Neetel Inside ニートノベル
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LOLICON
第二話 前門の虎、後門の狼

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 誘拐すると決まれば、ターゲットを定めなければならない。攫う相手は重要である。それはすなわち、セックスの相手でもあるからだ。
 幼女を誘拐すれば、遠からず警察に捕まるだろう。となれば必然、セックスができる回数も限られる。一クラス分の幼女を集めて、乱交するのが俺の理想ではある。しかし、時間制限を含めた諸々の条件を鑑みて、相手は一人に絞るべきだ。俺の生涯を捧げるにふさわしい、ただ一人の幼女……。
 本来ならば三日三晩、悩むべきところなのだが、相手はすでに決まっていた。それは昨日、体育の授業で見かけた娘。髪をツインテールにして、白い肌をもつ彼女。上品な仕草とわずかに勝気そうな表情は、堕落させてやるに絶好の獲物だ。
 この薄汚い部屋で、天使のようなあの子が犯される。想像しただけで、俺は勃起していた。横に転がっていたオナホを手に取る。
「はあ……はあ……はあ……うっ」
 竿をしごくと、一分と経たずに精子が出た。
「ふう……」
 射精の後でも、高揚感は続いている。賢者タイムでも愛おしい女は、本物だ。
「さあ、やるぞ、やるぞ、やるぞ」
 自身を鼓舞する。勢いに任せて玄関に走った。しかし、ドアノブに手を掛けたところで動きが止まる。
「待てよ、どうやって誘拐するんだ」
 そういえば、何も考えていなかった。いかんな、気持ちばかりが逸っては。俺はいま一度、冷静になる。
 手口として、要は、部屋に連れ込めればいいのだ。そしてなるべく、現場を誰にも見られないのが望ましい。方法はいくつかある。相手は小学生だ、体も頭も強くはない。親が急病とかなんとか言って連れてくるか、無理やり抱きかかえてしまってもいいだろう。場所はどうする。今の論法で考えるなら、このアパートに近い方がいいな。ターゲットの通学路が近くだと都合がいいのだが。
 そこでふと、時刻を確認した。しまった、もう夜じゃないか。すっかり時間感覚を失っていた。小学生ならばまず間違いなく、自宅に帰っているだろう。まさか両親のいる自宅に押し入るわけにもいかない。そもそも俺は彼女の家を知らないし。
 かくして、犯行は翌日に延期となった。


 窓の外で、小鳥がさえずっている。
 早い時間に目を覚ますと、いくらか冷静になってしまっていた。本当に誘拐するのか? 今までの人生の何もかもを投げ出すのか? 頭の中にいる、天使なんだか悪魔なんだかわからないやつが囁いてくる。
「ええい、うるせぇっ、やると決めたらやるんだ俺はっ」
 気合を入れるため、頬を張る。
 窓から空を見ると、どんより曇っている。あ、天気が悪いな、やめとこうかな。
 俺はテレビニュースをつけた。降水確率が50パーセントを超えたら中止にしよう、濡れるのやだし。心のブレーキが言い訳を重ねている。
 天気予報のババアは降水確率50パーセントと告げた。……この場合どうなるんだ。“超える”っていう表現はその数字を含めるんだったか、含めないんだったか。俺は思考のどつぼにハマり、畳の上を歩き回る。
 それから約一時間も、円を描いて歩き続けていた。この部屋がオカルト的な特異点だったならば、異界の扉が開いたことだろう。
 本当は、わかっていた。“超える”という表現はその数字を含めない。つまり、合図はGOだったのだ。こんなものは小学生レベルの知識だ。俺を部屋に縛り付けていたのはひとえに、己の臆病さである。
 テレビでは相変わらず、旬を過ぎた女が喋っている。
『それでは今日の星座占いの時間です。まずは11位から見ていきましょう』
 占いか。俺はこういった迷信を信じないが、今日くらいは参考にしてやろう。
 女が次々に順位を告げる。長い間、俺のさそり座は登場しなかった。
『さあ、残る順位は1位と最下位だけ。あなたの星座はどっちかな?』
 柄にもなく、手に汗を握る。頼む、頼む、どうか俺の前途を輝かせてくれ。
『最下位は……ごめんなさぁい☆ さそり座のあなたです。今日は全然ダメダメです。なにをやってもうまくいきません。特に悪いことはしてはいけませんよ。お天道様が凝視していますからね』
「うるせえっ!」
 俺はテレビを蹴り飛ばした。派手な音をたてて、床に落ちる。ひび割れた液晶に蹴りを加えてトドメを刺した。
 不愉快だ。星座占いや血液型占いなんてのは全部、科学的根拠のない戯言である。あからさまな虚言を全国放送に流しているのだ、イかれている。スポンサーに苦情を言いつけてやろうか。あなたのとこのババアが、俺に嘘をついて傷つけましたって。
 液晶に粉砕された足の小指を引きずって、俺は歩き出した。胸には、反骨心の炎がメラメラと燃えている。ついに決心がついた。
 部屋を出ると、日光が俺を貫く。いつの間にか、曇り空が失せて晴れあがっている。天気予報すらも嘘か。
 今年の夏は暑くなるという省吾の言葉、あれは本当らしい。例年ならば暑さはまだ入口のはずなのに、すっかり夏本番という様相である。アパートの庭は、青い草が伸び放題になっている。アスファルトの道路に出ると、照り返しで焼かれるようだ。
 さて、まずはどうしようか。勢いで家を出たものの、下校時刻までは時間がある。ターゲットを確実に捕えるなら、学校前で待ち伏せすべきだろう。しかし、この時間から待ち伏せするのは得策でない。いたずらにリスクを増やすだけだ。かといって、アパートに引き返して悶々とするのもつらい。取り敢えず、俺は辺りを歩くことにした。
 アパートの周りは閑静な住宅街である。建物の比率は一戸建てが多い。整備された区画に、住宅が行儀よく並んでいる。電線に列をなすスズメ、昼寝する猫、飛び出し注意の看板。非道な性犯罪を予感させるものは、何一つない。
 塀に囲まれた道路を歩く。すると、エプロンを付けた主婦らしい女が通りかかる。ゴミ袋を両手に提げたまま、女は会釈した。
「……ども」
 思わず挨拶を返す。そういえば、道行く人間に挨拶をするのは、犯罪抑止の効果があるらしい。残念だったな、無駄だぞ。俺は止まらない。
 学校を視界に収めながら、町を徘徊する。姿を特定されてはならない。強迫的な感情に支配され、俺は顔を伏せていた。その行為がかえって怪しいのだと、わかってはいたけれども。
 だから前方に不注意だったのだ。角を曲がったところで、人にぶつかる。
「うわっ」
「おふうっ」
 互いに弾かれて、後じさる。
「……す、すすす、すみません、どーも」
 ぶつかった相手が頭を下げた。なので、俺は強気に出た。
「気を付けてくださいよ、まったく」
 見ると、相手は男だった。奇怪な男だ。
 目にはサングラス、口にはマスクをしている。どちらも、通常より大きめのものだ。俺がまさに考えていたように、顔を隠したい意図を窺わせるような。怯えたような喋り方もおかしかったが、不審なことがもう一つ。男はこのクソ暑い中、ロングコートを羽織っていた。俺は訝しんだ。全身像を見ると、不審者のお手本のような格好である。しかもコイツ、厚手のコートなど着ておきながら、汗のひとつもかいていない。裏地にファンでも仕込んでいるのか?
「そそそ、それじゃ、ワタクシはこれで」
 男は足早に去っていく。コートから伸びる脚がやけにまぶしい。俺は首をかしげて、徘徊を続行した。
 半刻も経たないうちのことである。小学校に近づく途中で、遠くに人影が見えた。この短時間で忘れようもない、コートの男である。俺たちは再びすれ違う。どぎまぎした態度で会釈を交わした。学生時代、何度か経験した類の気まずさである。俺と男は似たような道順で歩いているのか?
 下校時刻が近づくについて、動悸が激しくなってきた。そろそろ待ち伏せておくか? いや、まだ早いか。早上がりの児童でもない限り、まだ校門に姿を見せないはずだ。逡巡していると、喉が渇いてきた。そういえば今日は、水の一滴も口にしていない。水分補給は重要である。この日差しならばなおさら。
 俺は最寄りの公園に足を向けた。入口のポールの横に、自販機がある。硬貨を投入しようとしたとき、指が阻まれた。他の手とぶつかったのである。隣を見るとコートの男がいて、目が合った。サングラス越しの目は小さかった。
「あはは、はは……いや、どーも」
 男はしきりに頭を下げている。
「……はあ、どーも」
 なんなんだコイツは。まさか、俺の犯行を見越して、尾行しているとかじゃあるまいな。
「…………」
「…………」
 気まずい沈黙が続く。耐えられなくなったのは男の方が先だった。
「あ、あああの、もしよかったら一緒に休憩していきませんか、そ、そこのベンチで。ワタクシたちは縁があるようですし」
「……はあ、構いませんけど」
 肯定してしまった。まあいいか、どうせしばらく暇なことだし。男の正体も確かめたいしな。探偵か警察だったら犯行は中止だ。
 公園内のベンチに、並んで腰を下ろす。スポーツドリンクを一口飲んで、俺は訊ねた。
「なんでこのクソ暑いのに、コートなんて着てるんですか」
「ひょっ!? ななな、なにをおかしなことを言っているんですか。このくらいは普通ですよ、普通。脱いだら寒いじゃないですか」
 自分から誘っておいて、なぜ挙動不審なんだ。
「はあ……じゃあ、なんで顔を隠してるんですか」
「ひょひょひょっ!? ななな、何言ってるんですか、ワタクシ顔を隠してなんていませんよ。こ、このサングラスは眩しいからで、マスクは……う、か、花粉症なんです。決して、やましいことがあって、顔を覚えられないように、とか、そんなんじゃないんです。信じてくださいっ!」
 男はベンチをおりて、地面で土下座する。語るに落ちるとはこのことか。さしずめ、通りすがりの軽犯罪者といったところだろう。これほど間抜けな探偵や警察などおるまい。俺は胸を撫で下ろした。
 あたふたとベンチに座り直す男。今度は反撃だとばかりに、口を開いた。
「あ、あなたこそ昼間から何をしてらっしゃるんです? お仕事とかないんですか。もしや、通りすがる童女に変態的なことをしようとか……」
 一気に、体中の血の気が引いた。男の指摘があまりに具体的で、正確だったからだ。どうしてそこまで詳細に疑うんだ? 俺は怪しいそぶりなど見せたか? ありえない。でも、まさか……。サングラスの奥にある目に射抜かれる。瞬間、頭が沸騰し、俺は立ち上がっていた。
「どうしてお前にそんなことを言われなくちゃならないんだっ! 俺が女児に変態的なことをするだとぉ、言いがかりも甚だしいわっ。てめぇのようなクズに何がわかる!!」
 ベンチを蹴って威嚇する。さらに追撃を加えようと、腕を振り上げた。
「ひっ……ひょええぇぇぇ」
 男は情けない悲鳴を上げる。もんどりうって砂を巻き上げ、一目散に逃げて行った。
「勝った……」
 俺は勝利の余韻に酔って、スポーツドリンクをあおる。
 ゲップをして、敗走する男に目をやった。小さくなった後ろ姿が、蹴躓いてコケる。倒れた拍子にロングコートが捲れ上がった。それが偶然、俺の視界に入る。裾に隠されていた中には、密林があった。つまり、ケツ毛に覆われた尻があった。男はコートの下に、なにも履いていなかったのだ。
「げほっ、ごほっ」
 喉にせりあがってきたスポドリを、なんとか飲み込む。網膜の表面に、ダークマターが張り付いて離れない。
「変態だ……この町には変態がいる……」
 俺はしばらくの間、ベンチで呆けていた。


 俺は広葉樹の木陰に潜んでいる。校門を凝視しながら、獲物を待つハンターのように息を殺して。
 計画に変更はない。学校には正門の他にもう一つ西門があり、俺はその存在を失念していた。なので、張り込みは徒労に終わるかもしれない。それでもいいさ。失敗したらそのときは、再び挑戦すればいい。取り返しがつかなくなるのは、事が成功した後なのだから。
 脳内では未だに、汚らしい下半身がフラッシュバックしている。俺は努めて思考を断った。今は任務に集中しろ。あの変態のことはどうでもいい。
 変態恐慌からやっと立ち直ったころ、児童たちが門から出てきた。ランドセルを背負った女子児童がわらわらと。肉眼で間近にすると、肌のつやも肉の張りも、なにもかもが素晴らしい。俺はすぐにでもむしゃぶりつきたい衝動に駆られた。勃起してきたペニスを手で押さえる。ああ、まずい、今すぐにあの子たちにぶっかけたい。ターゲットにまみえる前に、理性が爆散してしまいそうだった。
 俺はその場で下半身を露出する。誰かに見られはしないかと心配だが仕方ない、応急処置だ。一旦抜いてしまえば、性欲も治まるだろう。
 連れ歩く女子たちに狙いを定める。気温の高さゆえ皆、薄着をしている。ブカブカの襟元は、見下ろせば中が見えるだろう。俺の身長ならば、乳首を見ることができるはずなのだ。ああ、服からペニスを突っ込んでパイズリしたい。女児たちに向かって、足が自然と歩み寄っていく。襲い掛かるギリギリのところで堪え、俺はその場で射精した。半袖から覗く可愛い脇を見ながら、草木に精液を降らせる。
「ふう……」
 俺の子どもたちが大地へ還っていく。ごめんな、幼女の胎に出してやれなくて。
 物寂しい感傷に浸っていた、そのときである。視界の端で、何かを捉えた。他の児童に紛れて、流されていくモノ。俺の頭は、それが目標であることをすぐには認識できなかった。できそこないの頭だったからだ。
 教えてくれたのは、ペニスだった。吐精のあとで萎れていたペニス――俺の息子。彼は疲れ切っていたにも関わらず、俺に知らせてくれた。ぐぐ……と亀頭が持ち上がる。なんだ、どうかしたのか、マイサン。訊ねる俺に、息子は答えた。「ほら、あそこだよ。僕ら親子の目指すべき幼女」。ダウジングのように指し示された先を見やる。校門を出たところに、彼女がいた。
 髪をほどいているが、見まごうはずもない。背景のどれよりも白い肌に、整った鼻筋。勝気とも、物憂げともとれる微妙な表情をしている。天使だ。俺は感涙を流した。自慢のペニスもカウパーを垂れ流して祝福してくれる。
 幼女は住宅街の方へ歩いて行った。
 俺は慌てて降ろしていたズボンを履く。十分な距離を保ちつつ、後を着けた。幸い、幼女は一人で下校していた。歩いていく方向も、俺のアパートと遠くない。なにもかもが都合よく運んでいる。内心、踊りだしたい気分だった。
 電柱から電柱へ渡り、姿を隠す。幼女は振り向くことなく、不審がる様子もない。学校からの距離も離れてきた。いま一度、辺りを見渡す。通行人はいなかった。やるか。あの角を曲がったら、話しかけよう。内容は親の急病だ、これでいこう。脳内でシミュレーションを繰り返す。何度試行しても、成功のイメージが浮かんだ。
 幼女が角を曲がる。俺は彼女が通り過ぎた塀の角にへばりついた。慎重に顔を覗かせ、様子を探る。視線の先には、幼女の後ろ姿と、もう一人。もはや親しみ深い人物となったアイツがいた。
「ややや、やあ。いま、が、学校から帰ってきたところ?」
 幼女のさらに奥側。彼女と向かい合せに立っていたのは、ロングコートの男だった。男は周りを気にして、首をキョロキョロ動かしている。話し方はどもって、これ以上ないほど怪しい。
「え、あ……はい」
 幼女は戸惑っている。無理もない。俺が彼女の立場だったら、すぐにでも大声を出して逃げるだろう。しかし幼女は一応、立ち止まって話を聞いている。体が竦んで動けないのか、それとも警戒心が薄いのか。駄目だよ、そんな怪しいヤツと口を利いたら。俺は過保護な父親の気持ちで見守った。
「ああ、あのね、あのね。君にき、聞きたいことがあるんだけど」
 男は一歩、前ににじりよる。幼女が同じ分だけ後じさった。
「ワ、ワタクシは仮性なのか、真性なのか、君の手で――」
 男がいいかけたとき、幼女は悲鳴を上げた。
「っ……きゃっーーー!!」
 男がコートを広げ、全身を日の元に晒した。胸元からヘソまで、毛むくじゃらの裸。
 幼女は身を翻して走り出す。えづいて、目にいっぱいの涙を溜めながら。その後ろを男が追う。地獄の追いかけっこが始まった。
「きゃーー、きゃーー、きゃっーー」
「まま、待ってくれよ、俺は仮性なのか、真性なのか教えてくれないか、頼む……」
 二人はこちらに向かってくる。俺は行動を迫られた。あらゆる選択肢が奔流になって脳裏をよぎる。刹那、俺は角から飛び出していた。
「君っ、こっちへ来るんだ!! 逃げるぞっ」
 幼女に手を差し伸べる。
「あっ、え、は、はい」
 二人の手が繋がれる。背後では、悪鬼と化した男が距離を詰めてくる。長い脚を生かした大きなストライド。体幹の軸が乱れることなく、一直線に走ってくる男は美しくもあった。俺は振り返りながら逃げる。男の、競走馬のように鍛え上げられた脚。その間、股間の部分に視線が吸い寄せられる。
 俺は愕然とした。まさか、そんなことが?
「ど、どうかしたんですか」
 隣で幼女が訊ねる。
「いいや、君は知らなくていい。急ぐぞ」
 俺は幼女を抱きかかえた。お姫様抱っこである。
「きゃっ」
 右手には肩を、左手には尻を乗せている。おそらく小学生のとき以来、初めて触る幼女の身体。腕にすっぽり収まる、柔らかな感触を堪能する。胸元にある顔は戸惑いの表情を滲ませた。
「あの、ど、どこに逃げるんですか?」
「俺の家っ! 近くだからっ」
「あの、西に行ったところに交番が……」
「俺の家っ! 近くだからっ」
「あ、は、はい」


 アパートに着くと、幼女を部屋の中に放り込んだ。俺は扉の表に立ち、男を待ち構える。
「部屋の鍵を閉めるんだ」
 扉に向かって呼びかける。
「あ、あなたはどうするんですかっ!?」
「俺はここでヤツを迎え撃つ。引導を渡してやらなくちゃならないからな」
「でもっ」
「いいから早くっ」
 ためらったのち、返事が返ってくる。
「……はい……気を付けてくださいね」
 錠が閉まる音がする。これでもう、後には引けない。俺、この戦いが終わったら、幼女とセックスするんだ……。
 しばらく待っていると、男が現れた。走る途中で落としたたのだろう、ロングコートはなくなり、正真正銘の全裸になっている。立ち止まり、肩を上下させる男に、俺は呼びかけた。
「よう」
「ききき、君、あ、あの女の子をどこへやった?」
「この部屋の中だ」
 後ろの扉を示してやる。
「な、なぜ邪魔をするんだ。君は一体、なにもの――」
「変態だ」俺は一歩、前に出て男と対峙する。「お前と同じ……な」
 ニヒルに笑う。勝ち誇った俺の顔を見て、男は声を震わせる。
「そ、それじゃあ、まさか」
「その通り、お前は負けたのさ。この部屋は俺のモノ、中に入れたのは幼女。これが何を意味しているのかわかるか?」
「……ロ、ロリコン、か」
 男は自失して言った。
「その通り。察しがいいな、褒めてやる。対して、お前の方はどうだ? ターゲットには逃亡を許し、コートまで失った。全裸の格好で、どうやって家まで帰る? 自宅にたどり着くまでに、確実にお縄だろうな」
「ぐっ……く、くそぉ、くそぉ。図ったのか、お、おのれぇ」
 悔しさに唇を噛み、ひれ伏す男を見て、俺は哀れさえ覚えた。このまま放置しても構わなかったが、まだ一つ、言っておかねばならないことがある。
「あとな、お前の質問に答えてやるよ」
 そう、それはおそらく、この男の変態性に密接した命題。虚構で固められた性癖の牙城を崩す、必殺の一撃。
「お前が仮性包茎か真性包茎か、だったな。教えてやる、お前は『ズル剥け』だよ。仮性でも真性でも、どちらでもない」
 俺はいま一度、男の股間を見る。先に包皮は被っていなかった。亀頭は漆を塗ったように赤黒くテカっている。サイズも、一般男性に比べると格段に大きい。ノーマルの男ならば誰もが憧れるであろう、力強い一本槍だ。
 ――ガ・ジャルグ。
 あらゆる魔法を跳ね除ける赤い槍。ケルトの伝説に残る名槍を、俺は真っ先に思い浮かべた。勇ましいペニスだ。露茎の度合いは特に著しい。皮をどれだけ引っ張ったところで、あれではカリにも届かないだろう。
 本来ならば誇るべき性の象徴を、男は手で覆い隠した。恥じ入るように身を縮め、涙さえ流す。
「う、嘘だっ、ワタクシは、ワタクシは……ズル剥けなんかじゃないっ!」
 やはりそうか、この男、己の現実から逃避している。
 嗜好の異なる変態とは、俺にとって敵であり、同胞でもある。仕方がない、少しは慰めてやるか。しゃがみ込んだ全裸の男に目線を合わせる。
「おい変態男、そう悲しむな。俺は好きだぜ、お前のペニス」
 男の肩に手を置く。顔を上げた男は、くしゃっと表情を崩した。
「うわああぁぁぁん、うわああぁぁぁ」
 子どものように泣き叫ぶ男。顔中が涙と鼻水で汚れている。すがりつくように俺に抱きつき、顔を押し付けようとしたところを、蹴飛ばす。
「汚ねぇな。顔は自分のハンカチで拭けよ」
「持ってません……」


 しばらくして、男はやっと泣き止んだ。すっきりした面持ちで地べたに座る。俺も横に並んで腰を下ろした。なんともなしに無言でいると、男がおもむろに口を開く。
「ワタクシは、童女に罵られたいんです」
 はにかんだ表情で語り出す。吃りはなくなっていた。
「特に、包茎をバカにされるのが夢で。『お兄ちゃんのチンチンかっこわるーい、しかも皮の中、すっごくくさいよ~』なんて、言われたかったんです。はは、笑いますよね」
「いいや、立派な夢じゃねぇか。けど、そうか、お前はズル剥けチンポを持ってしまった」
「……ええ、ワタクシがまだ幼い頃のことです。父の真性包茎に苦しめられていた母は、ワタクシの包皮を剥いてしまいました。母親のことを何度うらめしいと思ったかわかりません。実際、そのことで親子喧嘩もしました。ワタクシは苦しんでいました。けれど、誰もワタクシの悩みを理解してはくれませんでした」
 男は暗い顔になる。
「友人に相談したときには、逆に怒られましたよ。どうしてそんなチンポを持っているのに文句ばかり言うんだ、贅沢を言うなって。過去に女性と付き合ったこともありました。いざ性行為に及ぼうとすると、彼女たちは言うんです。すごいとか、怖いとか、カッコイイとか。……ワタクシが欲しいのはそんな言葉じゃなかったっ!」
 男は拳を握り込む。爪に抉られた皮膚からは、血が流れていた。
「ワタクシの逸物を突っ込んだら、女どもは皆、従順になりますよ。メスとして征服されきった、あの顔。ワタクシはあれが、嫌で嫌で仕方ないんです。女が尊厳を捨てるなんて、最も汚らわしいことだ……。そうして、ワタクシは本当の孤独を知りました。ワタクシの心を理解してくれる人なんて、世界に一人もいないんだと」
「本当にそうか?」
 歯噛みする男に、俺は問うた。
「え?」
「本当にお前の同類が、この世に一人たりともいないと思うか?」
「だって、それは……。少なくとも、ワタクシが生きてきたなかではいなかったのです。あなただってそうでしょう、ワタクシとは違う。あなたは気が強そうだ」
「そうだな、俺は罵られて悦ぶタイプの人間じゃない。だが、お前が孤独かどうかは別の問題だ。これは、俺も友人から教えて貰ったことなんだがな」
 友人とは他でもない、省吾のことである。すがるような男の目に、俺は同情せずにはいられなかった。
「なに、一つの、簡単なパラドックスだ。そうだな、お前にもわかりやすいように改変してやろう」
「パラ……?」
「まあ聞け。例えば、お前はある日、友人たちと一緒に風俗へ行こうと思い立った。さっそく友人たちに提案すると、そりゃいいやと皆、賛成してくれる」
「ワタクシ、友人は少ないですよ」
「知り合いの一人や二人いるだろう、黙って聞け。友人はA、B、Cの三人だ。ところで、風俗と言ってもいろいろある。どこへ行こうか。ピンサロかソープか、はたまたM性感か」
「M性感っ、M性感がいいですワタクシはっ」
 男が挙手する。
「なるほど結構、お前はM性感に行きたかった。しかしお前が提案する前に、Aがふと口にした。『そういえば繁華街の方に、肉マンとかいう、デブ専のソープができたんだぜ』と。Aはただ、風俗の話題に連想して思い出しただけだ。決して、肉マンに行こうと提案したわけじゃない」
「そりゃあそうでしょう、脂肪に包まれて果てたいなんて、ワタクシにも理解できません」
「かもな。しかし、Bが考えたことは違う。Bは、Aがその肉マンに行きたいのだと勘違いした。Bは気を遣う男だ。彼自身は制服っ娘との痴漢プレイがしたかったのにも関わらず、Aに乗っかって肯定した。『なるほど、じゃあそこに行ってみようか』と。当然、Aは困惑する。自分はそんなつもりで言ったんじゃないってな。Aは内心、OLに悪戯するプレイがしたかった。彼は生粋のニートだったんだ、会社員というものに憧れがあった」
「なるほどぉ」
 男はしきりに頷いている。
「さらに事態をややこしくしたのはCだ。こいつは仲間内で一番、依存心の強い男だった。四人の内の二人、つまり半分が肉マンに傾いた、と勘違いした時点で心は決まってしまった。『あー、俺もそこに行きたかったんだよな』と口にする。Cも、自身の嗜好に従ったわけではなかった。彼は水着を付けた女に強い執着があったんだ。
 Aの方も、自分が提案したことになっているから、引くに引けなくなってしまった。こうして三人は本心とは異なる合意を果たした。表面上、彼らは楽しそうにデブ専の風俗、つまり肉マンの話をしている。さあ、ここまで言えばわかるよな。お前はこういうとき、どこの風俗に行かなくちゃいけなくなる」
 俺が話を振ると、男は即答した。
「一人でM性感に行きます」
「馬鹿野郎」
 殴りつけた。
「痛いっ、痛いですよぉ」
「肉マンに行くんだよっ。四人中三人も賛成してるんだから反対しにくいだろうが。何が一人でM性感だ。だからてめぇには友達ができないんだよ、この社会不適合者が」
 暴行を加える。
「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、行きますっ、肉マンに行きますっ」
「分かればいいんだよ」
 俺は荒く息を吐いて、蹴っていた脚を引っ込める。
「いいか、この話のキモは、誰一人として肉マンに行きたくなかったことだ。横暴な人物が独断したのでなければ、少数派が多数派にねじ伏せられたのでもない。四人は始めから、イメクラに行けばよかったんだよ。罵られるプレイだって、イメクラでまあ、なんとかなるだろう。だから、さっきの『一人でM性感に行く』という発言も一概に悪いとは言えない。一人でも本心を言えば、結果は変わったかもしれないからな」
「でも、ワタクシのこと殴ったじゃないですか……」
「話の腰を折るからだ。とにかくいいか、よく覚えておけ。世の中ではこういう理不尽がしばしば起こる。でもな、このことの真実は、全員がデブ専になってしまったわけじゃないんだ。男たちは全員、イメクラという心の泉で繋がっている仲間なんだよ。だからお前も、孤独だなんて言うな。同志はいる、どこかに必ずな」
 空を見た。太陽は相変わらず、うっとうしいくらいに俺たちを照らす。そら見ろ、テレビの予報や占いなんざ、あてにならないだろ。
「…………そう、ですね。そうかもしれません」
 男は憑き物が落ちたような顔をして立ち上がる。サングラスを外して、俺を見下ろした。こうしてみると、子犬のように純粋な目をしている。
「あなたのおかげで、気が楽になりました。でも、もう少し早くにお話を聞きたかったです。ワタクシはすぐに、警察に捕まってしまいますから」
 男は全裸になった体を見せつけてきた。この状態で周囲の目を逃れるのは、不可能に近い。
「ちょっと待ってろ」
 俺は言い残して部屋に入る。押し入れを漁って、冬用のコートを引っ張り出した。再び表に出ると、男は面食らったような顔をしている。
「こ、これは?」
「コートだ。これを着ていけば怪しくな――いや、怪しいが、すぐに捕まることはないだろう」
「いいんですか、ワタクシに、こんな」
「どうせボロくなったから捨てようと思ってたんだ。返さなくていいぞ、というか返すな」
 裸の上に着たものなんか返されても困る。
「ありがとうございますっ、ありがとうございます」
 男は頬を濡らしている。まったく、俺もお人好しになっちまったもんだ。
 コートを羽織った男が去っていく。不審者丸出しだった後ろ姿が、今は頼もしく見えた。

       

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