Neetel Inside ニートノベル
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「記念? なんのだよ」
 訊ねると、省吾は俺の頬を張った。
「バカ野郎っ、オレの二十歳の誕生日だろうが」
 俺は省吾の腹に膝を入れる。無言でうずくまった背中に言葉を浴びせた。
「何で俺に言うんだそんなこと。お前の誕生日なんぞ知らねぇよ。大体、二十歳になった祝いの式なら、成人式があるだろうが。そんな常識も忘れたのか、脳みそスカスカ野郎」
「……悪かった、確かにオレの言い方が唐突だった。でも和樹、成人式のくだりには間違いがあるぜ」
 省吾は腹をさすりながら続ける。
「成人式なんてのは、国が主導になって開くお遊戯に過ぎない。自分が二十歳になった心構えをするためには、自分自身で祝ってやらなくちゃ意味がない。そうだろ」
「そうか?」
「そうなんだよ。とにかく、式は和樹の家で行うから。お前んち実家だから広いし。部屋を片付けとけよ。今日という日のために、オレは綿密な準備をしてきたんだ。和樹にお披露目したいものもあるんだ」
「お披露目したいもの?」
「とにかく、部屋、片付けとけよな」
 省吾は言って、足早に去って行った。
「なんだあいつ」
 綿密な準備などと言っておきながら、俺にアポを取るのは当日である。妙に浮かれていたし、嫌な予感がする。とはいえ、省吾が突拍子もないことを言いだすのはいつものことだ。大らかな気持ちで構えていよう。


 家に帰った俺は、部屋の片付けなど一切しなかった。省吾が来るときに、いちいち清潔など心がけない、必要ない。だから、いつも通りにポテチを貪り、寝転がって漫画を読んでいたのだが――
 インターホンに呼ばれて玄関を開けたとき、俺は自身の怠惰を後悔した。
「よーっす、準備はしておいたか和樹」
 能天気に挨拶した省吾の横には、女がいた。しかも面識のない女だ。長い髪を横に結んだ熟女は、恭しく頭を下げた。
「こんにちは。省吾くんからお話は伺っております。和樹さん、ですよね」
 緩慢な動きで頭を上げる。笑みを作った口元には小じわがある。肌は白く、服装は派手めだ。世では貴婦人と呼ばれるような人種だろう。俺のストライクゾーンからは大きく外れている。
 俺は省吾の襟元を引っ掴んでその場から連れ出す。
「おい、どういうことだ。他に客人が来るなんて聞いてねぇぞ俺は」
 小声で詰問する。
「だから、部屋を片付けとけって言ったじゃんか」
「話になんねぇ……ところで、あの女誰だ? 省吾の母親か?」
「バカを言え、恋人だよ。清美っていうんだ」
「はあ!?」
 俺は思わず大声を出した。改めて、離れたところにいる女――清美を見る。ひとり残されたままの清美は、手持無沙汰に指を擦り合わせている。省吾がババア専だという話は耳にしていた。しかし、実際に見せつけられると信じがたい。
「あんなののどこがいいんだ。お前、気が狂ってるんじゃないのか」
「失礼だな。あの女、ああ見えて処女なんだぜ。オレが今日の日まで苦労したのはそこだよ。年食った女で処女っていうのは限られてくるからな。しかも口だけじゃなく、本当に処女か否かっていうのまで検証しておかなくちゃいけないわけ」
 何を言っているんだコイツは。頭が痛くなってきた。
「しかし、あの年齢まで処女だっていうのはな……。他に何か、致命的な欠陥があるんじゃないのか。ひどい癇癪持ちだとか」
「清美は良家のお嬢様だぜ。生まれてからずっと男に縁がなかったらしい。確かに世間ズレしてるとこはあるけど、悪い娘じゃない」
「でもなあ。うん十年も処女のままでいたら、マンコの中でなにか発酵してるんじゃないのか? チンコを挿れたら腐り落ちるという可能性もないではないぞ」
「御託はいいから、早く部屋を片付けてこいよ。オレたちは外で待ってる」
 老婆心からの忠告は無視された。
「ちっ、しょーがねぇな。五分待ってろ」
 年増とはいえ、客人を迎え入れる礼儀は必要だ。「面倒なことになった」と一人愚痴りながら、俺は部屋に戻ったのだった。


 それから、わずか十分後のことである。フローリングの狭い室内は、簡易ラブホテルと化していた。
「あっはぁぁああああんっ! おほおおおおおおおっ!? んぎもぢぃぃいいいいいっ」
 清美の野太い声が反響する。こいつほんとに処女か?
 後背位の型である。清美の後ろでは省吾が腰を振っている。
「ふんっふんっふんっふんっ」
 恋人同士のセックスとは思えないほど趣がない。省吾は凄まじい勢いでピストンを繰り返す。双方の口元からは涎が、鼻からは鼻水が、目からは涙が流れている。
「ええのんかっ、ここがええのんかあああああっ! ふんっふんっふんっふんっ」
「あ゛あ゛あ゛あああぁぁんっ! ぞごおおぉぉっ! 省吾くんのぶっといデカマラがあああっ……赤ちゃんのお部屋コツンコツンてノックしてるの゛おおお! 私が50年間、大事に大事に守り抜いてきた熟成納豆処女マンコぉぉおおお……ダメっ降りてきち゛ゃうっ……子宮おりでき゛ちゃうっ! 赤ちゃんのお部屋に省吾くんお迎えしちゃう゛う゛ううぅぅっ」
 いや、こいつほんとに処女か?
 先ほど、俺が部屋を片付けると、すぐに二人があがってきた。我が物顔でテーブルの上を占拠し、省吾が言ったのである。「これより、童貞喪失式を始める」と。
 他人の家で童貞を喪失するのは非常識だ。他人の家でセックスをするのは非常識だ。他人の家を体液で汚すのは非常識だ。以上、俺の反対意見はすべて却下された。「親友、いいから見ていろ、今日は記念すべき日だ」省吾の論はそれだけである。
 対照的に、清美は借りてきた猫の様だった。当たり前だ。見知らぬ男の部屋に転がり込み、セックスを披露するなど狂気の沙汰に相違ない。「だめよぉ、省吾くぅん」なんてしおらしいことを言っていた。だから俺は、省吾だけがノリノリの、気まずいセックスを見せられるのだろうと思っていた。
 それが、この有様だ。
「ん゛ダメぇぇえええ……省吾くん、ゴム付けてないでしょうっ……このまましたらっ、あっ、あっ、んほっ……赤ちゃん、赤ちゃんできちゃう゛っ……省吾くんの精子がお腹に入って……着床しちゃううぅぅぅっ! おばさんマンコに命がやどっちゃうのおおおおお」
「あったりまえだっ馬鹿、この腐れマンコがっ! こちとら大事な童貞捧げてんだよっ……最低限、妊娠くらいはしてもらわなくちゃ困るんだっ……このっ、このっ……ほらっ、力を抜け、オレの貴重な精子が卵管に届くようにっ、おらっ、道を開けるんだよっ」
 省吾は言い放った。こいつの童貞には、50年分の処女だけでは足りぬ価値があるのか。
 俺は二人の情交をただ眺めていた。3Pに参加するわけでなければ、撮影係ですらない。単に、童貞と処女の喪失を見届けるための役である。二人は床に膝をついて腰を揺らす。俺はベッドに座って、上から見下ろす。夕日も沈む、午後の出来事である。
「なんだこれは……」
 俺はほとんど白目を剥いていた。
 もうつらい。一体、いつまで見てればい「んほおおおおおおっ! イッぐううぅぅぅぅぅっ……私っ、私っ、ついにっ、ついにイグうううぅぅぅっ……記念すべき初セックス、初イキ、初妊娠んんんん゛ん゛ん゛っ! メモリアルセックスでっ……二人の愛の結晶できちゃううううぅぅぅぅううっ!」


 二時間後。フローリングの床には、ドロドロになった清美が伏していた。マン汁と精液はカーペットを汚し、果ては窓にまで付着している。白濁がへばり付いた窓越しの空は、すっかり更けている。ああ、もう夜だなあ。
 俺が現実逃避していると、声がかかった。
「なあ和樹、どうだった?」
 省吾の質問。得意げに訊ねた男の顔は、血色がいい。
「どうって、なにが?」
 不思議と声色は穏やかになった。悟りの極致だ。
「だからあ、オレの童貞喪失の感想だよ。最高に派手で、恰好よかっただろ」
「……うん、まあ、よかったんじゃない。特に『こちとら童貞捧げてんだよ』の部分とか。事前に台詞の読み合わせとかしてんのかなって思ったよ」
「おいおい、褒め過ぎんなよ、照れるなあ。あ、ちなみに『こちとら“大事な”童貞捧げてんだよ』な。一応」
「……ああ」
 死ぬほどどうでもいい。
「和樹もさあ、早く彼女つくったら? 幼女が好きなんだろお前。その辺の通学路で待ち伏せでもしてればいいじゃんか。あれ、でも結衣奈っていう女のことが好きなんだっけ、和樹って。そんな噂を聞いたような」
「その噂は脳内から消去しろ」
 最近大学で、妙な風評が流れているのだ。結衣奈とかいう、名前も知らない女と俺が付き合っているとか、好き合っているとか。誰が流しているのかは知らんが迷惑な話だ。相手の結衣奈という女だって嫌だろうに。
「ま、とにかくさ、和樹も楽しく生きろよな」
 省吾は立ち上がる。「じゃ」と短く言って、部屋を出て行った。静かになった部屋には、汚れに汚れた諸々の家具と、清美が残された。
「どうすんだよこれ……」
 俺は途方に暮れて呟いた。
 
 余談。大学構内の至る所に、赤と青のコードがついた(単なる)タイマーを隠した罪で、省吾が大目玉をくらうのは、それから約一月後のことだった。

――――


 場面は再び、五畳一間のアパートに戻る。
 華々しい過去の回想は終わり、俺の前には空になった段ボール箱がある。性具の他には何も入っていないのだろうか。箱をひっくり返してみると、一枚の紙が落ちた。
「なんだ?」
 手帳の一枚を破いた手のひら大の紙。奥の隙間に挟まっていたのだろう。白紙の面を裏返すと、手書きのメッセージがあった。ミミズが這ったような筆跡は間違いなく、省吾本人のものだ。
『よお和樹、元気にしてるか? これから夏になるな。今年はクソ暑くなるらしいから熱中症に気を付けろよ。死ぬことだけは避けるんだ、なんとしてもな。
 ところで、突然だがオレはこれから、やるべきことがある。そのために家を出ることにしたんだ。立つ鳥跡を濁さずというし、私物はすべて捨てていくつもりだったんだが、ちょうど和樹のことを思い出した。だから、微力ながら贈り物をさせてもらったぞ。これを使って、お前も野望を成し遂げるんだ、わかったな。お互いに目的を果たしたらそのときは、また酒でも飲もうぜ。』
 文言はそれで締めくくられていた。
 俺は用紙を丸めて、ゴミ箱に放り込んだ。呆れてものも言えない。減衰する気力のままに、畳に寝転がった。背中にリモコンバイブが当たる。痛てぇ。
 ようするに、身辺整理という訳だ。いらなくなった荷物を押し付けられたらしい。これは勝手な憶測だが、省吾は性具の廃棄方法に困ったのではないか。あいつのことだ、蒸発を思い立ったのは唐突だったに違いない。持ち物を丸ごと不燃ごみに出そうとしたものの、ためらったのだろう。いかがわしい道具をこれだけ大量に捨てれば、問題になりかねない。面倒な手続きを嫌った省吾は、都合のいい相手(つまり俺)に送りつけたというわけ。
 ため息をつく。遠方に離れてさえ俺は、あいつに振り回される運命にあるらしい。部屋中に転がった玩具を眺める。よく見てみれば、道具の種類には偏りがあった。リモコンバイブや電マなど、通常、女を責める用途の道具は充実している。反対に、俺が愛好しているオナホールの類は見当たらなかった。麻縄、ボールギャグなどからもわかるように、玩具群は主に、S向けの用意がされているのである。
 俺は疑問を感じ、真意を探った。荷物の処理が目的ならば、あいつの家にあった『淫熟○賛』が送られてきてもいいはずだ。俺と穴兄弟になることを嫌ったのか? それもまっとうな理由ではあるが……。俺は、捨て去ったメモ用紙の内容を思い返した。点と点が結ばれ、一つの結論が導き出される。
「ああ、そうか」
 なんだ、こんなにも簡単なことを見落としていたのか。つまり俺に、幼女を誘拐しろと言っているのだ、省吾は。俺があいつの熟女趣味を知っているように、あいつも俺の性的嗜好を知っている。大学時代、将来は幼女を調教するのだ、と豪語した覚えもある。
 ぞくりと、背筋が寒くなった。省吾は俺に、罪を犯せと言うのだ。遠回しな言い方ではあるが、犯罪の教唆に当たらないのか、こういうのは。それ以上に俺を動揺させたのは、この荷物が送られてきたのが、よりにもよって今日だということである。
 俺は昨日の出来事を思い出す。結衣奈に流されるままセックスし、後悔した記憶。その後、夜に光る月に誓った。必ず幼女を拐かす、と。これではまるで、思うままに欲望を解き放てと、神に告げられているようではないか。使命、大義、聖戦。犯罪の意味を都合よくすり替える言葉が、次々に浮かぶ。
「いやいやいやいや」
 俺は頭を振った。
 いくらなんでも急ぎ過ぎだ。友人に勧められたから誘拐をしましたなんて、そんなことがあってたまるか。もっと冷静にならなければ。まだ時間はあるはずなんだ。俺の生活はまだ、破綻をきたしていない。シフトは少ないがバイトは確保しているし、親からの仕送りもある。結衣奈に頼らずともギリギリ生きていける程度には、俺は真人間である。はやる心臓の音を押さえつけて、気を落ち着かせる。
「はー、まったく、とち狂うところだったぜ。この歳で前科持ちとか、さすがにないよなー」
 俺の頭の奥には、恐ろしい暴力性と性欲を併せ持つ、分身が潜んでいる。そいつに言い聞かせるように言った。
 やっと心が鎮まるころ、スマホから着信音がする。
「なんだ、こんなときに」
 耳に当てると、怒鳴り声が鼓膜をぶち抜く。
「おい水沢ぁっ! どういうつもりだてめぇっ!」

       

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Neetsha