Neetel Inside 文芸新都
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 大河を見た。


 向こう岸が、ほとんど視認できないほど遠かった。北から南に、緩やかに水が流れているように見える。底は見えない。
 よく考えると、これは、とんでもない水量なのではないのか。こんなものが、絶え間なく、どこから出現するというのか。北の山々から、大河が始まっていると言うが、想像ができなかった。
 海を見たことがあるが、それとはまた違う驚きだった。
 誰も、不思議そうな顔をしていない。自分だけが、おかしいのか。
 思って横を見ると、目を丸くしたセピアと目が合った。
 ちょっと、安心した。

 大河を右手に見ながら北に進むと、川幅が少しずつ狭くなっていることが分かった。
 丘を一つ越えると、遠くに、河を横切った何かが見えた。
 あれが船橋か。
 木製であろう塊が、いくつも横に並んでいるようだ。あの一つ一つが、船なのだろう。
 そして、その橋の手前の陸地に、集団が固まっているのが見える。全員、こちらに向いている。
 数は、二百ほどか。全員が騎馬だ。
 まず間違いなく、フーカーズ軍だろう。
 王女軍は、進軍を停止した。

「フーカーズからすれば、きっと負けないための最善の方法が、あそこで戦うことなのだろう。無条件に河を渡られてしまうと、戦闘に適した場所が、もう無いからね」
 すぐ近くにいたカラトが、独り言のように呟いた。
「それは分かったけど……じゃあ、その方法がとれないことになって、何故フーカーズはここにいるのだ?」
 シエラが言うと、カラトがこちらに向く。
「ここで戦わないことは、フーカーズにとっては負けと同じなんです」
「どういうことだ?」
「彼の信条なんだ」
「信条……」

 昨日、捕虜になったインディゴとパステルに面会したことを思い出す。
 後ろ手に縛られたパステルが、シエラを見るなり大声を上げた。
「王女殿下、お願い申し上げます!」
 そう言って、額を地面にぶつける。
「どうか、フーカーズを……彼を御助命下さい」
 それから顔を上げて、必死の形相でシエラを睨む。
「あの男は一代の英傑だ! こんな所で死んでいい男ではない! どうか、お願いします。この首で、何とかなるとは思いませんが、どうか」
 その後二人は、拘束されたまま、後方の陣に移された。
 それを思い出して、フーカーズのことを考える。

「フーカーズは、何か王子に従わなければならない理由があるのか? 十傑の解散の後、軍に残った理由があるのか?」
「それについては、カラトの責任だ」
 いきなり声がした。カラトとは反対側の背後に、いつの間にかダークがいた。
 ダークが、こちらを見ずに言う。
「王族は十傑を恐れていた。その力も、影響力もな。それは、軍を抜けたからといって、簡単に無くなるものではない。だからこそ、カラトが協定という、交換条件をつけることで、王族達が簡単に手を出せないようにしたんだ。カラトは、十傑の十人だけを守ればいいと考えたが、そうじゃなかった。王族は、十傑の軍にいた、能力の高い兵達も恐れていたんだ。その者達は協定の加護の下にはいない。どこにいても、王族達に狙われる恐れがあった。だから、フーカーズは、そういう奴らを纏めて一つの部隊にしたんだ。自分の指揮下に置いてな。それで、王族達が簡単に手を出せないようにしたってことだ」
 カラトは俯いていた。
「つまり、その者達を守るために戦っているということなのか。しかし、ここで戦ってしまえば、その者達を傷つけてしまうではないか」
 思わず、声が大きくなる。
「馬鹿げているとは思わないのか」
 シエラが言うと、ダークは肩を上げた。
「さあな。奴に聞いてこいよ」
 シエラは、目線を前方に向けた。
 そのまま、乗っていた馬を駆けさせた。
「殿下!」
 背後から声がするが、無視して駆けた。
 そのまま、両軍が構えている間に走る。自軍の方から、どよめきが起こっていた。
 フーカーズ軍に、声が届くと思われる所まで行って、馬を止めた。
「将軍! フーカーズ将軍!」
 腹から、声を上げた。
「お願いします! どうか、出てきて下さい!」
 正面の部隊は、誰一人動かない。
「将軍!」
 もう一度叫んだ。

 すると、何かが動いているのが見えた。しばらくして、ゆっくりとした足取りで、三騎の騎馬が進んで来る。
 先頭は、間違いなくフーカーズだった。
「関心しませんね、王女殿下。御大将が、このような所に出てこられるのは」
 二十歩ほどの距離で止まって言った。
 それから、少し口元を綻ばせながら、首を振る。
「いや、無用な危惧というものだったようですね。その二人がいるのなら、この国で、これ以上のない護衛だ」
 その言葉を聞いて振り向くと、いつの間にか、騎馬のカラトとダークが背後にいた。
 シエラは、もう一度フーカーズに向く。

「将軍、どうか投降して下さい。いや、投降じゃなくてもいい。私は貴方を最大限に重用をする。これ以上の戦いは無意味です。貴方や、貴方の部下の人達には、絶対に危害が及ぶことがないと保証します」
 フーカーズは、無表情でシエラを見ている。
「貴方は、部下の方達を守るために、軍に残られたのでしょう。このように戦うことに、何の意味があるというのです」
「殿下は私を買い被られておられる。私は、それほどの男ではありませんよ。軍に残ったのも、私には、軍こそが自分の居場所だと思っているからです。そして、今ここにいることも同じことです」
 続けて言う。
「確かに、始めはそのような気持ちがあったことも否定しません。しかし、今はこの部隊を手放したくはないという思いの方が強いのです。こいつらと共に、戦いきるだけ戦いたい。それができなくなるのであれば、もう私に意味はない」
「それなら、王子のもとでなくてもいいでしょう?」
「王子のもとではなく、国のもとです。私たちが軍人として選んだ道です、殿下。その矜持は、最後まで消えることはありません」
 力強く答えた。
 シエラは、言葉を探した。
「……パステル将軍にも、頼まれています」
「あの男を使ってやって下さい、殿下。私などより、よっぽど未来のある男です」
 シエラは、言葉が無くなり、俯くしかなかった。

 騎馬のカラトが、シエラの横に進んで並んだ。
「フーカーズ」
 カラトが言った。
「生きていたのだな、カラト」
「うん……」
「お前がいるのならば、もう何も問題は無かろう。このまま、お前の夢に向けて突き進むがいい」
 カラトが、また少しうなだれる。
「すまない、フーカーズ」
「やめろ、カラト。私は、お前と出会わなければ、ここまでの地位には立てなかっただろう。それは即ち、自分の思い通りの戦ができないままだったということだ。もし、そうであれば私は、これほど生き甲斐のある人生にはならなかったと思う」
 そう言った。
「感謝することはあれど、謝られるようなことはない」
 しばらく間。

「スカーレットには、悪いことをしてしまったな。私が焚きつけたようなものだからな」
 フーカーズが呟いた。
「スカーレット?」
「いや……」
 また、しばらく沈黙。もう何も言えなかった。

 フーカーズが、少し手綱を動かした。
「殿下、最後にお願いが一つあります」
 フーカーズが言う。シエラは顔を上げた。
「戦いが終わった後、もし投降をする部下がいれば、どうか受け入れてやってほしいのです」
 だったら、何故今、そうしないのだ。
 シエラは、その言葉を飲み込んだ。

「……分かりました」
「感謝します」

 そう言うと、馬首を回し、駆け去っていった。





 しばらく、動かなかった。
 船橋の前にはフーカーズ軍。それを正面に見据えて、王女軍が構えている。その状況で、制止していた。
 端から見れば、おかしな光景だろう。フーカーズ軍は、約二百。王女軍は、六千を越える軍勢なのだ。そのまま進めば、簡単に踏みつぶすことができる兵力差なのだが、王女軍は、動いていない。
 シエラの、攻撃合図を待っているのだ。
 シエラは、その合図を出すことを躊躇っていた。

「殿下、いつまでもここにいるわけにはいきません。変に足踏みをしてしまうと、世間の評価が変わってしまうかもしれません。都まで戻った敵の士気も、回復させてしまう恐れもあります」
 近くにいたグレイが言った。
 歯噛みをする。
 このまま、フーカーズを死なせてもいいのか。
「どうにか、生け捕りにすることはできないのか」
「おそらく……無理でしょう」
 シエラは、しばらく顔を俯けた。

 それから、顔を上げる。
 シエラは、手を挙げた。
 少しの間。
「前進!」
 ルモグラフの大きな声が聞こえた。
 軍の、前の方に構えていた部隊が前進を始めた。
 今シエラが出した合図は、十傑が率いる部隊以外の部隊を動かせという合図だった。フーカーズを攻撃することに、十傑の者達を使いたくはなかった。
 それでも、二百対四千なのだ。

 どんどん自軍の前衛とフーカーズ軍との距離が縮まってくる。フーカーズ軍は、まったく動く気配がなかった。
 まさか、このまま無抵抗にやられる気なのか。
 思ったとき、剣が見えた。
 上に掲げられた剣。
 次の瞬間、二百の部隊が、凄まじい速さで動いた。王女軍の前衛に、そのまま突っ込んできた。
 そして、縦横無尽に駆け回る。
 ルモグラフが、重囲しようと歩兵を動かすが、まったく捕まえることができない。
 大軍であるはずのこちらが、どうにもできなかった。
 あの二百は無敵なのではないのか。そう思ってしまいそうになった。

「殿下、無駄な犠牲は避けるべきです」
 グレイの声。つまり、瀬踏みするような攻撃は止めろと言っているのだろう。
 シエラは、もう一度手を挙げた。
 今度は、残っていた部隊が動き始めた。十傑の部隊も動く。
 カラト、ダーク、コバルトの部隊が一気に進むのが見えた。ずっと動いていたフーカーズ軍が動けなくなっていた。
 そうなると、もう抗いようがなかった。歩兵の大軍に、飲み込まれていく。
 あれほど凄まじかったフーカーズ軍が軍勢の中に消えていく。

 土煙で、視界が霞んだ。

 その時。

 光が反射した。

 剣が、上に掲げられた。


 それが、土煙の中に消えていった。








       

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