局地戦が続いていた。
デルフトと戦い始めて、十日が経とうとしていた。
あちらも、そこそこ減らしているとはいえ、こちらの損耗も少なくない。そもそも、互角の戦いをしていれば、こちらの負けだ。砦の本隊の援護が、まったくできない。もう、砦を守りきることは不可能なので、本隊を包囲から脱出させるしかないと思っている。
問題は、どうやって脱出させるかだった。
「そろそろ始めるぞ」
ボルドーは、馬上でコバルトに言った。
「よっしゃ、行ってくら」
そう言い残し、コバルトと、その部隊は東に向かって駆け始めた。砦の方角とは違うが、敵としては、簡単に看過できる方角でもない。
さて、デルフトが、どう動くか。
ボルドーと、その部隊はそのまま待った。
しばらくしてから、斥候が数人戻ってくる。
「どっちが動いた?」
「ゴールデン軍です。東に移動をしました」
ということは、残ったのは、デルフトか。
「よし、前進」
ボルドーは、偃月刀を掲げた。それと同時に、騎馬隊が動き出す。
岩山地帯の中の、直線上が、よく見通せる場所で、デルフト軍が正面に構えていた。
遠目にも、デルフトが先頭にいることが分かる。
ボルドーは、騎馬隊を少し停止させた後、偃月刀を上から右に振った。
騎馬隊が、東に向いて動く。
馬を駆けさせながら、ボルドーは思案した。
このまま、もしデルフトが追ってこなければ、ゴールデンの部隊を全滅させることができるだろう。だから、デルフトは必ず追ってくる。
少し進むと、予想通り、後方から土煙が上がっていることが確認できた。
よし。
早馬が二騎、正面から駆けてきた。
「コバルト軍と、ゴールデン軍が交戦」
ボルドーは、さらに部隊を走らせた。
同じ騎馬とはいえ、デルフトの部隊の方が、馬の質は遥かにいい。徐々に差を詰められているようだ。
ボルドーは、それは気にせず、辺りを確認しながら進んでいた。
相変わらずの、岩山地帯だ。見通しは悪い。
目的の場所まで来ていることが分かって、ボルドーは偃月刀を、真上に掲げた。
「反転!」
騎馬隊が、一斉に反転する。ボルドーは、前後が入れ替わった騎馬隊の先頭まで進んだ。
正面には、デルフトが見えた。あと、二十秒ほどで接触する距離だ。
敵には、勢いがついている。定石ならば、このような形での反転は、無謀というものだろう。
「行け!」
ボルドーが言うと、自分の後方にいた騎馬隊が、二隊に別れて、敵の外側を通るように走り始める。
ボルドーだけが、その場に残った。
デルフト以外の敵兵が、驚くような顔をしている。
ボルドーは、偃月刀を両手で構えた。
「デルフト!」
デルフトは、大斧を右腕で横に上げた。そのまま、突っ込んで来る気だ。
デルフトと、その率いてきている軍は、また距離ができていた。
あと、五秒で接触というところ。
瞬間、デルフトの眼球が右を向く。
いきなり、激しい金属音が響く。
デルフトが、右に向けて大斧を構えていた。
次の瞬間、騎馬のコバルトが、デルフトの左の岩山の影から飛び出した。すぐに、鉄棒を繰り出す。
ボルドーも、馬を走らせた。
デルフトは、素早く身を返して、鉄棒を大斧の柄で弾く。コバルトの二撃目も、柄で受け止めた。
ボルドーも、偃月刀を繰り出した。
その時、デルフトの心気が、急激に高まっていることが分かった。
今、デルフトは両手で大斧を握っている。
「伏せろ!」
突風。いや、風切り音。
とんでもない音を放ちながら、馬上で伏せた頭の上を、大斧が横切った。
三人とも、騎馬だ。そのまま馳せ違う格好になった。
やはり、駄目だったか。
あの一瞬の接触で、デルフトの首を狙う作戦だった。残念もあるが、始めから駄目だろうという思いもあったのだと、今感じた。
すぐに思考を切り替える。
前方には、デルフトが率いてきた騎馬隊が迫っていた。
一人では、難しいだろうが、今は隣にコバルトがいる。突破するだけならば、できるだろう。
この場の作戦は敗れたが、全体の作戦は、ほぼ思い通りに進んでいた。
ボルドーは、改めて気合いを出した。
敵軍を突破して、少し進んだところで、先に敵の脇を通過させた自軍と合流した。そのまま、西に進軍する。
「死ぬかと思った」
横から声がする。見ると、コバルトの髪型が何かおかしかった。先ほどの大斧が、頭を掠っていたようだ。
「なあ、旦那」
コバルトが、呟くように言う。
「あいつ……カラトより強いんじゃねえか?」
言われて、ボルドーは考えた。
確かに、そうかもしれない。
しかし、口には出さなかった。
「お前の部隊は大丈夫か?」
コバルトに言った。
「まあ、ゴールデンに、あの部隊に俺がいないってことがばれなきゃ、最小限の被害で撤退できると思う」
さらに進んだところで、横道から、少数の騎馬集団が出てくるのが見えた。
先頭の者が併走してくる。
「あれを止められたら、もうお手上げね」
グラシアが、肩を上げて言った。
さきほどの接触で、デルフトに最初に攻撃したのは、グラシアの弓矢だった。
「奴は、我々の戦い方を知っているからな。お前の弓も、想定内だったのだろう。でなければ、あれを止めることなど、普通できない」
「折角来たのに、これで退散か」
「まあ、予定内だ」
正面から、早馬が来た。ボルドーは、少し構える。報告次第では、全作戦が瓦解する。
「本隊が、敵の包囲を突破しました! 南西に向かいながら、敵の追撃と交戦中です」
「敵指揮官は、入れ替わったのか?」
「確認しました」
「よし、このまま本隊の援護に向かうぞ」
言って、馬の速度を上げた。
フーカーズは、国軍の前線基地となっている陣に到着した。
ダーク達の軍と睨み合っている最中に、砦を攻囲していた軍が突破されたと報告が入った。その直後、ダーク達の軍が、緩やかに撤退を始めたのだ。
追撃しようかと、少し考えたが、おそらく対策は十分にあるのだろうと思い、追わなかった。その後、すぐに前線基地に向かったのだ。
兵達が、慌ただしく動き回っている中、フーカーズは指揮官用の建物に向かった。
建物の前で、パステルが顔を紅潮させて、部下に指示を出している。
フーカーズは、それが終わるまで待った。
部下達が散っていくと、パステルは息を吐いて、置いてあった椅子に腰掛けていた。
「何があった?」
言いながら、近づく。パステルは、驚くように顔を上げていた。
「フーカーズ」
「何があった?」
同じことを言った。
パステルは、苦悶に満ちた表情をする。
「攻囲の最中、都から、指揮を交代しろとの命令が届いたんだ。それで、仕方なく引継の手続きをしていた時に、奴らが砦から打って出てきたんだ。どうしようもなかったよ」
パステルは、再び息を吐く。
フーカーズは、それだけで大体の状況が分かった。
おそらく王子達は、砦が陥落寸前だという報告を聞いたのだろう。それで、一時は抑えていた政争の点数稼ぎを、再び再燃させたということか。自分たちの取り巻きの将軍に、最後の仕上げをさせようとしたが、そこをまんまと狙われたということだろう。
「本当に、すまない……君やデルフトが、私などの指示に従ってくれて、完璧な戦いをしてくれたというのに」
「君の責任ではないだろう」
「いや、私が気を回さなければならない事柄だった」
言うと、パステルは、少し目を伏せた。
「それにしても、時機が合いすぎていた、と私は思うけどね」
別の声が、割って入ってきた。
フーカーズは、振り向く。薄い茶色の短い髪、指揮官用の具足を装備している女が近づいてきていた。確か、歳は五十ほどだったか。
フーカーズは、少し頭を下げた。
「どういうことですか? インディゴ将軍」
パステルが言う。
「奴らが、打って出てくる時機が、完璧すぎだったとは思わないかい? それに、うまい具合に南にいたデルフトが、東に引きつけられていた。奴らが、奴らの本隊をデルフトに攻撃されないようにしていたとしか思えないね、私は」
「まさか。指揮官の交代命令を出したのは、王子ですよ……いや、そうか、取り巻きの中に、敵との内通者が」
パステルは、考える仕草をする。
「あんたは、どう思う? フーカーズ」
インディゴが言う。
「王子の傍に、敵との内通者がいなくとも、情報をある程度操作すれば可能な策略だと思いますね。あとは、王子が放つ伝令を確認し、それよりも早く、味方に知らせることができれば、時機が完璧だった説明もつきます」
「多分、それだよ」
インディゴが言った。パステルは唸っている。
「まあ、責任があるとするなら、それは上の奴らだ。そんなに気にすることはないよ、パステル」
「それで納得できるものでしょうか?」
インディゴが、パステルに近づいた。
「納得できなかったら、軍人を辞めるしかないんだよ。それが、軍ってものだと私は思うね」
パステルは、少し驚いた顔で、インディゴを見た。
インディゴは、少し口角を上げる。
「お前達は、まだまだ若い。自分の将来を、狭めるなって言っとくよ」
そう言って、インディゴは歩いていった。
パステルは、考え込むような仕草をする。
入れ替わるように、一人の男が近づいてくるのが見えた。。
指揮官の具足をつけていて、黒い髪を、頭の後ろで縛っている。たしか歳は、三十代の後半ぐらいだったか。
将軍の、オーカーだ。
「パステル将軍、当分戦はないという認識でいいのですか?」
その言葉に、パステルは顔を上げる。
「ええ……ここより本隊を前進させるためには、またいろいろと軍の編成から、物資の準備までやり直さなければなりませんので」
「でしたら、この陣の守備統括の任を、誰かに替えてもらいたいのですが」
「ああ、そうですね。分かりました、では私が引き継ぎましょう」
オーカーが、少し頭を下げた。
「何か、用事でもできたのか?」
フーカーズは、オーカーに言った。
オーカーが、こちらを見る。
「大したことではありませんよ、フーカーズ将軍」
そう言って、歩いていった。