Neetel Inside 文芸新都
表紙

少女は英雄を知る
ラベンダー編

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 懐かしい道だった。


 舗装され、馬車の轍がついた土の道が遠くまで続いている。
 両側には、遠くに、名前も知らない山々が連なっている。
 日の高さからいって、今は正午すぎか。
 グレイは、その道をのんびりと歩いていた。

 グレイは、この道の先にあるラベンダー村の、ボルドーを訪ねようと思っていた。

 一週間前に、連絡をくれ、というボルドーからの伝言を、共通の知り合いから聞き、ちょうど近くの町にいたので、どうせなら直接会っていこうと考えたのだ。
 しかし、いろんな場所をうろうろしている自分に、手紙を届けるのは難しいとしても、人伝いの伝言とは……。
 もしかしたら、何年も前に出した伝言がようやく自分に届いた、という可能性もある。そうなれば、もう用事は終わっているかもしれない。まぁ、伝言で出すぐらいだ。大した用事でもないのだろう。
 それでも、久しぶりに会うのに調度良かった。たしか、四年ぶりだ。

 道の脇に、ちらほら家や畑など、人の営みが見え始める。もう、ラベンダー村に入ったのだろう。話によると、ボルドーの家は、少し高台にある古い家らしい。グレイは一直線に、その家に向かうことにした。
 村外の人間で、しかも女ということで珍しいのだろう。見かける村民がちらちらと、こちらを見てくる。
 うーん、田舎だなあ。

 話どおりの場所に家があった。煉瓦造りの家で、外壁に苔が結構ついている。
 グレイが戸を叩こうと思うと、家の裏から、木を叩くような音が聞こえる。
 おそらく薪を割る音だろう。ボルドーは裏にいるのか。
 グレイは家の裏に回った。やはり薪の割る音だった。
 しかし、薪を割っているのはボルドーではなかった。
 薄金色の髪が背中まで届いていて、それを後ろで縛っている。
 後ろ姿しか見えないが、たぶん若い、女の子だ。
 ボルドーに、血縁がいないのは聞いたことがあるので、別の人の手に家が移ったのか。
 そんなことを考えていると、女の子が、ゆっくりと振り返った。
 その動きだけでグレイは、その女の子が、ある程度の武術の心得があることが分かった。
 歳は、十代そこそこ辺りか。
 しかし容姿は、かわいいというより美人、といった方がいいかもしれない。
 表情は、どこか哀しさが滲み出ているように、グレイには見えた。
 薄い、透き通るような碧い瞳をしている。
 その瞳がグレイに向いた。

「あっ、ええと……、この家ってボルドーって人が住んでなかった?」
「住んでいます」
 子供の愛嬌も何もない。冷めた話し方だ。
「えと、じゃあ君は?」
「私は、ボルドーおじいさんの孫です」

 え?
 あれっ?
 孫ですと!!??

「おう、グレイ。来ていたのか」
 後ろから、聞き覚えのある声が聞こえてくる。
 振り返ると、家の窓からボルドーのじじいが顔を出していた。
「あー……、えーと、聞きたいことがいろいろありすぎるんだけど……」
 白い髭を蓄えたボルドーの片方の口角が少し上がった。





「シエラ。ちょっと外してくれないか」
「……じゃあ、私は畑に行ってきます」
「ああ、任せたよ」
 家の中に案内されたら、早々に、シエラという子は出て行った。
「まぁ、座ってくれ。グレイ」
 ボルドーに勧められて、グレイは椅子に腰掛ける。
 家の中を簡単に見回すと、食器など、二人分の生活が見えるものが所々にあった。
「知らなかったよ。ボルドーさんに、お孫さんがいたなんて」
「グレイ。今、何をやっているんだ?」
「ん? 今? ああ、相変わらず」
「そうか……」
 そう言って黙るボルドー。

「ちなみに、何のようだったの? 私が連絡を受け取ったのは一週間前だったんだけど、いつごろ出した連絡だったの?」
「ああ、一ヶ月ぐらい前だな」
「ふーん、じゃあ結構早く届いたんだね。で、何のよう?」
「……」
「?」
 難しい顔をして再び黙るボルドー。

 何か様子がおかしい……。

「グレイ。これから言う話を、覚悟を持って聞いてほしい」
 ボルドーは、姿勢を正して真っ直ぐにグレイを見つめた。
 思わずグレイも姿勢が伸びた。昔から、ボルドーの真剣な話をするときの動作だ。
 軽い気持ちで来たのに。まいったな……。

「まず、ワシは三年間、誰と連絡を取ればいいのか、なかなか判断がつかなかった。一応全ての人間を疑ったほうがいいと思ったからだ。しかし、三年間何もなかったので、軍や政府とは関係がなく、本人の性格もある程度知っている者と連絡を取ることにしたのだ」
「は……?」
「カラトと最後に会ったのはいつだ? グレイ」
「カラト? あー、えっと、四年前かな。オレンジの町で。……そこで別れたっきり。カラトがどうかしたの?」
「三年前。雨の日に、ずぶ濡れになった女の子が一人、突然この家を訪ねてきた。さっきの女の子、シエラだ。シエラは、カラトを助けてほしいと、ワシに言ってきた」
 そこで、少しボルドーは間を置く。

「……彼女の話を聞く限り、カラトは死んだ可能性が高い」

 ……?
 グレイは一瞬思考が真っ白になる。
 その後、グレイはおもわず笑ってしまった。
「え? いやいや、なんの冗談? ボルドーさん。あのカラトが、どうやったら死ぬっていうの? そんな話聞いたこともないし」
「当然、ワシもそう思った。だがシエラが、カラトが大事にしていた首飾りを持っていたということで本当じゃないかと思うようになった」
「持っていたの……? あの首飾りを? 本物?」
「おそらく」
 いつのまにか自分が、身を乗り出しているのにグレイは気がついた。
「始めから順番に話していこう……」
 改めてボルドーが姿勢を正した。




     

 窓の外の光が減った。


 いつの間にか、日が傾きかけていた。
 山間の村なので、日が落ちるのが早いということか。
 グレイは、机をはさんでボルドーと向かい合って座っていた。

「三年前、雨の日。夜も更けてきた頃、この家の玄関の戸が叩かれた。出てみると、この村の男と、ずぶ濡れの女の子がいた。女の子は無論、シエラだ。男は、シエラを私の家に案内してきたそうだ。シエラは始め、医者はどこかと聞いたらしい。この村で医術の心得があるのはワシだけだ。それで男は連れて来たのだろう。シエラはとにかく、カラトを助けてくれ、の一点張りで、すぐに力尽きて倒れてしまった。なんとなく場所も言っていたので、シエラは村の者に任せてワシはそこに向かった。ワシもこの時は、カラトという者が、あのカラトだとは思わず、どこかの旅人が森で怪我でもしたのだろうと思っていた。シエラが言っていた場所に着くと、血を引きずったような跡があった。それを辿っていくと一本の木の下に、かなりの血溜まりがあった。しかし、誰もいなかった。それを見てワシは焦った。もし、これが一人の人間の血なら命に関わるからだ。さらに、その血溜まりから別の方向に血の引きずった跡が伸びていたので、それを辿っていったが、それは途中で消えてしまっていた。とにかく、人を探さんといかんから、ワシはその辺りを探した。そうしたら、森の中に木がない開けた場所があった……」
 そこで、ボルドーは一つ息をついた。

「……そこは、辺り一面滅茶苦茶だった。周りの木々はグシャグシャになり、所々、地面が抉られていた。そして、あるのは、おびただしいほど大量の潰れた武器や血の染みた衣服の残骸だけだった」

 グレイは、その光景を想像して、息を呑んだ。
「えっと、死体とかがなかったっていうこと?」
「ああ。細かく調べたわけではないが、一見して、人の形をするものは何もなかった」
「何それ……」
「おそらく、そこで戦闘が行われていたのだろう。あの残骸が、すべてカラトの敵のものだとすると……、すさまじい戦闘が行われていたに違いない」
「敵って……、カラトは誰と戦っていたの?」
「分からない。シエラも分からないそうだ」
「分からないって……」
「彼女は、カラトと出会う前は、ドライという町で、サーモンという老女と一緒に住んでいたそうだ。物心ついた頃には、すでに両親はおらず、ずっと二人で暮らしていたらしい。話を聞く限り、楽な生活ではなかったようだ。ある時、そのサーモンという人が、風邪をこじらせて亡くなってしまったらしい。そして、その数日後に突然、見ず知らずの男たちに襲われたということだ。その時、助かったのは偶然だったと本人は言っていた。あと、襲われる心当たりがまったくないとも。何がなんだか分からず、数日逃げ回ることになって、その時にカラトに会ったそうだ」
「行き当たりばったりで助けたってことか」
「それは分からない。しかし、シエラからしてみると、怪しいこと、この上ない。だが、カラトが必死に自分の無害をシエラに説明する様などを見て、感覚的に、この人は悪い人ではないのだろうと思ったそうだ。その後は、カラトに連れられて、旅をしたらしいが、何かに追われている空気はずっとあったそうだ。ただ、そのことをカラトに聞いても、何も教えてくれなかったらしいが……」
「何かの、いざこざに首を突っ込んだってこと?」
「そうだ。ただ、考えてくれ。あのカラトが、逃げるという選択をとったこと。そして、少なくとも行動不能になるほどの傷を負わされたという話だ。いくら相手が大人数であろうと、そんなことができる者、あるいは集団は限られているとは思わんか?」
「うん……」
「そして、ワシの推測だ。ワシは、おそらく軍か政府の関連があったと思う。どういう理由があったかは分からんが。そして、さっきした死体がなかったという話。死体は回収したのだろうと思った。これは情報隠蔽のためにやることだ。そんなことを行う集団といえば……」

「暗部……?」
 ボルドーが、ゆっくり頷く。

「ワシは、そう考え、カラトと別れた所に行きたがっていたシエラを説得して、ここから、西に行った所にある山小屋でシエラを匿うことにした。軍か政府が関係していて、カラトのことも、ばれているのなら、当然ワシの所にも手が伸びてくるだろうと思ったからだ。しかし、三年何もなかった。それで、誰かと連絡を取ろうと思ったのだ」
「……」
「連絡が遅くなってすまなかった。実は、まず真っ先にカラトの昔の仲間を疑ったのだ」
「えっ?」
「個人で、カラトとまともに戦えるのは、お前達しか思い浮かばない」
「……フッ、私じゃあ十秒と持たないわね」
「三年前、カラトが何をしていたか分からないか?」
「全然……」
「三年前、どこかの軍が動いた話などは?」
「ごめん、まったく……」
「そうか……」

 沈黙。

「だけど、今の話を聞く限り、カラトは死んでない可能性もあるよね?」
「ああ。さっきは覚悟を持ってもらおうと思って最初に話したが、死体を確認したわけではない」
「私は、カラトがそう簡単に死ぬとは思えない」
「ワシもだよ」
 言って腕を組むボルドー。
「三年間、何もなかった。それに、武器や衣服はそのままで、死体だけ回収するというのも、妙な話だ。軍か政府が関係していると思ったのは、ワシの思い過ごしかもしれないな……」
「シエラって子の話だけだもの。本当かどうかも分からないんじゃない?」
「三年、ほぼ一緒に過ごした。あの子は、誠実な子だと思う。それに、カラトが、あの首飾りを託したのだ。それは、カラトの、あの子に対する意志を感じるのだ」
「私も、それ見たいんだけど」
「ああ、確認してほしい。だが、シエラが肌身離さず持っているから見せてくれるかどうか」





 二人で家の前に立った。
 日は山に隠れていて、赤い光だけが空を照らしている。
「そういえば、山からは出したんだね」
「ああ。一年ほど前からな。さすがに、あそこに居続けるのは不憫だからな」
「で、孫?」
「うぬ。できるだけ怪しまれないようにしようと思ったのだが……逆におかしかったかな」
「いやぁ、いいと思うよ。全然似てないけど。でも、弟子は取らないって言ってなかったっけ?」
「ん?」
「あの子、鍛えてんでしょ」
「ああ……分かったか?」
「なんとなく」
「強くなりたがっていたからな……何かの縁と思って。そして、才能もある」
「へぇ。あの鉄血のボルドーのお眼鏡に適ったのか」
「もしかしたら、お前より強くなるかもしれないぞ」
「ほー」

 話していると、シエラがこちらに向かって歩いてきた。
「やあ。シエラ」
「こんにちは」
 やはり、淡々とした話し方だ。
「あの、カラトの首飾り見せてもらっていい?」
 グレイが言うと、シエラは首に掛けてある首飾りを持って、差し出してきた。
 そのまま、グレイはそれを見る。
 手の平に収まる大きさで、丸く、平べったい。くすんだ銅色の金属。細かい紋様が彫られている。
 本物だ。
 こんなもの、他にあるはずが無い。
 これが、いったい何で、何故大事にしているか、カラトに教えてもらうことはできなかったが……。
 間違いない。
 グレイは、ボルドーを見る。
 ボルドーは一度頷いた。
「グレイ。今日は泊まっていけ」




     

 夢を見た。


 こんな時なのに、というべきか。こんな時だからこそ、というべきか。
 カラトが出てきた。

 四年前。
 去っていく、彼の背は、あまりにも物悲しかった。
 連れて行って、と言おうかどうか迷った。

 しかし、言えなかった。
 もし、あの時言えていればと、よく考える四年だった。

 今だから言おう。

 私も一緒に行くよ。

 できるだけ明るく言おう。


 それが私だから……。





 空が明るくなってきて、朝の空気が立ち込めてきた。
 ボルドーの家の裏の林の中。
 そこで、ボルドーとシエラが木の棒を持って向かい合っていた。
 それを、グレイは横で見ていた。
「いいか、シエラ。前にも言ったが、現代戦闘においては『心気』を使いこなせねば話にならん。今、世に名高い達人たちは皆『心気』の使い手ばかりだ」
「はい」
「使いこなせれば、男が相手でも、性別の劣位がなくなる」
「はい」
「ふむ、今更言うことでもなかったか……。来なさい」
 そう言ってボルドーは、ゆったりと構える。
 シエラのほうから踏み出し打っていく。
 なるほど、確かに実に滑らかな『心気』の発動だ。
 才能があるというのも頷ける。
 シエラがいろんな方向から打っていくが、悉くボルドーは受け止める。
 それが、三十分ほど続いた。





 朝食を取った後、グレイは、ボルドーに誘われて家の前に立った。
「実はな、シエラと二人で話したのだが、旅に出ようと思っている」
「旅?」
「シエラの記憶を頼りに、昔、カラトとシエラが歩んだ道を逆向きに辿る旅だ。カラトの消息を探すことと、シエラ自身の過去を探すこと。それには、そういった道が一番いいだろうと思ったのだ」
「つまり、ドライっていう所を目指すってことか」
「ああ。知らないか? ドライ」
「知らない。というか、ボルドーさんが知らないんなら、かなり遠いってことじゃないの。シエラはなんて?」
「カラトに会うまで、町から出たこともないそうだし、たいした学も受けたこともないそうだ。どこをどう移動しているかなど、さっぱり分からなかったらしい。だから、見たことのある風景や、聞いたことのある言葉や名前を辿っていこうと思っている」
「ふーん」
「ただ、はっきり言って、まだ何者かに追われているのなら危険なこと、この上ない。だが、行く価値はあると思う。シエラも、いつまでもここにいるべきではないだろう」
「そうなのかな」
「それでグレイ、頼みがあるのだが……。カラトの話を、昔の連中に伝えてくれないか? そして、カラトの消息や、三年前の軍か政府の動きの情報を集めてほしいのだが」
「分かった。引き受けるよ」
「ああ。あとコバルトとグラシアにも言伝を送ったのだった。あの二人と入れ違いになるかもしれないから、対応しておいてくれ」
「おいおい、なんだか扱いが荒くない?」
「気のせいだよ」
 二人で軽く笑う。

「思いがけず、隠遁生活が終わったね」
「ああ。だが、最後にやりがいのある事に出会えたことは老骨にとってはありがたいのかもしれない」
「いつ、出るの?」
「今日。もうずっと準備はしてきていたのだ」
「最初はどこに?」
「シエラが、カラトと別れた所に行きたがっていたので、そこに寄ってから、グリーンの町に行こうと思っている。」
「グリーンか。じゃあ、そこまでついて行こうかな」





 日が中天に指しかかろうとしていた。
 雲も少ない、いい天気だ。
 ラベンダー村を流れる川に沿って三人は、上流に向かって歩いていた。
 街道ではない、大小の石がごろごろある道だ。

 あっさりとした出発だった。
 村の、事実上統括役だったボルドーも、もう何日も村の人達と話をしていたようで、軽く出かけるが如く家を出てきていた。
 シエラは家を出ると、振り返り、家に向かって一礼していた。
 それを見て、グレイは、無感情なのかもというシエラの印象を少し変えた。

 二人とも、小さい荷を持っているだけだ。
「シエラ。カラトは、武術や学なんかは教えてくれなかったの?」
「学は少し学びました。武術は何も教わっていません」
「へー」
「グレイさん。カラトってどういう人だったのですか?」
「うぇっ!?」
 初めて、向こうから話しかけられて驚くグレイ。
 我ながら、なんとも素っ頓狂な声だ。
「どういう人って、シエラも良く知ってるんじゃないの?」
「昔、何をしていたのかということを知りたくて」
「あぁ……、ん?」
 グレイはボルドーを見る。
「教えてないの?」
「……ああ、まあ何というか……口で教えるのは簡単だ。しかし、それでは間違った解釈で伝わってしまう可能性があると思う。カラトのことに関しては、必要な時に慎重に、ゆっくり話していけばいいだろうと思ってな」
「うーん……まあ、分かる気もするかな。ってなわけで、ごめんね。ボルドーさんが言えないことを、私が言うわけにはいかないんだ」
「いえ、わかりました」
「あっ、私には敬語使わなくていいよ。なんだか、気持ち悪くって……。呼び方もグレイでいいよ」
「いえ、そういうわけには……」
「ああ、このじいさんに厳しく言われてるんだね。そんなの気にしなくていいよ。じいさんに何か言われたら、私に言いな。私が、じいさんをぶっ飛ばしてやるから」
「ほう、おまえにワシを倒せるかな?」
「おいおい。ご老体が、無理をしちゃぁいけないよ。現役を退いて何年だよ?」
「元々の経験の差を考えれば、調度いいと思うが?」
「おじいさんが、ぶっ飛ばされると、困ります」

 笑顔で睨み合っていた二人が、思わずシエラを見る。
 そして、二人とも声を上げて笑った。
 シエラが、キョトンとした顔をする。
「ははは……。よし、分かった。シエラ、こいつには敬語を使わなくていい。そもそも、敬語とは敬う人間に使うものだ。こいつには、敬う必要もない」
「あんだとーっ」
 このじいさんも昔に比べて随分丸くなったものだ。突然現れた孫が作用したのだろう。

 いいことだ、とグレイは思った。




     

 待ちに待った日のはずだった。


 三年前ごろは、とにかく、すぐにでも飛び出してカラトを探しに行きたかった。
 そのたびに、ボルドーが、止めるのである。
 シエラの力では、抗いようもなかった。

 なんなんだ。おまえは。

 ボルドーに殺意を覚えたこともあった。
 しかし、粘り強く説得と説明をされて、少しずつ、理解できるようになっていった。
 今、自分が出て行っても、大して意味がないこと。そして、カラトの思いを無駄にするかもしれないということ。
 唇を噛むシエラを、ボルドーは励ましてくれた。

 やがて、学を教えてもらえるようになった。
 山にある小屋で、である。
 それで、ある程度の知識は手に入れた。
 ただ、それよりもシエラは武術を学びたかった。

 ずっと、頼み込んでいると、一年後から教えてくれるようになった。
 何ヶ月かして、上達が自分でも分かってきて、シエラは楽しくなってきた。
 しかし、そのたびにカラトのことを思い出して、自分だけが、こんな気持ちになっていいのかという思いになり、暗い気持ちになっていた。
 それを察するたび、ボルドーは、なんとか気分転換させようと、いろいろしてくれた。
 ただ、そういうことを、やったことがないのだろう。よく、あたふたしていた。

 単純に、そういう心遣いがうれしかった。

 シエラは、ボルドーに対して、感謝の気持ちとともに尊敬の思いを持ち始めていた。
 本当に祖父がいたら、きっと、こういうのだろうな、とも思った。
 村に戻る時、初めてボルドーを、おじいさんと言った時も、特に違和感がなかった。

 二年が経つと、あと一年待ったら、カラトの昔の仲間と連絡をとる、とボルドーは言った。
 さらに、半年が経つと、誰かが来たらそのまま出発するから準備をしていよう、と言った。

 シエラは当然、一人で行くつもりだったので、驚いた。
 一人で行くと言ったら、自分も行きたいのだ、とボルドーは言った。
 これ以上迷惑を掛けたくない、と言ったら、迷惑だと思ったことがない、と言われた。
 涙が出そうになった。それに、正直、来てくれるのはありがたいし、うれしかった。

 そして、グレイが来た。

 待ちに待った日のはずだった。
 なのに、想像以上に落ち着いている自分にシエラは驚いた。
 決してカラトを忘れたわけではない。だけども、三年という時間は、心境を変化させるのに十分だった。

 悪い意味ではない。
 じっくりいこうと決めたのだ。
 今から慌てても仕方がない。
 じっくりいこう。

 三年ぶりの、川沿いの道を歩きながらシエラは思った。





 川のせせらぎを聞きながら、三時間ほど歩いた。

 あの場所が近づいてきて、シエラは鼓動が高鳴るのが分かった。
 今までの道は、三年前、雨の中を無我夢中で走っていたので、ほとんど覚えていなかったが、ここは忘れるわけがない。

「もうすぐだな」
 と、ボルドーが言い終わる前にシエラは走り出していた。
 すぐに自分が隠れていた大木が見えてくる。
 三年前より、草が生い茂っているように見える。
 一直線に、カラトが居た場所に走った。
 草を掻き分け大木の裏に入った。

 そこには、あの時と同じ一本の木があった。
 ただ、カラトの姿がないだけだった。

 シエラは、そこで立ち尽くしていた。

「そこか。カラトがいたのは」
 シエラに追いついたボルドーが言った。
「やはり、ワシが最初に血溜まりを見つけた所だったか……」
「たしかそれって、別の方向にも血の跡が続いてたって言ってたよね」
 グレイが言った。
「ああ。こっちだ」
 ボルドーとグレイが、木のさらに奥へ進んでいく。シエラも、それに続いた。

「ここまで続いていた」と言ってボルドーは地面に指をさした。
 木から二十歩といった距離か。
「どういうことだろう? シエラと別れた後、カラトが動いたってこと?」
「もしくは、誰かに引きずられたという可能性もある」
「それって……」
「あくまで、可能性の一つだ」

 少し、間があった。

「戦いがあったと思われる場所も案内しよう」





 森の中に、大きく開けた場所があった。
 ここには来たことがない、とシエラは思った。

「前に来た時は、こんなに草が生えてなかった」
 辺りを見渡しながら、ボルドーが言った。
「ねぇ、ボルドーさん。カラトって、どこに向かって旅をしてたのかな……。初めからボルドーさんの家に向かっていたのか。たまたま、近くにボルドーさんの家があったから頼っただけなのか」
 グレイが、遠くを見る目で言った。
「そうか。それも分からんな」
「何か困ってるんなら、ひと言でも私たちに相談してくれればいいのに……。仲間なのに。そんなに、頼りなかったのかな……」
「ふむ……。まあ、カラトにはカラトの事情があったのだろうが……。まぁ、あいつのことだ。お前らに迷惑を掛けたくないとでも思ったのだろうが」
「……ごめん、何を今更だよね。確かに、昔っからカラトって一人で抱え込む男だったし」
「……さて、もう行こうか。今日中にグリーンの町に入りたい」

 シエラはボルドーと目が合った。
「いいか?」
「はい」

 ずっと来たかった所のはずだけど、何もないことを確認できれば、想像以上にあっさりとしたものだった。


 シエラは、その気持ちに驚き、首に掛けてあった、カラトの首飾りを強く握った。




       

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Neetsha