再び戦いが始まっていた。
敵の前衛は、少し西に進んできていて、前回の戦いとは違い、戦線が大きく広がっていた。それに伴い、こちらも防衛線を広げている。
グレイは、北側の戦線にいた。騎馬が百と、歩兵が五百の部隊の指揮を任されている。
こちらとしては、まずボルドーが抜けたことによる、全体の齟齬がどういうものなのかを確認しなければならない。それに、前回の戦いでの軍の損耗も、まだ回復はしていない。しばらくは、攻勢に移ることは不可能だというのが、全員の一致した意見だった。
敵側では、フーカーズとデルフトが、再び後方に下げられていた。パステルやインディゴも、前線にはいなくなっているようだった。
おそらく、前回の戦いでの、こちら側の戦力の低下を知って、王子達が、あの四人がいなくても勝てると踏んだのか。あるいは、ボルドーがいなくなっていると知って、こちらを軽んじているのか。
とにかく、こちらとしては、あの四人がいないのは、ありがたいと言えばありがたい。
こちらの全軍の指揮は、ルモグラフが担当することになった。その他の、物資のことや工作などはグラシアが担当だ。
グラシアからは、ただでさえ人員が不足しているので、余計な犠牲は絶対に出すなと言われている。
局地での戦い方も、自分で考えて動けと言われていた。ボルドーがいたころは、上からくる命令に従っていればよかっただけだったが、さすがに、それだけでは駄目なのだろうと思う。
さらに、変わったことといえば、シエラが積極的に軍議に参加するようになっていた。ほとんど、皆の話を聞いているだけなのだが、よく質問をしたりしている。
今も、ルモグラフから、軍指揮についての指導を受けているらしい。
グレイは、敵の北側のいくつかの部隊と、もう何度か小競り合いを起こしていた。敵方には、特に注意するべき敵将はいないようなので、そこまで精強な部隊はいないが、やはり数が圧倒的に違うので、本格的な攻撃はできないでいる。
グレイが、ここ数日で考えているのが、敵の北の拠点の破壊だった。兵糧なども、そこにため込められているようで、そこさえ潰せば、北側の敵は戦線を維持できなくなるはずだ。
ここ数日は、斥候の報告を聞きながら、地図を睨んでばかりだった。もう地図上には、自分でもよく分からない文字が、びっしりと書き込んである。
なかなか、いい攻撃手段が、思い浮かばない日々だった。
数日して、本隊が少し激しい戦闘をしているとの情報が入った。
グレイは、そちらの援護に向かったふりをして、密かに部隊を近くの林の中に潜ませた。本隊の戦闘は、全く問題ないとの連絡は来ているのだ。
陽動作戦だった。
慎重に放っていた偵察が、数人戻ってくる。
「敵の部隊が、南下するのを確認しました」
「数は?」
「およそ二千」
「えっ?」
グレイは、耳を疑う。
「二千?」
「三人の偵察が、三人とも、ほぼ同じ数を言っております」
間違いないということか。
もう一度、地図を見た。
ということは、敵の北拠点には、今ほとんど兵がいないのではないのか。陽動に引っかかったということか。
グレイは、しばらく考え込んだ。
戦の勝敗を分けるのは、ここぞという時の思い切りのよさだ、と誰かが言っていた気がする。
今行くべきではないのか。こんな好機、もう無いのかもしれない。ここで動かなければ、後で後悔するかもしれない。
さらに、何度も偵察を出した。
神経質なほど斥候を放っていた、ボルドーの気持ちが分かったような気がする。
やはり、敵軍の数は、大幅に少なくなっているようだ。
行くべきだ。
よし、行こう。
思ってからも、さらに五分ほど考えていた。
それから、グレイは進発の合図を出した。
グラシアに、攻撃の連絡を伝える早馬を出して、グレイは部隊を進発させた。
許可など、待っていられない。奇襲とは、そういうものだろう。
歩兵も走らせているが、途中で騎馬部隊だけで先行した。
両側が丘になっている道を駆け抜け、砦が見える。
報告の通り、ほとんど兵がいないようだ。
「攻撃! 敵が戻ってくる前に、叩き潰すぞ」
猛然と攻撃を仕掛けた。
歩兵が到着次第、すぐに砦への攻撃を始められるよう、外にいる敵部隊は、今のうちに潰しておかなければならない。
グレイは、先頭で槍を振り回した。
敵は、防御の陣を敷く前に瓦解した。一部の兵が、砦に駆け込もうとしているのが見えた。
それは、放置した。
ある程度戦い、砦の外にいた敵は一掃した。少しして、歩兵が到着する。歩兵は疲れているが、今は一気にやりたかった。
「攻撃」
合図とともに、歩兵が進む。
砦の壁での攻防になった。ある程度犠牲は出るが、今は仕方がない。
しばらくして、砦の門が、微かに動いた。
「掛かれ!」
騎馬隊を突っ込ませた。
門が、人二人分が入れるぐらいに開いた。そこから、騎馬隊を進入させた。
実は、先ほど敵が砦内に逃げ込む時に、自軍の兵を紛れ込ませていたのだ。
「火だ!」
完全に、門付近を制圧したところで、放火の指示を出した。
いくつかあった砦内の建物が、すぐに燃え始める。制圧した門とは、違う門が開かれて、そこから敵兵が逃れ始めた。
砦を破壊し、敵兵も退散させた。
完全な戦果だ。やはり、決断してよかった。
味方から、喚声が上がった。
「よし、みんな、よくやった!」
声を上げた。
「長居は無用だ。撤収!」
来た道を引き返した。
両側が、高い丘になっている道を通過する。
「北側に、部隊がいます!」
声とほぼ同時に、右手の丘の上から、いきなり矢が降ってきた。
敵の、残った兵の、反撃か。
そう思った次の瞬間、思考が止まった。
雨のような、矢が飛んできたのだ。
自軍の中から、悲鳴が上がる。
グレイは、自分に向かってきていた矢を数本、槍で払い落とした。
その後、目を疑った。
丘の上から、信じられないような規模の人間が現れた。五千はいるだろうか。
それが、どういう軍かを知る証は何もない。それでもグレイには、すぐにその軍の正体が分かった。
昔、嫌というほど見たからだ。戦ったからだった。
あの具足、そしてあの武器。
クロス軍だ。
クロス軍は、矢の攻撃を止めると、歩兵が丘を駆け下りてきた。
何故クロス軍が、こんな所にいるのか。スクレイの内戦に介入してきたということなのか。
しかし外国の軍が、何の騒ぎもなく、こんな内部まで来れるものなのか。こんな所まで来ているということは、北側の地域は、どうなっているというのか。
グレイは、首を振って、思考を振り払った。
今は、現状のことだけを考えるべきだ。
とにかく、これだけの兵力差があるのだ。戦いようがない。
どれだけ犠牲を少なくして逃げられるか。
「全速前進! 全軍、西にとにかく駆けろ!」
グレイは、声を上げた。
自軍が、慌てて進み始める。
「騎馬隊、私に続け!」
グレイは、騎馬隊を纏めると、クロス軍の先頭に向かって突撃を仕掛けた。
敵の勢いを挫くためだけの攻撃だ。すぐに、反転する。
駆ける味方歩兵の、後方に着いた。
騎馬隊だけならば、駆けに駆ければ、半数以上は逃げきれるだろう。しかし、そんなことできない。
しんがりで駆け回りながら、歩兵の前進速度に合わせながら、敵と戦いながらの前進になった。
敵の騎馬数部隊が、側面に回り込むような移動をしている。あれは、止めようがない。
いや、この騎馬隊を行かせればいい。
グレイが思った時、副官と目があった。
「お前が、この騎馬隊の指揮をして、あの敵騎馬と当たれ! 歩兵を援護しながら、退却をするんだ!」
「後ろの敵歩兵は!?」
「私が何とかする」
「隊長!」
「いいから、行け!」
乗っていた馬に矢が突き立った。グレイは、馬から飛び降りる。振り返って着地をして、持っていた槍を捨てた。
それから、腰についていた双剣を引き抜いた。
やるだけ、やってやる。
歩兵が、猛然と突っ込んでくる。
グレイは、先頭の数人を、内から外に切り払った。続けざまに、数人を斬り流す。
近づいてくる者から、斬って斬って斬りまくった。
敵歩兵の前進が、止まったことを感じた。
戦える。その気になれば、勝てる。
やはり自分は強い。そこらにいる、並の心気の使い手程度なら、相手にならないのだ。
自分の家は貧しい家だったようで、幼い頃、商隊の護衛を生業としている一団に売られた。そのころのことは、あまりよく覚えていない。
物心がついたころには、戦闘の訓練の毎日だった。自分と同じように、どこからか売られて来た子供たちも同じだった。しかし、才能が無いと見なされた子供は、下働きや、他の仕事に回されていた。
下働きなどが、それほど過酷というわけではなかったのだが、あそこに回されると、見放されたという気分になると思った。だから、そうならないように、ひたすらに訓練に取り組んでいた。
あの頃は必死だった。
やがて実力が認められ、商隊の護衛団に入ることになる。
その頃は、自分より強い者などいないのではないかと思うほど強くなっていた。
しかし、カラトと出会った。こんな者もいるのかと思った。それでもやはり、こんな者は稀だろうと思った。
その後、十傑に入って、さらに衝撃を受ける。自分が、あまりにも世間知らずだったということなのかと思った。
あいつらが、化け物なのだと、後になって分かった。
やはり自分は強いのだ。
敵が数人、槍を突っかけてくる。それらをかわした。
再び、矢が飛んでくるのが目に入った。
瞬時に、自分に当たる矢が、どれかを判断する。
三本か。
頭に来る一本を、首を傾けてかわし、右から来る一本は、右の剣で払い落とす。左の矢を、左手の剣で弾いた。
体が軽い。敵の攻撃も、全て遅く見える。
どこまででも戦えるのではないか。こんな奴らに負けるはずがないのだ。
いきなり、右から衝撃がきた。
何が起こったのか分からない。
見ると、自分の右肩に矢が突き立っていた。
そんな馬鹿な。間違いなく、払い落としているはずだ。
グレイは、自分の右手を見た。
手首から先が無くなっていた。