Neetel Inside 文芸新都
表紙

少女は英雄を知る
過去編2 タスカンの鉄血

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 旗が靡いていた。


 ボルドーは、その旗を見つめていた。スクレイの旗である。
 タスカン地方の、北の関。その城壁の上に、ボルドーは立っていた。

 スクレイ国、バーント王が崩御されたのは、僅か一ヶ月前だ。その直後、北の国クロス、東の国ユーザが同時進行をかけてきた。
 狙い澄ました時機だった。王の崩御は当然、最高秘匿事項だったが、すべて情報が漏れていたようだ。おそらく、病が篤くなったころから、準備をしていたのだろう。でなければ、あの時機での進行はありえない。
 さらにスクレイは、正式な後継が決まっていなかったので、余計に中央は混乱した。あろう事か、国境で戦いが行われている最中でも、王子同士の足の引っ張り合いは続いていたのだ。そのために、国境の守備部隊は、殆どが何の支援も受けることができなかった。
 それでも、国境の将軍たちは、国に殉じた。よく知っている男も何人もいた。敬意を持てる男たちだった。
 彼らは、無駄死にだと言う者もいるだろうが、本人たちは、軍人というものを全うした、そう思っていただろう。それを、否定することはできない。
 ボルドーも、十年前の自分だったら、同じことをしたと思う。
 しかし、今のスクレイに殉ずるなど、虚しいだけだ。

 国に対しての、忠誠心が薄らいできたのが、ほぼ十年前だ。バーント王が、痴呆のような症状になり、正常な思考ができなくなった。そのころから、宮中の取り巻きたちが、好き勝手な振る舞いを始め出す。特定の個人が、力を持ったというわけではなかったが、彼らは自分達の邪魔者を消すことに関してだけは、異常な連帯感を発揮した。
 忠信を持った有能な人間を、力の持てない地に飛ばす。或いは、国境に送り込む。邪魔な者は、無実の罪を擦り付けてでも、排除していた。
 ボルドーは、十年よりも前から、国境の一部署の守備を統括していた。自分の役職には不満はなかったが、これでいいのかという思いも当然あった。しかし、高官たちを糾弾しようとした者達が、処刑や放逐されていくのを横目で見ていて、そういう気力も薄らいでいった気がする。
 ある時からボルドーは、タスカン地方への異動を中央に申請をするようになった。受諾される期待は、あまりしていなかったが、思ったよりもすぐに、それは認可されることになった。

 タスカンは、スクレイ北東に位置する、山に囲まれた田舎の地域だった。人口は少なく、物産も少ない。そこは、出世に頓挫した役人が送られるような所だった。
 だからこそ、すぐに受諾されたのだろうが、それでも、珍しいと思った。
 ここ数年は、中央に対して腹の立つことばかりだったが、たまには、気の利いたことをしてくれる、と思った。
 ボルドーが、その地に異動したかった理由は、アースがタスカンの行政長だったからだ。それが、理由のすべてだった。

 アースは、国軍の入隊の同期だ。今となっては、同期はアースだけになってしまった。歳は、ボルドーよりも三つ下だが、砕けた言葉で話し合える数少ない男だった。
 彼は、あまり軍事面での才能は無かった。だが、昔から根気と粘り強さは人一倍あった。そして、人当たりが良く、周りから好感が持たれる男だった。
 結局アースは、十五年前に軍人から内政官になる。悲観からではなく、むしろ発展だと、本人は笑って言っていた。その言葉通り、アースは内政の分野で目覚ましい成果を上げていった。
 だか、それは当然、奸臣達の目障りになった。十年ほど前に、アースはタスカンに異動になる。

 ボルドーは、アースの下で働きたいと思った。せめて、そこで命を懸けたいと思った。だからこそ、ここに異動をしたかったのだ。
 そして、一年前にここに来た。

 ボルドーは再び、城壁から遠方に目をやった。
 もうそろそろ、クロスの先陣が見える所まで来ていても不思議ではないはずだ。斥候は放っていたが、あまり遠くまで行かせていない。
 ボルドーには、思うところがあった。

「将軍、アース様から伝令が届きました。すぐに来るように、とのことです」
 部下の兵が、駆けてきて言った。
「分かった」
 待ちに待った伝令だった。

 ボルドーは、すぐに城壁を降りた。










 北の関から、一時間ほど馬を南に走らせた所に、タスカンの中心となる町がある。規模は、都などとは比べようもないが、ここ十年で驚くほどに人口は増えていた。
 人々は、当然戸惑っているだろう。何しろ、最後にスクレイ国内で戦が起こったのは、もう五十年以上昔の話だ。おまけに、中央の混乱である。

 ボルドーは、馬を並足にして、騎乗のまま町に入った。
 すぐに、場がざわめく。
「将軍、敵はもうそこまで来ているのでしょう!?」
「我々は、タスカンはどうなるのですか!?」
 ボルドーの姿を確認した住民たちが、集まってきて口々に叫んだ。
「皆、落ち着いてくれ! 対応が全て決まっているわけではないので、詳しくは何とも言えないが、今こそ、戦になった場合を想定して行った訓練を思い出すのだ。敵は、我々が必ず食い止める。だから、落ち着いて準備を済ませてくれ」
 言葉だけで、混乱が落ち着くとは思っていなかったが、思った以上に場は落ち着いた。住民は、皆ボルドーに眼差しを向けていた。
 恐怖や、怯えといった目ではない。何というか、覚悟や決意を持った目だと思った。

 ボルドーは、政務所に入り、アースの執務室に向かった。
「アース、俺だ。入るぞ」
 扉を開ける。正面に大机があり、その向こうに椅子に座ったアースがいた。彼の定位置だ。
 茶色の髪が、無造作で寝癖が立っているのは、いつも通りだ。肌が焼けていて、体格がいい。おかげで、役人の服がまったく似合わない。
 アースは、机に両肘を立てて、両手を顔の前で握りしめている。少し俯いていて、目を閉じていた。
 これは、滅多に見ない表情だ。
 ボルドーは、黙って入り口の前に立っていた。

 しばらくして、アースが口を開いた。
「……なあ、ボルドー。ここんとこ、ずっと考えていたことがある」
 低く、ゆっくりとした口調で言う。
「それで、ようやく決めたよ」
 そう言って、アースは顔を上げて、こちらを見た。
「タスカンは、スクレイから独立しようと思う」
 沈黙。

「はっきり言って、もうスクレイは駄目だ。このままいくと、タスカンも、スクレイの道連れになっちまう。俺は、そんなのごめんだ。だったら、タスカンはタスカンで独自にやっていった方が、まだ生き残る可能性はあると思うんだ」
 ボルドーは黙っていた。アースは、言葉を続ける。
「昨日、中央から命令書が届いた。敵を食い止めろ、物資はお前等で何とかしろ、だとよ。さすがに頭に来たぜ。奴ら、地方をただの足止めだとしか思ってねえ」
 さらに続ける。
「タスカンは、山に囲まれた天然の要塞だ。守るだけなら、独力でもきっと戦えるはずだ。そして、三国に囲まれたこの場所は、見ようによっちゃあ、不利に見えるかもしれねえが、うまく立ち回ることができれば、むしろ絶妙にいい位置になると思う。無茶苦茶な話じゃねえはずだ」
 アースは、そこで一つ間を置いた。

「それで、お前の意見を聞きたい。ボルドー、どう思う? 無理だと思うか?」
 真剣な眼差しを向けてくる。
 ボルドーは、思わず、笑ってしまった。
 アースの目が丸くなる。
「俺は、いつになったら、お前がそれを言ってくれるかと、ずっと待っていたんだがな。それにしても、そのような真剣な顔を、これほどまでも続けたのは何年ぶりだ? こっちが、我慢できなかったぞ」
 アースが、勢いよく立ち上がる。
「ああっ? お前も、同じことを考えてたってか!? だったら何で、もっと早く俺に提案してくれなかったんだよ? 全然、ここに戻ってこないから、見捨てられたんじゃねえかって、ひやひやしてたんだぞ!」
「人の上に立つ者というのは、孤独なものだ。お前は、これから、その孤独と向かい合っていかなければならん。これぐらい、一人で越えていってほしいと思ってな」
「いいや、ただの嫌がらせだな。この、偏屈じじいめ」
 しばらく、二人で笑い合った。

「賛成してくれるんだな?」
「無論だ」
 アースが、砕けた笑顔を見せた。
「頼りにしてるぜ、ボルドー。お前がいなかったら、俺は、こんな決心をすることはできなかったと思う。お前が、軍を統率してくれるからこそ、俺は何の心配もなく、内政に打ち込むことができるんだ」
 ボルドーは頷いた。

「さて……」
 そう言うと、アースは、ゆっくりと椅子に腰掛けた。
「問題はやっぱり、タスカンの皆が、どう思うかだよな」
 言って、後ろにある、窓から外に目を向ける。
「今まで、スクレイの民だって自負していたのが、突然スクレイに楯突くってことになるのは、やっぱり受け入れがたいと思う。直接的に、何か国から恩恵を受けていないという意識があっても、国っていうのは、何かこう、心の根っこの部分にくっついているものだからな」
 こちらを見る。
「もしも皆が、拒むようなら、この話はなかったことにする。それでいいか? ボルドー」
「ああ」
 ボルドーは、一応頷いた。

 まったく……鈍感というか、なんというか。それが、この男のいいところでもあるのだが。

 ボルドーは、もう防衛の方法を考えていた。










 数時間後、町の広場が、人に埋め尽くされた。

 タスカンにいる全住民が集められた。広場に入りきらず、建物の屋根に登っている人もいる。
 人の背よりも高い台が設けられていた。そこにアースが、ゆっくりと上がっていく。
 上りきると、一度、一面を見渡していた。場が、水を打ったように静かになる。

 アースは、大きく息を吸い込んだ。
「みんな」
 叫んだ。
「俺は、みんなに安心できる生活を送ってほしいと思って、今まで仕事をしてきた。だが、それは果たせなくなりそうだ」
 言うと、頭を下げた。
「本当に申し訳ない」
 沈黙。しばらくして、アースは頭を上げた。
「俺は、このままこのタスカンが、敵に蹂躙されるのは、何よりも耐え難い。絶対に我慢がならねえ。俺には、それを阻止できる方法は一つしか思い浮かばない。それを、みんなに聞いてもらいたい」
 言葉を区切る。

「このタスカンを、スクレイから独立させる」
 今まで静かだった場が、少し、どよめく。
「タスカンを守る方法は、それしかないと思うんだ」
 それからアースは、守備の方法、タスカンの外交的立ち位置や、戦後の貿易のあり方まで、丁寧に細部まで話をした。
 すべてを話し終えると、再び場に沈黙が降りた。

「考える時間は、あまり与えられない。明日までに、それぞれの答えを教えてほしい……俺の話は以上だ」
 言うと、アースは頭を下げた。

 それから、台から降りようと歩き出す。すると、一つ声が挙がった。
「着いていきます」
 その声が、一つ二つと増えていく。住民の中から、次々と手が上がった。
 あっという間に、声は大歓声へと変わった。

 アースは、それを呆然といった顔で見ていた。
 それはやがて、緊張した顔に変わった。

 ボルドーは、始めからこうなるだろうと思っていた。アースが、この十年タスカンで行ってきた善政は、きっと住民の心を捉えている。その確信はあった。
 そして、それらを守るのが自分の役目だ。これほど、やりがいを感じることが今まであっただろうか。


 人生で、最大で最高の戦いが始まる。

 ボルドーは、そう思った。




     

 召集をかけた。


 タスカン中心の町、政務所の一室に、タスカン軍の将校達が集まった。全員で、十三人だ。

 一応、全員の意志は聞いた。タスカンの為に戦うとは言っていたが、その場の雰囲気に流されて言った者もいるとは思う。それは、当然住民の中にもいるだろう。
 心の奥まで探ることは、すぐには無理だ。とにかく、徐々にでも、真にタスカンに傾倒してもらえればいい。それまでは、あまり無理はさせないことだ、とボルドーは思っている。

 ボルドーは、予め考えていた防衛計画を、地図を使って説明した。
「五つある関は絶対に死守だ。ただ、破られそうになって、援軍も来る見込みがない場合だけは、放棄してもいい」
 一人の将校が、手を挙げた。
「北の関の兵数が、少なすぎると思うのですが?」
 将校の中で、最年少のサップが言った。

 濃い茶色の髪は、短く刈り込んである。歳は、まだ三十にもなっていない。身長は、それほど高くはないが、いつも胸を張って堂々としている男だ。
 サップは、ボルドーがタスカンに来て、すぐに見いだして将校に上げた男だった。真面目で正直な性格で、経験さえ積めば、なかなか伸びる男だと思っていた。

「北の関は、敵が一番殺到することが予想される場所です。いくら、将軍が指揮されるとはいえ、もう少し人員を割いてもいいと思うのですが」
「関での防衛は、数ではない。北は、この人数で十分だ」
 ボルドーが言うと、サップは引いた。

「他に意見がある者は、今の内に言っておいてくれ」
 言うと、一人が少し前に出た。三十代の男で、黒い髪、精悍な顔立ちをしている。
「中心の町にも、ある程度、部隊は置いておくべきでしょう。そして、それを統括する将校も」
「ふむ」
「許可していただけるのなら、私がやりますが」
 言ったのは、オーカーだ。

 オーカーは、元々タスカンにいた軍人ではなく、国境の軍にいた。ボルドーも知っている将軍の下にいたようだが、国境の軍が壊滅した後、少数の手勢を率いて、タスカンまで逃れてきたのだ。そして、そのままタスカンに入ることを希望した男だ。
 ボルドーは考えた。確かに、中心の町に部隊があれば、どこかの関が、危機あるいは陥落した場合には、すぐに対応することができる。町の鎮撫にもなる。
 そう考えると、それができる将校は、オーカーしかいないと思えた。少し話をしただけだが、将校としての能力は、なかなか高いと分かった。他の将校は、その場での判断ができる者しかいないのだ。
「任せていいか?」
 ボルドーが言うと、オーカーは、少し頭を下げた。
「よし、では、すぐに配置に向かってくれ」
 承諾の声が上がる。将校達が散っていった。
 ボルドーも、政務所を出た。すぐに、サップが馬を引いてくる。この戦の間は、サップを副官で使おうと思っていた。
「我々も行こうか」
 馬に乗り、走らせる。

 町の出口に、アースが立っているのが見えた。ボルドーは、馬を止めた。
 アースは、黙ってボルドーを見上げている。
 しばらく沈黙。
「頼んだぜ、ボルドー」
 それだけを言った。
「任せておけ」
 ボルドーは、そう言って、再び馬を走らせた。





 北の関に入ると、ボルドーはすぐに、斥候を大量に放った。
 戦は、情報がとにかく重要だと昔から思っている。周りからは、神経質すぎると言われたことがあるが、これだけは変わっていない。
 サップと共に、斥候の報告を受けた。
 そろそろ、クロス軍の先陣が、ここに来るようだ。

 現在、スクレイ領内に入ってきている敵部隊は、大した部隊ではない。クロス側も、ユーザ側も寄せ集めの部隊が大半だ。
 厄介なのが、元の国境付近で留まっているクロス軍の本体だ。スクレイの国境軍を破ったのは、この軍だろう。その後、国境付近から動いていないようだ。
 その軍だけは、居場所を常に把握しておかなければならない。

「何故、クロス軍の本体は動かないのでしょう?」
 サップが、当然の疑問を口にした。
「おそらく、いつでも国内に戻れるようにしているのだろう。クロスにしろユーザにしろ、国内が完全に纏まっているわけではないらしいからな」
「そうなのですか?」
「どちらも、スクレイ以外にも外敵を抱えている。それに、国内の情勢も酷いらしいからな。はっきり言って、両国とも他国へ侵攻できるほどの余裕はないはずだ」
「ならば、何故侵攻を?」
 サップが、すぐに聞いてきた。自分でも、少しは考えて話しているかと言いたくなったが、話すことにした。
「一つは、軍を纏めるためには、戦が一番手っ取り早い。もう一つは、外敵を作れば、国に対する民の不満も逸らすことができる、というところだろう。それに、軍の一部は、スクレイの内部をずっと探っていたのだろう。それが、せっかく掴んだ好機だ。軍は是が非でも行動を起こしたかったに違いない」
「なるほど……」
 サップが、頷いた。

「将軍! 敵の軍が見えました」
 見張りの声と同時に、ボルドーは腰を上げた。





 クロス軍の先陣が、関から五百歩ほどの所で、陣を組んでいる。数は、およそ二千というところだろうか。
 こちらの数は、百五十だ。
 先ほどから、二、三騎が、城壁のすぐ近くまで行ったり来たりしている。様子を探っているようだ。

 独立の話は、伝わってはいるだろう。一応タスカンは、中立の立場をとる方針で、その意向も伝わっているはずだ。
 だが、それが攻撃をしない理由にはならないだろうが。
 少しして、クロス軍が一斉に近づいてきた。
 やはり、大した軍ではない。あまり、気を感じない。
「慌てるなよ。いつもの調練通りにやればいい。必ず勝てる」
 ボルドーは兵達に言って、手を少し上げた。
 クロス軍が、ぱらぱらと攻撃を仕掛けてくる。
 ある程度、敵が城壁に取り付いたところで、ボルドーは、手を振り下ろした。
 矢が一気に放たれる。石なども落とした。
 あっという間に、敵の前衛が崩れた。それを見て、後ろに続いていた部隊が下がっていった。
 味方に歓声が上がる。
「将軍の言われる通りです。あの程度の攻撃、我々なら、何度でも跳ね返すことができます」
 サップが、興奮した口調で言った。
 ボルドーは、下がっていく敵軍を見ながら、少し考えていた。
「サップ! すぐに騎馬隊の出撃準備をしろ」
 ボルドーが言うと、サップは目を丸くした。
「叩ける時に叩いておく」
「しかし、こちらの騎馬は、たった三十騎ですよ」
「相手も、まさか出てくるとは思ってもいまい」
 ボルドーは、愛用の偃月刀を持って、すぐに城壁を降りた。
「門を開け!」
 低い音を立てて、城門がゆっくり開いていく。
「行くぞ!」
 ボルドーは、馬を駆けさせた。

 クロス軍の後方は、後ろに下がっている者と、何だ、という顔でこちらを見ている者がいる。
 明らかに、守っている体勢ではない。
 ボルドーは、躊躇せずに、クロス軍に突っ込んだ。
 偃月刀を振り回す。蜘蛛の子が散るように、クロス兵は逃げまどった。
 城壁の上から、目をつけている敵軍の一角があった。そこまで、突っ走った。
 ボルドーが近づくと、防御の体勢を作っていた。やはり、指揮官がいる。
 だが、もう勢いが違う。
 そのまま、そこにも突っ込んだ。
 五人、十人と首をはね飛ばす。真ん中にいる男の顔が見える。
 遮る者を、残らず切り飛ばした。すぐに、男の首が飛んだ。
「よし、引くぞ!」
 間髪入れず、ボルドーは馬を返した。
 さすがにクロス軍は、逃がすまいと、重囲をかけてくる。
 しかし、明らかに戦意が鈍っていた。ボルドーが一喝すると、後ろに下がる者もいた。
 敵の包囲を、突き抜ける。追ってくる者はいなかった。
 少しして、敵軍は、ゆっくりと下がっていった。

 勝てる。予想はしていたが、確信に変わるには十分だった。
 国を作ることができるのだ。

 味方の歓声の中、ボルドーは、偃月刀を真上に掲げた。










 その後、数日にわたって、関での防衛戦が続いた。
 初戦ほど、簡単にはいかなくなるが、敵は明らかに、こちらの騎馬隊が出てくることを警戒していた。それによって、鈍くなった敵の攻撃を、跳ね返すことは、問題なかった。
 他の防衛の情報も、逐次集めている。どこも問題ないようだ。
 相変わらず、クロス軍の本体は動いていない。

 さらに数日が経って、斥候から報告が届いた。兵の中から、歓声が上がる。
 どうやら、クロス軍がタスカンを避けて南下を始めたようだ。
「やりましたね、将軍」
 サップが言った。

 一つ、肩の荷が下りた気分にはなったが、複雑な心境だった。
 スクレイは、どこまで踏ん張れるだろうか。このまま滅びてしまうのも、防ぎたくは思う。それに、タスカンが生き残るためにも、スクレイには、勢力が小さくなってでも生き残ってもらわなければならない。三国が、均衡状態を保っていることが、タスカンにとっては都合がいいのだ。
 関の最大警戒は解いた。しかし、ボルドーは引き続き外界の情報を集めた。

 気になることがあった。
 連戦連敗だったスクレイ軍が、所々で勝ちだしているのだ。ようやく、実力を持った、指揮官が出てきたのか。

 大きな情報も入ってきた。
 スクレイに、新たな王が立ったようだ。
 新王の名前を聞いても、ボルドーには分からなかった。王宮にいた、王族ではない。
 どうやら都では、即位にあたって、一悶着あったようだが、その王を中心に、軍が編成し直され始めているようだ。
 スクレイは、壊滅せず、踏ん張りそうなので、心配事の一つが消えたことになる。
 しかし、逆の問題が起こる可能性が出てきた。新しいスクレイ軍は、クロス軍やユーザ軍を、押し返しそうな勢いがあるとの情報がある。
 スクレイが、元の領土を取り戻すことになれば、タスカンは存在条件をなくすことになる。

 それから二日後に、タスカンの町から、急報が届いた。

 ボルドーは、全身の血の気が引いた。




     

 馬が潰れそうだった。


 ボルドーは、それでも構わず駆けさせた。
 タスカンの町に着く。速度を落とさず、進入した。
「どいてくれ!」
 道を行き交う人々が、慌てて左右に避ける。
 政務所の前で、馬が潰れた。転がり落ちる。
 門兵が驚いた顔をして駆けてきた。
「将軍」
 門兵を無視して、ボルドーは政務所に入った。
 突き当たりにある扉の前に、オーカーと数人が暗い面持ちで話をしていた。タスカンにいる医師の姿も見える。ボルドーを見ると、皆驚いた顔をした。
「将軍」
 ボルドーは、そこに近づいた。
「この中か?」
 オーカーは、何も言わず、うなだれた。
 ボルドーは、その奥にある部屋に入った。
 簡素な部屋で、隅に窓があり、その横に寝台が一つあった。
 その上に男が一人、横になっている。
「よお」
 男が、視線だけをこちらに向けて言った。
 ボルドーは、寝台に近づいた。男は、見る影もないほど痩せ細っていた。
「悪いな、手間かけさせちまって」
 男の目にだけは、力があった。
「アース……いつからだ?」
 ボルドーが言うと、アースは、ふっと微笑む。
「……お前に独立の話をした、少し前ぐらいからかな」
「何故、黙っていた」
 ボルドーが言うと、アースは視線を、外に向ける。
「あのころは、そんなに心配してなかったんだよ。絶対に治ると思っていたからな」
「症状が悪化してからも、言う機会はいくらでもあっただろう!」
 思わず、大声になった。
 沈黙。

「言えるわけ、ねえだろ」
 アースが、静かに言う。
「お前が、前線で戦ってんだ。それを邪魔だけは、絶対にしたくなかった」
「邪魔?」
 アースが、こちらに視線を戻した。うっすらと微笑んでいる。
「お前が、生き生きとしていることが、ここからでも分かった。お前は戦人だよ、ボルドー。お前が、やっと得ることができた戦いの邪魔だけは、絶対にしたくなかったんだ」
「……邪魔では、ないだろう……」
「それにな、この数日で良く分かったんだ。俺は、人の上に立つ器量じゃない。俺には、その力はない。ただ俺は、お前を後ろから支えることができる。それこそが、俺がやりたかったことだったんだって、ようやく分かったんだ」
 アースは、力なく笑った。
「俺が、自分の生き甲斐を止められると思ったか?」
 ボルドーは、何も言えなくなった。
「ただ、夢の半ばで、俺がいなくなることは、本当にすまないと思っている」
 沈黙。

「ボルドー」
 アースが言う。
「南から来ているスクレイ軍に、降伏するんだ」
 沈黙。

「スクレイに降っても、おそらくタスカンの皆は、当分惨めな思いをすることになるだろう。だからお前が、皆を支えてやってくれ」
 ボルドーは、アースを見ていた。
「今回の独立騒動は、俺が一人で主導してやったんだ。スクレイの軍には、そう言ってくれ。首謀者はアースだ、とな」
 アースは、息を吐いた。
「これを、生きている内に言いたかったんだ。なんとか間に合ったな……」
 言うと、アースは疲れた息を吐いた。

「アース、お前は卑怯な男だ」
 ボルドーは、何かを言いたかった。やっと口から出た言葉だったが、言いたいことではない気がする。
 アースは、再び微笑んだ。
「本当に、すまない」
 そう言って、ゆっくりと目を閉じた。
「頼んたぜ、ボルドー……」

 その後、一度も目を覚ますことはなく、二日後、アースは息を引き取った。










 どれほど時間が経ったのか分からない。
 ボルドーは、アースの遺体の横に座っていた。
 窓から入ってくる光に気が付いた。もしかすると、何日も経っているのかもしれない。
 ボルドーは、部屋を出た。

 数人の将校が、驚くように腰を上げた。ずっと、ここにいたのか。サップの姿も見える。
「将軍!」
 涙を流しながら、サップが叫んだ。ほとんどの将校も涙を流していた。
 そういえば自分は、まだ涙を流していないなと、ふと思う。
「今後の方針を言う」
 ボルドーは言った。
「タスカンは、スクレイに降る」
 将校達から、嗚咽が聞こえた。
「アースがいなくなった今、もうタスカンを単独で維持することは無理だろう」
 ボルドーは、サップを見た。
「サップ、事が終われば、お前がスクレイ軍に使者として発て。そして、今回の件の事情を説明するのだ」
「将軍?」
「今回の件の首謀者は二人、アースとボルドーだとな」
 将校達に、動揺が走ったことが分かった。
「どういうことですか!?」
「言ったとおりだ」
 ボルドーは、政務所の出口に向かおうとした。将校達が、それを遮る。
「どけ」
「何をする気ですか」
 ボルドーは、黙った。
「私も、お供いたします」
 サップが言う。他の将校も、頷いている。
 ボルドーが、やろうとしていることを感づいて、その上で言っているのかもしれない。
「必要ない」
「将軍!」
「うるさい!」
 ボルドーは、サップを殴り飛ばした。サップは、壁にぶつかって倒れた。
「俺の行動に異議がある、という者は、力ずくで止めてみろ」
 ボルドーが言うと、数人が飛びかかってきた。
 ボルドーは、全員を殴り飛ばしていった。一度殴っても、立ち上がり再び飛びかかって来る者もいる。全員を起きあがれなくするまで、数十分かかった。
 ボルドーは、息が上がっていた。

「……後のことは、よろしく頼む」
 ボルドーは、そう呟いて、政務所を出た。





 タスカンの南の関から外に出た。一人である。
 偃月刀を、横に立てる。
 ボルドーは、静かに待っていた。

 もう、去り時なのだろうと思う。思いがけず、長生きしてしまった。
 それでも、最後に生き甲斐が与えられたということは、軍人としては幸せなのかもしれない。ただ、アースまでいなくなって生きようとは思わない。

 最後は、戦って死にたかった。
 それこそが戦人だろう。
 心が静かだった。

 やがて、前方に土煙が見えてくる。スクレイの旗が見える。
 ここに来たということは、南下したクロス軍を破ってきたのだろう。予想していたよりも早かった。
 遠目にも実力があることが分かる部隊だ。整然としている。
 ボルドーから、五百歩ほどの距離で、スクレイ軍は停止した。その中から、二人の人間が、こちらに向かって歩いてくるのが見えた。

 そうか、とボルドーは思った。こちらは一人で立っているのだ。相手は、自分をタスカンからの使者か何かと思ったのかもしれない。ということは、あの二人は、相手方の使者だろう。
 ならば、あの二人の首を飛ばしてから、あの軍に突っ込んでいけばいい。そうすれば、問答無用に、敵だと判断してくれるはずだ。

 そう考えていたが、しばらくして、その考えは変わった。
 歩いてくる二人は、かなりの使い手だと感じたからだ。
 一人は、黒い髪の男で、細身で若い。もう一人は、髪が白い。そして、真っ黒い軍装を着ている。両方とも、見たことがない男だった。
 成る程、こんな男達が現れたから、スクレイ軍が強くなったのか、と納得する。

 二人は、何か話しながら歩いてきている。すると、ボルドーから二十歩ほどの距離で、髪の白い男が立ち止まった。不愉快そうな表情で腕を組んでいる。髪の黒い男は、そのままボルドーに近づいてくる。
 十歩ほどの距離になって、男は、鞘から剣を抜いた。そして、心気を放ち始めた。

 ボルドーは、何かを感じた。
 もしかすると、この男は自分が何をしようとしているのか、分かっているのではないか。そして、その上で一対一での決闘をしようとしているのではないか。
 若造が、という思いと、おもしろい、という思いが湧き起こる。
 ただの若気の至りではないことを期待する。
 この鉄血のボルドーの、戦歴の集大成をみせてやろう。
 そして、戦うだけ戦って、散っていこう。

 ボルドーは、偃月刀を構えた。





 どちらともなく、一歩を踏み出した。
 間近で見て、やはり若い、と思った。二十代そこそこといったところか。この若さで、これほどの心気を持っていることは驚嘆に値する。
 彼を殺せば、スクレイの戦力的損失は大きいだろう。だが、そんなことを考える場ではない。
 ボルドーは、偃月刀を横に払った。
 男は、状態を低くしながら、剣で偃月刀を受け流した。
 思わず、唸りたくなった。鮮やかという言葉しか浮かばない。
 男が、下から剣を切り上げてくる。ボルドーは、柄で受け止めた。
 男は、巧みに体全体を使った連続攻撃を掛けてくる。それを防いだ。
 見たことがない剣術だ。しかし、それほど威力はない。手数を稼いで、戦う型と見た。
 ボルドーは、男の一手先を読んで、男の剣を、偃月刀で弾いた。男の体勢が崩れる。
 偃月刀を頭上に構えた。一刀両断で終わりだ。
 思ったよりも呆気ないと思った。期待しすぎてしまったか。
 偃月刀を振り下ろす。が、手応えがなかった。
 男が、横回転しながら、攻撃を横にかわしていた。
 男の剣が、横から飛んでくる。紙一重で、なんとか避けた。
 再び飛んでくる剣撃を、今度は受け止める。
 力が増していた。回転を加えたことで、威力を上げているのか。
 意表も突かれたこともあり、防戦一方になる。なんとか、防ぎきっているという状態が続く。
 おもしろい戦い方だが、この程度で自分を倒せると思われると心外だ。
 ボルドーは、偃月刀を両手で持ち替えながら、一歩前に出た。腰の回転を加え、横に払う。
 男は、咄嗟にそれを剣で防御した。衝撃で、男の体が五歩ほど下がった。
 いい判断だ。避けようとしていたら、胴が離れていただろう。
 男が、笑みを浮かべている。
 自分も、おそらく笑っているだろう。
 両者が、再び接近した。










 空が、夕日によって赤く染まっていることに気が付いたのは、ボルドーの手から、偃月刀が離れた時だった。

 男の攻撃に耐えうる握力を、もはや持ってはいなかった。偃月刀は、ボルドーから十歩ほどの地面に突き立った。
 ほぼ、一日戦っていたということか。
 集中していて気づかなかったが、男は全身浅手だらけだった。自分もそうだろう。
 息が上がりながら、ボルドーは笑った。男も息が上がっている。
 こんな男、今まで一体どこにいたというのか。これほどまで戦いに没頭できたのは初めてかもしれない。
 だが、もうこれで終わる。

 ボルドーは、ゆっくりと胡座をかいた。
「斬れ」
 ボルドーは言った。
 男は微笑むと、剣を鞘に納めた。
「ちょっと尊大な言い方になってしまうかもしれませんが、さすが見事な腕前です、将軍。こんなに苦戦するとは、思ってませんでした」
「言ってくれる。だが、尊大になってもおかしくはない実力をお前は持っているぞ。この俺に勝ったのだからな。まあ、これはこれで、俺が尊大な言い方になっているのかな」
 男は、軽く笑う。
「改めて再認識しました。スクレイが勝つためには、やはり貴方の力が必要です」
 そう言うと、男は一歩近づいた。
「俺たちに、力を貸していただけませんか? 将軍」
 男が何を言っているのか分からなかった。
「……どういうことだ?」
「言葉の通りです。俺たちは、貴方に会うためにここに来たのですよ」
 男が言う。いつの間にか、白い髪の男も近くにいた。

 男は、自分達の目的というものの説明を始めた。戦に勝つ事と、国を変えたいという事、この二つを特に熱を持って話していた。
「アース行政官が、このタスカンで行った政こそ、俺たちが目指しているものに近い。この戦に勝てれば、スクレイ全体をそういう国にできると、俺は思うんです」
 ボルドーは、若いこの男を見つめていた。おそらく、自分の眉間には皺が寄っているだろう。
「お前、名は?」
「カラトです」
「歳は?」
「二十三になります」
「二十三……」
「若すぎると懸念されるかもしれませんが、俺は、こういうことは歳は関係ないと思うんです」
「勧誘するつもりだったと言ったが……だったら何故、俺と戦った? どちらかが死ぬ可能性の方が高いだろう」
「話の現実味を分かってもらうのに、一番手っ取り早いと思ったからですよ」
 言うと、カラトという男は微笑んだ。

「協力してもらえても、もらえなくても、今回の独立の件で誰も罪に問うつもりはありません。当分、人の配置もそのままにしておくつもりです。もし、支援が必要というのなら、上に掛け合ってみます」
 言葉を続ける。
「もし、協力してくれるというのなら、俺を訪ねてきて下さい。おそらく近々、クロスの本体が南下してくるかもしれないので、それに備える場所にいると思います」
 カラトは、一歩下がった。
「では……」
 軽く頭を下げると、二人とも去っていく。しばらくして、スクレイ軍が遠ざかっていった。
 ボルドーは、しばらく立ち上がれなかった。

 不思議な心持ちだった。
 感銘を受けたというわけではない。どこか、あのカラトとかいう男の話を、馬鹿にするような気持ちで聞いている自分がいたのは間違いない。
 何を今更……。そう考えるのは当然だろう。
 もう死ぬつもりだったのだ。死んで終わりにするつもりだった。それを無為にされて、腹が立つと思ったが、そうはならなかった。
 だが、はたして自分は、まだ戦うことを許されるのだろうか。
 誰に許してほしいのか……。


 気が付くと、山並みの向こうの空が白くなっていた。




       

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