Neetel Inside 文芸新都
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 夜の山中だった。


 今までの旅の中で、暗闇というものを、あまり意識していなかったのだと、シエラは初めて気がついた。
 四方八方が闇である。
 夜なのだから当然だ。それに、誰かがいれば、闇が薄らぐというわけでもないのだ。
 しかし、闇が濃いとシエラは感じていた。
 孤独なのだ。
 これが孤独なのだと感じた。思い返せば、サーモンが死んだ時も、同じような感覚があった気がする。
 ダークが、どこかにいるのかもしれないが、姿が見えなければ、いないことと同じだ。いや、逆に不気味に感じる。
 シエラは、焚き火の前で、膝を抱える。この程度で、怯えてどうすると自分を叱咤する。
 目を閉じれば、どこにいても、誰といても闇なのだ。
 いつの間にか眠っていて、気がつくと朝だった。

 そういう夜が、何日か続いていた。










 数日後、シエラは山道を歩いていた。何か食べられるものはないかと、入ってきたのだ。旅の中で、ボルドーから与えられた知識があるので、ある程度は、何が食べられるかが分かる。食費を節約しながら、ここまで来れた。
 人が通る道から外れた、草むらに入る。
 少し歩いていると、突然視界がぶれた。
 そのまま、横に転がり落ちた。
 右足に、大きな衝撃が当たった。
 シエラは、草むらに倒れながら、しばらく呆然としていた。空に雲が見える。
 足を踏み外して、転落したのだ。自分が、落ちたと思われる場所を見ると、今いる地面から、大人三人分の高さはある。
 シエラは、少しして自分の足を見た。出血はしていないようだが、随分と痛む。立ち上がろうとして、力を入れると、さらに痛みが増すようだ。
 どうしたものか。
 シエラは座り込んだまま動けなかった。
 意味もなく、辺りを見回した。深刻な状況なのだが、何故か緊迫した気持ちになれなかった。

 日が、中天を越えて少し経ったころ、草木をかき分けるような音が聞こえた。複数の話声が聞こえるので、おそらくダークではない。
 シエラは、足を引きずって茂みに隠れた。
「これ、子供の歩幅だよ」
 女の声だ。近づいてくる。
 やがて、姿が見えたのは二人の男女だった。シエラが、転がり落ちてきた方から現れた。両方とも、三十代の中頃に見える。二人とも、ある程度の装備をしているので自ら山に入ってきたのだろう。
 賊などには見えない。
 しかし、シエラは姿を現すことを躊躇した。賊ではないからといって、弱みを見せていいということにはならない。
 二人の位置からは、こちらの姿は見えないはずだ。
 二人は、腰を落として地面を見ていた。
「やっぱり、ここに落ちたみたい。それも、かなり打ちつけてるかも」
「他に足跡がなかったから、子供が一人か。迷子かな」
「引きずった跡もある」
 言うと、女の方がこちらに近づいてくる。
 シエラが隠れていた茂みの前まで来ると、立ち止まった。
「そこにいるんでしょ?」
 女が言った。
 もう隠れられないと思い、シエラは意を決して茂みから這い出た。
「わあ、こんな小さな子供だったんだ。しかも女の子」
 女が腰を下ろし、シエラと目線の高さを合わせる。
「足を痛めてるみたいね。大丈夫? 傷はない?」
 シエラは頷く。
「ちょっと見せてくれる?」
 女が、シエラの足を見た。
「腫れてるみたいだね。打ち身か捻挫か」
 目線を戻す。
「君、一人? どうしてこんな所にいるの?」
 シエラは、何と言えばいいか考えた。本当のことは勿論言えないにしても、どう言えばいいのか。
「ち、父と都に向かう途中でした。ですが、山中ではぐれてしまって……」
「そうなんだ……それは大変だったね」
 女と男が、一度見合った。それから、再び視線を戻す。
「この剣は君の物?」
「……はい。ご、護身用にと持たされていたのです」
「へえ」
 女が、少し身を乗り出した。
「それじゃあ、一旦私達の家に来て怪我の治療をしようか? 怪我が治ってからお父さんを探すというのは、どうかな? 私達も手伝ってあげるから」
「あの、でも」
「このまま、ここに置いていくわけにもいかないしね」
 確かにどうしようもない状況だったのは事実だった。
 女が笑みを見せる。
 悪い人間のようには思えなかった。
 シエラは頷いた。





 男の背に担がれて、シエラは運ばれた。
 山中を一時間ほど移動した所に、数件の家がある場所にたどり着いた。
 高低差のある場所で、明らかに農民が住まうような所ではない。
 その後話を聞くと、どうやら二人は獣狩を生業としている夫婦らしい。この村の住人も、ほとんどが獣狩だという。
 女の名はシャルで、男はニックといった。
 シエラは、助けてもらった御礼にということで、持っていた貨幣を渡そうと思った。
「いいのいいの、そんなこと。子供っていうのは、大人の世話になるものなのだから。遠慮なんかしなくていいんだからね」
 シャルが、そう言った。

 シエラ用に、一つ寝台が用意されて、そこに寝ていることが多い日々になった。時折、杖を使って村の中を見て回ったりした。二人は、どちらかが家に残って、シエラの世話をしてくれた。その時、もう片方は猟に出て行く。
 女で獣狩は大変ではないか、とシエラは聞いてみた。
「まあね。でもまあ、慣れればそんなに性別が不利だと思うことはないし、それにそのお陰で今の旦那に出会えたわけだしね」
 時間がある時には、山を下りて近くの町に行き、迷子の子供を捜している人がいないかを捜してくれているらしい。それには、申し訳ない思いがあったが、黙っていた。
 希に、大きな獣を担いで帰ってくることがある。その時は、村人が集まって、獲物が解体されて宴会が催された。
 二人はシエラに、とても温かかった。
 怪我が治るまで、ここにいようとシエラは考えていた。





 数日後、夜に、家に一人でいる状況になった。
 シエラは、食器の片づけをしていた。
「このまま、ここに居座るのか?」
 突然上の方から、声だけがする。あまり驚かなかった。慣れてきたのだろうか。
「……怪我が治るまで、いるだけです……」
「ほお」
 という声。
「本当に、まだ怪我は治っていないのかな」
 声は、そう言う。
 しばらく沈黙。
「まあ、いい」
 やがて、あるか無きかの気配が消える。





 さらに数日。
 今日は、シャルが猟に出かけ、ニックが家にいた。
 獲物の皮を剥がす作業をしていて、シエラもそれを手伝っていた。

「随分と、うまくなった」
 ニックが言った。
「ありがとうございます」
 黙々と作業を続けていた。
「なあ、シエラ」
 ふいに、ニックが言う。
「ここでの暮らしは、嫌か?」
「え?」
 ニックは、作業を続けている。
「……嫌ではありません。というより、そんなことを言える立場ではないと思っています。お二人には、本当に良くしていただいていて申し訳ない思いです」
「そうか。しかし、何か思い悩んでいるのではないか?」
 少しの間。
「いや、家族と離ればなれになってしまっているんだ。それは、心細いだろうな」
 ニックは、そう言った。
「頼りにならないかもしれないが、私達には何でも言ってほしい。頼ってほしいのだ」
「あの……ありがとうございます」
 シエラは言った。
「もう一つ、話したいことがある」
 少し間を置いて、ニックが言う。
「このまま、ここで暮らす気はないか?」
 シエラは、思わずニックを見た。
「当然、シエラにはシエラの都合があるのは分かっている。家族もいるしな。ただ、もしもシエラがいいというのなら、ここにいてほしいのだ。シャルも、きっと喜ぶ」
「え……」
 シエラは、返答に困った。
「すぐに返事がほしいとういうわけではない。考えてほしいということなのだ」
 シエラが黙っていると、ニックは立ち上がる。
「さて、そろそろ夕餉の支度をしようか。シャルが帰ってきて、何も作っていなかったら拗ねてしまうからな」

 その後、シャルが帰宅し何事もなかったかのように夕食が済まされた。ニックの意図が分からなかった。
 そういえば、二人には子供がいないのだろうか。年齢的にも、いても不思議ではないはずだ。
 二人には聞きにくいので、翌日、シエラは村の人間に聞いた。

「シャルは、ここから、ずっと東にあった町で暮らしていたらしいが、戦乱で家族を失ってしまったんだ。幼い子供もいたそうなんだが、その子も、死んでしまったらしい。その後たった一人で、こっちに流れてきた時、ニックと出会って夫婦になったんだ。ただ彼女は、その時の心労が原因か、子供ができないようになってしまったようなんだ」
 よく、あそこまで元気になったよ、と感慨深そうに言う。
「まあ、だから君が、実の子供のように思えて嬉しかったんじゃあないかなあ」
 帰り道、シエラは二人の心情を考えて、切なくなった。
 しかし、それと同時に別の気持ちも湧き上がってくる。





 翌日、シエラは二人に話があると言って、家にて対面で座った。
「お二人に話があります」
「うん」
「……私は、明日ここを発とうと思います」
 二人は、驚く顔でシエラを見た。
 シャルは、少し目線を落とした後、シエラを見て笑った。
「そうなんだ」
「はい」
「やっぱり、そうだよね。本当の家族の元の方がいいに決まってるよね」
「すいません。父とはぐれたという話は、嘘なのです」
「嘘?」
「本当は、一人で都に向かっている途中だったのです」
「一人で? どうして?」
 シエラは、少し間を作る。
「その、突拍子のない話なのですが……」
 間。
「私は、前王の娘……なのだそうです」
 二人は、同じように目を丸くした。
「ぜんおう?」
「前の、王様……です」
 二人が見合う。
「信じられませんよね。私も、話していて何だか馬鹿らしく思えてくるのです」
「それが本当だとして、どうしてあんな山の中に?」
 シエラは、自分の状況を簡潔に説明した。説明しながら、普通こんな話など信じられるわけがないと、話たことを後悔し始めてきた。
 説明が終わり、シエラは少し視線を落とした。
「そうなんだ……」
 シャルの声。
「やっぱり、信じられませんよね」
「いや」
 再び、シャルの声。
「少なくとも、ただの子じゃあないんだろうなとは思ってたんだ」
 シエラは、思わずシャルの顔を見た。
「使い込んだ剣とか、シエラの手の肉刺を見てね。けど、まさか王女様とはねえ……なんだか、現実味のない話」
「始めて会った時、嘘をついていることは分かっていた。いや、すべて本当のことを言っていないということだけだが」
 ニックが言う。
「じゃあ、どうして私を助けてくれたのですか?」
「困ってる子供がいれば、助けるなんて当たり前じゃん。それに、理由なんていらないよ」
 言って、シャルが笑った。
「でも、そっか。じゃあ、しょうがないよね。いつまでも、こんな所にいるわけにはいかないよね」
「私が助かったのは、お二人のお陰です。本当にありがとうございました」
 二人が微笑んだ。
「また、いつでも来てね。私達にとっては、シエラは家族と変わらないんだから」
 シャルが言う。
「無礼になるのかな? 王女様に対して、こんなこと」
「いえ、そんなことありません。それに、今の私は王女ではなく、力も持たない一人の子供ですので」
 シエラは、シャルを見た。
「必ず、また来ます」





 翌日、シエラは二人に見送られて出立した。
 何度も、都まで送らせてほしいと言われたが固辞した。これ以上二人に迷惑はかけたくない。
 家の前の二人が見えなくなるまで、何度も振り返った。
 しばらく歩く。

 あの人たちが、幸せに暮らせる支援をしたい。そして、シャルと同じような悲しい目にあう人を出さないようにしたい。

 些細なことかもしれないが、王になりたいと思う気持ちが、ほんの少しでも足されたことが、シエラには嬉しかった。




       

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