数ヶ月旅をした。
産まれて初めての旅だった。
知識も体力もないので、つらいと思うことも、いろいろあった。
それでもシエラは楽しかった。
旅の内容が楽しかったのか、一緒にいたのがカラトだったから楽しかったのか……。
きっと両方だろう。
雨の中、川沿いを下流に向かってシエラは走っていた。
走りながら、カラトの行動の意味がだんだん分かり始めた。
考えれば考えるほどに、それしかない、と思えてきた。
カラトが死ぬかもしれない。
今更になって気付く馬鹿な自分に怒りを覚える。
いてもたってもいられなくなり、シエラは来た道を引き返した。
どう考えたって自分が戻っても邪魔なだけなのは、馬鹿な自分にでも分かる。
それでも……。
人は理屈じゃなく動くことがある。カラトが、よく言っていた言葉だ。
まさに今が、それなんじゃないか。
シエラは、もう考えることをやめた。
自分が隠れていた大木の近くまで戻ってきたシエラは、さっきとは違うところに気が付いた。
血を引きずったような跡が地面にある。
少し迷ったが、シエラはその血の跡をついていった。
嫌な予感が頭から離れなかった。
自分の呼吸の音が聞こえる。
大木の裏を十歩ほど入っていって、シエラは、息が止まった。
木に寄りかかり、足を前に投げ出し、全身血まみれで俯いて座っているカラトがいた。
「カラト!」
シエラは急いで駆け寄る。
カラトの片目だけが、少しだけ開く。
「おいおい……。約束破っちゃダメだろ……」
なんとか搾り出すような、嗄れた声でカラトが言う。
「カラトっ、カラトっ」
触っていいのか分からず、名前を言うしかなかった。
これは、すべてカラトの血なのか。これほど出血して生きてられるものなのか。
「カラトっ、カラトっ」
シエラは、自分が泣いていることが分かった。
カラトの呼吸音が頼りなく小さい。
そのカラトが、少し微笑んだ。
「シエラ……、聞いてくれ……」
カラトの開いている片目がシエラを見た。
「俺のことは忘れるんだ……。カラトという男は、初めからいなかった……、そう考えてほしい……」
「何言ってんの……」
「君の人生は……、まだまだこれからずっとある。俺は、その中でたかだか数ヶ月の人間だ……。だから……」
「何言ってんのよ! 無理だよ! 無理に決まってるじゃんかよ!」
俯き、身体を震わせるシエラ。
「人生が何だって……? 私にとっては、この数ヶ月が、今までの人生の中で一番意味があったんだよ……。それを、なかったことにしろだって? じゃあ、なんで私に会ったんだよ。なんで私を助けたんだよ。そんなことなら、初めから、会っていたくなかった!」
「シエラ……」
「でも、もう会っちゃったんだよ……、忘れられないよ……。私は、カラトのこと……忘れたくないよ……」
沈黙。
再び、雨音が耳に入ってくる。
「そうか……」
言って、カラトの表情が、急に明るくなった。
「いやぁ、悪かった。ごめん。冗談だよ。我ながら、ちょっと弱気になってたみたいだ。そんなに深刻な傷は負ってないよ」
シエラは、顔を上げてカラトを見た。
「だけど、やっぱり歩けそうもないから、村まで行って人を呼んできてくれないか、シエラ。それしか助かる方法が思いつかないんだ」
「本当……? その血は?」
「これは、ほとんど返り血だよ。こんなに出血して生きていられる人間なんていないだろ」
おいおい、と言って声を出して笑うカラト。
シエラは、じっとカラトを見つめた。
「本当だよ。俺が、嘘をついたことがあるか?」
「さっきついた」
「ありゃ、本当だ」
もう一度、声を出して笑うカラト。
「ああ、いてて……なぁ、たのむよシエラ。傷が痛くてしょうがないんだ」
「……わかった」
「おっ、そうか。じゃあ、頼むよ」
シエラは、立ち上がって歩き始める。
カラトの言葉をすべて信じたわけではないが……。
自分にできることは本当にそれしかないから。
振り向くと、カラトが片手を、ひらひらと振っていた。
それを見てから、シエラは走り出した。
シエラが見えなくなってから、カラトは深く息を吐いた。
(ごめんな……)