Neetel Inside ニートノベル
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「ぎゃっー、痛い、痛い、やめてー!」
 骨が軋む音がしたので、手を放してやった。省吾の母は呼吸を整えている。
「はあ、はあ、ごめんなさい。省吾のことだったわね」
 この分では、省吾についても大した話ではないかもしれない。やはり時間の無駄だったか。やっと落ち着いた女は口を開いた。
「実はね、省吾が蒸発したのよ」
「あーはいはい省吾が蒸発したのね、お話ありがとうございます、失礼しましたー」
 速攻であしらって、扉を閉める。閉まりきる直前、言葉の意味が認識された。
「は? 蒸発?」
 扉を開き直す。
「そうよ、蒸発。驚きでしょう」
 驚きだよ。
 雌のブルドッグは『どうだ、おもしろい話だろう』という顔をしている。母親のくせして他人事のようだ。倫理観を疑う。
「まあ、蒸発したことは別にいいのよ」
「いいのか……」
 省吾のやつは普段、親にどんな態度で接していたんだ。
 ともあれ、俺に蒸発を伝えるためだけに訪ねてきたのでは不自然である。そんなことは電話で済む話だ。もっと言うなら、身内の恥を俺に知らせる必要すらない。省吾と俺は長いこと連絡を取っていないし。
「それよりね、水沢さんに渡さなくちゃいけないものがあるのよ」
 言って、省吾の母は後ろにあった紙袋を探る。
「これよ、これ」
 俺の前に差し出されたのは、一つの段ボール箱だった。胸に抱えてちょうどいいサイズ。口のところには、汚らしくガムテープがされている。俺は首をかしげた。
「なんですか、これ」
「省吾がね、残していったのよ。あの子が住んでた部屋はもぬけの殻になってたんだけどね、畳の真ん中にこの段ボールだけが、ポツンと残されてたの」
「はあ」
 奇妙な光景だ。
「それでそれで、段ボールの上に置手紙があったのよ。これを水沢さんのところに届けてくれって、おかしな話よねぇ。実の親にも他のお友達にも、なんにもなかったのによ。あなただけに荷物を残してたの」
「はあ」
 実の親に残さなかったのは、実の親がこんなだからだろう。しかし、他の友人に何もないというのは不思議である。省吾は交友関係が広かった。言葉や物を残すべき相手は他に大勢いたはずだ。それとも案外、俺は省吾に好かれていたのか。
「それでね、水沢さん。ちょっと……言いづらいんだけどぉ。その……」
 省吾の母は急に口ごもる。この女に言いづらいことなど存在していたのか。
「なんですか」
 促すと、俺の顔を見つめた。
「省吾はね、蒸発しちゃったわけじゃない。行方も知らないし、これって社会的にはちょっとした一大事よ。それで、残されたのはこの段ボール一つだったのよ、本当に。すると、その、私たち大人としては、当然、その、しなくちゃいけないことがあるじゃない」
 遠回しに言っているのか、話の本筋が見えてこない。
「言いたいことがあるならハッキリ言って下さいよ」
 俺は掌を向けて威嚇する。省吾の母はこめかみを押さえて「ひっ」と悲鳴を漏らした。
「言います言います。だからその、ごめんなさいね。私、段ボールの中身を見ちゃったのよ」
「なんだ、そんなことですか」
 拍子抜けした。どおりでガムテープの貼り方が汚いわけだ。
「構いませんよ別に。だって、段ボールの中身って省吾の持ち物なんでしょう。息子の物なんですから好きに確認したらいいんじゃないですか」
 許してやる。なのに、省吾の母はまだモジモジしている。今度は顔を赤く染めて、上目づかいで見上げてくる。死ぬほど気持ち悪い。
「あらぁ、そう? おばさんのこと許してくれるのね。でも、水沢さんって、省吾と一体どういうお友達だったのかしら。気になるわぁ。うふふ、年頃の男の子ですものね、色々あるわよね」
 また要領を得ないことを言っている。いい加減、うっとうしくなってきた。俺はババアの腕から段ボールを奪い取る。
「話はそれだけですか。したら、帰ってください」
「うふふふ、そうするわ。ごめんなさいね、お邪魔して」
 相変わらず気持ち悪い顔をして去っていった。なんなんだあれは。


 どっと疲れた感じがする。俺はため息をついて、畳に腰を下ろした。
 目の前には段ボール箱がある。さてと、どうしたものか。まさか時限爆弾など入っていないだろうな。省吾が蒸発したという話も、母親の不審な態度も気になる。ともあれ、すべての答えは箱の中か。
 俺は覚悟を決める。ハサミを手に取って、ガムテープを破いてふたを開けた。中を覗くと、視覚的な刺激に圧倒された。
「うおっ」
 ピンク。箱の中身はほとんどピンク一色だった。ショッキングピンクというのは、本当にショッキングなのだと突き付けられるほどに。
「なんじゃこりゃ」
 眩んだ目を指でほぐす。同じ色が重なって輪郭を失った道具を、一つ一つ取り出していった。
 一つ、リモコンバイブ
 一つ、ディルド
 一つ、ローター
 一つ、電気アンマ
 一つ、リモコンバイブ
 一つ、ローション
 一つ、アナルビーズ
 一つ、ディルド
 一つ、アナルプラグ
 一つ――
 その後も延々と、悪趣味な性具を引きずり出す。パンパンに膨らんだ段ボール箱の中は、隙間なく埋められている。底の方に近づくにつれ、色合いはピンクだけではなくなっていった。黒いボールギャグや銀の手錠、どどめ色をした何かの薬品(容器には手書きで媚薬と書かれていた)など、バリエーションに富んでいる。表面をピンクばかりにしたのは省吾の遊び心だったのだろう。
 ついに最後の麻縄を出し終えたとき、俺の部屋は性具に埋め尽くされていた。
「なんじゃこりゃ」
 俺は再び口に出す。
 頭がおかしいんじゃないか、というのが最初の感想だった。ある日突然、部屋を飛び出し姿をくらませる。その上で、一年以上も連絡を取っていない友人にアダルトグッズを送りつける。こんな奇行、腕のいい精神科医だって理解に苦しむだろう。
 しかし、匙を投げるにはまだ早い。差出人の男について、俺は多少詳しいのだから。


 ここで石嶺省吾という人間について、回顧しておかねばならないだろう。
 彼は昔から、奇行のサイクルを積み重ねて日々を過ごす、奇人であった。加えて、人をおちょくることを好む悪戯小僧だったから、今のようなことは何度かあった。また、省吾は積極的・行動的な男だった。何をするにもまず『どっこいしょ』と詠唱しなければ動けない俺とは、対極の性格である。対極であったにも関わらず、いや、ひょっとすると対極だったからこそ、俺と省吾は惹かれあった。昼と夜が寄り添うように、海と大地が混ざり合うように、俺たちは親交を深めた。
 何もかもが正反対だった俺たち。両方を知る共通の友人たちには『双璧のプレディレクション』の異名を轟かせたものだ。
 省吾との思い出は数限りない。中でも印象に残っているのは、彼の二十歳の誕生日のことだろうか。

――――

「記念式を開くんだ」
 大学の四コマ目を終え、家に帰ろうというときだった。省吾が目の前に現れて宣言する。いつも通りジャージのだらしない恰好で、眼だけが気味悪く光っている。

       

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