一回り小さい剣だった。
シエラは、それを、荷袋から取り出し、剣を抜いた。
旅に出る直前、ボルドーが与えた物である。
体の小さいシエラには、通常の剣では、扱い辛いだろうと思ったので、探してきた剣だったが、どうやら、丁度良いようだ。
「荷は、ここに置いていこう」
「はい」
二人は、再び走り始めた。
進むと、さらに、点々と狼獣の死骸が、転がっている。
すべて、グレイが片付けたのだろうが……。
これは、十匹どころの話ではない。
すると、木々の隙間から、遠くの低い所に、光を弾く面が見えてきた。
あれが、言っていた、湖だろう。
そのまま向かおうと思ったが、ボルドーは、気になるものが目に入り、足を止めた。
シエラも止まる。
道の端の土、坂の手前に、滑ったような跡があった。
狼獣の死骸は、道の先まで続いているので、グレイではない。
気になったボルドーは、少し、坂を下った。
すると、坂のずっと下に、人が仰向けに倒れているのが木々の隙間から見えた。
すぐに、ボルドーは、滑るように坂を下りた。
男の子供のようだ。
おそらく、言っていた子供だろう。
駆け寄ったボルドーは、子供に触れた。
生きている……。
身体中、泥だらけだ。頭に血の跡があるが、大きな傷ではないようだ。
気絶しているようだが、命に別状があるようには見えなかった。
ボルドーは、安心、というよりも、意外だった。
これほどの狼獣が跋扈している中、この程度で済んでいるのが不思議だった。
足を踏み外して、坂を転げ落ち、怪我をしただけのようだ。
シエラが、追い着いてくる。
そこで、ボルドーは、ふと気付いた。
今、いる場所が、高台に囲まれた低所だということに。
対集団戦闘においては、明らかに不利な場所だ。
人と、戦っているわけではないが、ボルドーは気になった。
そして、気がついた。
周囲一周、木々の隙間から、光る点が大量にあることを。
夥しいほどの数の、狼獣の目だった。
シエラは絶句した。
いつの間にか、狼獣の大群に囲まれている。
場は、狼獣の唸り声があちこちから響いていた。
「シエラ」
ボルドーが、前を見据えながら、低い声で言った。
「あまり、この場を動かず、自分の身を守ることだけに集中しろ。後ろは、とりあえず気にしなくていい」
「移動したほうがいいのでは……」
言って、シエラは気付いた。
男の子がいるのだ。
この子を抱えて戦うことは、いくらボルドーでも、難しいということか。
「とにかく、ある程度戦ってみて、機が見つかれば、即座に移動をする。合図を出すから、逃すな」
そう言って、ボルドーは、身体に心気を充実させていく。シエラも、剣を正面に構えた。
倒れている男の子を挟んで、背中合わせに立った。
シエラは、正面の狼獣を見た。
口からは、涎が垂れ、目は不気味に光っている。
シエラは、自分は緊張している、と意識せざるを得なかった。
当たり前だ。初めての実戦なのだから。とにかく、心気を乱れないようにしないと……。
果たして、出来るのか?
自分は、ボルドーとの稽古しかしたことがない。
いったい、何が通用して、何をしたら駄目なのか。
剣を握っている手に、汗が滲んできた。
シエラは、一つ、息をついた。
とにかく、集中しなければ。
シエラは、剣先の一点を見つめた。
しばらく、そのままでいた。
鳴き声。
遠くで、遠吠えのような鳴き声が聞こえたと思ったら、一斉に狼獣が飛び掛かってきた。
シエラは、一歩踏み出し、一番前にいた狼獣の顔を、横に切り払った。
手応えがあった。中身が飛び散っただろうが、もう、それには目もくれず、次の狼獣に、目を移した。
二匹同時に接触しそうだ。
そう思ったら、瞬時に、シエラは体勢を落として、二匹の攻撃を避け、一匹を、下から腹目掛けて突き刺した。
すぐに、剣を抜いて、攻撃を外して着地している狼獣を、後ろから、叩き斬った。
素早く振り向いて、再び構える。
次から次へと、狼獣が、飛び掛ってくる。
低く、飛び掛ってきた一匹を、剣を使わず、蹴り飛ばした。
真正面から、突き刺した狼獣が、なかなか抜けず、そのままの剣を、数匹にぶつけて使った。いつの間にか、取れていた。
一匹を、真っ二つに切り裂いて、次に目を移そうと思ったら、一匹の死骸に足を滑らせてしまう。
倒れながら、上から来たら、剣を突き刺してやろうと構えたが、何もなかった。
シエラは、起き上がって、囲んでいる狼獣の群れを見た。
攻撃が止まっている。小休止のようなものか。
そこで、シエラは、自分の息が上がっているのに気がついた。
周りは、幾つもの死骸が転がっている。
自分も、返り血塗れだった。
無我夢中だった。
あまり、身体の痛みも感じない。傷を負っていないということか。
剣を構えたまま、振り向いた。
ボルドーは、さっきと同じ所で立っていた。
ただ、狼獣の死骸が、シエラの足元より、十倍はあり、広範囲に転がっていた。
血が出ているのが一匹もいない。シエラの場所とは対照的だった。
ボルドーは、息一つ上がっていない。
改めて見ると、圧倒されそうな心気だった。自分が、ある程度強くなったからこそ、分かるものなのか。
「少し雑だが、まあまあだ」
「え?」
「シエラ、気をつけろよ。夢中な時ほど、痛みは感じにくくなる。そういう時、致命傷を受けてしまいやすい」
「あ、はい」
こちらを見ながら戦っていたということか。
「また、来るぞ」
シエラは、視線を戻した。
再び、狼獣が、向かってきていた。
シエラは、先ほどよりも、冷静に戦うことができた。
ボルドーの方にも、幾度か、視線を移してみた。
明らかに、自分を襲ってきている狼獣よりも、多い数を相手にしている。
時々、自ら踏み出して攻撃を掛けていた。
しかも、素手だ。
一撃必殺。一度触れた狼獣は、確実に息の根を止めているようだ。
どうやっているのかは分からなかった。
そうしていると、また、相手の攻撃に間ができた。
「シエラ! 行くぞ!」
言われて、振り返ると、すでにボルドーは、男の子を抱え上げて走り出そうとしていた。
シエラも、それに続いた。
前にいた数匹の狼獣を、ボルドーは片手で蹴散らした。
それで、囲みは抜けて、林の中に飛び込んだ。
走った。
とりあえずは、狼獣はいないように見えるが、いきなり茂みから飛び出してきたら、対応ができるのか、とシエラは考えた。
ボルドーの方が、足が速いので、少し、間が開いてくる。それが、気になったのか、ボルドーが、こちらを見た。
その瞬間、茂みから数匹の狼獣が、ボルドーに向かって飛び掛かるのが見えた。
「おじいさん!」
ボルドーは、一瞬、体勢を崩して、男の子を落とした。しかし、すぐに体勢を立て直し、狼獣を蹴散らし始める。
狼獣が集まり始まる。すぐに、シエラは手一杯になった。
ボルドーと、倒れている男の子が、少し離れてしまっていた。
男の子に、一匹が向かっているのが見えた。
「おじいさん!」
ボルドーも慌てて動こうとしたが、狼獣が邪魔のようだ。
シエラも、間に合う位置にいなかった。
「いかん!」
そのとき、何かが飛び込んできた。
声を上げて、男の子に接触する寸前の狼獣に剣を突き刺した。
勢い余って、前に転がったが、すぐに立ち上がった。
さっき見た、ダークと名乗っていた男だった。