「こんなに不細工だったか?」
 思わず口にする。
 生活習慣が崩れているからだろうか。元々、爽やかな顔ではなかったけれども、陰鬱な雰囲気に拍車がかかっている。俺は今年で25歳になるが、見知らぬ人間からすれば、この容貌は中年のオヤジに見えるのではなかろうか? 顔かたちには人物の内面が滲み出ると、世間では常識になっている。この顔を首の上に掲げるのはいかがなものだろう。これでは俺という人間が、自堕落で、不精で、部屋の中もめちゃくちゃに汚れているロクデナシだと触れ回っているようなものではないか。遺憾だ。
「ちょっと、中にいるんでしょっ、開けなさいっ。家賃、家賃!」
 アパートの外では相変わらず、ババアが叫び散らしている。痴呆で気が触れでもしたのかという勢いだ。仮に、徘徊しているボケ老人が迷惑行為をしているというのなら、対処のしようもある。警察にでも預かってもらえばいい話だ。しかし実際、奴は痴呆ではなく、気が触れているわけでもなく、このアパートの大家なのだから始末が悪い。家賃を払わない住人に対して、大家が文句を言うのは当然である。非難もできまい。
 ちなみに、ババアが叩いている扉は俺の部屋のものではない。渡辺とかいう男が住む、隣の202号室である。俺は家賃を取り立てられていない。かといって、俺自身に一切の負い目がないのかと言えば、そうでもない。
 俺は、五か月分の家賃を滞納している。じゃあなぜ、お前は取り立てを受けていないのかと問われれば単純明快で、隣の渡辺が、十三か月分の家賃を滞納しているからである。目下、大家のババアにとって肝要なのは、極悪人の渡辺をしょっぴくことだ。俺のような軽犯罪者は、取り敢えず脇に置かれている。

『普通の住人なら、一年がデッドラインてところだろうね』

 三か月前までアパートの下階に住んでいた、塚本の言葉を思い出す。塚本は俺より年下だというのに、肝の据わった男だった。得意げに言った彼は、アパートの家賃滞納記録を塗り替え、一銭の金も払わないまま二年半、部屋に居座り続けた。そのうえ大家の情に訴えかけ、二年半分の家賃を払わずに退去していったのだから、天晴である。
 渡辺の戦闘期間も一年を過ぎ、苦境に入ってきた。居留守を見抜かれて攻撃に移った渡辺と、激昂した大家の口論が聞こえてくる。
「うるせぇクソババア! これ以上しつこくしたらこの部屋で首を吊ってやる。そうすりゃここは事故物件だろう、ははは、どうだ、思い知ったかっ」
「おあいにく様、あんたの部屋は元から、人死にで事故物件だよっ」
「……はあっ!? どういうことだ、聞いてねえぞっ。……あーもー、絶対払わねぇ、さっきまでは払う気だったのになあ! 嘘つかれてたから、もーぜってぇ払わねぇっ」
 不毛なやり取りである。つくづく、貧乏は人の心まで貧しくするものだ。
「なあ、水沢さん、あんたも許せねぇよなあっ」
 渡辺が突如、俺に話を向ける。
 やめろ渡辺、壁越しに話しかけてくるな。確かに、屁の音から衣擦れの音まで筒抜けになるほど、壁は薄いけれども。蹴り破いた穴をガムテープで補強して以来、輪をかけて防音の機能を失ったけれども。ためらいもなく隣人に呼びかけるなど、プライベートを自ら放棄しているようなものだぞ。
 渡辺の呼びかけにはシカトを決め込むことにする。いらぬ諍いに巻き込まれないため黙っていようと定めたところで、ふと、朝の日課を果たしていないことに気付いた。俺は起き抜けに自慰をしなければ、一日が始まったという感じがしない。行為に必要なブツを探して、部屋を見渡した。
 部屋は五畳の畳敷きワンルーム。ステンレスに赤錆を付けたキッチンと、トイレ・洗面台・浴室が一纏めになった三点ユニット以外には、設備という設備もない。冷蔵庫は一応、小型のものを買ったが電源は入っていない。引っ越しのときに持ってきた調理器具はシンクの中で苔を育てている。テレビくらいは置いてあるが。
 目的のものはおそらく床に転がっているはずなので、散乱したプラスチック容器をよける。汁の残っていたカップめんを蹴倒したところで、見つけ出した。
 鮮やかな桃色をした、蒟蒻のような物体。形もやはり桃の様で、一目見ると『うまそうだ』と、根源的な欲求を呼び起こす。しかしながら食用でないソレは、合成樹脂から成るのだ。桃の尻に当たる部分には、ネジキリで空けたような穴が付いている。覗く暗闇が俺を誘惑しているようだ。
 これは、『オナホ』である。早い話が、柔らかい素材の穴にペニスを突っ込んでしごき、気持ちよくなりましょうという道具だ。
 片手に収まりきらない桃尻は、一万円近くもする高級品だ。拾い上げると見た目以上に重量がある。掌に張り付く感触が快楽の記憶を蘇らせ、ペニスを固くする。
「あぁ……いい女だ」
 俺は思わず呟いた。
 さあて、いよいよいきり立ったペニスを突き刺してやろう。心を躍らせて、穴を焦点に合わせた、そのときである。穴を下に向けると、重力に従って中から液体が垂れる。底の方に溜まっていたのであろう、精液。それは、糸を引きながら足の甲に落ちた。
「うおっ、きたね」
 見れば、液体は黄色く変色している。そういえば前回のローテーション(俺はオナホを複数所持している)のとき、洗うのを忘れていたか。ズボラな性格は直さなければな。汁をこぼしたままのカップめんを振り返り、自省する。
 オナホローテーションが崩れることを嫌い、キッチンで膣内を洗った。やっと落ち着いて、窓際まで行く。風を呼び込む窓枠に肘を掛け、外を眺めた。俺がこのアパートを選んだ理由は二つある。一つは家賃が格安なこと、そしてもう一つの理由は、窓から小学校の校舎がよく見えることである。特に後者は最優先事項だった。
 初夏の涼やかな風が顔を撫でる。俺は、置いてある双眼鏡を手に取って覗いた。するとちょうど、体育の授業が始まるところだった。真新しい校舎の中から、はしゃいだ児童たちが駆け出してくる。男子は皆とふざけ合って、女子はいくつかの島になってお喋りしている。快晴の空からは太陽が差す。光は、校庭を囲む木々から影を落とし、運動場の砂と子どもたちを輝かせている。
 なんて美しい光景だろうか。あの場所は聖域だ。邪なものをはねのけ、世界のあらゆる尊さを守っている。いま俺がいる、こんな、家賃を払う価値もないアパートとは大違いだ。多幸感は俺の胸を締め付けた。同時に、下腹部に潜んでいた獣欲が頭をもたげる。
 水曜日のこの時間は……五年三組の体育のはずである。このクラスは平均レベルこそ高くないものの、とびきり可愛い容姿をした女子が何人かいたはずだ。俺は双眼鏡のレンズを絞って、めぼしい女子に焦点を移していく。