Neetel Inside 文芸新都
表紙

少女は英雄を知る
スクレイ動乱編3 攻防

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 前進が始まった。


 本隊は、ほぼ真っ直ぐ都に向かって進むことになる。それと同時に、本隊を補助しつつ、敵の小拠点を潰しながら動く、遊軍が数部隊編成された。
 本隊はともかく、この遊軍は、細心の注意と、戦略的な目的を持って動かなくてはならない。遊軍をどう動かすかは、隊長格の人間と、何度も相談をしながら決めた。当然、突然目的が変わることもあるので、臨機応変に対処しなくてはならない。
「フーカーズか、デルフトの部隊と遭遇した場合、絶対に戦おうとは思うな。部隊を纏めて、退却しようとするのも駄目だ。もう、ある程度の犠牲は覚悟をして、部隊を分裂散開しろ。散り散りになって、個々に退却するのだ。分かったな?」
 遊軍の出発前に、ボルドーは、そう言った。

 それから、三日が経った。
 小規模で散発的な戦いは、各地で続いていた。
 ボルドー自身は、本隊の中にいた。遊軍の救援に、すぐに向かえるように、騎馬隊を常に待機させている。
 サップからの情報によれば、やはり国軍の指揮官が、かなり入れ替わっているようだった。ライトが言っていた要注意の人物たちも、全員前面に出てきている。
 ただ、事実上王子の命を守ったフーカーズは、それでも王子に冷遇されているようだ。デルフトもそうだが、それぼど重要な場所には置かれていない。
 それでも、二人は裏切らないのだろうか。

 数日して、新たにサップからの情報が届く。
 敵軍の一部隊が、南西に向かって動いたという。
 どうやら、本隊の南東に拠点を造りに向かった、ブライトの部隊を潰そうという動きだろう。それよりも、その敵部隊を指揮している者の名を聞いて、ボルドーは驚いた。
「コバルトだと?」
「はい。新たに着任した将軍だそうです」
 サップの部下が言った。
「あのコバルトなのか?」
「それが、隊長には判断がつかないそうです。遠目で見た容姿では、緑の髪色だったそうですが」
 ボルドーは考えた。

 コバルトの消息が、まったく分からなくなっていた。国側についていたからなのだとしたら、一応の辻褄が合う。しかし、あのコバルトが、王子に味方するとは思えなかった。
 だが、人の考え方など、信じられないほど変わってしまうこともあるのだ。
 今は、真相を確かめたかった。
「ブライトに、伝令を出せ。拠点の建造は中止して、守りやすい地形に移動して、守備陣を展開。敵の攻撃を防いでおけ。すぐに、わしが救援に向かうとな」
「はっ」
 ボルドーは、すぐに腰を上げた。





 騎馬隊で進発した。
 雨上がりで、道には水たまりが幾つもあった。泥が跳ね上がり、後ろを駆けている者にかかってしまうが仕方がない。
 道の正面から、早馬が駆けてきた。
「敵部隊の騎馬隊だけが先行しているようです」
 ということは、こちらが到着するよりも先に、ブライトの部隊が敵の騎馬隊とぶつかる。
 進行速度を上げようか、ボルドーが考えていると、道の先で、人が道に飛び出すのが見えた。
 ボルドーは、すぐに右手を挙げた。停止の合図だ。
 道に出てきた者は、道の真ん中で手を挙げている。すぐに、それが誰だか分かった。
 その者の前で、騎馬隊は止まった。

「悪い、旦那」
 真剣な表情で、コバルトが言った。
「俺を、この隊に加えてほしい」
 ボルドーは、コバルトを馬の上から見下ろした。
「コバルトと名乗っている将軍、何かお前と関係があるということか?」
 言うと、コバルトの表情が厳しくなる。
 少しして、頷く。
「話せないのか?」
「すまねえ……こればっかりは、俺が、俺自身でけじめをつけないといけないことなんだ」
 そう言う。
 ボルドーは、コバルトを見ていた。聞きたいことは、他にもいろいろとあるが、今は悠長としていられない。
「予備の空馬がある。それに乗れ。ただし、馬の質は保証しないぞ」
「恩に着る、旦那」





 さらに早馬が来た。
「ブライト軍が、敵の騎馬隊と交戦状態に入りました」
「急ぐぞ!」
 ボルドーは言って、速度を上げた。
 少し進むと、見晴らしのいい平野に出た。
 瞬時に全体の状況を把握する。
 ブライトの部隊三百は、少しだけ平地より高い場所に上がって、密集守備体型をとっている。
 その周りには、約百の騎馬隊が、三部隊駆け回っている。これが、国軍だ。
 ボルドーが率いている騎馬隊は、百騎だ。
 すぐにボルドーは、偃月刀を真上に掲げた。
「行くぞ!」
 駆ける。
 さらに接近して、この騎馬隊全体を指揮している指揮官が見えてきた。
 一つの騎馬隊の先頭にいる者がそうだ。緑の髪が見えた。あれが、コバルトと名乗っている男か。
 ボルドーは、真っ直ぐに、その男を狙った。
 緑髪の男は、こちらの接近に気付いたのか、向きを変えて走り出した。ブライトの部隊から離れる方向だ。
 ボルドーは、そのまま追いかけた。
 少し見ただけだが、やはり先日までの国軍とは、質が大違いだった。細かい指示まで、きちんと全軍に行き渡っているようだ。あの、緑髪の指揮官も、そこそこできるというわけだ。
 ボルドーは、緑髪の男の部隊の最後尾に届きそうなところまで、接近した。最後尾の兵達が、こちらを向いて構えている。
 攻撃をしようと思った瞬間、その兵達が横にずれるように動いた。
 その間から、こちらに突っ込んでくる馬があった。
 緑の髪が見えた。
 まさか、と思った。
 ボルドーは、咄嗟に偃月刀を振るう。衝撃が当たった。
 緑髪の男と、馳せ違った。その後ろから、後続の騎馬も来ている。ボルドーは、その兵達と打ち合う格好になった。
 少しして、先ほどの状況が分かってくる。緑髪の男が、追われている途中で、馬を反転させたのだ。まさか、そんなことをしてくるとは思わなかったので、不意をつかれた格好になってしまった。
 敵の騎馬が、すべて通り過ぎた。十騎は落としたか。
 ボルドーが馬首を返すと、緑髪の男は、すでに離れたところにいた。
 こちらの騎馬も、損害が少なくないようだ。
 思わず舌打ちをする。
 まんまと翻弄されてしまった。それよりも、あの指揮官を討つ絶好の機会を、向こうから与えてきたというのに活かせなかったことが悔やまれる。

 ブライトの部隊が、応戦しているのが見える。
 敵の歩兵部隊が到着するまえに勝負を終わらせないと、兵力数が逆転してしまう。
 ボルドーは声を出して、もう一度、緑髪の男に向かった。
 すると今度は、ブライトの部隊とぶつかっていた二つの騎馬隊が、こちらに向いてきた。
 兵力差がある。まともに正面から戦うのは、どう考えても無謀だ。
 ボルドーは、左に曲がった。
 すると、正面から騎馬隊が来た。あの緑髪も見える。
 こちらが、避ける方向まで予測して先回りしていたということか。
 向こうは不意をついたつもりだろうが、これは好機だとボルドーは思った。
 あの指揮官と、もう一度接近できる。
 ボルドーは、偃月刀を横に構えた。心気を集中する。
 今度は、確実に首を落とす。
 思ったが、敵は、こちらとぶつかる前に、方向を変えた。
 その先を見ると、他の二百騎がいる方向だ。
 追いかけでもしたら、挟撃をかけられるのだろう。見え透いた罠だった。ボルドーは、一旦騎馬隊を止めた。
 しかし、自軍の中から一騎だけが飛び出しているのが見えた。
 緑の頭髪、高い上背。
 コバルトだ。
 向こうに走っていた敵の騎馬隊の動きが止まった。そして、反転を始めた。
 まずい。
 ボルドーは、再び馬を走らせる。
 コバルトが、逡巡なく一騎で進み続ける。そこに、反転した敵の騎馬が正面から向かって行っていた。
 先頭には、あの緑髪の男だ。
 二人が、ぶつかる。
 コバルトが、馬から落ちたように見えた。
 しかし、その後は敵の馬群に紛れてしまって、どうなったか分からない。
 ボルドーは、敵の騎馬隊に突っ込んだ。
 一騎二騎と、払い飛ばす。ある程度進むと、地面に立って、敵兵と応戦しているコバルトを見つけた。
「おいっ!」
 通り過ぎ際に声を出す。コバルトは、ボルドーの後ろについていた騎馬の後ろに飛び乗っていた。
 そのまま、敵の集団を突き抜ける。
 少し進んで、自軍を纏めた。敵も、纏まり始めている。
 にらみ合う形になった。
 ふいに、敵の騎馬の先頭が動き始める。東の方向に向かっていった。それについて、敵の全軍が退却していった。
 ボルドーは、一つ息をつく。
「我々も下がる。ブライトに伝えろ」
 部下に言った。
 ブライトの歩兵と合流する。
「救援助かりました」
 ブライトが、馬を寄せてきた。
「しかし、さすがと言いますか、何と言いますか。あれほどの実力を持った者が、まだ国には埋もれていたのですね」
「そうだな」
「しかし、何故敵は退いたのでしょうか? 敵の歩兵が到着すれば、向こうが有利になっていたのでは」
「こちらも、近くにいたグレイの部隊に救援の要請を出していたからな。近くまで来ているのを察知したのかもしれん。もし、双方に増援が加わっていたら、かなりの混戦になっていただろう。それを避けたのかもな」
 少し、ブライトと話をした後、ブライトの指揮で両方の部隊が撤退を始めた。

 ボルドーは、戦場になっていた平野に戻る。
 コバルトが、一人で立ち尽くしているのが見えた。
「馬から落とされたのか?」
 背中に問う。
「いや、馬を狙われた。始めから、直接ぶつかる気はなかったみたいだ」
「あいつは何者なのだ?」
 ボルドーは聞いた。
 しばらくの間。

 コバルトは、一つ息を吐いた。
 それから、こちらを向いた。
「あいつは俺の弟だ」




     

 待機のままだった。


 先ほどから、横を別の部隊が行き来しているが、自分の部隊は、身動ぎ一つ無く、自分の後ろについている。
 フーカーズは、馬上で腕を組んでいた。
 正規軍の集団の端に配置されていた。相変わらず、上は自分を警戒しているらしい。パステルなどは、かなり上に訴えてくれたようだが、変わることはなかった。一度会ったパステルは、すまないと言っていたが、気にはしていない。
 王子に気に入られようなどとは、始めから微塵も思っていない。ただ、この部下達と全力で戦う場所があればそれでいい。

 フーカーズは、前方に目を移した。
 数時間前に、慌ただしく出撃した部隊が、戻ってきているのが見えた。
 先頭には、あのコバルトと名乗っていた男が見えた。馬上で、少し俯いている。片方の手首を押さえているようだ。こちらには、まったく気付かずに近づいてきていた。
「どうだった? 鉄血将軍は?」
 近くまで来て、フーカーズが言うと、驚くように顔を上げていた。
 それから、少し笑む。
「いや、驚きました。正直言うと、少し侮っていましたよ。私も、自分の力には結構自信があったのですけどね」
 男の手が、少し震えているようだ。
「危うく手首を切り落とされるところでしたよ。完全に、相手の虚をついての攻撃だったのに……あの一瞬で、反撃をしてくるとは恐れ入りました。さすが、十傑といったところでしょうか」
 続く。
「あんなのが、十人もいたと思うと圧巻ですね。前の大戦での大逆転劇というのも、頷けます」
「あの人は、特別さ」
 フーカーズが言う。
「あの人に勝てる可能性がある者は、十傑の中でも二人か三人だけだ。私などは、絶対に無理だな」
「そうでしょうか? 貴方なら、勝てると思いましたが。将軍の部隊なら」
「部隊ならば、だろう? 私ではない」
「いえ。この部隊は、将軍の手足そのものでしょう?」
 そう言った。
「コバルトと戦ったことは、何も言わないのだな」
 フーカーズが言うと、コバルトと名乗っていた男の顔から笑みが消える。
 少しの間。
「まあ、まだまだ戦いは始まったばかりですよ」
 そう言って、通り過ぎて行った。
 フーカーズは、再び前方に目を移した。
 再びの静止。

 しばらくして、また別の部隊が横を通り過ぎようとしていた。そこから三騎だけが、集団から外れて、こちらに近づいてきた。
 先頭の男を、フーカーズは横目で見た。
 将軍の位の具足だ。濃い金色の髪を後ろに流している。歳は、二十代の終わりの辺りか。見たことのない男だが、風貌で誰か分かる。
 この男が、ゴールデンだろう。
「あんたが、フーカーズさん?」
 男が言った。
 フーカーズの後ろにいた部下が、動こうとしていることが分かった。フーカーズは、少し手を挙げて、その部下を制止させた。
 男は、フーカーズのすぐ横まで来た。
「へえ。思ってたより、小さいんだな」
 男は、顔に少し笑みを浮かべている。
「それに、あんまり強そうじゃないな。本当に、スクレイの十傑?」
「何の用だ?」
「せっかくなんで、挨拶でもしとこうと思ってな。俺のこと知ってるかな? ゴールデンっていうんだけど」
「お前は確か、先日の戦の時、王子のすぐ後ろに配置されていたようだな。何故奇襲を受けたとき、すぐに救援に向かわなかった?」
 フーカーズが言うと、ゴールデンは笑む。
「狙われたのは、シアン王子だろ? 生憎俺には、あいつを助ける義理はないんでね。俺は、グラデ様に取り立ててもらったからな。むしろ、シアンには死んでくれた方が都合がいいんだよ」
 そう言った。
「あんたこそ、シアンに取り入るのに失敗したみたいだな」
 ゴールデンは、笑みながら言っている。
「あんな奴より、グラデ様のとこに来なよ。あの人の方が、器量はあるぜ」
 フーカーズは、黙った。
 ゴールデンは、鼻で笑う。
「次の戦では、俺も先鋒の一人なんでね。あんたの昔の仲間が、何人か敵側にいるんだろ? どういう奴がいるのか、是非とも御教授してもらいたいな」
「ならば、忠告しておいてやろう」
 フーカーズは言う。
「戦場では一秒たりとも、気を抜かんことだ。お前の首など、あっさりと飛ぶぞ」
「へへえ。それは、楽しみだなあ」
 再び笑う。
「十傑ってやつを俺が倒せば、俺の名が歴史に残るのかな」
 言って、ゴールデンは駆けていった。










 ボルドーは、本隊の所まで戻った。同時に、グレイとグラシアにも戻ってくように伝令を出していた。
「あんた、今までどこにいたのよ」
 グラシアが、コバルトに会うなり言った。
「いやあ、悪かったな。寂しい思いをさせちまったみたいで」
「はあ?」
 グラシアが、眉をひそめる。
「これから一緒に戦ってくれるって考えていいの?」
 グレイが言った。
「ああ、宜しく頼むぜ」
 コバルトは、笑って言った。
「話に聞いた、コバルトって将軍。あんたと関係がある人なの?」
「いや、全っ然知らねえ。ったく、たちが悪いよな。勝手に人様の名前を使うなんてよ」
 グラシアは、コバルトを見ていた。
「はは、何だ? 今更見惚れちまったのか」
「軽口は相変わらずみたいだね」
 グラシアは、ため息をついた。

 それから、少ししてサップからの報告が届く。
 再び大軍が近づいてきていた。数は、九千強。前回よりも少ないが、質は段違いだろう。
 今度は、前回のような単発な戦いにはならないはずだと、ボルドーは思っている。
 隊長格に召集をかけた。
「パステルにインディゴ、ゴールデンにオーカーか。警戒していた将軍が、揃いも揃ったといったところか」
 ボルドーは、敵陣の報告を読み上げた。
 それから、集まった者達を見回す。
「何か案があるなら聞こう」
 意外そうな顔をする者が何人かいた。
「当然、正面からまともに戦うのは愚策です。こちらは、全軍で四千弱。相手の半分程度しかありません。地の利を生かして、戦うべきでしょう」
「地形なら、少し南西に行った辺りに、岩山が多い地域があります。あそこならば、大軍の利が生かせないと思いますが」
「西の城に戻るというのはどうでしょうか」
「それは、消極的な印象を自軍と世間に与えてしまう」
 意見が交わされた。

 ボルドーは、全員の意見を聞いたという態度を示してから、そのまとめという風に話始める。
「よし、本隊の前進は一旦中止だ。全軍を、南西の移動。いい高台に本隊用の砦をすぐに建設。地の利を生かしながら、そこで迎え撃つ」
 グラシアを見る。
「グラシアは、すぐに砦建設の資材を集めてくれ」
 グラシアの眉が、明らかに真ん中に寄った。
「いつまでに?」
「早ければ早いだけいい。だが、明後日までには、目処をつけておきたい」
「……分かった」
 ため息をついたグラシアの肩を、苦笑いをしたグレイが触れていた。

 集いが散開した後、元十傑の三人が残った。
「お前達、覚悟を決めておけよ」
 ボルドーは言った。
「次は、フーカーズとデルフトが来るかもしれんぞ」




     

 資材が続々と集まっていた。


 砦を建設する場所を決めて、そこに人と資材を集めているところだった。
「こちらに、なりますが」
 言って、ウォームが図面を差し出してきた。
 しばらく見る。
「うむ、悪くない。これで、造り始めるとしよう。細かい問題点は、その都度修正していくようにしよう」
 ウォームは、無表情のまま、一つ頷いた。
「こういうことが得意のようだな」
「一通りの見識を持っているだけです」
 ルモグラフの推薦もあって、砦の設計を任せてみたが、聞いていた通りの能力があるようだ。
 三日もあれば、砦は、ある程度の形にはなるだろう。

 国軍は、あと三日というところまで接近してきていた。
 その中には、パステルとインディゴ、ゴールデンという、ライトが言っていた者達がいる。その他は、王子の取り巻きの将軍などが数人。その前衛部隊の後ろには、フーカーズにデルフト、オーカー、コバルトと名乗っている将軍の部隊がいるようだ。
 ただ、総指揮を任されている人間がいないという情報が入っていた。前回の敗戦の反省を生かすために、力のある将軍を使うということでは、二人の王子の意見が一致したようだが、それぞれに自分の取り巻きを総指揮に当然したいので、再び対立が起きそうだった。しかし二人とも、さすがに再び対立することはまずいと思ったようで、総指揮者は選ばないということで妥協したらしい。
 つけ込めるかもしれない隙ではある。

 騎馬隊を指揮する者達を集めた。
「我々は、開戦以後、ずっと砦の外で戦う。敵が、砦の攻撃を始めたら、不意打ち奇襲を繰り返し、反撃されそうになったら、すぐに逃げるということを繰り返す。何日かかるかは分からんが、敵が撤退をするまで続くと思え」
 了解の声が挙がった。










 整然としていた。
 さすがに、スクレイ軍の主力である。
 正面には、六千の部隊がほぼ四角の形に整列していた。それ以外に、あと三千がいるらしいが、取り敢えずは視認できなかった。
 砦の正面から二千歩ほどの距離か。岩山の地域に、少し入って進軍が止まったようだ。それから、一時間ほど動きがない。攻撃を躊躇っているのか、何かを準備しているのかは分からなかった。

 セピアは、砦の外にいた。
 シエラ軍に入ってから、セピアが配属になったのは、本隊つきの騎馬隊だった。前の戦いでは、ルモグラフのすぐ近くにいたので、ほぼ戦闘には参加していない。
 今回の戦いでは、本隊に騎馬隊はいらないので、外に出ている。セピアがいる騎馬隊は、五十騎だ。
 ただ、自分が言うのもおこがましいのだが、十傑の方々が率いている騎馬隊に比べると、質は低い。それほど無理な戦いはするなと指令が出ているようだった。
 とはいえ、やはり今度の戦いでは、本格的な戦闘に参加することになるのだろう。

 手に汗が滲んでいた。
 砦の近くで、国軍を遠目に観察した後、セピアのいる騎馬隊は南に移動することになった。砦を攻撃する国軍に攻撃をする騎馬隊の、背後を備えるという任務のようだ。
 岩山が、幾つも重なっている地形で、見通しは悪い。岩山の間を通り抜けて走った。
 騎馬隊の隊長は、上の方を、きょろきょろとしながら走っている。各地点にいる見張りの合図を確認しているのだろう。
「何だ?」
 ふいに隊長が、声を出した。
 どうしたのかと思った瞬間、いきなり馬蹄の音が聞こえる。
「迎撃!」
 誰かが叫んだ。セピアは、慌てて槍を構えた。
 敵が、どの方向から来ているのか分からなかった。前方にはいない。右、左と見る。セピアの近くにいる兵達も、慌てているのが見えた。
「おいっ、来てるぞ!」
 また、誰かが叫んだ。
 次の瞬間、視界が荒れた。
 土煙、馬蹄、声。
 気付くと、前にいた十数人がいなくなっていた。
 敵の騎馬隊に、強襲されたのだ。それは、理解できた。
 敵は、すでに五十歩ほど先にいた。固まって反転しようとしている。遠目にも百騎は越えていることが分かる。
 何故、これほどの規模の騎馬隊の接近に、見張りは気付かなかったのだ?
 いやそれよりも、どう考えても、味方がこの数では勝負にならない。セピアは、そういうことを何故か冷静に分析できていた。
「隊長! 撤退を」
 言って、気がついた。
 いない。
 敵が、再び疾駆を始めた。
 先頭には、濃い金色の髪の男。少し笑っているように見えた。
 セピアは、振り返って槍を掲げた。
「駄目です! 逃げましょう!」
 その言葉に我に返ったような顔をしている者が数人。慌てて、馬を動かし始めた。
 セピアも、馬を駆けさせる。
 ばらばらと走り始めた。陣形も何もない。セピアは、しんがりの辺りについた。
 振り返ると、敵が近くなっていた。明らかに、敵の方が速い。
 しんがりが、敵と接触した。次々と、味方が薙ぎ倒されていく。
 セピアは、自分に接近してくる敵騎馬を見つけた。槍を構えている。もう、その男しか見えなかった。
 男が、槍を突き出してくる。セピアは、それを右手で掴んだ。そして、左手にあった槍を、男の腹部めがけて突き出した。
 手に感触があった。
 いつの間にか、男がいなくなっていた。馬から落ちたのだと分かった。
 セピアは、視線を切り替える。
 さらに、数騎近づいてきていた。その中に、先ほど見た、金髪の男がいるのが見えた。手に持っているのは、戟だろうか。
 この男は、手練れだ。瞬時に分かった。こんな、追われているような状況では、勝負にならない。
 思った時、敵騎馬隊の中から上がっている土煙が増えた。
 いや、馬が増えた。
 別の騎馬隊が、介入してきたのだ。
 金髪の男が、振り返っていた。
 それから、ようやく味方が来たのだと分かった。





 ボルドーは、報告を聞いて、急いで南に向かった。もしかしたら、南から、かなり大回りをして移動している敵の騎馬隊がある可能性があると、サップの部下が報告に来たのだ。
 もし、それが本当なら、南に向かった味方の騎馬隊が全滅するかもしれない。

 案の定、味方の騎馬隊が襲われていた。ボルドーは間髪入れず、敵の騎馬隊に突撃した。
 質は低くない騎馬隊だと感じた。前に戦った、コバルトと名乗っていた将軍の軍と同等ほどか。
 しかし、敵の不意を突けたようで、最初の突撃で、随分と蹴散らすことができた。
 反転する。
 敵騎馬隊が、こちらに向けて馬首を揃えようとしていた。ボルドーは、それでも躊躇せずに、もう一度突っ込んだ。
 再び、手応え。
 前方に、隊列と違う動きをする一騎があった。金色の髪で、方天戟を持っている。そして、指揮官の具足をつけている。
 男も、こちらに気付いたようで、馬首をこちらに向けた。
「鉄血のボルドーだな」
 男が叫んで、駆けてきた。ボルドーも駆ける。
「俺は、スクレイ国将軍ゴールデン」
 ボルドーは、馬上で偃月刀をなぎ払った。男が、戟の柄で受け止める。
 次に、頭上から振り下ろす。男は、再び柄で防ぐ。
 間髪入れず、今度は突いた。男は、それを払いのけた。
 接触前は、少し余裕が見えた男の表情も、一気に強ばったのが分かった。
 少しはできる。ただ、それだけだ。
 間断を入れずに、連続攻撃を続けた。男は、なんとか食い止めているといったところだ。
 男が、偃月刀しか見ていない、と分かった。
 ボルドーは、空いた片手で、男を殴り飛ばした。男が、馬から落ちる。
 思いがけずの好機になった。将軍位を、こんなに簡単に一人減らすことができる。
 思って、落馬した男に接近した瞬間、何かが聞こえた。
 何かを感じた。
 何かが、すぐそこまで来ている。
 馬の蹄の音だ。他の馬とは、まったく異質の音。
 ボルドーは、振り返った。
 ふいに敵味方が上げていた喚声の色が変わった。その次の瞬間、土煙の向こうで人影が、まるで別の物のように宙に舞っているのが見えた。
 味方の兵が飛ばされている。
 土煙の中から、長柄の大斧が見えた。
「まずい!」
 ボルドーは、思わず叫んだ。
 ボルドーは、慌てて騎馬隊を纏めようとした。偃月刀を掲げて、目印にする。
 味方が、こちらに向かい始めるが、その群を次から次に落とす者がいた。
 これ以上放置していたら、味方がやられる一方だ。
 自分が止めるしかない。
 ボルドーは、それに接近した。
「デルフト!」
 デルフトが、こちらに目を移した。
 藍色の髪が見える。昔よりも長くなっているか。そして、こめかみにある刃傷の痕。ただ、それよりも目につくものがあった。
 いや、なくなっているのだ。無精髭がなくなっていた。それだけで、随分若い印象になる。確か、歳は三十ぐらいだったか。
 部隊を率いてきたのだろうが、その部隊とは、かなり離れているようだ。
 デルフトはフーカーズとは違い、部隊を細かく指揮をしない。ただ、先頭で暴れ回るだけだ。しかし、それが部隊に何倍もの力をもたらす。
 ボルドーは、偃月刀を構えて、心気を集中した。
 デルフトは、長柄の大斧を片手で横に構えていた。あれは、偃月刀よりも重量がある。いくらデルフトといえど、片手では扱いづらいはずだが。
 両者騎馬のまま接近する。
 構えが荒い。ボルドーは、そう感じた。どういうつもりかは知らないが隙だらけだ。
 ボルドーは、偃月刀で切り抜こうとした。
 いや。
 違う。
 心気が違う。
 斜め上から、巨岩が降ってきた。感覚的には、そういうものだった。
 間一髪で、なんとか反応した。デルフトが、振り下ろしてきた大斧を、偃月刀の柄で受け止める。
 両腕が、響く。
 急に視界の高さが下がった。何が起こったのか分からなかった。
 デルフトが、馬上でもう一度、大斧を振り上げているのが見えた。ボルドーは、一瞬再び柄で受け止めようと考えた。
 いや、駄目だ。
 直感が働いて、横に飛び退いた。
 デルフトが、大斧を振り下ろすと、赤い鮮血が大量に辺りに飛び散った。
 そこで、ようやく気がついた。乗っていた馬の足が折れたのだ。それで、目線が下がったのか。この血は、ボルドーが乗っていた馬の血だ。
 デルフトの目線が、こちらに動いた。
 昔と同じで、感情が籠もっているようには見えない目だった。

 それからデルフトは、ゆっくりと大斧を横に上げた。




     

 対峙していた。


 両軍入り交じる真ん中に、二人ともいるのだが、周りの兵達は、自分とデルフトの心気の圧力を感じて、誰も近づいてはこれないのだろう。あるいは、デルフトに近づくなと、あらかじめ命じられているのか。
 ボルドーは、地面に立って、偃月刀を構えていた。
 騎馬のデルフトが、ゆっくりと近づいてくる。
 デルフトを集中して見ていたが、ボルドーは、その後ろに気がついた。
 デルフトの後方から、また別の騎馬隊が接近して来ている。その先頭にいる者を見て、ボルドーは足を踏み出した。
 接近した。とにかく、奴の攻撃に当たらないことだけを考える。
 デルフトは、横からすくい上げるように大斧を振るう。
 ボルドーは、偃月刀で大斧の軌道をずらした。
 デルフトが、大振りになる。完全に隙だらけに見える。ボルドーは、さらに一歩を踏み出した。
 次の瞬間、とんでもない速さで大斧が戻ってきた。
 ボルドーは、それを柄で受けた。体が、後ろに飛ばされそうになるが、踏ん張る。
 本気で攻撃をしようとしていたら、あれは食らっていただろう。ボルドーは、始めから攻撃をする気はなかった。
 本命は、後ろだ。
 デルフトの、すぐ後ろまで、コバルトが接近していた。
 コバルトが、鉄棒を突撃させた。
 当たる、と思った。しかし、デルフトは瞬時に身を翻すと、空いていた片手で、その鉄棒を払いのけた。
 次には、すぐに大斧が飛んでくる。
 まずい。
 今度は、コバルトの方が体勢が崩れている。
 ボルドーは、一歩踏み出した。
 デルフトが乗っている馬の足を狙って突いた。
 デルフトの体勢が、少しだけ崩れる。
 コバルトは、間一髪に大斧を受け止めていた。しかし、それと同時に馬が潰れたようだ。すぐに、馬から飛び降りていた。
 デルフトの馬も崩れる。
 デルフトは、崩れた馬に跨がったまま、しばらくいたが、それからゆっくりと立ち上がっていた。
 自分とコバルトとで、デルフトを挟んで立っている。
 しばらく、そのままだった。

「おい、てめえ、どういうつもりだよ。王子側につくなんてよ」
 コバルトが、棒を構えたまま言った。額には、大粒の汗が流れているのが見える。おそらく、自分も同じようなものだろう。
 デルフトは、何も構えていない。片手に大斧を提げて、涼しい顔のままだった。
「あいつらの下にいたって、ろくなことないぞ」
 デルフトは、コバルトの方へ視線を向けただけで、何も反応しない。
「てめえ、いくら無口だからって、黙ってていいわけないぞ」
 コバルトは、片足を少し前に出した。それに合わせて、ボルドーも片足を進める。
 二人は、慎重にじりじりと間をつめた。デルフトは、二人をゆっくりと交互に見ているだけだ。

「コバルト」
 ボルドーが言った。コバルトが、こちらに目を移す。
「ここは引く」
 言って片手を上げた。
 部下の騎馬が、走り始める。ボルドーは、通り過ぎ際の騎馬の後ろに飛び乗った。コバルトも、同じように飛び乗っていた。
「撤退だ! 一旦南西の方角へ下がるぞ!」
 敵の騎馬は、追撃をしてくる気配がなかった。
 ボルドーは、振り返る。
 デルフトは、同じ位置に立ったままだった。





 ある程度走ったところで、ボルドーは停止の合図を出した。
 コバルトと自分の騎馬隊。そして、最初に敵に襲われた騎馬隊がいた。
 敵に襲われた騎馬隊は、かなり減っているだろうか。自分が、少し不用心な指示を出してしまったことが原因だ。
 悪いことをした。
 コバルトが、寄ってくるのが見えた。睨みつけるような表情をしている。
「何なんだよ、あれ」
 低い声で言う。
「あいつ、昔より強くなってんぞ」
「……うむ」
 ボルドーは、同意だった。
「わしでは、もう一対一ならば絶対に勝てんだろうな。お前と二人がかりでも、どうなるか分からないと、わしは感じた。だから、引くことにしたのだ」
「まったく……とんでもねえな」
 コバルトが、苦笑いをして、首を竦めた。
「これから、どうする?」
「取り敢えず、ここで様子を見よう。奴がここにいることで、全体がどうなっているかが気になる。本隊からの連絡を待つ」

 その場で、防御の布陣を敷き、小休止をとらせた。
 治療できる傷の者は、この場で治療する。もう戦に加われないほどの傷を負った者は、西の小城に運ぶことになる。
 ここまで来てから、命を落とした者も、何人かいた。そういう者は、できるだけ、この場で埋めた。
 兵達を見回っていると、ボルドーは、少し俯いて座っているセピアを見つけた。

「大丈夫か?」
 近づいて、声をかけた。
 セピアは、すぐにこちらを向いた。
「あ……はい。私に怪我はありません」
 声の調子は暗かった。
「気が滅入ったか?」
「いえ、そんなことは」
「怪我が無くとも、気が滅入ったというのであれば、お前も西の小城に、一旦下がってもいいのだぞ」
「いえ、大丈夫です」
 セピアは、少し声を大きくして言った。
 ボルドーは、しばらくセピアの目を見た。
 やはり、気持ちが少し落ちているように思える。そういえば、本格的な人間同士の戦闘に加わったのは初めてだったか。気が滅入るのも、当たり前といえば当たり前か。
 とはいえ、他の兵達がいる手前、特別な対応をするわけにもいかない。
「そうか、無理はするなよ」
 この発言も、特別扱いといえば、そうなるのかと思いながら、ボルドーはその場を去った。

 小一時間ほどしてから、早馬が来た。
 報告を聞いて、すぐに全体が、どうなっているのかが分かった。
 まず、敵の本隊が、砦への攻撃を始めたようだ。中心は、パステルとインディゴが率いている歩兵らしい。
「北には、フーカーズか」
 北側から、砦を攻める敵を攻撃しようと控えていたのは、ダークとグレイ、グラシアの騎馬隊だったが、いきなりフーカーズ軍の攻撃を受けたらしい。
 最初の接触で、かなりの犠牲を出したようだが、今は膠着状態のようだ。
「フーカーズと一緒なのは、お前の弟のようだな」
 コバルトを見て言った。眉を顰めている。
「コバルト」
「分かってるって。あくまでも、この軍の戦いが、最優先事項だ。いきなり北に行ったりはしないよ」
 そう言った。
「そして南には、デルフトとゴールデンか」
 敵の意図としては、こちらの遊軍である南北の騎馬隊を、フーカーズとデルフトとで、完全に動きを封じ込め、本隊歩兵の砦への攻撃を有利に進めようというものだろう。そして、背後の敵本陣はオーカーが守っている。
 敵からすれば、ほぼ完璧の布陣に思えた。大軍の利を、十二分に生かしている。確かに、こちらはどうしようもない状況になりつつあった。
 敵には、総指揮がいないはずだった。何人かの将軍で話し合って決めた作戦なのだろうか。

「砦の本隊はどうなっている?」
 伝達担当の者に聞いた。
「完全に包囲されました。直接連絡はできないのですが、予定通り取り決めていた合図で交信はできています。取り敢えず問題はない、とのことです」
 包囲された場合、保つとしたら半月だろうという話は、ルモグラフともしてある。
 ボルドーは、腕を組んだ。
「こうなったら、向こうの兵站を潰すしか手はないと思うぜ、俺は」
「誰ができる?」
「俺か、旦那だろ」
「デルフトを相手にするには、どう考えても二人がかりでないと持たん。片方が欠けてしまえば、あっという間にやられるぞ。それは、北でも同じことだろう。そして、我々以外にその任務をできる者がいるとは思えん。それに、この地は奴らにとっては敵地でも何でもない。自領地内だ。兵站を潰すことなど不可能だろう」
「じゃあ、どうしようもねえじゃねえか」
「お前も、何か考えろ」
 砦の本隊が壊滅することにでもなれば、この戦いは終わりだ。

 ボルドーは、遠方を見つめて沈思した。










 その後、数日局地戦が続いた。砦の本隊の援護には、まったく行けなかい。
 デルフトとは、まともに戦うことはせず、いなすような戦い方をするだけだ。ゴールデンは、前回の反省をしたのか、慎重な戦い方をするようになっていた。能力はある指揮官なので厄介だった。
 おそらく、二人に与えられた軍令は、こちらを砦の方に行かせないようにするというものだろう。砦とは逆方向に逃げると、あまり追ってこないようだ。
 砦の攻防戦の様子も、定期的に届けられる。やはり、パステル、インディゴの二将も高い力を持っているようだ。じわじわと、押されてきている。
 ボルドーは、戦闘の間も、この状況を打破する術を、ずっと考えていた。数日経ったが、効果があると思うものは一つしかなかった。
 それをサップに伝えようと思っていた頃に、サップの部下が、サップからの伝言を届けてきた。
 内容を聞いて、ボルドーは少し唸った。
「わしの考えと、ほぼ同じだ」
 サップは、ライトと協力して、すでに工作を始めているらしい。
「そのまま進めてくれと、サップに伝えてくれ。できることなら、早いだけ早い方がいい、とも」
「はっ」

 サップの部下が去ってから、ボルドーは腕を組んだ。
「もう、あの二人に託すしかないな」
 一人で呟いた。




     

 局地戦が続いていた。


 デルフトと戦い始めて、十日が経とうとしていた。
 あちらも、そこそこ減らしているとはいえ、こちらの損耗も少なくない。そもそも、互角の戦いをしていれば、こちらの負けだ。砦の本隊の援護が、まったくできない。もう、砦を守りきることは不可能なので、本隊を包囲から脱出させるしかないと思っている。
 問題は、どうやって脱出させるかだった。

「そろそろ始めるぞ」
 ボルドーは、馬上でコバルトに言った。
「よっしゃ、行ってくら」
 そう言い残し、コバルトと、その部隊は東に向かって駆け始めた。砦の方角とは違うが、敵としては、簡単に看過できる方角でもない。
 さて、デルフトが、どう動くか。
 ボルドーと、その部隊はそのまま待った。

 しばらくしてから、斥候が数人戻ってくる。
「どっちが動いた?」
「ゴールデン軍です。東に移動をしました」
 ということは、残ったのは、デルフトか。
「よし、前進」
 ボルドーは、偃月刀を掲げた。それと同時に、騎馬隊が動き出す。

 岩山地帯の中の、直線上が、よく見通せる場所で、デルフト軍が正面に構えていた。
 遠目にも、デルフトが先頭にいることが分かる。
 ボルドーは、騎馬隊を少し停止させた後、偃月刀を上から右に振った。
 騎馬隊が、東に向いて動く。
 馬を駆けさせながら、ボルドーは思案した。
 このまま、もしデルフトが追ってこなければ、ゴールデンの部隊を全滅させることができるだろう。だから、デルフトは必ず追ってくる。

 少し進むと、予想通り、後方から土煙が上がっていることが確認できた。
 よし。
 早馬が二騎、正面から駆けてきた。
「コバルト軍と、ゴールデン軍が交戦」
 ボルドーは、さらに部隊を走らせた。
 同じ騎馬とはいえ、デルフトの部隊の方が、馬の質は遥かにいい。徐々に差を詰められているようだ。
 ボルドーは、それは気にせず、辺りを確認しながら進んでいた。
 相変わらずの、岩山地帯だ。見通しは悪い。

 目的の場所まで来ていることが分かって、ボルドーは偃月刀を、真上に掲げた。
「反転!」
 騎馬隊が、一斉に反転する。ボルドーは、前後が入れ替わった騎馬隊の先頭まで進んだ。
 正面には、デルフトが見えた。あと、二十秒ほどで接触する距離だ。
 敵には、勢いがついている。定石ならば、このような形での反転は、無謀というものだろう。
「行け!」
 ボルドーが言うと、自分の後方にいた騎馬隊が、二隊に別れて、敵の外側を通るように走り始める。
 ボルドーだけが、その場に残った。
 デルフト以外の敵兵が、驚くような顔をしている。
 ボルドーは、偃月刀を両手で構えた。
「デルフト!」
 デルフトは、大斧を右腕で横に上げた。そのまま、突っ込んで来る気だ。
 デルフトと、その率いてきている軍は、また距離ができていた。
 あと、五秒で接触というところ。
 瞬間、デルフトの眼球が右を向く。
 いきなり、激しい金属音が響く。
 デルフトが、右に向けて大斧を構えていた。
 次の瞬間、騎馬のコバルトが、デルフトの左の岩山の影から飛び出した。すぐに、鉄棒を繰り出す。
 ボルドーも、馬を走らせた。
 デルフトは、素早く身を返して、鉄棒を大斧の柄で弾く。コバルトの二撃目も、柄で受け止めた。
 ボルドーも、偃月刀を繰り出した。
 その時、デルフトの心気が、急激に高まっていることが分かった。
 今、デルフトは両手で大斧を握っている。
「伏せろ!」
 突風。いや、風切り音。
 とんでもない音を放ちながら、馬上で伏せた頭の上を、大斧が横切った。
 三人とも、騎馬だ。そのまま馳せ違う格好になった。

 やはり、駄目だったか。
 あの一瞬の接触で、デルフトの首を狙う作戦だった。残念もあるが、始めから駄目だろうという思いもあったのだと、今感じた。

 すぐに思考を切り替える。
 前方には、デルフトが率いてきた騎馬隊が迫っていた。
 一人では、難しいだろうが、今は隣にコバルトがいる。突破するだけならば、できるだろう。
 この場の作戦は敗れたが、全体の作戦は、ほぼ思い通りに進んでいた。
 ボルドーは、改めて気合いを出した。





 敵軍を突破して、少し進んだところで、先に敵の脇を通過させた自軍と合流した。そのまま、西に進軍する。
「死ぬかと思った」
 横から声がする。見ると、コバルトの髪型が何かおかしかった。先ほどの大斧が、頭を掠っていたようだ。
「なあ、旦那」
 コバルトが、呟くように言う。
「あいつ……カラトより強いんじゃねえか?」
 言われて、ボルドーは考えた。
 確かに、そうかもしれない。
 しかし、口には出さなかった。

「お前の部隊は大丈夫か?」
 コバルトに言った。
「まあ、ゴールデンに、あの部隊に俺がいないってことがばれなきゃ、最小限の被害で撤退できると思う」

 さらに進んだところで、横道から、少数の騎馬集団が出てくるのが見えた。
 先頭の者が併走してくる。
「あれを止められたら、もうお手上げね」
 グラシアが、肩を上げて言った。
 さきほどの接触で、デルフトに最初に攻撃したのは、グラシアの弓矢だった。
「奴は、我々の戦い方を知っているからな。お前の弓も、想定内だったのだろう。でなければ、あれを止めることなど、普通できない」
「折角来たのに、これで退散か」
「まあ、予定内だ」

 正面から、早馬が来た。ボルドーは、少し構える。報告次第では、全作戦が瓦解する。
「本隊が、敵の包囲を突破しました! 南西に向かいながら、敵の追撃と交戦中です」
「敵指揮官は、入れ替わったのか?」
「確認しました」
「よし、このまま本隊の援護に向かうぞ」
 言って、馬の速度を上げた。





 フーカーズは、国軍の前線基地となっている陣に到着した。
 ダーク達の軍と睨み合っている最中に、砦を攻囲していた軍が突破されたと報告が入った。その直後、ダーク達の軍が、緩やかに撤退を始めたのだ。
 追撃しようかと、少し考えたが、おそらく対策は十分にあるのだろうと思い、追わなかった。その後、すぐに前線基地に向かったのだ。

 兵達が、慌ただしく動き回っている中、フーカーズは指揮官用の建物に向かった。
 建物の前で、パステルが顔を紅潮させて、部下に指示を出している。
 フーカーズは、それが終わるまで待った。
 部下達が散っていくと、パステルは息を吐いて、置いてあった椅子に腰掛けていた。
「何があった?」
 言いながら、近づく。パステルは、驚くように顔を上げていた。
「フーカーズ」
「何があった?」
 同じことを言った。
 パステルは、苦悶に満ちた表情をする。
「攻囲の最中、都から、指揮を交代しろとの命令が届いたんだ。それで、仕方なく引継の手続きをしていた時に、奴らが砦から打って出てきたんだ。どうしようもなかったよ」
 パステルは、再び息を吐く。
 フーカーズは、それだけで大体の状況が分かった。
 おそらく王子達は、砦が陥落寸前だという報告を聞いたのだろう。それで、一時は抑えていた政争の点数稼ぎを、再び再燃させたということか。自分たちの取り巻きの将軍に、最後の仕上げをさせようとしたが、そこをまんまと狙われたということだろう。
「本当に、すまない……君やデルフトが、私などの指示に従ってくれて、完璧な戦いをしてくれたというのに」
「君の責任ではないだろう」
「いや、私が気を回さなければならない事柄だった」
 言うと、パステルは、少し目を伏せた。

「それにしても、時機が合いすぎていた、と私は思うけどね」
 別の声が、割って入ってきた。
 フーカーズは、振り向く。薄い茶色の短い髪、指揮官用の具足を装備している女が近づいてきていた。確か、歳は五十ほどだったか。
 フーカーズは、少し頭を下げた。
「どういうことですか? インディゴ将軍」
 パステルが言う。
「奴らが、打って出てくる時機が、完璧すぎだったとは思わないかい? それに、うまい具合に南にいたデルフトが、東に引きつけられていた。奴らが、奴らの本隊をデルフトに攻撃されないようにしていたとしか思えないね、私は」
「まさか。指揮官の交代命令を出したのは、王子ですよ……いや、そうか、取り巻きの中に、敵との内通者が」
 パステルは、考える仕草をする。
「あんたは、どう思う? フーカーズ」
 インディゴが言う。
「王子の傍に、敵との内通者がいなくとも、情報をある程度操作すれば可能な策略だと思いますね。あとは、王子が放つ伝令を確認し、それよりも早く、味方に知らせることができれば、時機が完璧だった説明もつきます」
「多分、それだよ」
 インディゴが言った。パステルは唸っている。
「まあ、責任があるとするなら、それは上の奴らだ。そんなに気にすることはないよ、パステル」
「それで納得できるものでしょうか?」
 インディゴが、パステルに近づいた。
「納得できなかったら、軍人を辞めるしかないんだよ。それが、軍ってものだと私は思うね」
 パステルは、少し驚いた顔で、インディゴを見た。
 インディゴは、少し口角を上げる。
「お前達は、まだまだ若い。自分の将来を、狭めるなって言っとくよ」
 そう言って、インディゴは歩いていった。
 パステルは、考え込むような仕草をする。

 入れ替わるように、一人の男が近づいてくるのが見えた。。 
 指揮官の具足をつけていて、黒い髪を、頭の後ろで縛っている。たしか歳は、三十代の後半ぐらいだったか。
 将軍の、オーカーだ。
「パステル将軍、当分戦はないという認識でいいのですか?」
 その言葉に、パステルは顔を上げる。
「ええ……ここより本隊を前進させるためには、またいろいろと軍の編成から、物資の準備までやり直さなければなりませんので」
「でしたら、この陣の守備統括の任を、誰かに替えてもらいたいのですが」
「ああ、そうですね。分かりました、では私が引き継ぎましょう」
 オーカーが、少し頭を下げた。
「何か、用事でもできたのか?」
 フーカーズは、オーカーに言った。
 オーカーが、こちらを見る。
「大したことではありませんよ、フーカーズ将軍」
 そう言って、歩いていった。




       

表紙

たろやまd 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha