戦いが終わった。
最終的に、フーカーズ軍の五十人ほどが投降してきた。ほぼ全員、俯いて涙を流していた。
やがて、台に乗せられたフーカーズの遺骸が、シエラの前まで運ばれてきた。両手を胸の上で組み、剣を持たされていた。
安らかな死に顔に見えた。
「彼に親族は?」
「いません」
「何か、遺言のようなものはないのだろうか?」
「おそらく、何もないでしょう」
「そうか……」
もう一度、彼を見る。
「ここに埋めよう。丁重に埋葬してさしあげろ」
彼が、最後に剣を掲げて出した命令は、戦闘放棄というものだったらしい。彼の部下達は心中しようと思っていたようだが、五十人はその命令に従った。
彼らは、しばらく捕虜として後方に移されることになる。
程なくして、全軍の進軍体勢が整った。
「全軍、渡河。このまま一気に都まで進軍する」
シエラが叫ぶと、声が挙がった。
日が落ち、辺りが暗くなった。
シーは、ゆっくりと寝台から起きあがった。
スカーレットとの戦いの後、シーはまともに動けないほど傷ついていた。ライト達に助けられ、密かに本陣にまで運ばれたのだ。
自分の存在は、公には内密だったので、グラシアの幕舎のなかで、密かに静養していた。
この陣も、本隊の進軍に合わせて移動する。もうそろそろ取り払われるころだろう。
シーは、周りに気配がないことを確認して、幕舎から出た。
戦には勝った。フーカーズを倒した。そして、カラトが帰ってきた。
ならば、もう自分の役目は終わった。
もう、ここにいるべき理由はない。
どこに向かおうか。
故郷の村には行きたくない。無人になってしまった村など見たくはなかった。
行くなら、国外がよかった。スクレイの外なら、どこでもいい。
ただ、真っ直ぐ進んで行けば、いつか国外に出られるのだ。分かりやすいものだ。
陣を出て、しばらく歩く。
両側が雑木林になっている小径に入った。
「お出かけかい?」
突然、正面から声がした。道の真ん中に、立っている人間がいることが分かった。
こんな近くに来るまで気がつかないなんて。
「どこに行くの?」
シーは黙る。
正面にいるグレイは、一つ息を吐いた。
「私との約束は反故にするってこと?」
「……今ここで殴ってほしい」
「やだよ。今、疲れてるの」
沈黙。
「っていうのは、まあ、冗談なんだけど……」
グレイが、そう言う。
再び沈黙。それから、グレイが口を開いた。
「ねえ、シー。どうしても、出ていきたい?」
そう問われる。
「……私には、合わせる顔がない」
「誰に?」
「いろんな人に」
「まあ、そうだね」
そう言って、顔を斜め上に向けた。
「カラトも似たようなこと言ってたな。合わせる顔がないって」
そう言ってから、親指を斜め後方に向けた。
「ちなみに、向こうにカラトも来てるよ」
「えっ」
思わず視線がそちらに向く。
木々が茂っていて、その先には暗黒が見えるだけだ。
「そろそろ、貴女が抜け出そうとするころだろうって、あいつがね。だけど、自分は会いづらいからって、私に来させたんだよ。向こうで待ってるって。人を何だと思ってるんだよって思わない?」
シーは、何も言えない。
グレイは、腕を組んで唸った。
「うーん、何か、いいことを言いたいんだけど、何て言えばいいのか分からないや」
こちらに目を向ける。
「居づらいっていうのは分かるし、責任を感じてるっていうのも分かる。だけど、カラトは生きていたし、戻ってきたじゃん」
目線が、斜め上に向く。
「っていう言い方は、まずいかな……」
再び唸る。
「あ、そうそう、私の腕の治療も続けてほしいしさ」
「何故、そうまでして、私を留めようとするの?」
シーが言うと、グレイは片手を腰にやって、少し笑った。
「単純にさ、あんたに気をかけるのは、今はグラシアか私しかいないじゃん。あ、あとカラトか。グラシアは忙しそうだし、カラトは気まずいって言うんじゃあ、後は私だけでしょ」
「それは、理由なの?」
「あなたが、積極的な理由で、ここを離れたいっていうのなら止めやしないさ。でも、合わせる顔がないとか、居るべきじゃないとか、そういう理由で出ていこうとするのなら、私にも言い分があるでしょうってこと」
間。
「違う?」
シーは、グレイを見た。
この人が、出ていくなと言う。
ここに残る理由。
それで十分なのかもしれない。
そう思った。
「……ごめん」
言う。
「……ありがとう、グレイ」
「うん」
グレイが、にかりと笑った。
「出ていかない?」
「うん」
「よし」
グレイは、息を吸った。
「さて、じゃあカラトの所に行くか」
「グレイ」
「なに?」
「グレイも、カラトのこと好きなのでしょう?」
「うん……まあ、ね」
「今も?」
「うーん、どうだろう」
そう言って、首を捻った。
「別に、この三年の間で、他に好きな人が見つかったってこともないしなあ」
目線を、こちらに向ける。
「そういうシーは、どうなのよ?」
「私は、ずっと変わらない」
「ああ……そうなんだ」
グレイは、少し微妙な表情をした。それから、咳払い。
「……まあ、どっちにしたって、あいつ鈍いからね。私が三年前、どれだけ思わせぶりな態度で接しても手応えがなかったからねえ」
「お互い、厄介なものね」
「それに関しては、同感だ」
言って、グレイが笑った。
シーも、口から息が漏れた。
「じゃあ、これから二人で、あいつをいびってやるか」
大河を渡ってから、二日都に向けて進軍した。
まず驚いたのが、時々見かける町並みだった。
整備が行き届いた道。そして、新しく見える建物が多い。人々は、清潔そうな服を来ていて、健康そうに見えた。
今まで見てきた町々とは別の世界のようだった。
「近年この国は、都とその近辺の町だけに富が集中しているのです。中央の人間が富を独占していても、そのおこぼれは絶対出るわけですので。それらが、この辺りに恵みをもたらせているということです」
グラシアが、馬を並べながら説明をした。
「この辺りの民衆は、多分今の中央に対して、それほど不満を持ってはいないのではと推察しています」
「そうか」
街道を進んでいる自軍を、遠巻きにして見ている人々が見えた。表情は、よく見えないが、警戒していることは分かった。
「今までと違い、ここからは、我々に敵対的な住民がいるでしょう。気を付けなければならなくなります。食べ物などを貰わないように伝達しておきます。井戸の水も、飲まないでください。できるだけ、町の中を通過することは控えることにします」
「分かった」
しばらくすると、騎馬が集団を逆走して駆けてくるのが見えた。
「報告」
いつもの如く、手前まで来て、馬から飛び降りる。
「都で、争闘が起こった模様です」
「争闘?」
グラシアが、驚いたような声を上げた。
「王子が?」
「詳細は不明です」
続報を待った。
「グラデ派とシアン派がぶつかったようです」
しばらくして、再び駆けてきた者が言った。
「あの戻っていった主力の軍も加わっての?」
「いえ、軍は都の外で待機していたようですので、少なくとも大部分は参加していません」
さらに、続報。
「グラデ派がシアン派に突如攻撃したのが切っ掛けのようです。敗れたシアン派は都から落ち延び、今は都から少し南西にある、離城に籠もりました。主力の軍はグラデ側につき、この離城を包囲したとのことです」
ひっきりなしに伝令が走る。
また誰かが走ってきた。ルモグラフだった。
「殿下。シアン王子の使者と名乗る者が、殿下に謁見を求めています」
「謁見?」
「どうやら、救援を求めているのかと」