが言った。
「ルモグラフ? あの、北の将軍ルモグラフか」
「ええ。ボルドーさん、会ったことがあるんじゃないですか?」
「昔に、少しだけな。ルモグラフの娘が、何故、こんな所にいるんだ?」
「ここが、彼女の母親の故郷だからですよ」
壁に、もたれながらボルドーは話をしていた。
昨日の事で、セピアという娘のことが気になったので、ボルドーは朝からドーブの店を訪れた。
あの心気は、只者ではないと思ったのだ。
ただ、ドーブがいなかったので、店で待つことになった。正午ごろに、ようやく帰ってきた。
壁を修理するための板を調達に行っていたらしい。
「彼女の母親、つまりルモグラフ将軍の嫁さんですね。その人が、重い病気を患ってしまったようで、故郷で静養することになったそうです。その時に、娘さんも着いて来たようです」
「それが、あのセピアという子か」
「ええ」
ボルドーは、腕を組んだ。
「病気か。しかし、故郷とはいえ、こんな所では静養など満足にできないんじゃないのかな」
ドーブの手が止まる。
「それが、静養じゃなかったようです」
「どういうことだ?」
「余生を過ごすために、ここに来たようです。もう、本人は、長くないのが分かっていたんだと思います」
「そういうことか」
「亡くなったのは、六年前だったと思います」
六年?
「セピアという子は、ずっとここにいるのか?」
「そうなんですよね……。将軍の伝手があるのか、食い扶持には困ってないようなんですけど。私も、どうして将軍の所に戻らないのか不思議に思いましたよ。それで、噂を聞いたことがありましてね。将軍は、病弱な嫁さんを厄介払いしたんじゃないかって。娘さんも、それを聞いたことがあるんじゃないでしょうか」
「ふむ」
「母親が亡くなってからというもの、彼女は、急に武術の鍛錬を始め、兵舎によく来るようになったようです。すごい勢いで上達して、今では、彼女とまともに戦えるのも、数人しかいないぐらいになったそうで」
「なるほどな」
ボルドーは、壁から背を離す。
「いろいろありがとう、ドーブ。明日には、もうこの町を離れる」
「一杯ぐらい、飲んでくれればいいのに」
「酒は、辞めたんだ」
ボルドーは、笑った。
それに、つられたのかドーブも微笑む。
「そうだ。報告しておきたいことが、二つあるんです」
「なんだ?」
「ここから北にあるイエローという町の近くで、獣の大群が発生したそうで、管轄地域の軍が出動したんですが、苦戦しているようです。それで、国境の遊軍が援軍としてイエローに向かっているそうです」
国境の遊軍。
あいつか。
「もう一つは、イエローには今、コバルトがいると思います」
「ほう、あいつ、こんな所にいたのか」
すごい、の一言に尽きた。
戦いが始まってすぐだろう頃に、ペイルは、広場に入った。
戦っている二人は、こちらに気付いていないようだった。
そして、今に至る。
目まぐるしい勢いでの打ち合いが続いていた。
一つ一つの動作を、考えながら動いているのか信じられないほどだ。
両者とも、浅手は幾つも受けているだろうが、まったく動きが鈍らない。
徐々に、シエラが押しているように見える。
ペイルは、自分の握り拳に、汗が滲んでいることに気がついた。
機が近づいている。
セピアは、それだけを考えていた。
戦えば戦うほどに、シエラは動きが良くなってくる。
槍型の武器の弱点と気付いたのだろう。途中から、ぐいぐい前に押してくる接近戦にしようとしてくる。
いつの間にか、セピアは、防戦一方だった。
押されようと思って押されているわけではないが、展開は悪くなかった。
シエラが、ここが機だと思ったのか、一気に攻撃を激化してくる。
セピアの体勢が少し後ろに崩れる。
すかさず、シエラから力の入れた一撃が放たれる。
それを受けた、セピアの体勢がさらに後ろに崩れた。
勝負時と思ったのだろう。シエラが、こちらに飛び込んでくる。
ここだ。
セピアは、身体を横に回転して、後ろへの勢いを殺す。
片足を、後ろで踏ん張って、もう片方の足を前へと突き出し、シエラの胸を目掛けて、渾身の突きを繰り出した。
向こうも、こちらへ突っ込んで来ているのだ。避けられるわけがない。
勝った。
思った直後、槍先の軌道がずれた。
シエラの、剣を持っていない方の手が、セピアの、槍先を掴んでいた。
まさか。
考えがまとまる間もなく、シエラの攻撃が、飛んで来た。
しかし、セピアに届く前に、シエラの棒が折れていた。
一瞬の間。
攻撃を受けていなかったが、セピアは後ろ向けに地面に倒れた。
空。雲が見える。
自分の呼吸音と、シエラの息遣いが聞こえる。
負けた。
突きを決め手に持ってくるのを、読まれていたのだろう。
あまり突きを意識させないために、使わなくなったことで、逆に対策を考える機会を与えてしまったのか。
始めから、突きを集中させていれば、シエラの考えがまとまる前に決着をつけていられたのかもしれない。
それに、本物の槍なら、あんな方法をとれやしない。
……。
セピアは、苦笑した。
状況が変われば、戦術も変わる。当然のことだ。今、考えた状況になっていても、シエラなら、別の方法で打開していただろうと思える。
どう考えても負けだ。自分が相手より、力が劣っていた。それだけのことだ。
しかし、悔しさはなかった。むしろ、清々しいほどだ。
力を出し切るというのは、これほど気持ちのいいものなのか。
負けは、気持ち悪いだけのものではない。
これで、父に会いに行ける。
セピアは、母親のことを思い出していた。