Neetel Inside 文芸新都
表紙

少女は英雄を知る
ドライ編

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 町を見回した。


 廃墟と呼ぶに相応しい有様だった。
 元々の形を、そのまま残している建物は、一つもない。植物に埋まっている建物や、崩れて瓦礫になっている所もある。人の姿は、もちろんなかった。
 ここが、目指していたドライの町である。
 シエラの心中は穏やかではないだろう、とボルドーは考えていた。
 町に入ると、シエラはまず、立ち止まり動かなくなった。少ししてから、辺りを見回すようになった。
「間違いないな?」
 ボルドーが言うと、シエラは一つ頷いた。
 この町が、どういう経緯で、こうなったかは分からない。シエラの件と絡んでいる可能性はあるのか。考えても分からなかった。
 ただ、気になっていることはある。
「シエラ、お前はどこに住んでいた? 案内をしてほしいのだが」
 ボルドーが言うと、シエラは少し考えて、ゆっくりと歩き出した。
 表情は、ずっと暗い。
 ボルドーとペイルは、それに着いて歩いた。
「ここに住んでいた人たちは、どうしたんでしょうか?」
 ペイルが、辺りを見回しながら言った。
「さあな」

 やがて、古ぼけた小屋のような建物の前にたどり着いた。壁は土で固められていて、屋根も簡易だ。よく、形が残っていたものだ。他の建物と同様、人が住んでいた形跡などは、まったくない。
「ここか?」
 先ほどと同じように、シエラは頷いた。そして小屋を、じっと見つめている。
 周りの建物と比べても、極端に小さかった。町の中でも、少し性質が違う気がする。
「シエラ、聞いていいか?」
 言うと、シエラがゆっくりとこちらを見た。
「気になっていたのだが、聞きそびれていたことだ。サーモンという人は、お前の血縁者ではないのだったな?」
「はい」
「それは、何故分かるのだ?」
「サーモンが、そう言っていたからです」
「お前は、その人のことをサーモンと呼んでいたのか? 厳しい人だったのだろう? 改めされそうだが」
「サーモンが、そう呼べと言っていたので」
「何故?」
「……分かりません」
「両親が、すでに亡くなっているということも、サーモン氏が言ったのだな?」
「はい」
「では、サーモン氏はお前とどういう関係になるのだ? 何故、シエラを養っていた?」
「詳しくは……分かりません」
「サーモン氏は、昔からドライに住んでいたのか?」
「分かりません。ただ……今考えると、町の人たちは、私達にどこか余所余所しかったこともあった気が……します」
「あと、一つ。辛いかもしれんが、思い出してほしい。サーモン氏は自分に、もしものことがあった時に、何かしろとは言わなかったのか?」
 少し返答に時間が掛かる。
「……分かりません」
「何かサーモン氏が大事にしていた物などはなかったか? 家の中で、絶対に触れてはならないと言われていた物などは?」
 シエラは、首を振った。
「そうか、ありがとう」
 ボルドーは、小屋を見た。
「シエラ、この家を少し捜索したい。荒らしてしまうことになるが、構わんか?」
 シエラが、こちらを見る。
「……構わないことはないよな。だが、必要なことなのだ、頼む」

 実はボルドーには、誰にも言っていない、推測が一つあった。
 それは、三年前シエラに話を聞いた直後に考えたことだった。
 突拍子のない考えだったが、まずシエラの髪の色。これを見て、十数年前に、都で囁かれてはすぐに消えた、ある噂話を思い出した。金色の髪は、特別珍しいものではない。しかし、ある考えに結びついた。
 そして、それが正しければ、カラトの不可思議な行動にも、辻褄が合うのである。
 ボルドーは、それを確かめるために、ここを目指していたのだった。





 何を思ったか、ボルドーは、シエラの家の中に入ると、残った天井や床、壁を剥がし始めた。
 物を探すと言ったが、何を探そうと思えば、ここまでする必要があるのかとペイルは思った。
「あの、ボルドーさん。いったい何を探しているんですか?」
「何かないかを探している」
 いつもの、煙に巻いたような言い方だった。
「手伝いたいのですが」
「では、何か見つけたら、教えてくれ」
 そう言った。
 まともに使えそうな家具などは、一つも残っていなかった。思い出の物などなにもないだろう。シエラの心中を察っすると、心が痛んだ。
 ペイルには、すでに両親はいない。軍を退役した後、久しぶりに郷里に戻ったことがあった。家は他人の手に渡り、記憶に残る物は何もなかった。あの喪失感を思い出す。

「シエラ、サーモン氏の墓は近くにあるのか?」
 一通り調べ終えた、ボルドーが言った。
「町の共同墓地に入れてもらいました。残っていれば、町の少し外れにあると思います」
「何か、物を一緒に埋葬したのか?」
「特に、何も……」
「そうか……」
 すると今度は、どこからか持ってきた材木で、剥がした床の下の土を掘り始める。
「何をしているんですか?」
「家の近くの、地面を掘ってくれ」
 そう言われた。
 仕方なく、落ちていた石で、適当に場所を決めて掘り始めた。
 宝物でも埋まっているというのか。

 結局、数時間作業を続けた。四つ目の穴を掘っていると、石に何か固い物が当たった。
 地面に埋まった岩だと思ったが、すぐに違うと分かる。
 周りの土を掘って、取り出した。
 黒い色だが、木の箱に見える。表面は滑らかで、高い技術を使って加工されていることが、ペイルにも分かった。
 二本の紐を使って、縛られている。
「ボルドーさん」
 呼ぶと、すぐにやってきた。
 箱を受け取ると、いろんな角度から観察していた。やがて、箱を地面に置くと、紐を解きはじめた。
 ペイルは黙って、見守っていた。
 箱を開く。中には、数枚の紙と、また一つ小さい箱が入っていた。一目で高価な物だと分かるような細工が施されている。
 ボルドーは、紙を一枚取り出して広げた。こちらも、質のいい紙だと分かった。
 ペイルは、ボルドーの背後に回り、肩越しに紙を見た。
 大量に文字が並んでいる。何が書かれているのか分からなかった。
 ペイルは、簡単な文字なら読めるが、どうやらこれは、人の名前のようだ。名前は、何かと難しい文字を使うので分からない。
「なんですか? これは」
「系図だ」
「系図?」
 ボルドーは、他の紙を簡単に見た後、今度は小箱を取り出した。
 ゆっくりと開けると、中には、形の整った石のような物が入っていた。
 するとボルドーは、深く息を吐くと、中身に触れず小箱を閉じた。
「何だったんですか?」
 何も言わず、側で立っていたシエラを見た。
「この箱を、見たことはあったか?」
 シエラは、首を振った。
 ボルドーは、もう一度深く息を吐いた。

 そして、口を開いた。


「シエラ、お前は王族だ」















 ドライには、朽ちかけた家屋ばかりだったが、しっかりと形を残している大きい目の建物があった。中に入ってすぐに、天井が高い、広い部屋があり、長椅子が多く並べられている。おそらく、集会場か何かだったのだろう。天井に開いた穴からは、日の光が射し込んでいる。
 ボルドーは、その奥にある段差に一人で座っていた。

 シエラが王族だということは、やはり推測通りだった。
 確信に至ったのは、あの小箱の中身だ。見たことがある石だった。おそらく、王家の印形の一つだろう。

 スクレイの正式な前王、バーント王には三人の息子がいたが、いずれも若くして病にかかり命を落とした。
 それによって、正式な跡継ぎがいなくなり、現在の中央の混乱に繋がることになる。権力闘争をしている二人の王子は、どちらも支流だ。
 しかし、実はもう一人、子息がいるという噂が、一部で流れたことがあった。
 それが、シエラの可能性が高い。
 バーント王を含め、王家の血が流れる者の大半は、金の髪色をしているのだ。

 しかし、表舞台に出てくることがなく、スクレイから離れたのは何故なのだろうか。
 考えられることは、いくつかあるが、やはり注目するべきは、王家の系図だ。あれは、おそらく王家の倉に入る数枚の系図の一つだろう。シエラの名前が直接的に入っていたわけではないが、入るとしたら、ここだろうという所は、空白になっていた。明らかに不自然な空白だった。
 つまり、入る予定があったが、急遽断念することになったのか。

 バーント王となら、何度か会ったことがある。性格はある程度知っているつもりだ。何があったかは分からないが、人の道に外れた行動はしない人のはずである。
 とは言え、国家権力中枢の中では、人の道など何の力もないのかもしれないが……。

 サーモンという人は後宮仕えの侍女だったのだろうと想像できる。
 王家の品を持ち出したのは、いつか、もしものことがあった場合、身分を証明できるようにと渡されたのか。もしくは、サーモンが勝手に持ち出したのか。
 おそらく、前者だろうと考える。
 そして、サーモンは誰にも見つからないようにと、それを地中に隠したのだろう。いつか、取り出そうと考えて。
 結局、シエラに伝えることができなかったわけだが。

 やがて、スクレイでは中央で二人の王子の権力闘争が始まる。王庫を調べた二人は驚いたのだろう。
 本流の人間が生きている可能性があると知ったからだ。隣国では、男子にしか王位の継承権はないというが、スクレイでは、女子にも継承権がある。
 そこで二人は、一時争いを止めて、その人間を秘密裏に消そうと画策した。そして、ドライを突き止めて、シエラを襲ったのだ。
 しかし、その企みはカラトによって阻まれることとなる。
 そういう経緯だったのだろう。
 これで、ローズの町で、ドーブが言っていたこととも辻褄が合う。

 しかし、分からないことが、まだいくつもある。
 特に分からないことが、シエラの抹殺を確認できていないはずなのに、何故、二人の王子は手を引いたのか。引いていなかったにしても、どう考えても、本腰を入れなくなったと思われる。
 もしかすると……相手が、カラトであると始めは知らなかったのではないか。後に知り、協定のことを思いだして、慌てて手を引いたのではないか……。
 それならば、ある程度の筋は通るか……。しかし、やはり釈然とはしないか。
 そして、カラトの動機だが……。
 諦めていなかったということか……。
 少し、哀れみに似た感情が湧いてくる。ただ、自分が誰かを哀れむなど、滑稽なことこの上ないのだが。
 そして、王族の話をした後、シエラに、そのボルドーの考えるカラトの動機を話した。王族の話をした時も、顔色が変わっていたが、その時も明らかに表情が変わっていた。
 話さなかった方が良かったのかもしれない……。

 ふと、入り口から入ってくる光が減ったことに気がついた。目を向けると、何かが光を遮っていた。
 誰かが立っている。
 ペイルかと思ったが、すぐに違うと分かった。ペイルよりも、体が大きい。それより、特徴的な頭で分かる。逆光で頭頂の丸みが分かった。
 頭が禿げているようだ。
 それで、すぐにウエットでの話を思い出した。
 声をかけよう思い、立ち上がろうとすると、次の瞬間、その陰が大きくなった。
 すぐ目の前に来ていた。
 違う光が見えた。刃物だ。
 ボルドーは、咄嗟に上体を落として、一撃目を避けた。
 相手は刃物を持っていない手で、ボルドーの首もとを掴んでくる。
 押し込まれた。
 男の腕を掴んだ。心気を出して、踏ん張ったが力負けする。
 男を見た。ボルドーは目を疑った。
 男の心気が、異常な溢れ出しかたをしていた。
 背中に衝撃がきた。




     

 信じられなかった。


 話が自分とかけ離れすぎていたためか、ペイルには、いまいち現実味のない話だと思った。
 王族。シエラが王様の娘。

 シエラは、ボルドーの話を聞いてから、石に腰掛けずっと俯いていた。
 ボルドーは、黙ってどこかへ行っていた。
 シエラが心配で、ずっと着いていたが、自分にできそうなことは何もない。ただ、そばで立っている状態だった。

 その時、遠くで轟音が響いた。
 何だと思い、目を向ける。建物に隠れて全貌は見えないが、遠くで白煙が上がっているのが見えた。
 崩れかけていた、建物が崩れたのか。
 すると、再び轟音。少し近くなっている気がする。
 再び白煙が巻き上がった。
「何だ?」
 思わず口にした。
 また、音がした。今度は、ペイルのすぐ近くの建物で、壁を突き破って、何かが飛び出してきた。
 二人の人間だった。
「ボルドーさん!」
 再び、思わず口にする。
 ボルドーが、見知らぬ、頭が禿げた男の両手首を掴んでいる。男は手に剣を持っていた。
 力の押し合いをしているように見える。それも、五分五分なのか。あのボルドーが、顔面を紅潮させていた。
 男の形相も凄まじかった。目を見開き、食いしばっている歯が見える。

 それよりも、男の心気に驚いた。
 心気は目に見えるものではないが、なんとなく感じることはできる。通常、人間の体にぼんやりと纏っているものなのだが、男の心気は、体中から、飛び出しているようだった。
「ボルドーさん!」
 もう一度叫んだ。
「ペイル! 剣を寄越せ!」
 ボルドーが、押し合いながら言った。
「あ、は、はい!」
 言って、剣を鞘から抜いたものの、どうやって渡せばいいのか。
 ものすごい圧力を感じて、近づけなかった。
 逡巡していると、ボルドーが後ろに押されて、その背後にあった、建物に二人とも突っ込んでいった。
 呆然としかできない。

 するとシエラが、ペイルの脇を抜けて駆けだした。
「駄目だ、シエラちゃん! 行くな!」





 男の動きは単調で、武術の型などは見えなかった。殴る、押す、斬る。このどれかしかやってこないのだ。
 しかし、驚くことに単純な力は相手の方が上である。
 戦いながら、何度か話しかけているが、聞いているようではなかった。
 正気があるのかどうかも分からない。
 先ほどから、隙をみて何度か、男の腹部や足に蹴りを入れていた。肋の骨は何本か砕いたはずだが、まったく気にしたようではない。
 そして、このような心気は見たことがなかった。
 ただ、人間の体が、この心気に長時間耐えられるとは思えなかった。
 おそらく、放っておいても、あと数分で、この男は死ぬ。

 ボルドーは、隙を見て男を投げ飛ばした。
 建物の壁に当たったが、間髪入れずに、また突っ込んでくる。
 生きて捕らえることは、できそうもないとボルドーは思っていた。この男が何者なのか、調べようと思っていたが、これだけの戦い方をしてくる者を捕らえるのは難しい。

 ボルドーは、心気を集中した。
 相手の剣撃を、一撃、返してきた二撃をかわす。
 男の左の頬に、殺すつもりで、拳を叩きこんだ。
 男は後ろ向きに仰け反ったが、右足で踏ん張った。男の左手が、ボルドーの襟を掴んだ。
 こいつ。
 掴んできた腕を潰すか、もう一撃入れるか、一瞬思考する。
 ボルドーは、男の胸部に左拳を、叩きつけた。
 男が血を吹き出した。が、襟を掴んだ左手も、剣を持っている右手も放さなかった。
 しまった。
 男の狂気に満ちた目が、こちらを捉える。
 剣撃が来る。今度は避けられない。
 左腕を犠牲にして受ける。もうそれしかないと判断した。
 何かが、横から来た。
 男の攻撃は来なかった。
 一瞬、場の時が止まったように感じた。
 剣を掴んだ腕が、宙に浮いていた。
 金色の髪が靡く。
 男の腕がなくなっていた。
 シエラ。
 男の左に、剣を抜いたシエラがいた。
 男の眼球が、シエラの方を向く。
 ボルドーの襟を掴んでいた手を放すと、拳をシエラの方に飛ばした。
 咄嗟にボルドーは、それを左手で止めようとした。
 左手が、抉られるような衝撃を受けた。弾き飛ばされる。
 シエラは、剣で受け止める体勢をとっていた。が、その上から、男の拳が当たると、シエラは簡単に吹き飛んだ。そして、壁に激突していた。
「シエラ!」
 シエラの剣だけが、宙に回転していた。
 ボルドーは、男を右手で殴り飛ばすと、その剣に飛びついた。
 男も、切れた自分の腕から、剣を取っていた。

 両者が、接近する。
 無意識に、感覚的に、ボルドーは剣を振るった。
 男の、残った腕も飛んだ。
 男の胸に剣が突き立った。

 沈黙。

 目を見開いたまま、男は仰向けに倒れた。





 すぐにボルドーは、シエラに駆け寄った。
「ボルドーさん!」
 ペイルが現れる。

 シエラは、壁にもたれるように座っていた。額から、少しだけ血が流れているが、大した怪我は負っていなさそうだ。
 ひとまず、それに安心する。
「大丈夫か?」
 シエラは、無言で少し俯いている。視線が定まっていないようだった。
「どうした?」
 何か様子がおかしい。小刻みに震えていた。
「怖かったのでは?」
 ペイルが言った。

 それが、もっともな意見だろう。しかしボルドーは、そうは思えなかった。シエラには、命懸けの遣り取りの経験が、今までも何度かあったはずだ。今更この反応をするのは、何か違う気がする。
 考えすぎだろうか。あくまでも、シエラは少女なのだ。
「にていた……」
 消え入りそうな声で、シエラが言った。
「何だって?」
「……あの時と、そっくりだった……」
「あの時?」
 シエラは、震えたまま、俯いたまま話している。
「よく分からない……けど、感覚が、雰囲気が……」
 要領を得ない。
 すると、ふいにシエラの目から、涙がこぼれ落ちた。
「カラトが、いなくなった時に感じた……嫌な……感覚が……」
 シエラの、表情が崩れた。ペイルが、シエラの肩に手を添えていた。

 なんとなく分かった気がする。目の前で知っている人間が、殺されそうになった。今回の場面をカラトとの記憶と、重ねて考えてしまったのだろう。
「大丈夫だ。わしは、大丈夫だ」
 ボルドーが言っても、シエラは泣き続けていた。

 しばらくすると、何か異様な臭いが、鼻をついた。
「ボルドーさん!」
 ペイルが言う。ペイルの視線の先を見ると、先ほどの男の遺体があった。
 そこから、ゆらゆらと白煙が上がっていた。その煙が、異様な臭いを放っている。
「何ですか、あれ」
 ボルドーにも、分からなかった。
 やがて男の遺体は、どろどろと形を崩し始める。皮膚や筋肉が、焼け溶けるように縮んでいき、残った骨も、ぼろぼろと崩れた。
 黙って見ているしかなかった。
 二人とも呆然としていた。
「ゆ、夢でも見てるんですか」
 しばらくして、ペイルが言った。

 ボルドーは、そこに、ゆっくりと近づいた。
 相変わらず、臭いが鼻につく。
 元が何であったか分からないような残骸だった。服が多少残っている。骨や肉の欠片、男の剣。そして、シエラの剣が突き立ったままだった。

 何かを思い出しそうだった。
 何か、似たようなものを昔、見たような気がする。
 そう、確かあれは……。

 雨が降っていた。

 瞬間、ボルドーは立ち上がった。
 そうか。

 あの雨の日に、カラトとシエラを襲った犯人が分かった。















 日が沈む。
 形がある程度残った建物で、夜を越すことに決めた。
 ボルドーは、ペイルに手伝ってもらい、左腕を簡易な治療をした。ある程度動くので、よほどの重傷というわけではないだろうと思う。
 ボルドーは、その建物の一室で残っていた椅子に座り、この先のことを考えていた。

 さらに北に向かうしかない。
 たとえ王子達が、シエラに対しての関心を失っていたとしても、スクレイに戻ることは、やはり危険だと考える。
 といって、外国だから安心というわけでもない。スクレイの王女なのだ。たとえ実際に、何かスクレイに対して外交の道具に使えないにしても、使えるかもしれないと考える者がいてもおかしくはない。
 そう考えると、サーモンが避難の地にここを選んだのは、分からなくもなかった。丁度、国と国との権力の緩衝地なのだ。
 ただ、もう、一度発見されているので、ここにはいられない。
 となると、さらに北しかない。
 なんとか、自分の体が動かなくなるまでに、シエラが独力で生きていける場を作ってやりたい。そして、できる限りの知識を与えてやりたい。
 自分があと、どれだけ生きていられるのかということを考えなければならなくなるとは……。

 そうこう考えていると、ペイルが顔を見せた。
「シエラちゃんが、いないんですけど」
 心配そうな顔で言った。
 実は先ほど、シエラが外を歩いているのを、ボルドーは見かけていた。
「いろいろと心の整理も必要なのだろう。一人にしてやることも、たまには必要だと思う」
「でも、さっきみたいな奴が、また現れでもしたら」
「多分、もうない」
「どうして分かるんですか? あの男は、一体何者なんですか?」
 ボルドーは黙った。
 どこまで話していいのか、また考える必要がある。










 何気なく、歩いていた。
 いろいろなことがあった。いろいろ知った。普通なら、いろいろと考え、想うところなのだろう。
 しかし、シエラには、あまり考えようと思うことはなかった。
 あるいは、考えられるほど、何かを知っているわけではないのかもしれない。
 王族という話にしてもそうだ。ある程度の知識は、ボルドーに学んだことがあるが、だから実感が湧く、ということにはならない。

 だが、一つだけ例外があった。
 カラトのことだ。
 王族の話を聞いた後、ボルドーが言った。
 カラトは、自分を王として担ぎ上げようとしていたのではないか、と。
 そして、一度失った実権を、再び取り返そうとしたのではないか。
 ボルドーは、そう言った。
 本流であるから命を狙われていた自分を、ただ助けようと思うのなら、スクレイからは、できるだけ離れるべきだ。
 だがカラトは、シエラを連れて戻ってきた。
 だから、その考えに至る、と。
 そのことだけが、シエラの心に残っていた。

 カラトは、自分が王族だから助けたのだ。自分が利用できるから。
 あの優しさも、あの温かさも、すべて王の娘である自分に向けられたものだったのだ。
 そう考え、思い返してみると、カラトがとっていた行動が、すべてわざとらしかったと思えてくる。何の疑いもなく従っていた自分が滑稽に思えてくる。
 考えれば、当たり前のことなのだ。見返りも何もなしに、赤の他人を命懸けで助けようとする人間がいる方がおかしい。
 カラトもそうなのだ。それだけのことだったのだ。
 それだけなのに……。
 涙が溢れてきそうになり、シエラは目を擦った。

 意識を風景に移す。木が数本、前に立っていた。
 どこだ、ここは?
 辺りを見回す。木や植物ばかりで建物はない。どうやら、いつの間にか、近くの森に入ってきたようだった。
 ただ、慌てなかった。すぐに戻りたいとは思わない。もう少し一人でいたかった。丁度いいのかもしれない。
 シエラは、ぼんやりと歩いた。
 少し歩くと池があった。日は沈んでいるが、今夜は随分と月が明るい。池の底が、うっすら見える。
 何気なく、その池の縁に座った。
 この水は川に流れる。やがて、海にたどり着く。海には、至る所から水が注ぎ込まれる。
 そのうち、海は溢れるんじゃ?
 そうか、世界から落ちているんだっけ?
 じゃあそのうち、世界の外が水で溢れるな。
 世界……。世界とは、国の集まりなのだろうか。国とは何なのだろう……。

 ふと、何故か背後が気になり、シエラは振り返った。
 一瞬、息が止まった。
 五歩ほど後ろに、見知らぬ男が立っていた。
 シエラは、慌てて体を男に向け、身構えた。

 まず目に付いたのは、男の髪の色だった。真っ白だ。男にしては、少し長い癖のある髪で、年老いて白くなったという風な髪ではなかった。顔も若い。二十代ぐらいだろうか。
 男は、全身真っ黒の服装だったので、さらに髪の白が映えている。
 男の視線は、シエラをまったく見ていなかった。シエラの後ろを見ている。
 男は歩いていた。シエラは身構え続けた。
 男は、シエラの脇を通り抜け、泉の縁で腰を屈めた。懐から、何かの袋を取り出し、水を汲み取っていた。
 それを済ませると、立ち上がり、元の来た道を歩き始める。
 再び、シエラの脇を通り抜けて、歩いていった。一度も、シエラを見なかった。
 何だったんだ……。

 男の後ろ姿を見ていると、シエラから二十歩ほどの所で、男は足を止めた。
 そして、ゆっくりと振り返る。
 今度は、間違いなくシエラを見た。
「カラトの知り合いか?」
 突然、男が言った。
 シエラは、一瞬、思考が飛んだ。
 少しして、聞き間違えたんだろうと考える。
「カラトの知り合いか、と聞いている」
 男が繰り返した。
「あ……え?」
 どうして?
 何故?
 誰?
 様々なことを、思考するが、何も口からは出なかった。
 男は、人差し指をシエラに向けた。
「その首飾り、カラトのだろう?」
 言われて、シエラは自分の首元を見た。いつもは、服の中に入れている首飾りが、外に出ていた。
「あいつが、それを他人に譲るとは考えにくい」
 男が言っている。
「あいつは、どうした?」

 それを思いつく要素もなければ、思いつく会話の流れは何もない。それでも何故か、その名が浮かんだ。シエラは口にした。
「……ダーク?」
 男は何も言わない。否定も肯定もしなかった。
「お前は誰だ?」
 男が言う。
 自分は誰だろう。自分にも分からない。
「カラトはどうした?」
「分かりません……」
「何故、それを持っている?」
「カラトが……」
 男は、少し眉間に皺を寄せた。
「あの、これは何なのですか……?」
「さあな」
 男は、目線を少し横に向ける。
「ただ、一度だけカラトが言っていたな」
 そう言った。
「自分が生まれた場所が、間違いなくあったと証明できる、唯一の物だと」
 生まれた場所? 証明?
 あの、埋まっていた箱が浮かんだ。あれは、自分の証明なのか。

 男を見ると、歩いていく後ろ姿が見えた。
「あのっ」
 シエラは声を上げる。
「教えて下さい。昔、何があったのか。カラトは一体何者で、何をしたんですか?」
 男は歩き続けている。
「お願いします」

 少しして、男は足を止めた。


 ゆっくりと振り返り、こちらを見た。









       

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Neetsha