Neetel Inside 文芸新都
表紙

少女は英雄を知る
ローズ編

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 不愉快だった。


 目の前には、尻餅をついた、男がいた。
「いやぁ、参りましたよ。さすがに、お強い」
 その言い方に、さらに虫唾が走った。
 男が、本気ではないことは、すぐに分かった。だが、たとえ本気でかかって来られても、まず、自分が勝っていただろう。
 それで、男の誇りを守ったつもりか。女に負けるぐらいなら、手加減をして、負けてやったと思った方が、ましだというのか。
 この男とは、二度と戦わない。

 セピアは、振り返って、歩き始めた。










 随分、緑が少なくなった。

 小さい丘を、一つ越えると、町が見えた。
 灰色や白の、低い建物ばかりで、全体的に地味な印象だった。

「ローズ、到着!」
 明るい声で、ペイルが言った。
「はしゃぐんじゃない」
 ボルドーが言った。
「お二方が、元気がなさすぎるんですよ。こういうことをやれば、旅が楽しくなりますよ、師匠」
「その呼び方、やめろ」
「えー、いいじゃないですか、師匠」
「何かを教えた覚えはない」
 ペイルは、初めて会った時と、随分、雰囲気が違うと、シエラは思った。

 三人で、町に入った。
「たしか、この町って、ずっと昔、戦争の前線のすぐ後方にあって、軍の駐屯場から発展した町なんですよね」
「よく知っているな」
「まあ、自分結構、いろんな所行ってますからね」
「いばれるようなこと、しとらんかったんだろ」
 ボルドーは、シエラを見た。
「何か、思い出せたか?」
「……いえ……」
 グリーンの町と同じだった。シエラは、何も、記憶がなかった。
 三年という月日は、ここまで過去を忘れてさせてしまうものなのか。それとも、自分にとって、あの旅は、思っていた以上に、思い入れがなかったということなのか。そもそも、本当に、あの旅は、現実だったのか……。
 気持ちが、暗く、沈んでいくような気分に襲われた。
「覚えていようと意識していないと、風景など、そう簡単に覚えられるものでもないさ」
 ボルドーの声。シエラは、思わずボルドーを見た。
「それに、道が間違っている可能性もある」
 ボルドーは、こちらを見ずに話している。
 励ましてくれている。
 シエラは、そう思った。
 いつもながら、心が読めるのかと思う。
「はい」
 シエラは、言った。

「よし、じゃあ、金を渡すから、二人で飯でも食ってこい。わしは、ちょっと行くところがある」
「え? 三人で食べて、三人で行けばいいじゃないですか」
「いいから行ってこい」
 すると、ペイルが、にた、と笑みを浮かべる。
「ははーん。なるほど、そういうことですか」
「何だ?」
「いやいや、仕方ありません。師匠も、一人の男ですからねぇ。お孫さんと、いつも一緒じゃ、機会がないですよねぇ」
 ペイルが、自分の胸に、手を当てる。
「分かりました! この、ペイル、お孫さんを預かりましょう!」
 ボルドーが、眉間にしわを寄せて、片目を細める。
「シエラ、やっぱり一人で行け」
「ええっ」
 ペイルが声を上げた。










 大通りから外れて、裏通りに入った。

 少し入っていくと、古ぼけた、汚らしい、小さい酒場があった。
 ただ、外から見るだけでは、ここが、酒場だと分かるものは何もない。
 ボルドーは、そこに入った。
 内装も、外観と同じく、古ぼけている。
 痛んだ、木製の机や椅子、壁。割れた窓も、手付かずだった。
 木製の長椅子で、中年の男が横になっていた。
「おい」
 ボルドーは、男に歩み寄った。
「ん……営業は、暗くなってからだよ……」
 男が、煩わしそうに言った。
「わしだ。ドーブ」
 少し間があった後、男が飛び起きた。
「ボ、ボルドーの旦那っ!?」
「久しぶりだな、ドーブ」
「お、お久しぶりです。どうしたんですか!?」
「ちょっと、お前と話がしたいと思ってな」
「こんな所で良ければ、どうぞ、どうぞ」
 言って、ドーブは椅子を勧める。
「お酒でいいですか?」
「いや、水でいい」
 ドーブが、慌ただしく、動き回る。
 ボルドーは、椅子に座った。

「客は来ているみたいだな」
「ええ、お蔭様で」
 ドーブは、水の入った器を二つ、机の上に置き、ボルドーの対面に座った。
「いやぁ、しかし驚きましたよ。旦那から訪ねて来てくれるなんて」
「こんな所、用事がなければ、来たくはなかったがな」
「ちょへぇ、相変わらず、お厳しい……で、用事とは?」
「三年前、どこかの軍が動いたという話は聞いたことないか?」
「軍? 外国ですか?」
「いや、スクレイ国内だ。もしくは、政府の動きでもなんでもいい。三年前に、何か気になったことはなかったか?」
 ボルドーが言うと、ドーブは、腕を組んで、唸り声を出した。
「三年前……三年前……」
 ボルドーは、水を飲んだ。

「今だったら、にわかに軍が慌ただしくなってますけど」
 ぼそりと、ドーブは言った。
「なんだそれは?」
「えっ、知りませんか?」
「知るわけがないだろう。もう軍とは、交流はないのだ」
「最近、スクレイのあちこちで、謎の獣の出没が多発しているらしいです。なんでも、並みの獣狩じゃあ対処できないらしくて、軍が動くしかないとか」
「謎?」
「突然変異か何か、普通の獣と微妙に違うらしいです。色とか、形とかが。本当でしょうかね?」
 ボルドーには、心当たりがあった。
「わしも、ここに来る前に、赤い狼獣を見た」
「え? 本当ですか」
「それらが何か分かっていないのか?」
「ええ」
「それで、三年前は?」
「すいません、ちょっと分かりません」
「そうか」

 すると、ドーブは、少し物悲しい顔をした。
「ボルドーさん……軍に戻る気はないんですか?」
 ボルドーは、ドーブを見る。
「相変わらず、中央は酷いもんですよ。王子達の権力争いに、軍まで巻き込まれ始めたらしいですから……このままいったら、近い将来、この国は滅びますよ。今こそ、ボルドーさんのような、芯がしっかりとした人が、この国には必要だと思うんです」

 沈黙。

「あっ、すいません。知った風な口を利いてしまって」
「いや。お前が、国の将来を気にするようになるとはな」
 ボルドーは、笑った。
「すいません、柄じゃないですよね」
「柄、か……」
「あっ、そういえば」
「ん?」
「確か、三年ぐらい前に、王子達の争いが、一時沈静化したことがあったんですよ。急のことだったんで、軍でもちょっと話題になったことがあるんです」










「やっぱり、兵が多いなぁ」
 ペイルが、居心地が悪そうに言う。
 シエラとペイルは、大通りに面した飲食店に入ることにした。
 先ほどから、ペイルが、周りを気にし始めていた。
 大きい話声の体格のいい男達が、店内に何人もいた。

「あの、ペイルさん」
 ペイルが、こちらを見る。
「ん? 何、シエラちゃん」
「スクレイの十傑って何ですか?」
「ああ、そっか。シエラちゃんぐらいの歳じゃ、知らないか……」
 ペイルが、にんまりと笑った。
「スクレイの十傑っていうのは、数年前まで続いていた戦争を終わらせた、十人の英雄のことさ。俺は、君のおじいさんが、その一人だと思っているんだけど……」
「もしかして、カラトっていう人もいませんでした?」
「カラト? いや、俺が聞いたことがある名前は、ダークとフーカーズ、ボルドーの三人だけだよ」
「そうですか」
「その人がどうかしたの?」
「いえ……」

 話していると、男達が食事を終えて、去っていった。
「ああ、まいったなぁ。毎度毎度こう緊張してると持たないや」
 ペイルは、背を伸ばした。
「いや、ね。一応、俺は……犯罪者だしね。まぁ、そんなに顔が知れ渡ってるわけじゃないから、詐欺をやったことがある町に入らなければ大丈夫だと思うけど。あっ、当然二人には、死んでも迷惑は掛けないから」

 すると、店の隅にいた女が、こちらに近づいてきた。
 赤い長い髪が印象的で、黒い軽装の服を着ている。
 若い。シエラには、十代に見えた。
 その子は、ペイルの横に立った。

「何かな? お嬢さん」
「青っぽい短髪に、歳は二十前後、中肉中背の腰に剣をぶら下げている男」
 女は、ペイルの特徴を言った。
「お前、ダークだな」
 言って、女は自分の腰にあった剣を抜き、ペイルに突きつけた。
 ペイルの顔色が変わった。
「へ、兵士? こんな女の子が」
「女とか、若いとか、関係ないね」
 シエラは立ち上がった。
 女が、心気を使えることが雰囲気で分かった。
「私は、はっきり言って詐欺だのなんだのは興味がないんだ。ダーク。私と立ち合え」
「立ち合え?」
「男達がいなくなるのを、わざわざ待ってやったんだ。お前と、戦いたかったからね。さぞや強いんだろ。スクレイの十傑」
 女が、不敵に笑った。
「私に勝ったら、見逃してやる。どうだ?」




     

 場所を移動した。


 飲食店の裏に、塀に囲まれた、人目がない広場があった。
 赤髪の少女に、そこに連れられた。

 見た目から、十代後半だろうと、ペイルは思った。
 身長は、シエラよりも高い。ただ、シエラは、歳のわりに背が低い。

「ペイルさん。あの人、強いですよ」
 後ろから着いてきていた、シエラが言った。
「まぁ、あれだけ自信がありそうだったらね……。だけど、話に乗らないと、役所に通報されたら厄介だし……」
 それに、いくら強いといっても、十代の女の子だ。シエラのような子が、他にいるとは思えないし、まず、自分が負けることなどないだろう。
「シエラちゃんは、着いて来なくていいよ」
 シエラは、何も言わなかった。

 広場で、少女と向かい合った。
「さて、調度二人とも、剣を持っているわけだし、剣同士の実戦でいいよね」
 少女が言った。
「いやぁ、女の子に、傷をつけてしまうかもしれないのは、さすがに俺も気が引けるな」
「心配しなくても、殺されても文句は言わない」
 少女は、剣を抜いた。
「それよりも、そんな言い訳をされて、本気を出さなかったと言われるほうが、私は腹が立つ」
 少し考えた後、ペイルは、木製の鞘をつけたままの剣を構える。
「君は、そのままでいいよ」
 言ったが、少女は、自分の剣に鞘を被せた。

 二人とも剣を構えて、睨み合った。

 踏み出したのは、少女の方からだった。





 速い。それに、洗練されていた。

 ペイルは、防戦一方だった。

 戦いが始まって、すぐにペイルは顔が必死になった。
 逆に、女は、表情が弱くなっていた。
 ただ、攻撃は続いていた。

 隙をついた女が、ペイルの足を突く。
 続けて、ペイルの肩を叩いた。
 声を上げたペイルが膝を地面に着けた。
 勝負あった、とシエラは思った。

「なんだ……。期待して損したな」
 女が、剣を肩に乗せて、嘆息した。
「やっぱり、スクレイの十傑っていうのは嘘だったのか。それとも、本物だけど、この程度の強さなのかな。噂が一人歩きすることなんて良くある」
 ペイルは、肩を抱えて俯いていた。

 シエラは、ペイルに近づこうとした。
 すると、女が、剣を構えた。
 ペイルに、さらに攻撃しようとしている。
 思わず、シエラは走った。





 膝を地面に着けて、俯いているダークを見ていて、セピアは、腹が立ってきた。

 今まで倒してきた男達の姿が重なったからだろう。
 その、鬱憤もあってか、思わず、攻撃をしていた。

 ただ、剣は、ダークに当たらなかった。
 二人の間に、ダークにくっついていた女の子が、割って入ってきていたのだ。
 どこから出したのか、短い剣を持って、セピアの攻撃を受け止めていた。

 セピアは、剣を引いた。

「大丈夫ですか?」
 女の子が、しゃがんでダークに言う。
 セピアの興味は、完全に女の子に移っていた。
「君、心気が使えるのか?」
「おじいさんに、診せに行きましょう」
 こちらを無視する女の子。
「このまま、行かせる訳がないだろう。その男は、当然役所に突き出す。それが嫌なら、君が戦うか?」
 言っても、無視する女の子。

 セピアは、多少、いらついた。
 挑発してみようと、女の子の顔のすぐ近くに、剣を通過させた。
 女の子は、瞬き一つしなかった。
 やはり、この子は強い。それも、この男より、よっぽどだ。
 にわかに、セピアはうれしくなった。ただ、女の子は、まったく意に介してなかった。

 そこで、セピアは気がついた。
 女の子は、全体的に地味な服装だが、その中で、一箇所、目に付くものがあった。

 利用できるかもしれない。

 再び、剣を、女の子の顔の近くを通過させる。ただ、今度は、顔の下だ。
 女の子の表情が変わった。
 女の子の首に掛かっていた首飾りの紐が切れ、首飾りが飛んだ。
「服装からして、田舎者だな。これが、お洒落だと思っているのか」
 セピアは、首飾りを踏みつけた。

 瞬間、閃光が走った。

 セピアの前髪の一部が、顔の前を落ちた。
 いつの間にか、剣を抜き放った女の子がいた。

 見えなかった。

 セピアは、自分の額に汗がにじみ出るのに気がついた。
 今のは、本気で殺そうとしたのではないか。
 考える暇も無く、女の子が、剣を振りかぶった。
 すぐに、防御を構えた。
 女の子の形相が明らかに、変わっていた。
 目が見開き、瞳孔が開いている。
 その表情を、恐い、と思った。
 攻撃を受け止めたが、力負けして、剣が弾き飛ばされてしまう。
 セピアは、後ろに倒れた。
 女の子が、剣を突き刺す構えをしていた。

 思わず、セピアは目を閉じた。











 数秒、何もなかった。

 セピアは、目を開けた。
 女の子は、そのままの姿勢だった。
 ただ、その横に、いつの間にか、知らない老人が立っていて、女の子の手首を掴んでいた。

「そこまでだ」
 低い声で、老人が言った。
 女の子が、呆然とした表情をしている。
 そして、剣を手放すと、地面に落ちていた首飾りに飛びついていた。
 大事そうに拾い上げているのを見て、セピアは、あれが、ただのお洒落ではないという気がした。

「ふむ……」
 言って、老人が、場を見回す。
「あの……」
 ダークが、言った。
「いや、言わなくていい。ペイル」
 老人は、セピアに近づいてくる。
 地面に座った格好でいたセピアの前で、老人はしゃがんだ。
「すまないな、お嬢さん。この場は、収めてくれないか」
 セピアは、何も言えなかった。
 そして、老人は立ち上がると、ダークに近づいていった。ダークは、肩に手を置いて、跪いている。
「大丈夫か?」
「あ……、はい……」
 ゆっくりと立ち上がる、ダーク。
「シエラ、行くぞ」
 言われて、立ち上がった女の子が、剣を拾って、歩いていく。
 三人が、立ち去ろうとしていた。

「待ってくれ!」
 三人が、振り返った。
 セピアは、女の子を見た。
「君……、シエラというのか。歳はいくつだ?」
 シエラが、一つ間を置いてから口を開く。
「十四」
 自分より、二つ下だ。
「私は、セピアという。シエラ、私ともう一度、戦ってくれないか」
 セピアは、立ち上がる。
「さっきは、すまなかった。そちらの、お連れの方にも、失礼なことをしてしまった。私は元々その人を、どうこうしようとは考えていない。私は、どうしても、強い者と戦いたかったのだ。私が全力を出せる相手と、私は、今まで出会ったことがなかった。それで、つい興奮してしまったのだ。すまない」
 言って、セピアは、頭を下げた。
「それで、負けた身で言うのも、おこがましいかもしれないが、さっきの戦いは、我ながら、不本意な形だった。君とは、ぜひ、改めて真剣に立ち合わせてほしい。頼む」
 シエラの表情は変わらない。

「いいだろう」
 言ったのは、老人の方だった。シエラが、老人の方に目をやった。
「ただし、やるなら、明日以降。武器は、調練用の物だ。それでいいか?」
「勿論です。では、明日の正午に、ここに来てほしい」
「分かった」

 最後も老人が言って、三人が去っていった。

 しばらく、セピアは、その場に立ち尽くしていた。

 心が気持ち悪い、とセピアは思った。
 初めて、打ちのめされた。それも、年下の女の子にだ。しかし、戦いきったという気持ちはない。完全に負けたという気はしなかった。
 それでも、気持ち悪いのだ。やはり、負けるというのは、嫌なことでしかないはずだ。

 負けたくはない、とセピアは思った。




     

 力の無い足取りだった。


 セピアとの一件の後、夕方まで、三人でローズの町を見て回った。
 その間、ペイルはずっと足取りが重く、項垂れて、何も喋らなかった。
 ボルドーが、引き摺るようにして連れてきていた。
 日が落ちかける頃に、夕食をとる為に店に入った。
 そこでも、ペイルは項垂れたままだった。

「あの……」
 注文をした後に、小さい声で、ペイルが声を発した。
「俺、もう、同行から外れます」
 ペイルが、少し震えているように、シエラには見えた。
 ボルドーは、何も言わない。
「やっぱり、甘かったんだと思います。犯罪者なのに、のうのうと旅をしようなんて……。俺が、お二人と一緒にいれば、この先も、お二人に迷惑を掛けてしまうかもしれない。だから、もう、同行から外れます」

 沈黙。

「お二人には、本当に感謝しています。こんな、俺を、役所に突き出さないでくれて……」
「外れて、どうするつもりだ?」
 ペイルの方を見ずに、ボルドーが言う。
「その……、ひっそりと、一人で、鍛えながら、旅をしたいと……」
 俯いたまま話す、ペイル。
「都合がいいと思うかもしれません。だけど……、自首は……」
「別に、自首しろとは言ってない。しないという、お前の判断を非難するつもりもない」

 料理が運ばれてきて、会話が一旦、中断する。
「ペイル。一つ言っておくぞ」
 店員が去った後、腕を組む、ボルドー。
「お前を連れていれば、何かしらの事が起こることなど、初めから百も承知だ。それでも、わしは、お前を無理矢理追い返さなくて良かったと思っている。何故だか分かるか?」
 ペイルが、顔を上げる。
「罪を犯すのに慣れてしまった者は、目が荒んでしまう。まあ、中には例外もいるがな。初めて会った時のお前は、目が荒みかかっていた。あと一年ほど同じ事を続けていれば、元に戻るのが難しい状態になっていただろうと思う。だが、今のお前は、その荒みが綺麗に消えてしまっているんだ」
 ペイルが、自分の目の辺りに、手を置いた。
「罪に慣れる人間など、この世に、掃いて捨てるほどいるのだろう。だけども、一人の人間でも、それを防げたことが、わしは良かったと思っているよ」
 言って、ボルドーが、少し微笑んだ。
「同行したければすればいい。それだけは言っておく」
 ペイルが再び俯く。そして、両膝の上に拳を置いた。
「本当ですか……? でも、ボルドーさん、俺に何も教えてくれない……。それは、俺に才能がないから、見込みがないからじゃないんですか……」
 ペイルが、震え始める。 
「女の子に叩きのめされて、女の子に庇われて……。悔しいし……、弱い自分が情けないんです」
 言って、ペイルの目から、涙が落ちていた。

「なぁ、ペイルよ。強さとは何だと思う?」
 おもむろに、ボルドーが言った。
「わしは、それが相対的で主観的なものだと思っている」
 また、ペイルが顔を上げる。
「相対……、ですか?」
「何かに負けて、自分が弱いと知り、何かに勝って、自分が強いと知る。その現象に際限はない。ならば、どこの段階で自分の力量とするのか。それは、自分自身で決めることだ」
 ペイルが、怪訝な顔をする。
「分からんか? まぁ、わしも、よく分からんがな」
 言って、声を出して笑うボルドー。
「要は、負けて自分が弱いと知ることも、大事なことだと、わしは思うよ」
「はぁ……」
「それに、お前は何も教えてくれないと言うが、わしは、シエラに何か特別なことを教えているわけではない」
「えっ?」
「昔に、ある程度の型は教えたが、最近は何も教えていない。たまに、立ち合うだけだ。元々、わしは他人に何かを教える才能がないと思っているしな」
「それなのに、あんなに強いんですか……」
「お前が、そう思うということは、シエラがお前よりも、自分が弱いと思っているからだとは思わないか?」
 ペイルが、考えるような表情をする。
「まぁ、とにかく今は飯を食おう。せっかくの料理が冷めてしまう」
「あの」
 ペイルが立ち上がる。
「見苦しい姿を見せてしまい、すいませんでした。よろしければ、まだ同行させて下さい」
「いいと言っているだろう」
 ペイルが、砕けた笑顔を出した。
「あと、俺も、たまに立ち合ってもらっていいですか」










 日が落ちて、暗くなった道が前に続いている。
 セピアは、その道を歩いていた。
 負けの大事、か……。
 セピアは、先ほどまで、ある飲食店の側壁の近くで、耳を澄ませていた。
 盗み聞きしようと思っていたわけではない。たまたま、店に入る三人を見止めて、ついつい寄っていってしまったのだ。
 人目につかない場所だったので、長居してしまった。
 いや。長居した理由は、会話の内容か。
 負けるということに対しての考え方を、変える必要があるかもしれない。
 勝っても負けても、その答えが、明日、分かるような気がする。
 理由も無く、セピアは、そう思った。










 ボルドーが、やれと言えば、断る理由がなかった。
 しかし、ボルドーが、決闘を受けた理由が分からなかった。
 ああいう、意味のなさそうな戦いを受けることなど、今までなら絶対に許してくれないはずなのだが……。

 空を見上げると、雲が濃く、太陽がうっすらとしか見えなかった。
 ほぼ、正午だろうと思う時間に、シエラは広場に向かった。
 ボルドーとペイルは、いない。朝の内に、どこかへ出かけていったのだ。

 広場に入ると、ほぼ中央に、すでにセピアが立っていた。
 近くには、木製であろう模造武器が、いくつか置いてある。
 セピアは、長く、先に布が着けられた棒を持っていた。
「調練用の物を、いくつか持ってきた。好きなものを選んでくれ」
 シエラは、近づいていき、いつもの剣と、ほぼ同じ大きさの棒を取った。
 少し、軽すぎるか。
 そう思い、もう一つ大きい棒を取った。
「それでいいか?」
 シエラは、頷いた。
「それでは、始めようか」
 ゆっくりと向かい合った。
 セピアは、足を肩幅よりも広げ、体を横向きにし、棒の先端を低くして、それを両手で持って構えた。
 武器で言えば、槍だろう。
「奇策か何かと思わないでほしい。私の得物は、元々これだ」
 そう言って、セピアの身体に心気が満ちてくる。
 昨日とは、明らかに雰囲気が違う。集中している。
 シエラも、正面に、棒を構える。
「まずは、感謝するよ、シエラ。わたしと戦ってくれて」
 セピアは、笑った。
「では、行くぞ」
 言って、踏み出してくる。

 シエラの持っている棒の間合いの外から、棒が飛んでくる。
 それを、身体をひねって、かわし、片手に持った棒をセピア目掛けて振る。
 しかし、セピアは、後ろに飛び退いて、攻撃をかわす。
 こちらの動きを見てから動いたというより、初めから、飛び退くつもりだったのだろう。
 すぐさま、セピアが、再び突いてくる。
 突きを、棒で受け止める方法が思いつかない。
 シエラは、再び、横に避ける。
 すると今度は、セピアが、一歩踏み出してきて、足蹴りを飛ばしてきた。
 腕で、受け止めるが、体制が崩れる。
 今、攻撃されると、まずい。
 シエラは、とにかく、後ろに動いた。
 セピアは、追撃してこなかった。始めと同じ構えで立っていた。
「追っていかなかったのは、このまま勝ったら、奇襲で勝った様になってしまうからだ。次は、遠慮せずに、押していくぞ」
 セピアが言った。

 なるほど。ああいう、戦術か。
 対人戦は、ボルドーとの稽古以外では、初めてだ。

 シエラは、少し楽しくなってきていた。




     

 型も何もなかった。


 数十合、シエラと打ち合って、セピアは思った。
 と思えば、突然、型のような動きが出てくる。
 ほとんど、無意識にやっているように思えた。

 セピアは、昨日の、一閃の剣技を警戒していた。
 一応、対策は考えている。昨日、見えなかったのは、油断していたからだ。集中している今なら、見えないということはないはず。見えさえすれば、剣線をずらすことができる。あの大振りを外させれば、勝ったも同然だろう。
 待っていたが、使ってくる気配はなかった。

 さらに、打ち合いは続いた。
 どうも、シエラは、突きを嫌がっているように、セピアには感じられた。
 途中から、セピアは、あまり突きを使わないようにした。
 使うなら、決め手だろう。

 その機会を、セピアは待っていた。










「ああ、それはルモグラフ将軍の娘さんですよ」
 穴の空いた、店の壁を、木の板で修復しながら、ドーブが言った。
「ルモグラフ? あの、北の将軍ルモグラフか」
「ええ。ボルドーさん、会ったことがあるんじゃないですか?」
「昔に、少しだけな。ルモグラフの娘が、何故、こんな所にいるんだ?」
「ここが、彼女の母親の故郷だからですよ」
 壁に、もたれながらボルドーは話をしていた。

 昨日の事で、セピアという娘のことが気になったので、ボルドーは朝からドーブの店を訪れた。
 あの心気は、只者ではないと思ったのだ。
 ただ、ドーブがいなかったので、店で待つことになった。正午ごろに、ようやく帰ってきた。
 壁を修理するための板を調達に行っていたらしい。

「彼女の母親、つまりルモグラフ将軍の嫁さんですね。その人が、重い病気を患ってしまったようで、故郷で静養することになったそうです。その時に、娘さんも着いて来たようです」
「それが、あのセピアという子か」
「ええ」
 ボルドーは、腕を組んだ。
「病気か。しかし、故郷とはいえ、こんな所では静養など満足にできないんじゃないのかな」

 ドーブの手が止まる。
「それが、静養じゃなかったようです」
「どういうことだ?」
「余生を過ごすために、ここに来たようです。もう、本人は、長くないのが分かっていたんだと思います」
「そういうことか」
「亡くなったのは、六年前だったと思います」
 六年?
「セピアという子は、ずっとここにいるのか?」
「そうなんですよね……。将軍の伝手があるのか、食い扶持には困ってないようなんですけど。私も、どうして将軍の所に戻らないのか不思議に思いましたよ。それで、噂を聞いたことがありましてね。将軍は、病弱な嫁さんを厄介払いしたんじゃないかって。娘さんも、それを聞いたことがあるんじゃないでしょうか」
「ふむ」
「母親が亡くなってからというもの、彼女は、急に武術の鍛錬を始め、兵舎によく来るようになったようです。すごい勢いで上達して、今では、彼女とまともに戦えるのも、数人しかいないぐらいになったそうで」
「なるほどな」
 ボルドーは、壁から背を離す。

「いろいろありがとう、ドーブ。明日には、もうこの町を離れる」
「一杯ぐらい、飲んでくれればいいのに」
「酒は、辞めたんだ」
 ボルドーは、笑った。
 それに、つられたのかドーブも微笑む。
「そうだ。報告しておきたいことが、二つあるんです」
「なんだ?」
「ここから北にあるイエローという町の近くで、獣の大群が発生したそうで、管轄地域の軍が出動したんですが、苦戦しているようです。それで、国境の遊軍が援軍としてイエローに向かっているそうです」

 国境の遊軍。
 あいつか。

「もう一つは、イエローには今、コバルトがいると思います」
「ほう、あいつ、こんな所にいたのか」










 すごい、の一言に尽きた。

 戦いが始まってすぐだろう頃に、ペイルは、広場に入った。
 戦っている二人は、こちらに気付いていないようだった。

 そして、今に至る。
 目まぐるしい勢いでの打ち合いが続いていた。
 一つ一つの動作を、考えながら動いているのか信じられないほどだ。
 両者とも、浅手は幾つも受けているだろうが、まったく動きが鈍らない。
 徐々に、シエラが押しているように見える。

 ペイルは、自分の握り拳に、汗が滲んでいることに気がついた。





 機が近づいている。
 セピアは、それだけを考えていた。

 戦えば戦うほどに、シエラは動きが良くなってくる。
 槍型の武器の弱点と気付いたのだろう。途中から、ぐいぐい前に押してくる接近戦にしようとしてくる。
 いつの間にか、セピアは、防戦一方だった。
 押されようと思って押されているわけではないが、展開は悪くなかった。
 シエラが、ここが機だと思ったのか、一気に攻撃を激化してくる。
 セピアの体勢が少し後ろに崩れる。
 すかさず、シエラから力の入れた一撃が放たれる。
 それを受けた、セピアの体勢がさらに後ろに崩れた。
 勝負時と思ったのだろう。シエラが、こちらに飛び込んでくる。

 ここだ。

 セピアは、身体を横に回転して、後ろへの勢いを殺す。
 片足を、後ろで踏ん張って、もう片方の足を前へと突き出し、シエラの胸を目掛けて、渾身の突きを繰り出した。
 向こうも、こちらへ突っ込んで来ているのだ。避けられるわけがない。

 勝った。

 思った直後、槍先の軌道がずれた。
 シエラの、剣を持っていない方の手が、セピアの、槍先を掴んでいた。

 まさか。
 考えがまとまる間もなく、シエラの攻撃が、飛んで来た。
 しかし、セピアに届く前に、シエラの棒が折れていた。

 一瞬の間。
 攻撃を受けていなかったが、セピアは後ろ向けに地面に倒れた。

 空。雲が見える。
 自分の呼吸音と、シエラの息遣いが聞こえる。

 負けた。

 突きを決め手に持ってくるのを、読まれていたのだろう。
 あまり突きを意識させないために、使わなくなったことで、逆に対策を考える機会を与えてしまったのか。
 始めから、突きを集中させていれば、シエラの考えがまとまる前に決着をつけていられたのかもしれない。
 それに、本物の槍なら、あんな方法をとれやしない。

 ……。
 セピアは、苦笑した。

 状況が変われば、戦術も変わる。当然のことだ。今、考えた状況になっていても、シエラなら、別の方法で打開していただろうと思える。
 どう考えても負けだ。自分が相手より、力が劣っていた。それだけのことだ。
 しかし、悔しさはなかった。むしろ、清々しいほどだ。
 力を出し切るというのは、これほど気持ちのいいものなのか。
 負けは、気持ち悪いだけのものではない。

 これで、父に会いに行ける。


 セピアは、母親のことを思い出していた。




     

 厳格な人だった。


 セピアの、父に対する印象は、そのひと言だった。

 物心がついたころには、すでに国境の守備の任についていて、同じ場所で暮らしていたのだが、ほとんど会うことがなかった。母がよく、立派な軍人だと言っていたので、セピアも、父を誇らしく思うようになった。
 時々、異腹の兄達と一緒に、父と会うことがあったが、ほとんど話もせず、武術の成長を見るということで、兄達と立ち合うということだけだった。兄達は、打ちのめされるだけだった。
 これが、父の会話のしかたなんだろうと、幼いながら思ったものだ。

 やがて、母が倒れる。

 元々、病弱な人だったのだが、その時は、初めて故郷に行きたいと言い出した。
 セピアも、それに着いて行くことになった。
 いつもの発作だろうと思っていた。静養のための帰郷だろうと思っていた。
 しかし、それから半年も経たない内に、母は死んでしまった。
 何が起きたか分からずに、数日、呆然としているしかなかった。

 そうしている時、父が母を厄介払いしたのではないかという噂を耳にする。
 怒りが全身を駆け巡った。
 だから、黙って母を送り出したのか。だから、死に目にも会いに来なかったのか。
 そう思っても、すぐに、父に問い質しには行けなかった。
 行っても、あの父なら、何も言わず、自分を打ち倒しただけで終わるだろうと思えたからだ。

 それだけは、耐えられない。

 何も言わないにしても、せめて、負けたくはなかった。
 そう考えた、その日から、セピアは鍛錬を始めた。
 ただ、どこまで強くなればいいのか分からなくなる日々だった。
 鬱憤を晴らすように、男達を打ちのめしていたような気がする。

 そして、いつの間にか、六年が経っていた。










 セピアは、ローズの町の大通りを歩いていた。
 このまま進めば、北に続く道に出る。
 セピアは、肩に担いでいる荷物を掛け直した。

 シエラとの戦いの直後から、セピアは身の回りの整頓を始めた。
 持っていた剣は兵舎の物だったので返しに行った。自分を指導してくれた隊長にも挨拶に行った。好き勝手やっていたので、当然嫌われているだろうと思うが、餞別にということで、武器を一つ持っていっていいと言われた。
 セピアは、調練用の槍を貰うことにした。
 それも、背に掛けている。

 初めての一人旅ということになる。セピアは、町の外に対しての知識は、全くと言っていいほどなかった。ただ、不安はない。どちらかと言えば、楽しみだった。
 シエラも、旅をしているという。自分も、旅をすれば、もっと強くなれるかもしれない。

 道は、早朝ということで、人が少なかった。
 その中、三人の人間が、道のほぼ中央に立っているのを、セピアは見止める。
 真ん中の老人が、こちらを見ながら、少し微笑んでいるように見える。

「我々は、これから北へ行こうと思っている」
 老人が言った。
「どうだろう。同行しないか?」

 両脇の二人が、不思議そうな顔をして、老人を見る。
 セピアも、意外だった。
「同行?」
「ああ。行き先が同じ旅人同士が、協力するということは珍しくないことだ」
「あの、何故、私が北へ向かうと?」
「この道の先は、北しかあるまい」

 そういうものなのか。
 セピアは考えた。

 いくら楽しみといっても、自分は、旅に関しては無知に等しいのだ。ありがたい誘いなのかもしれない。
 それに、老人の隣に立っている少女とは、もう少し、関わりたいと思った。
 セピアには、初めての感情だった。

「いいのですか?」
「ああ」

 セピアは、もう決めていた。










 次の町が分からなかった。
 それで、ボルドーが用があるということで、イエローの町に向かうことになった。

 四人で、ローズの町を出た。

「ちなみに、皆さんは、どういう目的で旅をしてるのですか?」
 セピアが言った。
「シエラの見聞を広める旅だ」
 ボルドーが言う。
「……それだけ?」
「大事なことだぞ」
 二人が話をしながら、四人が歩く。

 ローズから、数十歩進んだ。
 ふと、何気なくシエラは振り向いた。
 町の低い建物が遠くに見える。その両脇には、丘がある。
 シエラは、振り向いた格好のまま、動けなくなった。
 心の中が震えるような感覚に襲われる。
 映像が、急激に蘇った。

 見たことがある。

 歩いたことがある。

 二人で歩いたことがある。

「どうしたのだ?シエラ」
 セピアが、不思議そうな顔をして、シエラの顔を覗き込んでくる。
 シエラは、自分が涙を流していることに気がついた。
 それを止めようとは思わなかった。
「何か、思い出したのか?」
 ボルドーが言った。
「おじいさん。私、ここを通ったことがあります」
 涙が流れ続けている。
「通りました」
「そうか。では、この道が合っていたということか」
 シエラは、頷いた。

「良かったな」
 ボルドーが微笑んで言った。

 シエラは、ただただ頷いた。




       

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