いきなりの出来事だった。
シエラは、セピアやペイルを追って、館内を走っていた。
ついさっき突然、軍勢が館内に突入してきた。
シエラは、一瞬身構えたが、兵士達は、シエラを無視するように素通りしていき、パウダーの私兵連中を、次々と制圧していった。
呆気にとられた。
その後、シエラは三階に向かって駆けたが、特に止められることもなかった。あちらこちらで、私兵達が、取り押さえられていた。
不思議な気分のまま、三階の目的地に到着する。
入れ違いで、口ひげの男が数人の兵士に連行されていた。それと、入れ替わるように、部屋に入る。
すぐに、見知った顔が見えた。
ペイルとセピアが、呆然と突っ立っていて、その奥には、コバルトもいた。他には、兵士が数人いるようだ。
最後まで見回すと、入り口側の壁際にいた男に目が止まった。
「あっ」
思わず、声が出てしまう。男と目が合った。
ボルドーだ。何も言わず、腕を組んでいた。
「フーカーズ将軍、屋敷内の制圧、完了しました」
部屋に入ってきた兵士が言う。
フーカーズ?
「分かった。すぐに撤収する。後は管轄軍に任せる」
部屋にいた一人の、兵士が言った。
目が鋭く、黒の短髪だ。この男がフーカーズなのか。
想像していたよりも、線が細く、背が低いと思った。ペイルと同じぐらいか。
ただ、手練れではあるだろう。実力は分からないが、それだけは分かった。
「では、ボルドーさん。私は、これで」
フーカーズが、ボルドーに言った。
「ああ、助かったよ」
ボルドーが答える。
「じゃあな、コバルト」
フーカーズが、歩きながら、奥にいるコバルトに言った。
コバルトは、何も言わず、フーカーズを見ている。
部屋にいた、兵士達を引き連れて、部屋から出ていこうとする。
ふと、フーカーズが、入り口の所で足を止めた。
入り口の近くにいた、シエラの方に目を向けてきた。
束の間、目が合った。
そして、再び正面を向いて、足を進め始めた。
「そうか……」
フーカーズが、そう呟いたのを、シエラは微かに聞いた。
そして、部屋を出ていった。
部屋に、五人だけになった。
「あ、あの……ボルドーさん」
少しの沈黙の後、ペイルが口を開いた。
「ああ、ペイル。言い訳があるなら聞くぞ」
腕を組んだまま、ボルドーが言った。
怒っている。
ペイルは、たじろいで黙った。
「お前達三人には、諭すだけでは利きそうにもないようだから、ちょっと説教をしてやらんといかんな。覚悟しておけよ」
ペイルが、苦笑いのような顔をした。
シエラも、少し緊張した。怒ったボルドーは怖い。
「お前もしてやろうか? コバルト」
「勘弁してくれよ、旦那」
「えっ?」
ペイルが、声を上げた。ボルドーとコバルトを見比べる。
「ああ……成る程、こいつら旦那の連れだったのか。道理で腕が立つわけだ」
コバルトが言う。
「それに、あの堅物を動かしたのも、旦那ってわけだ」
ボルドーが少し苦笑する。
「あいつは変わっていたよ。昔ほど頭が固くない」
「知り合いだったんですか? 二人は」
ペイルが言った。
わずかにボルドーが頷く。
「それに、ボルドーさん。さっきのやり取り、将軍とも知り合いだったということですか?」
ペイルが、食いつくように聞いた。
シエラも気になっていた。
ボルドーが、目を閉じる。少ししてから、目を開いた。
「このことを黙っていたことに関しては、わしに非があるのだろうな。先に謝っておこう」
ボルドーは、組んでいた腕を解いた。
「お前達が言っていたように、わしは昔、スクレイの十傑と呼ばれていた」
ペイルは、緊張したように聞いている。
「ただ、十傑などという大層な名は、勝手に言われるようになったのだがな。自分達で名乗った覚えはない」
「そう……ですか」
言うとペイルは、黙った。
あれほど、興味がありそうだったのに、何故か、それ以上は何も聞こうとしない。シエラは不思議に思ったが、それ以上に聞きたいことがあった。
「カラトも……?」
ボルドーが、ゆっくりと視線をこちらに向ける。
「……ああ、そうだ。カラトも十傑の一人だった」
不思議な緊張感が起こった。シエラは、黙った。
「カラト? って前にシエラちゃん言ってた……あの、もしかしてコバルトも?」
ペイルが言うと、ボルドーがコバルトを見る。
全員の視線がコバルトに集まった。
「俺は、ちげえよ」
コバルトが、手を振りながら言った。
少しして、ボルドーがセピアを見た。
「どうした? セピア」
俯き気味だったセピアの顔が少し上がる。
「ずっと、反応が鈍いな」
「あ、いえ……その、なんだか気落ちしてしまって」
セピアが、言う。
「あっ」
ペイルが声を上げる。
「シエラちゃん」
「あ、はい。屋敷の外に」
「何だ、どうした?」
ボルドーが言う。
ペイルが、セピアを見た。
「あの子供、生きていたんだよ」
「えっ?」
セピアが、目を広げた。
「お前が、地下牢を飛び出した直後にな、小さい呻き声が聞こえてよ。牢を開けて、中を探したら、一人だけ生きてる子供がいたんだよ。お前が先走りそうだったから、俺だけ先に、お前を追っていって、シエラちゃんに子供を任せたんだ」
セピアは、呆然といった顔をしていた。
子供は、青い顔をして震えていた。当然だろう、あんな部屋にいたのだから。
フーカーズ軍が、突入してきた直後だったので、ある程度の交戦は覚悟していたシエラだったが、難なく移動できた。
とりあえず、連れている子供はどうしようかと考えながら、ふと屋敷の窓から外を見ると、門の陰から中をのぞき込んでる男達が見えた。
コバルトの仲間だった四人だ。
シエラは、すぐに外へ出ていき、彼らに子供を託して、屋敷に戻ったのだった。
「お前等」
シエラ達が、屋敷から出ていくと、男達にコバルトが、呆れるように言っていた。
どうやら、屋敷で騒ぎが起こったのが気になって、様子を見に来たらしい。
その後、話し合って、子供は彼らが預かってくれることになった。
セピアは、子供と少し顔を合わせただけだった。
その後、宿に向かって歩いた。
空が、少し明るくなってきていた。
「旦那……宿の主人だけどな。何年か前に、パウダーの野郎に追われてた奴を匿っていたのがバレちまって……」
「そういう類のことだろうとは思っていたがな……」
ボルドーと、そういう会話をしていたコバルトは、町の路地を歩いていった。
宿に戻ると、すぐに寝台で横になったが、なかなか寝付けなかった。
結局、次の日は一日中、三人はボルドーの前で正座することになった。
さらに次の日、イエローの町を出発することになった。
早朝、宿を引き払って、四人で町を北に向かって歩いた。
町の様子は、何も変わっていないように、シエラは感じた。
町の暗さの原因が、あの男だけではないということなのか。あるいは、そうすぐには変化がないものなのか。
あの夜も、屋敷に来たのは、あの四人だけだった。
町から延びている街道に乗って、少し進んだ所で、ボルドーが横道に入っていく。
「ちょっと、見ていこうか」
「何をですか?」
「来れば分かる」
四人で横道を進み、緩やかな坂を上ると、眺めのいい丘の上にでた。
「おお」
ペイルが声を上げた。
丘の下、広い平地に軍勢が展開しているのが、すぐに見えた。その向こうは、森が広がっている。
これだけの人間が、密集しているのは初めて見た。ラベンダー村の住人よりも多そうだ。
森に向かって、一つの集団が離れている。全員騎馬のようだ。残りの大勢は、それを遠巻きにするようにして、大きい半円形に展開していた。
用兵は知らないが、不思議な配置だと、シエラは思った。
「あれ? コバルト」
ペイルが言った。ペイルの視線の先を見ると、四人から少し離れた所に大きな岩があり、その上に、コバルトが興味なさそうに寝そべっている。
「少しだけだがな、あいつが着いてくるが、いいか?」
ボルドーが言う。
「はあ、俺は別にいいですけど」
その後、四人で軍を眺めていた。
「あの、離れている部隊だけ、質が桁違いに高いですね」
セピアが、指を差して言う。
「ほう、分かるのか」
「馬と馬との距離が、かなり近いのに、まったく乱れてない。それに、さっきから余計な挙動がまったくない」
すると、森の方が騒がしくなり始める。物を叩く音が響き、木々が、揺れる。大きい方の軍から声が上がる。
少しして森の中から、数人、兵士が飛び出してきた。
それに続くように、数頭の猪獣が森から飛び出してきた。
「うおっ」
ペイルが声を上げる。
次から次に、猪獣が飛び出してくる。そして、木をなぎ倒しながら、巨大な白い猪獣が現れた。
「うっわ!」
通常の猪獣の三倍は大きい。周りに、猪獣を従えるようにして、突っ込んでくる。
「何だ、あれは」
セピアも、声を上げる。
大きい方の軍は、浮き足だっているようだった。猪獣の群に近い、小さい方の軍は、まったく動かない。
すると、その軍の真ん中辺りから、一本の剣が上に突き立てられるのが見えた。
フーカーズだ。
遠くて識別はできないが、シエラはそう感じた。
次の瞬間、小さい方の軍、騎馬隊は二つに分かれて猪獣の群に向かっていった。猪獣の突進線上のわずか外に出て、反転する。猪獣の群を挟むように併走しながら、群の外側から攻撃を始めた。
シエラは、ラベンダー村の山中で、小さい猪獣を見たことがあった。猪獣は、急に方向転換ができない。ああされては、うまく反撃ができないだろうと思った。
猪獣の群が、少しずつ横に方向を変えようとする。騎馬隊は速度を落とし、群の後ろで一つにまとまり、猪獣の群の横腹に突っ込んだ。
群が、完全に崩れた。あっという間に、騎馬隊は、白い猪獣を取り囲んで、集中攻撃を始めた。
「すげえ……」
ペイルの声が聞こえる。
見る見る、白い猪獣の速度が落ちる。やがて、ゆっくりと音を立てて白い猪獣は倒れた。
すると、取り巻きの猪獣達は、一目散に森の方に走っていった。
大きい方の軍から歓声が上がった。そこから次々と、猪獣を追って走り出す者がいた。
騎馬隊は、一つにまとまっている。追撃には関心がなさそうだ。
「行くぞ」
ボルドーの声がして振り返ると、すでに道を二十歩ほど、先をいっていた。コバルトは、さらに向こうを歩いている。
ペイルとセピアが、慌てて後を追った。シエラも、走りだそうとした。
ふと、もう一度、騎馬隊の方を見た。
部隊の中央で掲げられた剣が、日の光りを反射して、輝きを放っていた。