これから出発だった。
ペイルは、本陣の砦の北門にいた。
北に向かうための準備を済ませた後、同行してくれる五人と当面の打ち合わせなどをした。
それから、一つ用事が残っていると言って、戻ろうとしていたところで、セピアがこちらに歩いてくるのが見えた。
出発前に会いに行っておこうと思っていたので、ちょうど良かった。
こちらからも歩き、周りに人がいない場所で会った。
「おいおい、いいのか? 王女の護衛が、こんな所にいて」
ペイルが言うと、セピアがこちらを見る。
「殿下の許可は受けています。むしろ、行ってこいと言われました」
「ふ、ふうん」
「これから出立なさるのですね」
「ああ」
「言葉が間違っているのかもしれませんが、御武運を祈っております」
「お前も、シエラちゃんのこと、宜しく頼むぜ」
「はい。任せて下さい」
言葉が切れた。思わず、ペイルは横を向いた。
どうにも、セピアの敬語が慣れなかった。何か、余所余所しく感じてしまうのだ。
手前勝手な言い分だということは、分かってはいるのだが。
「あ、あのさ」
セピアを見る。
「こういう任務をやってるけどさ、ずっと鍛錬は続けてるんだよ。北に行っても、できるだけ続けるつもりなんだ」
「それは、いいことだと思います。しかし、あまり根を詰めすぎないで下さい」
「お、おう」
なんだか、変に心配されてばかりいる気がする。
気を取り直して、息を吸った。
「それで、いつになるかは分からないけど、いつかはきっと、お前よりも強くなってみせるから」
意を決した。ペイルは、セピアを見た。
「その時は、俺と結婚してくれないか」
間。
セピアが、目を丸くしていた。
しまった。勢い余って、言い過ぎてしまった。
「あ、いや、その……今のは、言葉の綾というか」
「誰がですか?」
「え……俺が」
「誰とですか?」
「え、と、お前と」
セピアが、不思議そうな顔をしている。
「あ、いやいや、違うんだよ。その、いろいろ順番を飛ばしすぎちまった。でも、その、あの」
「ええ!?」
急に、セピアが言った。それから、両の手を頬に当てて、顔を真っ赤にしていた。
「突然、何て事を言い出すのだ!」
「反応が遅くないか」
「あなたが変なことを言うからだ!」
「いや悪かった」
謝る。
「でも、俺は本気なんだ。こんな時機に、こんなことを言うのは卑怯かもしれないというのは分かっている。でも、今しかないと思ったから言った。今、返答を聞きたいんだ」
「そんなことを言われても……」
セピアは、少し顔を伏せた。
「俺じゃあ、駄目か?」
「駄目、とかでは……」
口ごもる。
「……私は、あなたに対して、数々の無礼をしてきてしまったと思っています。その、あなたが私に対して、好意を抱いてくれた切っ掛けが分からないのです」
セピアは、そう言った。
「別に無礼なんて思ってなかったさ」
ペイルは、まじめに言った。
「むしろ、俺は嬉しかったような気がするよ。お前みたいな、真っ直ぐな奴がいてくれたことが、俺自身、救われていたような気がする。だからってわけでもないけど、今度は俺が……その、お前を守りたい、なんて」
言っていて、恥ずかしい、照れる。
しかし、続けなければならない。
「いや、分かってるよ。俺なんて、頼りにならないような男だってことは。でも、頑張るからさ。いつか絶対、頼りになる男になってみせるから」
言った。
しばらく沈黙。
セピアは、ずっと顔を伏せたままだった。
やはり、駄目だということか……。
これ以上、困らせたくはなかった。ならば、話は自分から切るべきだ。
「悪い、やっぱ今の話は」
すると、セピアが上目遣いにこちらを見た。
それから、ふっと笑った。
「いいですよ」
「……え? 何が?」
「結婚しても」
「……誰が?」
「私が」
「誰と?」
「ペイル殿と」
そう言った。
「え? 何が?」
「何度も言わせないで下さい」
言って、セピアは振り返った。
ということは、そういうことなのか。
そういうことだよな。
「いいのか?」
セピアは、軽く頷いた。
ペイルは、両手を上げて、大声を出したくなった。
「本当だぞ、絶対だぞ。約束だからな、忘れるなよ」
「しつこい男は嫌いです」
「あ、すいません」
セピアが、再び振り返って、こちらを見た。
その顔が、笑っていた。今まで見たどの笑顔よりも、眩しく見えた。
ずっと見ていたいと思った。
「ただ、私よりも父上の了解を得るほうが、難関かもしれませんよ」
「あ」
ルモグラフの顔が浮かんだ。
「ああ……一気に不安になってきた」
「頑張って下さい」
セピアが言った。
ペイルは、軽く笑った。
グラシアは、グレイが寝かされている幕舎に向かった。
医療担当の者がいたので、話を聞いた。
「グレイはどう?」
「数回、目を覚まされてはいますが、まだまだ起きあがるのは難しいと思います」
「そう」
「殿下が、何度か見舞いにいらっしゃっています」
「そうか」
話を聞いた後、グレイの寝台のところに行った。
寝台の上には、グレイの寝顔があった。グラシアは、寝台の横にあった椅子に座る。
それから、息を吐いた。
「随分、お疲れみたいだね」
声がしたので見ると、グレイの目が開いていた。
「あんたのせいで、仕事が増えちゃったからね」
「面目ない」
「冗談よ」
言って、少し笑った。
「傷の具合はどう?」
「片手をなくしたって、だんだん実感が湧いてきたって感じかな」
しばらく間。
「目が覚めてすぐのところ悪いんだけど、新しい配置の話をしてもいいかな? 当然、あんたが動けるようになってからの話なんだけど」
「うん」
「あんたには、本隊の後方指揮をしてもらうことにするわ。ルモグラフさんが、全体に目を配るのは変わらないけどね。同時に、殿下の指導もしてほしいんだけど、できそう?」
「まあ、そのぐらいなら」
「そう、じゃあ宜しくね」
再び、間。
「それから、シーに会ったら、お礼を言っとくのね」
「シー?」
「あなたの治療のために、一時的にこっちに呼び寄せたのよ。心気治療に関しては、ボルドーさんより精通しているからね、あの子は」
グレイが、少し考えるような顔をする。
「それって、もしかして、人工心気人間に改造されたってこと?」
「違うわよ。あくまでも、普通の心気治療よ」
「あ、そう」
そう言った。
「シーは、どこ?」
「もう配置に戻ったわよ」
「そうか」
とりあえず、言おうと思っていたことは言った。
「とにかく、生きていてくれて良かったわ、グレイ」
そう言って、腰を上げた。
グラシアは、自分の幕舎に向かって歩きながら考える。
先日、自軍の兵の一部が、近くの町で略奪めいたことをやったという事件があった。
当然、厳罰に処した。そして、等価な貨幣をお詫びとして渡した。しかし、いろいろと話を聞くと、軍というものは、そういうことが起きる危険性を常にはらんでいるということらしいのだ。今まで、そんなことが起きなかったのは、ボルドーが目を配っていたからだということも分かった。
具体的に、どういうことをしていたのかは分からない。
それに、他の仕事に関しても、分からない問題が多く現れていた。戦いに関しても、今の劣勢状態を覆す方法は、何も思い浮かばない。
何故、ボルドーが生きている間に、もっといろいろなことを教えてもらっていなかったんだという忸怩たる思いがあるだけだった。
自分の幕舎に入る。
一瞬、息が止まった。
男が立っていたのだ。
白い髪に、黒い具足が目に入った。
「何?」
多少、怒気を含んだ口調で、グラシアは言った。
「策を進言に来たぜ」
「策?」
「ああ、この現状を打破できる唯一の策だ」
ダークは、そう言った。
「どうして、軍議の場で言わないのよ」
グラシアの質問を無視して、ダークが言葉を続ける。
「ダークが、決闘の相手を捜してると喧伝しろ。それだけでいい」
それだけを聞いて、グラシアには、ダークの意図が分かった。
つまりは、敵将と一騎打ちをしようということだろう。そして、ダークが相手となると、名乗り上げてくる男は一人しかいない。
デルフト。
ダークとデルフトの一騎打ち。
デルフトを倒すことができれば、敵の士気に大打撃を与える事ができる。何より、この先あの男に神経質にならずに済む。
確かに、劣勢であるこちらにとっては、起死回生の一手ではある。
しかし、だからこそ優勢である敵側が、素直にそれを受けるとは思えなかった。
グラシアの心を読んだかのように、ダークが口を開いた。
「周りが反対しようと、あいつは必ず受ける。無理矢理にでも押し通すはずだ。何故なら、それがあいつが向こうについた理由であり、生きる目的だからだ」
「理由、目的……」
グラシアは、ダークを見た。
「あなた、デルフトの動機を知っているの?」
「奴は、何者よりも強くなりたいという願望がある」
言うと、少し間を空けて、ダークが喋り始めた。
「奴は昔、都の近くにある有名な道場の門下だったそうだ。そこの師範の強さに憧れて、そこに入ったらしいんだが、何年かして、自分がその師範よりも強くなっていると気がついたらしい」
何故そんなことを知っているのだと聞きたかったが、グラシアは黙って聞いていた。
「奴は思った。木の棒での稽古などでなく、真剣同士の勝負なら、師範の方が強いはずだと。そして、それを試したくなった」
どうしてそうなる、と思う。
「そのために、わざわざ真剣に戦わざるを得ない状況を作って、戦ったのだが、結果、勝ったのはデルフトだったというわけだ。奴の額にある傷は、その時のものらしい」
「それで、殺人犯だったわけね」
「奴は、この世に、その師匠より強い者がいるとは思えなかった。目的を果たしたはずだが、奴は自分も予想していなかった喪失感に襲われたのだ。そして、自らの目的を失って自棄になっていた。だが、カラトに会った」
続く。
「奴は、カラトが自分よりも強い可能性があると感じた。だから、牢から出てきたのさ。そして、カラトの実力を計るために、カラトに協力したというわけだ」
それを聞いてグラシアは、はてと思う。
「それって、あなたの目的と似てない?」
「だが、奴の目的は果たされないままに十傑は解散してしまい、カラトは行方知れずになってしまった。その後奴は、いつの日かカラトと相まみえる時のために、軍に残って腕を磨くという選択を選んだということだ」
再び、無視された。
「そして、カラトがいない今、奴の狙いは俺しかいない」
言葉が切れた。
大体の話は分かった。いや、よく分からないということが分かった。しかし、他人の動機など、全て理解できるものではないとは分かってはいるのだが。
「仮に一騎打ちをするとして、勝てると思う? コバルトから聞く話によると、昔よりもさらに強くなっていて、ボルドーさんでも、手も足も出なかったらしいけど」
「くだらない質問だな」
勝てると思わなかったら、提案などしないということか。
「やるかやらないかは、お前の判断に任せるさ。ただ、他に手は無いとだけ言っておく」
ダークは、そう言った。
「分かってると思うけど、もしあんたが負けることにでもなれば、こちらは、もう絶望的になるんだよ」
「そんなことは、知ったことじゃないんだよ、俺は」
そう言った。
「どうして、そこまでしてくれるのかが分からないのよ。だって、あなたって、自分以外のことはどうでもいいって男じゃなかったっけ? あなたの今までの働きは、まったく申し分ないわよ。はっきり言って、ここまで用兵ができたのかって感心したぐらい。だけど、あなたの動機を教えて貰えないことには、素直に任せるとは言えないのよ」
「じゃあ、この話は無しだな」
そう言った。
どこまでも、本心は語りたくないということか。
腹が立ったが、他人には語りたくはない過去を持っている人間など、それほど珍しくもないのかもしれないとも思い始めた。ダークも、そうなのかもしれないとも。
これで話は終わりだというふうに、ダークが振り返った。
「待って」
言う。
他に手はない。確かに、その通りだった。
「分かった……あんたに任せる」