焦る気持ちを抑えていた。
話をするクロス側の高官は、毎日違う人間だった。本当に、交渉が進んでいるのか分からない。
話をするのは、主にカーマインである。ペイルは、常にその後ろに控えて話の内容をつぶさに聞いていた。
相手側は、王女側に協力した場合の見返りが、どの程度のものかを知りたがっていることが分かった。カーマインも、それははっきりとは答えないでいる。
グラデ王子が、どういう取引をしたのかが分からない以上、迂闊にこちらの手の内を晒すわけにはいかないということだろう。
と解釈している。
ペイルは、王宮というものに興味があったので、外にいる時には、よく都の中央に目を向けていた。
ただ、ペイル達の活動範囲内からは、王宮は見えたことがなかった。
十日目になり、再び面談の申し入れがきた。
指定された部屋に向かうと、すでに数人の人間が待っていた。今までに見たことがない男ばかりだった。
いつも待たされていたので、ちょっと意外だった。
「どうも」
若そうな男が立ち上がり、カーマインと握手をした。
カーマインの目つきが少し鋭くなったのを、ペイルは見逃さなかった。
二人が向き合って座る。
男は、歳は三十の後半ぐらいで、頭は黒い髪で丸刈りだった。目が鋭く、体格もいい。一見して、文官には見えなかった。
「貴方だけ、外交部署の方ではないですね」
カーマインが、正面の男に言った。
「ああ。勝手に混じっているだけだ」
砕けた口調だった。
「お互い、堅苦しい話は無しにしようぜ。言わなくても、大体察しがつくだろう?」
「お名前を伺っても?」
「ホワイトという」
「ほう、貴方が」
カーマインが言った。
「調べがついてんだな。だったら、尚更手っ取り早くて、いい」
ペイルは、その名前を聞いて、すぐに思い出した。
三日ほど前に、カーマインが気になる人物の一人として、名を上げていたのだ。その時の会話を思い出す。
「いろいろと情報を仕入れていた中で、一人興味深い男がいます。名は、ホワイト。数人いる大臣、その中の一人の男の縁者で、今は国政の一官僚といったところでしょうか。しかしこの男、他の者とは違い、権力闘争に深く関わってはいません。情報を集めるかぎり、力がないから関わっていないわけではなく、あえてそうしているように見えるのです」
「何故?」
ペイルは聞いた。
「先を見据えているのでしょう。おそらく、もう暫くすると、クロスの中の勢力図が大幅に変化する可能性があるのではと思います。それまでは、傍観していようと考えているかと」
そういう会話があった。
ホワイトが、机の上に肘をつけて、身を乗り出すようにした。
「もしも、今後の交渉の窓口を、俺んとこで一本化してくれるっていうんなら、今スクレイに遠征している軍を撤退させるように、手を回してやってもいい」
ペイルは、一気に緊張が高まったのを感じた。
それこそ求めていたものではないのか。
「望みは何か、と聞かざるをえませんね」
カーマインの冷静そうな声を聞いて、我を取り戻した。
ホワイトが、少し笑う。
「上にいる無能共を引きずり下ろすために、これ以上の機会はないだろう」
そう言った。
「上にいる連中……取り分け大臣のじじい共と、その周りの連中だ。あんな馬鹿共に、これ以上国政を任せられないんでね。おたくらの国も、似たようなもんだから、これも察しはつくだろう?」
カーマインが、少し笑った。
「それに、いい加減クロスもスクレイも、一旦落ち着くべきだろう」
ホワイトが言った。
「成る程、分かりました」
カーマインが立ち上がった。
「どうした?」
「正式な使者は彼です」
「ん?」
カーマインが、ペイルの背を軽く押した。
「え?」
「ペイル殿が、話をすべきです」
カーマインに則され、椅子に座った。
ホワイトの鋭い視線と、目が合う。
「このペイル殿が、王女殿下の使者です」
「ほお、こりゃあまた。随分と若いなあ」
ペイルは、思考が白くなっていた。
「で、どうなんだい? 使者殿。俺と結んでくれるのかい?」
ペイルは、ばれないように深呼吸をして、気持ちを落ち着かせた。
よし。
「どうやって、クロス軍を撤退させるのですか?」
疑問に思っていたことを言った。
「ん、まあ聴きたくなるのは当然か。しかし、結構内々の細かい話になるが、いいのかい?」
ペイルは頷いた。
そこからの話は、本当に内々の細かい話だった。クロスの事情も、よく知らないペイルには、理解ができるはずもない内容だった。
話が終わった後に、カーマインの方を横目で確認すると、わずかに頷いているのが見えた。
「分かりました、ホワイト殿の条件に応じましょう」
ホワイトが立ち上がり、片手を差し出す。
「交渉成立だ」
握手をする。
「ただし」
ホワイトが言う。
「分かっているとは思うが、当然この話は、あんたら王女勢が王子勢に勝つことが最低条件だ。俺も、あんたらが負ければ、宮中での立場を失う危険を背負うことになるんだからな。本当に勝てるんだろうな?」
「スクレイの十傑は、ご存じですよね」
「当然だ。こっちじゃあ、山からやってくる化け物みたいな話になってるぞ」
「我々の陣営には、その十傑の方が四人います。敵側には、二人いましたが、その内一人は、すでに倒しました。これだけでも、十分勝てる見込みが伝わると思いますが」
ホワイトは、鋭い視線をこちらに向けたまま黙った。
しばらくして、息を吐く。
「まあ、信じるさ。今は、それしかないんだからな」
そう言って、笑った。
「で、どうする? 契約の証なんかは。うちの儀礼に則ったのを用意していいのかい」
「あ」
思い出して、ペイルは、すぐに懐からシエラからの書状を取り出した。
「お」
それを、ホワイトに渡す。
「うむ、思ったよりきっちりしている組織みたいだな。良かったぜ」
ホワイトは、書状を広げて読み始めた。
「この後、ユーザにも行くのかい?」
ホワイトが、顔を上げずに言った。
ユーザという言葉を聞いて、ペイルは一瞬思考が止まった。ユーザといえば、当然東の国のユーザのことだろう。
外交ということを考えれば、それは当然考えなければならないことだろう。しかし、そこまで考えていなかった。
「もしも、ユーザに行くってんのなら、西の領主バンダイクっていう男に会っておくことをお勧めするぜ。あの男なら、ユーザの政府に対して影響力もあるし、何より話の分かる男だ」
「バンダイク……」
記憶に留めておこうと思った。
違和感はあった。
目をつけていた王子の取り巻きの一人が、地下に入っていくのを、シーは遠目から確認した。
明らかに不自然な動きだった。
都の地下のことは、ある程度情報は手に入れている。おそらく、自分を誘き出す罠だろうと思う。
それなら、それでよかった。
数分観察を続けた後、先に調べていた別の入り口から、地下に足を踏み入れた。
すぐに、湿気た空気が体を包む。
どの燭台にも、火が灯ってはいないが、上から小さな日の光りが、所々差し込んできていた。元々、こうなるように設計されていたのか、或いは偶々こうなったのかは分からない。
暗い空間と明るい空間が入り交じっている。
しばらく気配を消して慎重に進んだ。
やがて、広い空間があるのが分かった。
シーは、身を屈めたまま進む。
一見して、闘技場だと分かった。円形に配置された、様々な座席。そして、中央には舞台。
地下闘技場だろう。これも、ある程度知っている。
シーは、息を殺した。
舞台の中央に、立っている人影があるのだ。
シーには、それが誰であるか、瞬時に分かった。三年前と同じ、白銀の鎧がその身を包んでいる。
距離としては、おおよそ五十歩ほどか。座席の、一番後ろの高い場所に設置されている塀に身を隠していた。
引き続き、身を潜めたまま慎重に様子を窺う。
「いい加減、出ていらっしゃい」
いきなり声がした。
シーは、動揺を押し殺していた。
もう一度、慎重に人影を確認するが、こちらを向いてはいない。正面に向かったままだった。
こちらに気付いていないのではないのかと思う。
「せっかく貴女のような溝鼠には、勿体ないような死に場所を用意してあげたのに。私の厚意を無為にするつもりなのかしら」
そう言って、息を吐いたようだ。
「ねえ、シー」
次の瞬間、スカーレットの目が、完全にこちらを向いた。
シーは、瞬時に動いた。後ろに飛び退いてから、通路に駆け込んだ。
それから、いくつかの角を曲がり、ある程度進むと、壁に背をつけて身を屈めた。
息を止める。
複雑に入り組んだ、この地下通路ならば、身を隠すには容易いはずだ。
スカーレットは、十傑の女陣の中では、最大の武力を持っている。まともに戦って勝てるとは思えない相手だった。
ここは、逃げるべきだと判断した。
シーは、身を屈めたまま、思考を巡らせた。
都での謀略と平行して、グラシアからの依頼で、スカーレットに関する情報を集めていたのだ。
彼女の家族は健在だった。元の屋敷に、何も無かったかのように生活していたのだ。
ただ、スカーレットだけがいなかった。
その後、方々手を尽くして情報を集めた。断片的ではあるが、シーには見えてくるものがあった。
まだ誰にも、それは話していない。
しばらくする。
足音が聞こえた。
「どこへ逃げても無駄よ。大人しく出てきたら、どう?」
シーは、再びすぐに動いた。
走りながら、そうかと思う。スカーレットには、振動を感知できる能力があるのだ。つまり、自分の足音を追跡して、居場所を探知しているのか。
シーは、走りながら両手に短剣を構えた。そして、数カ所の壁を削って壊した。通り過ぎた後、後ろで破片が落ちる音がする。
これで、ある程度の攪乱ができないか。
再び、壁に張り付いて、息を殺した。
しばらく静止。何の音もしなかった。
不意に、後ろの壁の中から、何か亀裂が入るような音が聞こえた。
シーは、壁から飛び退いた。
破壊音。
壁を突き破って、スカーレットが現れる。
「そんな馬鹿な、って顔をしているわね。振動なんて、起こしていないはずなのに、どうして自分の位置が分かるのかって顔」
スカーレットの、笑みが見える。
「振動ならしているわよ。さっきから動いているじゃない」
そう言って、両手に持っている鞭を構えて叫んだ。
「貴女の心臓が!」