「うおっ」
 思わずスマホを遠ざける。声はバイト先の店長のものだった。なにごとだ? 俺は改めて通話を続けた。
「店長、どうかしたんすか」
「『どうかしたんすか』じゃねぇっ、てめー昨日、どうして職場来なかったんだ。死ぬほど忙しかったんだぞこっちはっ」
「は? なに言ってんすか。昨日はシフト入ってなかったでしょう」
「馬鹿っ! もういっぺん確認してみろやこのウスノロ」
 口の悪いやつだ。俺はスマホに保存してあるシフトを確認する。
「……あ、まじっすね。昨日入ってました」
「てめーはなんべん仕事すっぽかせば学習するんだよっ! 何度電話してもでねーしよー。もー駄目だ、堪忍袋の緒が切れた。お前、クビ。今月分の給料振り込んでおくから、次回から来なくていい。一生ニートやってろ」
 言いたい放題に言った挙句、通話が切れた。
「は? ちょっと待って下さいよ店長っ、おいっ」
 返事はない。俺は慌てて電話をかけ直す。
『おかけになった電話番号への通話は、お客さまのご希望によりおつなぎできません』
「…………」
 着信拒否しやがった。
「ちっ」
 舌打ちを一つ。スマホを布団の上に投げ捨てる。腹の立つ男だ。なにが店長だ、偉そうな肩書きしやがってからに。どうせ雇われだろうが社会の犬め。こちとら職業選択の自由が保障された自由戦士なんだよ。フリーターなんだよ。最強無敵だぞ。
 開き直って胸を張ったとき、布団の上のスマホが震えた。俺はスライディングしてスマホをキャッチする。
「はいもしもし水沢ですぅ~。先ほどのシフトの件は大変申し訳ありませんでしたっ。以後このようなことがないよう邁進してまいりますので何卒ぅー」
「なに言っとるのあんた。私よ、母さんよ」
「……なんだババアか」
 実家から電話とは珍しい。
「なんね、その口のきき方は。母さんがせっかく電話してあげたんやないの。いつまでそうやって親不孝するの。大体あんたいい加減――」
「あーはいはい、愚痴と説教ならあの世で聞いてやるよ。で、何の用だ?」
「ああ、そうやった、そうやった。あんね和樹、これまで毎月、実家から仕送りしとったでしょ、あれね……」
「やめんなよっ!?」
 俺は叫んだ。
「やめないわよ。ただね、今まで現金で仕送りしとったけど、これからは家にある実用書を小分けで仕送りするねって伝えとこうと思ったのよ」
「はあっ!? なに言ってんだよ、意味が分からねぇよ。それ仕送りって言うのか? 本読んで腹は膨れねぇだろ、馬鹿か?」
 責めたてると、母親は受話器越しにため息を吐いた。
「私もそう言ったんだけどねぇ。お父さんがどうしてもって、きかんのよ。和樹もそろそろ生活的に自立せにゃならんって。その代わり、知識を蓄えるために本を読みなさいって」
「夏休みの小学生かよ俺は。だったら図書カードでも送ってくれよ」
「図書カード送ったら換金するでしょあんた。とにかく、私にはどうすることもできんのよ。文句があるならお父さんに言って頂戴」
「……ぐぅ」
 父親を楯に出されると弱い。生まれついての堅物であるあの男に、俺は頭が上がらないのだ。
「くそぉ、しょうがねぇな、わかったよ。父ちゃんには死ねって伝えといてくれ」
「はいはい、わかったわよ。それじゃ切るわね」
「あ、ちょっと待って、マジで――」
 通話は途切れた。
「…………」
 俺は呆然として畳の上に立ち尽くす。
 ほんの数分前まであった生活の見通しが、まとめて崩れ去った。職はなし、仕送りもなし、ついでに言うと、貯金もゼロである。一瞬、結衣奈の顔が脳裏に浮かぶ。すぐに振り払った。
「やるしかねぇ」
 自然と口に出していた。それは覚悟というには後ろ向きすぎる言葉。俺はいま、悲壮な運命に捉えられたのだ。やはりロリコンというのは、穏やかに生きられない人種なのだろう。『YESロリータ、NOタッチ』あらため、『YESロリータ、さあタッチ』。俺はこの日をもって、性犯罪者に生まれ変わる。