Neetel Inside 文芸新都
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この世界と自分は同一の存在である。

まず、世界とは意識であり、自己の死により意識が閉じることは、すなわち世界そのものの終息といえるだろう。
易しく書きなおすと、「世界とは私の物である」

これを読んでいる人がどれほどいるかわからないが、読んでいる貴方も私の一部にすぎない。
この世界に私以外に意識を有している人間はひとりとしておらず、私以外の全ての人間は動きをプログラミングされているキャラクターにすぎないのだ。
彼らに選択権はなく、個といった心も存在していない。私のために存在していて、私という意識が創りだした、都合のいい存在なのだ。
悲しいことに、彼らはただのプログラム。私という唯一の意識を持った人間が、私という世界について気がついた今、こう書き示しても真の意味で理解してくれる人はいないのだ。
わかったふりをしている者は、私に安堵と優越を味あわせたいためにそう動くようになっているだけなのだ。
だから私は今、ものすごく悲しい。

この世界と意識、そして死。
さきほどから何度も主張しているが、この世界は私の意識によって創られた世界である。
この世界のすべては、私がもうコントロール出来ない設定が最初から施されていた。
寿命もその一つだ。昨今だと90歳近くまで生きられるように設定されているらしい。これが長いか短いかはわからない。
意識を持たない彼らと違い、この世の主である私はまず天寿を全うするだろう。もしかすると死なないかもしれない。
なんらかの事象による突然な死などありえない。彼らが身を持って事故や健康に気をつけろとサインを送っているのだ。
今は西暦2016年。地球は生まれてから何十億と年月を重ねているらしいが、それもただの設定である。
この世界は私の生とともに、設定を付属されて誕生した。そして私の死によってすべてが無に帰する。
故に、この世界で遺伝子を残してもそれは後代に繋がるわけではなく、実子も所詮は私の利益のためのプログラムにすぎない。

天国、死後。
私の意識が閉じたあと、私もろともすべてが消滅する。
魂という概念があり、輪廻転生というスピリティズムもあるらしいがそれはまったくの眉唾である。
なぜなら、その記憶がないからだ。過去世というものが存在したならば、その記憶がないとおかしいだろうし、言い換えれば、過去世があったとしても意識が違えばそれは別の人間である。
天国も存在しないだろう。もしも天国がありそこでも意識を有しているのなら、今を現実世界で生きている意味がなくなる。
ここまで考えさせるような、天国、輪廻転生、魂。これは私の世界になぜ存在する概念なのかというと、私から死の恐怖を取り除くためにあるのだ。麻薬である。
ただ。次のような考え方も出来る。私=魂=世界。

私は元来の精神薄弱気質で、幼少のころから多大な不安を抱えてきた。死もその一つだ。
しかし全てのものはこの不安を解消させるために存在しているのだと気がついた。しかしながら感謝するものはいない。強いて言えば気がついた自分自身だ。無意識どもには理解出来ない論であろうから注釈しておくがここは笑うところである。


それでは、なぜ、私という意識だけが生じたのか。誰が私を作ったのだろうか。
これだけが、解決ならない。
私とは誰なんだ。なぜ生まれたのか。どこから生まれたのか。
わからない。わからない。教えてくれない。誰も教えてくれない。だってこの世に意識を持っているやつがいないから、答えがない、前例がない、誰か、おしえてくれ

だれか

いないか

にんげん

いないか

       

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