空気が違う気がした。
ペイル達一行は、クロス国の都にいた。
始めは、人の多さ、建物の多さ、密度の高さに唖然としたものだった。
ペイルは、王女軍の本隊から離れた後、予定通りウッドに向かった。カーマインに、事の次第を伝えると、クロスへの案内の件を、すぐに引き受けてくれたのだった。
それから、国境を越え、北東に向かい、数日して都にたどり着いた。
「本当にありがとうございます、カーマインさん」
道中、何度目かの、お礼を言った。
「いえいえ、私も王女殿下やルモグラフ様のお役にたてることならば、頼まれずともやりたいので」
カーマインは、そう言った。
「それに、私の知識や情報が、本当に役にたつかは、まだ分からないのですよ」
それも何度か聞いた言葉だった。ペイルは、今までの経緯を思い出す。
正式な使者として、まず相手にこちらを認知してもらうために、すでに何度も人を先行して送っていた。数日して、ようやく返答が届いたのだ。それまでは、きわめて危険な道中だったということになる。
都まで、あと少しという所で、迎えの者が数人待っていた。その後は、彼らに案内をされて、都の中に入った。
クロスの都は、広い平地の真ん中にあり、巨大な円形をしているらしい。真ん中に行くほど、階級が高い人間が暮らしていて、中央には王宮があるという。
まだ、その王宮は見えたことがない。
都の中央に目を向けると、高い建物が密集しているのが見える。あれほどの高さの建物は、スクレイでは見たことがなかった。
一体、どういう素材できているのだろう。
案内されたのは、そのクロスの都の中心部だった。ただ、一度中に入ると、もう自分が、どの辺りにいるのかが分からなくなる。視界が、一気に狭まり、空も狭くなる。
やがて、大きな建物へと導かれた。
中に入って、ペイルは思わず絶句した。
とんでもなく高い吹き抜けだった。正面の壁の高い所には、色付きの大きな硝子が見えた。その他の壁には、遠目にはよく見えないが、細かい彫刻が施されているようだった。
こんなものが、人間が作れるものなのだろうか。
その唖然とする空間を通り抜け、一つの部屋へと通された。部屋といっても、随分と広い。そして、豪華な室内装飾だった。
部屋で待たされている間、カーマインと話そうとすると、手を口の横に当てる仕草をした。
「どこかから、聞かれている可能性がありますので、内密の話は小声でして下さい」
そう言われて、思わずペイルは、部屋の中を見回した。それから、その動作がまずかったかもしれないと思って、姿勢を元に戻した。
「さっきの所、何なんですか?」
「北教の礼拝堂でしょう」
「北教? どうして、そんな所を通ったんですか?」
「自国の力を顕示させようとしただけでしょう。あまり、深く考えるようなことではありませんよ」
「は、はあ」
そんなものなのか。
「とにかく、事前の打ち合わせ通り、正式な使者は私であるという態度でいきましょう。取り敢えずの受け答えも私がやりますので」
「はい」
しばらく経って、数人の男が部屋に入ってきた。
立ち上がって迎えた。
「スクレイ王女の使いとか」
先頭にいた、初老の男が言った。
「はい」
カーマインが答える。
「どういう要件なのかな」
「クロス国と我々との友好にと」
「ほほ、まともな政権でもないのにか」
「間もなく政権は回復します」
「その割には、随分苦戦しているようだが」
「想定の範囲内です」
しばらく、二人は、当たり障りのないと思われる会話を続けた。
初老の男が、少し笑った。
「ここに滞在の間は、こちらで不自由のないように世話しよう。こちらの部下の者が、交代で付くことになるがよろしいか」
「ありがとうございます」
それで話は終わりだった。初老の男を先頭に、ぞろぞろと部屋を出ていった。
別の男に連れられて、建物を出る。
それから、宿泊する部屋に案内された。
「あれは誰だったんですか?」
身内の人間だけになると、ペイルは、カーマインに小声で尋ねた。
「おそらく、外交の窓口担当の部署の者でしょう」
「あの人に対して、これから交渉を続けるんですか?」
「さて、あまり期待ができる者ではないと見受けましたがね」
カーマインが言った。どういうことかと考える。
やはり、クロスの王に会うことが、最終目標なのだろう。つまり、あの男との面会など、そこに行くまでの過程でしかないということだろうか。
それをカーマインに言うと。
「クロス国の王は、スクレイの王に比べて、あまり国内実権がないのです。クロスという国には、王の周りに、数人の大臣がいまして、その者達が話し合いを行い、国の方針を決めているのです」
「では、王には会わないと?」
「会えるのなら会いたいですが、まあ無理でしょうね」
「では、狙いは大臣ということなんですね」
「そうなのですが、それも危険が伴います。少なくとも、グラデ王子と繋がっている者が、何人かはいるはずですので、王女側の者だと知れると、何をしてくるか分かりません」
「そうなんですか……」
しばらく考えた。
「大丈夫なんでしょうか?」
「少なくとも、公に手を出してくることはないと、私は考えます。クロスとしては、二方向から来ている使者を、好きなように天秤にかけられますからね」
「なるほど……」
なるほど、だ。
「では、誰と繋がりを持てば?」
カーマインは、少し間を置いた。
「あくまでも私の希望的観測なのですが、こういう状況になると、変化を起こそうとする人間が、動き始めます。そういう者こそ、我々が交渉するには、打って付けの人物です」
ペイルは、心の中で、今聞いたことを繰り返していた。そして、いろいろと分からないことがあるが、質問しても、理解できるかどうか分からないということが分かった。
カーマインが笑う。
余裕を持った風に言ってくれるので、気が少し楽になる。
カーマインが着いてきてくれて、本当に良かったと、ペイルは改めて思った。
あと、やはり自分は不甲斐ないとも思い、少しへこんだ。
全身、包帯にまかれているダークが寝かされていた。
ダークの治療用に、特別に設けられた幕舎で、グラシアとグレイが見舞いに来ていた。
「どうよ? 調子は」
言っても、寝台の上のダークは、何の反応もしなかった。
起きているのか寝ているのかも分からない。起きていても、基本無視されるので、返答を期待して言った発言ではない。
人目に、ここまで弱った姿を晒すダークというのが、なんとなく珍しかったので、何度も見に来てしまうのだ。本人としては屈辱だろうが、関係ない。
今までの仕返しも入っていた。
それでも動けないということは、やはりかなりの重傷なのだろう。
デルフトが倒れた後、ダークは立ってはいたが、まったく動かなかった。もし、あの時国軍が動いていたら、どうなっていたか分からなかった。
しかし、国軍の中央にいたフーカーズが、真っ先に引いた。結局、それに引っ張られるようなかたちで、国軍は引いていったのだ。
二人は、幕舎を出た。
グレイと分かれて、グラシアは自分の幕舎に向かった。
幕舎の前に、コバルトが立っていた。
「どうしたの?」
グラシアが言うと、コバルトは、少し口角を上げた。
「いや、前から言われてた部隊の序列ってやつさ、あれ作ったから報告しようと思ってな」
「珍しい。あんなに嫌がってたのに」
「そうだっけ?」
コバルトが、書き付けを出す。
「うん、確かに受け取った」
「どうも」
しばらく立ったままだった。
「どうしたの?」
グラシアは聞く。
「いや、他に何か、なかったかなって思ってさ」
不思議な聞き方だった。
「暇なんだったら、何か作戦の一つや二つでも考えてよ。ダークが勝ったとはいえ、まだ、こちらが不利なのは変わらないんだから」
「そうだな」
言うと、ようやくコバルトは振り返った。
「じゃあな、グラシア」
そう言って、歩いていった。
走行中の馬上にいた。
コバルトは、一人で南に向かっていた。
コバルトは、懐に入っている、先日自分のところに密かに届けられた手紙に触れた。
それから、二日前にあった出来事を思い出す。
シーが、コバルトの幕舎に現れたのだ。
大体の経緯は、グラシア達から聞いていたので、本人を前にして、少し緊張した。そして、何故自分の前に現れたのかが分からなかった。
「あなたに伝えておかなければならないことがあります」
すぐにシーは、そう言った。
「私も、始めは知りませんでした。後になって知ったことです」
黙って聞いていた。
「私の、人工心気研究の被験者の中に、一人貴族の者が入っていたのです」
シーは、そう言った。
コバルトは、それを聞いてから、ゆっくりと息を吐いた。
「……なるほどな、ようやく合点がいったぜ。そういうことだったのか」
そう言う。
「……おそらく、その後何の処理も行ってはいないので、もう長くは……」
「もういい、分かった」
コバルトは、話を遮った。
シーが、こちらを見る。
「ありがとな。わざわざ伝えに来てくれて」
「いえ……寧ろ、私は謝らなくてはならないと」
「いいんだって。結果的に、お前のお陰で、もう一度……」
コバルトは、言い掛けて止めた。
それから、再び息を吐いた。
「このことは、他の皆には、黙っててくれねえか?」
シーが、黙って視線をこちらに向ける。
「全てが終わるまで……」
コバルトは、意識を前方に戻した。
目的の場所までやってきた。夕日が、辺りを照らしている。
林の手前で馬を下りる。
積んでいた鉄棒を握って、ゆっくりと林の中に歩を進めた。
しばらく歩く。
やがて、開けた場所に入った。
岩に腰掛けた、緑の髪の男がいた。
「待っていましたよ」
緑の髪の男、コバルトはそう言った。