Neetel Inside ニートノベル
表紙

LOLICON
第一話 ピンク・レター

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 扉のチャイムが鳴った。
 結衣奈とセックスをしまくった翌日のことである。
「水沢さーん、いらっしゃいますかー」
 訪問者は扉を叩いている。呼びかける声は女で、年増のものだった。俺は40を過ぎた女の声を、細かく判別することができない。どれも、喉に引っかかってしゃがれた汚物だ。それ以上の認識は必要ない。だから、部屋を訪れた人物が誰かはわからない。わからないのだが、俺は大家に違いないと踏んだ。
 そもそも俺に、女の知り合いは数が少ない。まして、年を食った女は意図的に避けている。心当たりと言えば、母親と結衣奈と大家くらいだ。扉を叩いている人物は俺のことを『水沢さん』と苗字で呼んでいるので、母親と結衣奈の線は消える。ならば答えは一つだ。大家だ。ついに俺にも牙を剥いたかあのババア。
 一体なぜ、俺がこんな不幸を被らなくちゃいけないんだ。怒りと悲しみが胸を覆う。渡辺はどうなったというんだ。ヤツが家賃を払うまで、俺は安泰のはずなのに。もしかして渡辺は家賃を払ったのか。いや、ありえない。俺は知っているぞ、ヤツは四六時中、部屋に引きこもっている。家から出ずに金を稼ぐ甲斐性など、あの男にあろうはずもない。だとすればもしや、部屋を追い出されたのか。ありえる話だ。渡辺はこの頃、家賃支払いを巡る戦いで憔悴していた気もする。俺は恐る恐る、隣室と隔たる壁に耳を近づけた。……豪快な屁の音がした。渡辺いるじゃねぇか。
 こうなると、ますます不審である。俺は途端に、訪問者の正体が気になり始めた。しゃがれた声をした幼女という可能性もある。部屋に人間がいると決して気づかれぬよう、抜き足で扉の前まで行く。のぞき窓に目を寄せて、正面にある顔を確かめた。
 果たして女の正体は、見知らぬババアだった。
「いませんかー、水沢さーん」
 女は皺だらけのブルドッグみたいな顔をして、呼びかけ続けている。俺は興味を失った。多分、宗教か新聞の勧誘だろう。面識もない人間の相手をするほど、俺は暇じゃない。……いや、暇だが。とにかく、応対するだけ時間の無駄だ。
 そうして、扉に背を向けて引き返したとき、女が思わぬ言葉を発した。
「あの、わたくし石嶺省吾の母の公代と申しますー。省吾のことでお話がありますー」
 『石嶺省吾』の名を聞いて、俺は固まった。とめどない思考が溢れ、気付いたときには扉の錠を外していた。
「省吾がどうかしたんですか」
「あら水沢さん、いらしてたんですね」
 皺だらけの女が、胸元のあたりから見上げる。
「寝てました。で、省吾がなにか」
「あらまあ、こんな時間まで寝てらしたんですか。ご病気か何か? お仕事の時間とか大丈夫なのかしら。あ、私ったらやだ、またお節介みたいなことを。ごめんなさいねー、この歳になると他人様のことばっかり気になっちゃって。たくさん寝たい日もあるわよね。この陽気だもの。あ、陽気といえばこのあいだね、聞いて下さいよ――」
「本題に入れや」
 アイアンクロー。

     


     

「ぎゃっー、痛い、痛い、やめてー!」
 骨が軋む音がしたので、手を放してやった。省吾の母は呼吸を整えている。
「はあ、はあ、ごめんなさい。省吾のことだったわね」
 この分では、省吾についても大した話ではないかもしれない。やはり時間の無駄だったか。やっと落ち着いた女は口を開いた。
「実はね、省吾が蒸発したのよ」
「あーはいはい省吾が蒸発したのね、お話ありがとうございます、失礼しましたー」
 速攻であしらって、扉を閉める。閉まりきる直前、言葉の意味が認識された。
「は? 蒸発?」
 扉を開き直す。
「そうよ、蒸発。驚きでしょう」
 驚きだよ。
 雌のブルドッグは『どうだ、おもしろい話だろう』という顔をしている。母親のくせして他人事のようだ。倫理観を疑う。
「まあ、蒸発したことは別にいいのよ」
「いいのか……」
 省吾のやつは普段、親にどんな態度で接していたんだ。
 ともあれ、俺に蒸発を伝えるためだけに訪ねてきたのでは不自然である。そんなことは電話で済む話だ。もっと言うなら、身内の恥を俺に知らせる必要すらない。省吾と俺は長いこと連絡を取っていないし。
「それよりね、水沢さんに渡さなくちゃいけないものがあるのよ」
 言って、省吾の母は後ろにあった紙袋を探る。
「これよ、これ」
 俺の前に差し出されたのは、一つの段ボール箱だった。胸に抱えてちょうどいいサイズ。口のところには、汚らしくガムテープがされている。俺は首をかしげた。
「なんですか、これ」
「省吾がね、残していったのよ。あの子が住んでた部屋はもぬけの殻になってたんだけどね、畳の真ん中にこの段ボールだけが、ポツンと残されてたの」
「はあ」
 奇妙な光景だ。
「それでそれで、段ボールの上に置手紙があったのよ。これを水沢さんのところに届けてくれって、おかしな話よねぇ。実の親にも他のお友達にも、なんにもなかったのによ。あなただけに荷物を残してたの」
「はあ」
 実の親に残さなかったのは、実の親がこんなだからだろう。しかし、他の友人に何もないというのは不思議である。省吾は交友関係が広かった。言葉や物を残すべき相手は他に大勢いたはずだ。それとも案外、俺は省吾に好かれていたのか。
「それでね、水沢さん。ちょっと……言いづらいんだけどぉ。その……」
 省吾の母は急に口ごもる。この女に言いづらいことなど存在していたのか。
「なんですか」
 促すと、俺の顔を見つめた。
「省吾はね、蒸発しちゃったわけじゃない。行方も知らないし、これって社会的にはちょっとした一大事よ。それで、残されたのはこの段ボール一つだったのよ、本当に。すると、その、私たち大人としては、当然、その、しなくちゃいけないことがあるじゃない」
 遠回しに言っているのか、話の本筋が見えてこない。
「言いたいことがあるならハッキリ言って下さいよ」
 俺は掌を向けて威嚇する。省吾の母はこめかみを押さえて「ひっ」と悲鳴を漏らした。
「言います言います。だからその、ごめんなさいね。私、段ボールの中身を見ちゃったのよ」
「なんだ、そんなことですか」
 拍子抜けした。どおりでガムテープの貼り方が汚いわけだ。
「構いませんよ別に。だって、段ボールの中身って省吾の持ち物なんでしょう。息子の物なんですから好きに確認したらいいんじゃないですか」
 許してやる。なのに、省吾の母はまだモジモジしている。今度は顔を赤く染めて、上目づかいで見上げてくる。死ぬほど気持ち悪い。
「あらぁ、そう? おばさんのこと許してくれるのね。でも、水沢さんって、省吾と一体どういうお友達だったのかしら。気になるわぁ。うふふ、年頃の男の子ですものね、色々あるわよね」
 また要領を得ないことを言っている。いい加減、うっとうしくなってきた。俺はババアの腕から段ボールを奪い取る。
「話はそれだけですか。したら、帰ってください」
「うふふふ、そうするわ。ごめんなさいね、お邪魔して」
 相変わらず気持ち悪い顔をして去っていった。なんなんだあれは。


 どっと疲れた感じがする。俺はため息をついて、畳に腰を下ろした。
 目の前には段ボール箱がある。さてと、どうしたものか。まさか時限爆弾など入っていないだろうな。省吾が蒸発したという話も、母親の不審な態度も気になる。ともあれ、すべての答えは箱の中か。
 俺は覚悟を決める。ハサミを手に取って、ガムテープを破いてふたを開けた。中を覗くと、視覚的な刺激に圧倒された。
「うおっ」
 ピンク。箱の中身はほとんどピンク一色だった。ショッキングピンクというのは、本当にショッキングなのだと突き付けられるほどに。
「なんじゃこりゃ」
 眩んだ目を指でほぐす。同じ色が重なって輪郭を失った道具を、一つ一つ取り出していった。
 一つ、リモコンバイブ
 一つ、ディルド
 一つ、ローター
 一つ、電気アンマ
 一つ、リモコンバイブ
 一つ、ローション
 一つ、アナルビーズ
 一つ、ディルド
 一つ、アナルプラグ
 一つ――
 その後も延々と、悪趣味な性具を引きずり出す。パンパンに膨らんだ段ボール箱の中は、隙間なく埋められている。底の方に近づくにつれ、色合いはピンクだけではなくなっていった。黒いボールギャグや銀の手錠、どどめ色をした何かの薬品(容器には手書きで媚薬と書かれていた)など、バリエーションに富んでいる。表面をピンクばかりにしたのは省吾の遊び心だったのだろう。
 ついに最後の麻縄を出し終えたとき、俺の部屋は性具に埋め尽くされていた。
「なんじゃこりゃ」
 俺は再び口に出す。
 頭がおかしいんじゃないか、というのが最初の感想だった。ある日突然、部屋を飛び出し姿をくらませる。その上で、一年以上も連絡を取っていない友人にアダルトグッズを送りつける。こんな奇行、腕のいい精神科医だって理解に苦しむだろう。
 しかし、匙を投げるにはまだ早い。差出人の男について、俺は多少詳しいのだから。


 ここで石嶺省吾という人間について、回顧しておかねばならないだろう。
 彼は昔から、奇行のサイクルを積み重ねて日々を過ごす、奇人であった。加えて、人をおちょくることを好む悪戯小僧だったから、今のようなことは何度かあった。また、省吾は積極的・行動的な男だった。何をするにもまず『どっこいしょ』と詠唱しなければ動けない俺とは、対極の性格である。対極であったにも関わらず、いや、ひょっとすると対極だったからこそ、俺と省吾は惹かれあった。昼と夜が寄り添うように、海と大地が混ざり合うように、俺たちは親交を深めた。
 何もかもが正反対だった俺たち。両方を知る共通の友人たちには『双璧のプレディレクション』の異名を轟かせたものだ。
 省吾との思い出は数限りない。中でも印象に残っているのは、彼の二十歳の誕生日のことだろうか。

――――

「記念式を開くんだ」
 大学の四コマ目を終え、家に帰ろうというときだった。省吾が目の前に現れて宣言する。いつも通りジャージのだらしない恰好で、眼だけが気味悪く光っている。

     


     

「記念? なんのだよ」
 訊ねると、省吾は俺の頬を張った。
「バカ野郎っ、オレの二十歳の誕生日だろうが」
 俺は省吾の腹に膝を入れる。無言でうずくまった背中に言葉を浴びせた。
「何で俺に言うんだそんなこと。お前の誕生日なんぞ知らねぇよ。大体、二十歳になった祝いの式なら、成人式があるだろうが。そんな常識も忘れたのか、脳みそスカスカ野郎」
「……悪かった、確かにオレの言い方が唐突だった。でも和樹、成人式のくだりには間違いがあるぜ」
 省吾は腹をさすりながら続ける。
「成人式なんてのは、国が主導になって開くお遊戯に過ぎない。自分が二十歳になった心構えをするためには、自分自身で祝ってやらなくちゃ意味がない。そうだろ」
「そうか?」
「そうなんだよ。とにかく、式は和樹の家で行うから。お前んち実家だから広いし。部屋を片付けとけよ。今日という日のために、オレは綿密な準備をしてきたんだ。和樹にお披露目したいものもあるんだ」
「お披露目したいもの?」
「とにかく、部屋、片付けとけよな」
 省吾は言って、足早に去って行った。
「なんだあいつ」
 綿密な準備などと言っておきながら、俺にアポを取るのは当日である。妙に浮かれていたし、嫌な予感がする。とはいえ、省吾が突拍子もないことを言いだすのはいつものことだ。大らかな気持ちで構えていよう。


 家に帰った俺は、部屋の片付けなど一切しなかった。省吾が来るときに、いちいち清潔など心がけない、必要ない。だから、いつも通りにポテチを貪り、寝転がって漫画を読んでいたのだが――
 インターホンに呼ばれて玄関を開けたとき、俺は自身の怠惰を後悔した。
「よーっす、準備はしておいたか和樹」
 能天気に挨拶した省吾の横には、女がいた。しかも面識のない女だ。長い髪を横に結んだ熟女は、恭しく頭を下げた。
「こんにちは。省吾くんからお話は伺っております。和樹さん、ですよね」
 緩慢な動きで頭を上げる。笑みを作った口元には小じわがある。肌は白く、服装は派手めだ。世では貴婦人と呼ばれるような人種だろう。俺のストライクゾーンからは大きく外れている。
 俺は省吾の襟元を引っ掴んでその場から連れ出す。
「おい、どういうことだ。他に客人が来るなんて聞いてねぇぞ俺は」
 小声で詰問する。
「だから、部屋を片付けとけって言ったじゃんか」
「話になんねぇ……ところで、あの女誰だ? 省吾の母親か?」
「バカを言え、恋人だよ。清美っていうんだ」
「はあ!?」
 俺は思わず大声を出した。改めて、離れたところにいる女――清美を見る。ひとり残されたままの清美は、手持無沙汰に指を擦り合わせている。省吾がババア専だという話は耳にしていた。しかし、実際に見せつけられると信じがたい。
「あんなののどこがいいんだ。お前、気が狂ってるんじゃないのか」
「失礼だな。あの女、ああ見えて処女なんだぜ。オレが今日の日まで苦労したのはそこだよ。年食った女で処女っていうのは限られてくるからな。しかも口だけじゃなく、本当に処女か否かっていうのまで検証しておかなくちゃいけないわけ」
 何を言っているんだコイツは。頭が痛くなってきた。
「しかし、あの年齢まで処女だっていうのはな……。他に何か、致命的な欠陥があるんじゃないのか。ひどい癇癪持ちだとか」
「清美は良家のお嬢様だぜ。生まれてからずっと男に縁がなかったらしい。確かに世間ズレしてるとこはあるけど、悪い娘じゃない」
「でもなあ。うん十年も処女のままでいたら、マンコの中でなにか発酵してるんじゃないのか? チンコを挿れたら腐り落ちるという可能性もないではないぞ」
「御託はいいから、早く部屋を片付けてこいよ。オレたちは外で待ってる」
 老婆心からの忠告は無視された。
「ちっ、しょーがねぇな。五分待ってろ」
 年増とはいえ、客人を迎え入れる礼儀は必要だ。「面倒なことになった」と一人愚痴りながら、俺は部屋に戻ったのだった。


 それから、わずか十分後のことである。フローリングの狭い室内は、簡易ラブホテルと化していた。
「あっはぁぁああああんっ! おほおおおおおおおっ!? んぎもぢぃぃいいいいいっ」
 清美の野太い声が反響する。こいつほんとに処女か?
 後背位の型である。清美の後ろでは省吾が腰を振っている。
「ふんっふんっふんっふんっ」
 恋人同士のセックスとは思えないほど趣がない。省吾は凄まじい勢いでピストンを繰り返す。双方の口元からは涎が、鼻からは鼻水が、目からは涙が流れている。
「ええのんかっ、ここがええのんかあああああっ! ふんっふんっふんっふんっ」
「あ゛あ゛あ゛あああぁぁんっ! ぞごおおぉぉっ! 省吾くんのぶっといデカマラがあああっ……赤ちゃんのお部屋コツンコツンてノックしてるの゛おおお! 私が50年間、大事に大事に守り抜いてきた熟成納豆処女マンコぉぉおおお……ダメっ降りてきち゛ゃうっ……子宮おりでき゛ちゃうっ! 赤ちゃんのお部屋に省吾くんお迎えしちゃう゛う゛ううぅぅっ」
 いや、こいつほんとに処女か?
 先ほど、俺が部屋を片付けると、すぐに二人があがってきた。我が物顔でテーブルの上を占拠し、省吾が言ったのである。「これより、童貞喪失式を始める」と。
 他人の家で童貞を喪失するのは非常識だ。他人の家でセックスをするのは非常識だ。他人の家を体液で汚すのは非常識だ。以上、俺の反対意見はすべて却下された。「親友、いいから見ていろ、今日は記念すべき日だ」省吾の論はそれだけである。
 対照的に、清美は借りてきた猫の様だった。当たり前だ。見知らぬ男の部屋に転がり込み、セックスを披露するなど狂気の沙汰に相違ない。「だめよぉ、省吾くぅん」なんてしおらしいことを言っていた。だから俺は、省吾だけがノリノリの、気まずいセックスを見せられるのだろうと思っていた。
 それが、この有様だ。
「ん゛ダメぇぇえええ……省吾くん、ゴム付けてないでしょうっ……このまましたらっ、あっ、あっ、んほっ……赤ちゃん、赤ちゃんできちゃう゛っ……省吾くんの精子がお腹に入って……着床しちゃううぅぅぅっ! おばさんマンコに命がやどっちゃうのおおおおお」
「あったりまえだっ馬鹿、この腐れマンコがっ! こちとら大事な童貞捧げてんだよっ……最低限、妊娠くらいはしてもらわなくちゃ困るんだっ……このっ、このっ……ほらっ、力を抜け、オレの貴重な精子が卵管に届くようにっ、おらっ、道を開けるんだよっ」
 省吾は言い放った。こいつの童貞には、50年分の処女だけでは足りぬ価値があるのか。
 俺は二人の情交をただ眺めていた。3Pに参加するわけでなければ、撮影係ですらない。単に、童貞と処女の喪失を見届けるための役である。二人は床に膝をついて腰を揺らす。俺はベッドに座って、上から見下ろす。夕日も沈む、午後の出来事である。
「なんだこれは……」
 俺はほとんど白目を剥いていた。
 もうつらい。一体、いつまで見てればい「んほおおおおおおっ! イッぐううぅぅぅぅぅっ……私っ、私っ、ついにっ、ついにイグうううぅぅぅっ……記念すべき初セックス、初イキ、初妊娠んんんん゛ん゛ん゛っ! メモリアルセックスでっ……二人の愛の結晶できちゃううううぅぅぅぅううっ!」


 二時間後。フローリングの床には、ドロドロになった清美が伏していた。マン汁と精液はカーペットを汚し、果ては窓にまで付着している。白濁がへばり付いた窓越しの空は、すっかり更けている。ああ、もう夜だなあ。
 俺が現実逃避していると、声がかかった。
「なあ和樹、どうだった?」
 省吾の質問。得意げに訊ねた男の顔は、血色がいい。
「どうって、なにが?」
 不思議と声色は穏やかになった。悟りの極致だ。
「だからあ、オレの童貞喪失の感想だよ。最高に派手で、恰好よかっただろ」
「……うん、まあ、よかったんじゃない。特に『こちとら童貞捧げてんだよ』の部分とか。事前に台詞の読み合わせとかしてんのかなって思ったよ」
「おいおい、褒め過ぎんなよ、照れるなあ。あ、ちなみに『こちとら“大事な”童貞捧げてんだよ』な。一応」
「……ああ」
 死ぬほどどうでもいい。
「和樹もさあ、早く彼女つくったら? 幼女が好きなんだろお前。その辺の通学路で待ち伏せでもしてればいいじゃんか。あれ、でも結衣奈っていう女のことが好きなんだっけ、和樹って。そんな噂を聞いたような」
「その噂は脳内から消去しろ」
 最近大学で、妙な風評が流れているのだ。結衣奈とかいう、名前も知らない女と俺が付き合っているとか、好き合っているとか。誰が流しているのかは知らんが迷惑な話だ。相手の結衣奈という女だって嫌だろうに。
「ま、とにかくさ、和樹も楽しく生きろよな」
 省吾は立ち上がる。「じゃ」と短く言って、部屋を出て行った。静かになった部屋には、汚れに汚れた諸々の家具と、清美が残された。
「どうすんだよこれ……」
 俺は途方に暮れて呟いた。
 
 余談。大学構内の至る所に、赤と青のコードがついた(単なる)タイマーを隠した罪で、省吾が大目玉をくらうのは、それから約一月後のことだった。

――――


 場面は再び、五畳一間のアパートに戻る。
 華々しい過去の回想は終わり、俺の前には空になった段ボール箱がある。性具の他には何も入っていないのだろうか。箱をひっくり返してみると、一枚の紙が落ちた。
「なんだ?」
 手帳の一枚を破いた手のひら大の紙。奥の隙間に挟まっていたのだろう。白紙の面を裏返すと、手書きのメッセージがあった。ミミズが這ったような筆跡は間違いなく、省吾本人のものだ。
『よお和樹、元気にしてるか? これから夏になるな。今年はクソ暑くなるらしいから熱中症に気を付けろよ。死ぬことだけは避けるんだ、なんとしてもな。
 ところで、突然だがオレはこれから、やるべきことがある。そのために家を出ることにしたんだ。立つ鳥跡を濁さずというし、私物はすべて捨てていくつもりだったんだが、ちょうど和樹のことを思い出した。だから、微力ながら贈り物をさせてもらったぞ。これを使って、お前も野望を成し遂げるんだ、わかったな。お互いに目的を果たしたらそのときは、また酒でも飲もうぜ。』
 文言はそれで締めくくられていた。
 俺は用紙を丸めて、ゴミ箱に放り込んだ。呆れてものも言えない。減衰する気力のままに、畳に寝転がった。背中にリモコンバイブが当たる。痛てぇ。
 ようするに、身辺整理という訳だ。いらなくなった荷物を押し付けられたらしい。これは勝手な憶測だが、省吾は性具の廃棄方法に困ったのではないか。あいつのことだ、蒸発を思い立ったのは唐突だったに違いない。持ち物を丸ごと不燃ごみに出そうとしたものの、ためらったのだろう。いかがわしい道具をこれだけ大量に捨てれば、問題になりかねない。面倒な手続きを嫌った省吾は、都合のいい相手(つまり俺)に送りつけたというわけ。
 ため息をつく。遠方に離れてさえ俺は、あいつに振り回される運命にあるらしい。部屋中に転がった玩具を眺める。よく見てみれば、道具の種類には偏りがあった。リモコンバイブや電マなど、通常、女を責める用途の道具は充実している。反対に、俺が愛好しているオナホールの類は見当たらなかった。麻縄、ボールギャグなどからもわかるように、玩具群は主に、S向けの用意がされているのである。
 俺は疑問を感じ、真意を探った。荷物の処理が目的ならば、あいつの家にあった『淫熟○賛』が送られてきてもいいはずだ。俺と穴兄弟になることを嫌ったのか? それもまっとうな理由ではあるが……。俺は、捨て去ったメモ用紙の内容を思い返した。点と点が結ばれ、一つの結論が導き出される。
「ああ、そうか」
 なんだ、こんなにも簡単なことを見落としていたのか。つまり俺に、幼女を誘拐しろと言っているのだ、省吾は。俺があいつの熟女趣味を知っているように、あいつも俺の性的嗜好を知っている。大学時代、将来は幼女を調教するのだ、と豪語した覚えもある。
 ぞくりと、背筋が寒くなった。省吾は俺に、罪を犯せと言うのだ。遠回しな言い方ではあるが、犯罪の教唆に当たらないのか、こういうのは。それ以上に俺を動揺させたのは、この荷物が送られてきたのが、よりにもよって今日だということである。
 俺は昨日の出来事を思い出す。結衣奈に流されるままセックスし、後悔した記憶。その後、夜に光る月に誓った。必ず幼女を拐かす、と。これではまるで、思うままに欲望を解き放てと、神に告げられているようではないか。使命、大義、聖戦。犯罪の意味を都合よくすり替える言葉が、次々に浮かぶ。
「いやいやいやいや」
 俺は頭を振った。
 いくらなんでも急ぎ過ぎだ。友人に勧められたから誘拐をしましたなんて、そんなことがあってたまるか。もっと冷静にならなければ。まだ時間はあるはずなんだ。俺の生活はまだ、破綻をきたしていない。シフトは少ないがバイトは確保しているし、親からの仕送りもある。結衣奈に頼らずともギリギリ生きていける程度には、俺は真人間である。はやる心臓の音を押さえつけて、気を落ち着かせる。
「はー、まったく、とち狂うところだったぜ。この歳で前科持ちとか、さすがにないよなー」
 俺の頭の奥には、恐ろしい暴力性と性欲を併せ持つ、分身が潜んでいる。そいつに言い聞かせるように言った。
 やっと心が鎮まるころ、スマホから着信音がする。
「なんだ、こんなときに」
 耳に当てると、怒鳴り声が鼓膜をぶち抜く。
「おい水沢ぁっ! どういうつもりだてめぇっ!」

     


     

「うおっ」
 思わずスマホを遠ざける。声はバイト先の店長のものだった。なにごとだ? 俺は改めて通話を続けた。
「店長、どうかしたんすか」
「『どうかしたんすか』じゃねぇっ、てめー昨日、どうして職場来なかったんだ。死ぬほど忙しかったんだぞこっちはっ」
「は? なに言ってんすか。昨日はシフト入ってなかったでしょう」
「馬鹿っ! もういっぺん確認してみろやこのウスノロ」
 口の悪いやつだ。俺はスマホに保存してあるシフトを確認する。
「……あ、まじっすね。昨日入ってました」
「てめーはなんべん仕事すっぽかせば学習するんだよっ! 何度電話してもでねーしよー。もー駄目だ、堪忍袋の緒が切れた。お前、クビ。今月分の給料振り込んでおくから、次回から来なくていい。一生ニートやってろ」
 言いたい放題に言った挙句、通話が切れた。
「は? ちょっと待って下さいよ店長っ、おいっ」
 返事はない。俺は慌てて電話をかけ直す。
『おかけになった電話番号への通話は、お客さまのご希望によりおつなぎできません』
「…………」
 着信拒否しやがった。
「ちっ」
 舌打ちを一つ。スマホを布団の上に投げ捨てる。腹の立つ男だ。なにが店長だ、偉そうな肩書きしやがってからに。どうせ雇われだろうが社会の犬め。こちとら職業選択の自由が保障された自由戦士なんだよ。フリーターなんだよ。最強無敵だぞ。
 開き直って胸を張ったとき、布団の上のスマホが震えた。俺はスライディングしてスマホをキャッチする。
「はいもしもし水沢ですぅ~。先ほどのシフトの件は大変申し訳ありませんでしたっ。以後このようなことがないよう邁進してまいりますので何卒ぅー」
「なに言っとるのあんた。私よ、母さんよ」
「……なんだババアか」
 実家から電話とは珍しい。
「なんね、その口のきき方は。母さんがせっかく電話してあげたんやないの。いつまでそうやって親不孝するの。大体あんたいい加減――」
「あーはいはい、愚痴と説教ならあの世で聞いてやるよ。で、何の用だ?」
「ああ、そうやった、そうやった。あんね和樹、これまで毎月、実家から仕送りしとったでしょ、あれね……」
「やめんなよっ!?」
 俺は叫んだ。
「やめないわよ。ただね、今まで現金で仕送りしとったけど、これからは家にある実用書を小分けで仕送りするねって伝えとこうと思ったのよ」
「はあっ!? なに言ってんだよ、意味が分からねぇよ。それ仕送りって言うのか? 本読んで腹は膨れねぇだろ、馬鹿か?」
 責めたてると、母親は受話器越しにため息を吐いた。
「私もそう言ったんだけどねぇ。お父さんがどうしてもって、きかんのよ。和樹もそろそろ生活的に自立せにゃならんって。その代わり、知識を蓄えるために本を読みなさいって」
「夏休みの小学生かよ俺は。だったら図書カードでも送ってくれよ」
「図書カード送ったら換金するでしょあんた。とにかく、私にはどうすることもできんのよ。文句があるならお父さんに言って頂戴」
「……ぐぅ」
 父親を楯に出されると弱い。生まれついての堅物であるあの男に、俺は頭が上がらないのだ。
「くそぉ、しょうがねぇな、わかったよ。父ちゃんには死ねって伝えといてくれ」
「はいはい、わかったわよ。それじゃ切るわね」
「あ、ちょっと待って、マジで――」
 通話は途切れた。
「…………」
 俺は呆然として畳の上に立ち尽くす。
 ほんの数分前まであった生活の見通しが、まとめて崩れ去った。職はなし、仕送りもなし、ついでに言うと、貯金もゼロである。一瞬、結衣奈の顔が脳裏に浮かぶ。すぐに振り払った。
「やるしかねぇ」
 自然と口に出していた。それは覚悟というには後ろ向きすぎる言葉。俺はいま、悲壮な運命に捉えられたのだ。やはりロリコンというのは、穏やかに生きられない人種なのだろう。『YESロリータ、NOタッチ』あらため、『YESロリータ、さあタッチ』。俺はこの日をもって、性犯罪者に生まれ変わる。

       

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