笑みを浮かべた。
「よく来てくれましたね」
そう言いながら、緑の髪の男は立ち上がった。手には、おそらく鉄製である棒が握られていた。
「あの先日の、ダーク殿とデルフト殿の戦い、見ましたか? 心の底から熱くなる戦いでしたね。私も、あれに感化されまして。貴方との決着も、是非一騎打ちでと思い、手紙を送った次第なのですよ」
「だったら、始めからそうしてればよかっただろうが」
コバルトは言った。
「てめえ、俺に恨みがあるんだろ? だったら、なんで俺を狙わずに、俺の昔の仲間で、軍を退役した連中を次々と捕まえて勝手に処罰してやがったんだ」
緑髪の男は、鼻で笑った。
「彼らは、元々山賊でしょう? 文句の言われる筋合いはないでしょう」
「それは全員、前の戦いに協力したから、恩赦になったはずだ」
「詭弁だ」
緑髪の男は、低い声を発した。
「その程度で、過去に犯した罪や責任が消えるのか?」
そう言う。
コバルトは、男を睨んだ。
再び、男は鼻で笑う。
「もう言いたいことは、ありませんか? ならば、すぐにでも始めましょうよ、兄上」
男は、棒を少し上げた。
「そして、貴方を倒して、名を返してもらいますよ」
コバルトは、黙って男を見ていた。
「どうしました? 早く構えてください」
「それが、お前の願望か」
「……そうです」
「そうか」
コバルトは、両手で棒を握った。右足を少し前に出し、棒を斜めに構える。
本気の構えだ。
男の表情が、鋭さだけになった。
しばらく対峙。
男の方から、踏み出してくる。
片足を踏み出してくると同時に、棒突きが飛んでくる。コバルトは、それを横にかわした。
余裕などなかった。紙一重だ。
反撃。横から攻撃をかけた。
相手の棒と衝突。反動で、両者共に一歩下がる。
さらに攻撃。受けては、かわされ、受けては、かわした。
一旦、互いが離れた。
コバルトは、内心動揺していた。
「お前……この棒術、何でお前が」
「私は、ずっとあなた達の訓練を見ていました。この程度の技使いこなすことなど、それだけで十分です」
男が使っている棒術は、代々家に伝わるもので、自分が使っているものだった。しかし、この男が、訓練に参加したことなど一度もないはずだ。
本当に、見ただけで覚えたのか。
天才。
その言葉が、心に浮かんだ。
「この程度で驚かれたら困りますよ」
そう言って、再び踏み出してくる。
流れるような連続攻撃。払い、打ち、突き、当てる。
コバルトは、なんとか、それらも防いだ。
しかし、再び焦燥。
「どうですか?」
男が、笑みながら言った。
これは、家の棒術の応用で、自分が編み出した技だった。
「てめえ……」
今度は、コバルトから踏み出した。
さらに打ち合いが続く。
力も技も、ほぼ互角だった。両者共に息が上がっている。
不意に男が、後ろに、よろけるように下がった。
それから、片手を顔に当てていた。
何だ?
少しして、当てていた手を離すと、口周りに血がついているのが見えた。
男が、こちらを見て笑う。
「ふふ、興奮がすぎましたか、鼻血が出てしまったようです」
コバルトは、黙って男を見ていた。
「あまり熱くなりすぎるわけにもいきません。そろそろ、決着をつけましょう、兄上」
「そうだな」
コバルトは、すぐに言った。そして、構える。
男は、少し間を空けてから、ゆっくりと構えた。
再びの制止。
コバルトは思った。
このまま続けても、勝負はつかない。実力は完全に互角だ。
ただ、相打ちならばできる。
男を見る。
それが、俺のけじめなのかもしれない。
一歩踏み出す。相手も、一歩踏み出していた。
正面での打ち合いが起きる。反動で、横に回転する。
一回転して、突きの構えをとった。相手を見ると、自分とまったく同じ体勢だった。
お前は、ただ俺の真似をしていただけなのか。
男の胸部に向けて、渾身の突きを繰り出した。
男も、同じように棒を飛ばしてくる。
両者共に、それを受けた。
コバルトは、霞む意識の中で男の顔を見た。
男は、笑みを浮かべていた。
頬に何かが当たった。
目を開けると、こちらを見下ろしている誰かがいた。
「よお」
コバルトは、目の前にいたグラシアに言った。
グラシアの目が潤んでいた。
「もうやめてよ……どいつもこいつも。何で私がこんなに何回も何回も、気が気じゃない思いをしなくちゃいけないのよ」
グラシアが、震える声で言った。
「ごめん」
「許さない」
思わず、息が漏れる。
どうやら、座ったグラシアの膝の上に、自分の頭があるようだ。
なんという役得だろう。
それから、現状を思い出した。
何故、自分は生きているんだ。
目を横に移すと、仰向けに倒れている男が見えた。すぐに、生きてはいないということが分かった。
「勝ったのね」
コバルトは、自分の胸を触った。
少しだけ痛みを感じた。まったく当たらなかったというわけでもないということか。
確実に、相打ちになると思っていた。
どういうことなのだろうか。
グラシアに、目線を戻した。
「グラシア、どうしてここにいるんだ?」
「シーがね、教えてくれたのよ」
「ああ……」
「ただ、それ以外は、何も聞いてない」
言う。
「あの男は誰なの?」
少しの間。
「……弟なんだ」
コバルトは言った。
「俺の家は、世間じゃあ貴族っていわれる部類に含まれる家だった」
「貴族? あんたが?」
「そうなんだよな、はは。俺も、何だか似合わないなって思うぜ」
そう言う。
「で、その家ってのが、代々武術を継承するのが習わしって家で、俺も幼い頃から訓練をやってたんだよ」
続く。
「でも弟は、生まれた時から病弱でな。その訓練に参加することなんか、できなかったんだ」
それから、目を倒れている男に向けた。
「そして、家を受け継ぐ可能性が無い弟を、放逐しようって話が起こった」
言う。
「ただでさえ病弱な弟が、家の外で生きていけるわけがない。だが、俺がいなくなれば、家を継げるのは弟しかいなくなる。そうなりゃ、武術ができなくても、弟は家を追い出されない。俺は、そう思った」
続ける。
「だから、俺は家を出た。名前も、弟の名を名乗ることにした。あいつが、俺の名を名乗れば、少なくとも武術の経験があることになるから、家を継ぐことの手助けになると思った。それが、弟の為だと思ったんだ」
間。
「だけど、それも、俺の自分勝手な考えだったのかもしれないな……」
息を吐いた。
「はは」
思わず笑ってしまう。
「どうしたの」
「そういえば、昔、カラトに自分勝手がどうこうって言ったことがあったなって思い出したんだ。どの口が言うんだって話だよな」
そう言って、もう一度笑った。
それから、また息を吐いた。
「……他の家族の人は?」
グラシアが言った。
「もういない。前の戦争の混乱の中、全員巻き込まれて死んだらしい。俺が、それを知ったのは、十傑が解散してから一ヶ月後だった。俺は、弟もその時に死んだとばかり思ってたんだが」
「実は、シーの人工心気実験の被験者になっていたんだね」
「そうみたいだな」
カラト襲撃には加わっていなかったという。
「あなたが苦戦するなんて、よっぽど強かったのね……人工心気って、恐ろしいわね」
「それもあるが、あいつは、それに加えて棒術を体得していたからな。それで、総合力は、ほぼ五分五分だった」
思い出す。
「どうして俺が生きているのか、俺にも分からない」
もう一度、自分の胸に触れた。
「シーが、人工心気の実験体は、何の処理もしなかったら、長くは生きられないって言ってたわ」
グラシアが言う。
「ということは、弟さんも、そろそろ限界だったんじゃないのかなって……」
コバルトは黙っていた。
「だから、この時機に、あなたに決闘を申し込んできたんじゃ……」
沈黙。
グラシアの目が細くなった。
「あなた、全部分かった上で、決闘に応じたわね」
コバルトは目を閉じた。
「悪い……俺は、どうしても生きている間に、あいつに会っておきたかったんだ」
「もう済んだことだし……そもそも、私が何か言えることでもないと思うから、いいけど」
続く。
「あなたが、そういう心持ちだったっていうこと……もしかしたら、弟さんは、それに気付いていたのかもって」
グラシアの言葉に、コバルトは、はっとした。
そういうことなのか……もしかしたら、自分が生きている理由は……。
「ごめん、他人が勝手に言っちゃって」
「いや……」
言葉に詰まった。
「コバルト?」
コバルトは、自分の腕を目の上に被せて乗せた。
「ごめん、もうちょっと、このまま……いさせてくれ」
「コバル……」
グラシアが、言い掛けて止めていた。
「ごめん……ねえ、何て呼べばいいのかな」
「コバルトでいいさ。俺は、これからも、コバルトでいくつもりだからよ」
「コバルトって名乗り続けるの? もう本名に戻ってもいいんじゃ」
「いや、十傑のコバルトっていう名の力が、今は役に立つんだ。だったら、俺は、このままコバルトでいくさ」
言う。
「ただ、この世で俺の本名を知っていたのは、弟だけだったんだ。その唯一の一人がいなくなっちまった」
グラシアを見た。
「だから、お前にだけは、俺の名前を知っていて欲しい。お前だけが、知ってくれているだけで、俺は十分だから」
そう言った。
眼差しが合う。
「聞いてくれるか?」
「……いいよ」
グラシアが、微笑んで言った。