馬上にいた。
昨日の夜に行われた軍議で、昨日の撤退命令に不満を漏らす者が何人かいた。ゴールデンが討たれたとはいえ、攻撃を続けていれば勝てていたという意見だ。
フーカーズは、そうは思わなかった。肝心要の王女のすぐ近くには、カラトがいたのだ。
ただ、そこまで説明しようとは思わなかった。どのみち、あの男の強さは言葉で説明しても分かるものではない。
それよりも、カラトが生きていたということに驚きだった。
今まで、どこで何をしていたというのか。
フーカーズは、一度目を閉じた。
考えても仕方のないことだ。今考えるべきことではない。ならば、もう考えない。
意識を、現状に戻す。目を開いた。
こちらの配置は、歩兵が二つに分かれているのは昨日と同じだった。
同じ戦術を何度も使うのは愚策なのだが、余計な奇策はとりたくなかった。
相手がどのような対策をしてこようと、自分の部隊ならば、どうとでも対応することができる自信がある。
やがて、ゆっくりと両軍が近づき始める。
相手の配置に目を凝らした。
全体的に、歩兵が二つに割れているのか。こちらの歩兵に対する構えに見えた。歩兵同士のぶつかり合いを膠着させ、騎馬戦で勝敗をつけようということなのか。
だが、昨日いたはずの、歩兵の前にいた騎馬隊が見えない。
何かが妙だ。
さらに近づく。
ようやく発見した。騎馬は、かなり分散している。歩兵の中や外に、少しずつ配置していることが分かった。
騎馬戦をする気がないということなのか。しかし、それでは昨日何度も見せた自分の戦法を妨害することができないのではないのか。
何か、まだあるのか。
敵は、相変わらず前進を続けている。
その歩兵の先頭、中央辺りに、目がいった。
そうか。
そこで敵の戦法が、ようやく分かった。
敵軍の中央。歩兵の一番前に、並んで歩いているのが見れた。
右にはダーク。左にはコバルト。背後には、騎馬のグラシアも見えた。
そして、真ん中にはカラトがいる。
歩兵の陣形の中に入っているのではない。明らかに、異質な配置だった。
まず間違いなく、自分の部隊に、あの四人で対する作戦なのだろうと、フーカーズは思った。
部隊戦闘では、勝負ができないと見切りをつけての作戦なのだろう。普通ならば無謀なのだが、あの四人ならば、無謀でも何でもない。
どこか、十傑がクロス軍の本体と戦った、あの時に似ていると思った。
おもしろい。どう戦ってくるのか、興味が引かれた。
フーカーズは、剣を抜いた。そして、頭上に掲げる。
麾下の騎馬隊が一斉に疾駆を始めた。
自軍の、右翼から飛び出す。
いきなり矢が飛んできた。騎馬隊の先頭付近にいた者が、落馬した。
事前に、グラシアの矢には注意するようにと言ってはいるが、簡単に対応できるものではない。
敵歩兵に目を向けるが、あの四人がどこにいるか分からなかった。
さらに近づく。敵に突撃をかけようと思った瞬間に、敵歩兵の中から、カラトが飛び出してきた。
圧倒的心気がぶつかった。騎馬隊の勢いが挫かれた。
続けて、ダークとコバルトが出てくる。さすがに、二人も峻烈な攻撃をかけてくる。
足を止めての乱戦になると不利だ。フーカーズは、すぐに馬首を回した。
味方歩兵の中に戻る。そして、進みながら敵歩兵に目を凝らした。
やはり、あの四人だけが、こちらの動きに合わせて、味方歩兵の中を移動しているのだ。少ない人数である向こうの方が、それは容易いはずだ。
今度は、左翼から飛び出す。
騎馬である分、こちらの方が、あの四人より少しだけ速い。敵の歩兵の端を削ると、すぐに外側に離脱した。
程なくして、カラト達が歩兵の中から現れる。
その後、同じような遣り取りが続いた。フーカーズが、敵の歩兵に攻撃しようとすると、カラト達が現れる。敵に深く食い込むことができなかったが、こちらも、それほど大きな打撃は受けない。
成る程、敵の戦法が分かった。
しかし、これはあくまでも、自分の部隊を抑えることまでしかできないはずだ。あの四人で、この部隊を壊滅させることなど絶対にできない。
歩兵同士のぶつかりあいで勝敗を決しようということなのか。
移動しながら、全体の状況にも目を向けていた。大きく二つに分かれている歩兵同士のぶつかりあいだ。
右翼のパステルの軍が、押している。
押している?
一つ違和感が起こる。
こちらの二つの歩兵は、ほぼ均等の力配分をしていたので、相手も同じようにしてきていると、勝手に思ってしまっていた。
次の瞬間、左翼のインディゴの歩兵に、いつの間にか纏まっていた敵騎馬が突っ込んでいた。
ルモグラフは、敵左翼の前方、つまり味方の右翼の歩兵の中にいた。
左翼には、あまり戦力を配分していない。あくまでも、粘ることを主目的に置いた組み合わせだ。左翼が崩れる前に、こちらがインディゴの歩兵を崩す。それが、作戦だった。
ルモグラフは、ずっと機を伺っていた。そして、その機を感じ始めると、ばらけていた騎馬を、自分の周りに集め始めた。
「よし、行くぞ!」
叫んで、剣を振る。
前方の歩兵が、一斉に道を開ける。そこを、五百の騎馬隊で突っ込んだ。
敵歩兵を薙ぎ倒す。手応えがあった。敵陣の中央付近まで突き進むと、敵の中核と思われる部隊とぶつかった。
「押せ!」
一気に押した。
インディゴの顔が見えた。真っ直ぐに、こちらを見据えている。
「インディゴ将軍」
ルモグラフは叫んだ。
「投降なされよ。貴女は十分に戦われた。あなたを侮辱できる者など、絶対にいない」
しばらく黙った後、インディゴは息を吐いていた。それから、槍を地面に突き立てた。
「降参しよう」
インディゴが、はっきりとした口調で言っていた。
「貴女と、周りの者は一時的に拘束させていただきます」
「仕方がないね」
ルモグラフは、すぐに部下に指示をだした。それから、追いついてきた歩兵に、その場を任せて、もう一度騎馬隊を整える。すぐに、敵右翼に向かうのだ。
「ルモグラフ殿」
声がした。インディゴの声だった。
「頼みが一つあります。こちらの右翼を指揮しているパステルという男は、実直で能力がある男です。ただ、一つのことにのめり込んだら、それしか見えなくなってしまう。ここで死なせるには惜しい男です。どうか、できることなら、生かしてやってほしい」
わざわざそう言うほどなのだから、よほどの男なのだろう。
「善処します」
そう言って、騎馬隊を動かした。
フーカーズは、歩兵の横に動いた。中央に近づこうとすると、すぐにカラト達が現れるのだ。
戦況は、劣勢だった。インディゴの部隊は、完全に崩れている。パステルの部隊にも、先ほど敵の騎馬隊が側面から突っ込んでいた。
パステルが、何とか踏ん張ろうとしていることが、遠目にも分かった。
しかし、この状況では、踏ん張れば踏ん張るほど犠牲が増えるだけだ。
ここまでか。
フーカーズは、騎馬隊を停止させた。
「全軍退却だ。合図を出せ」
部下に指示をした。
それから、敵軍に目を向ける。
五十歩ほどの距離に、四人がいるのが見えた。先頭にいるカラトと目が合った。
その片目が、真っ直ぐにこちらを見ている。
睨んでいるのではない。ただ、こちらを見ている。
フーカーズは、視線を外すと、馬首を回した。
戦闘が終わり、一旦全軍を集結させた。
敵が退却を始めて、追撃戦になると思われたが、敵軍のしんがりでフーカーズ軍が、縦横無尽に奮戦した。なので、それほど敵に大打撃を与えることができなかったのだ。
ただ、敵将であるインディゴが投降し、パステルは捕縛したとのことだ。敵の戦力の低下は、計り知れないだろう。フーカーズ軍も、かなり削ったという。
戦後の処理が終わると、再び隊長格を召集した。
「次戦場は多分、橋の手前だろう」
グラシアが言った。
「橋?」
シエラが聞く。
「国軍が、大河を渡るために設けた船橋のことです。ちょっと前に、王子達が、西に来る時に設置したようで、その後、国軍の移動通路として使われているようです」
「大河って、すごく大きいのだろう?」
「そうです。ですから、船も多いのですよ」
よく分からなかった。ただ、想像もできないことがあることなど、今更不思議でも何でもない。
「おそらくフーカーズは、橋の手前で陣を敷くはずです。なぜなら、あそこならば、兵数差があまり意味を成さないからです。それに、それを無視して別のところから大河を渡ると、挟み撃ちをされてしまう。だから、絶対に無視することができない」
そう言った。
その後、戦力の分析が始まる。
「敵の二将がいなくなったとはいえ、まだフーカーズは健在だ。フーカーズが守ることに主眼をおいた指揮をしてくるとなると、また苦戦することになるだろうな」
ほぼ全員が頷いていた。それから、どう進むかの話し合いが始まった。
少しして、騎馬が一騎、大急ぎでこちらに駆けてきた。そちらに視線が集まる。
「報告」
乗っていた者が、馬から飛び降りた。
「斥候からの報告です。敵の全軍が、橋を渡り東に向かったとのことです」
「渡った?」
グラシアが言った。
さらに第二報、第三報と続いた。全員同じ内容だった。
「どういうことだろう?」
「とにかく、実情を把握するまで、この場で待機ということで」
それで、その場は散会になった。
しばらく幕舎内で、グラシア達と話をしていると、グラシアが外から呼ばれていた。幕舎のすぐ前で、男が一人立っているのが見えた。シエラは、知らない顔だった。
「ライトから、何か報告が?」
グラシアが言った。
「はい」
男が、片膝を地につけていた。
「国軍は、都の近辺に向かっているようです。どうやら、王子が全軍を呼び戻したようです」
「間違いないのね」
「おそらく」
男が下がっていった。その場にいる者達で、向かい合って立った。
「王子は判断を誤ったな」
グレイが言った。
「船橋の前で陣を組まれると、突破するのに、結構時間がかかったと思う。だけど、都まで下がったのなら、そこまで一気に進むことができる。都まで進めたのなら、今や兵数が勝っているこちらの方が、断然有利だ」
「いくらフーカーズでも、都の近くでは戦い辛いだろう。いや、もしかすると、指揮権を剥奪されるかもしれないし」
コバルトが、息を吐きながら、腰に手を当てた。
「結局、最後の最後まで、前線の足を引っ張るんだな、王子ってやつは……」
しばらく、その場に沈黙ができた。
「報告」
また一人が、駆けてきた。
「敵影を、橋の手前で確認しました」
「敵影?」
「全軍東に向かったんじゃないの」
「そう思っていたのですが、まだ残っていたようです。ただ、数が二百前後なのです」
「じゃあ、もしかしたら、こちらに投降しようって集団なのかも」
「いえ、それが橋の手前で、西に向かって陣を敷いているのです」
「陣」
数人が、何かに気付いた顔をした。
斥候が、続けて言った。
「指揮をしているのは、おそらくフーカーズです」