Neetel Inside ニートノベル
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今その瞬間を全力で
第二話 陸上部その弐 《過ぎ行く時は瞬間で》

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 パンッ、という軽い発砲音のようなものを合図に、クラウチングスタートから一気に駆け出す。
 同時に飛び出した両隣のクラスメイトをすぐさま越して、はるは速度を落とすことなく地面に引かれたゴールラインを突っ切った。
「おー、さすが陸上部部長。速いなあ」
 ゴール付近で、片手に持っていたストップウォッチの秒数を眺めながら体育教師が感心したように頷き、もう片方の手に抱えていた記録用紙が貼り付けてあるボードに計測した記録を書く。
 午前中の体育では、夏休み明けということもあって春から行っていなかった五十メートル走の記録を再度実施していた。
 人数の関係から四人が横に並んで一気に走り出す形式を採っていたのだが、ぶっちゃけた話最初にゴールを切った者の記録から大雑把に残り三人の記録を割り出すので二位以降の秒数はかなりざっくりしたものになる。
 数秒の差を付けて一着を取ったので晴の記録自体は正確なものになっているはずだが、晴はそれが書かれたボードを向けて来る体育教師に苦笑を返すだけで自身の秒数を見ようとはしなかった。
 確かに、自分は速いのだろう。他の生徒に比べれば。
 ただ、所詮それは他の生徒と比較した時の話でしかない。
 一般生徒よりは速くとも、結局のところ陸上選手としてはそこそこの速力だ。並よりは少し上、という程度。
 もちろん晴は全力で走ったし、別段不調だったわけでもない。
 だからこれが東堂晴の全力疾走。その結果。
 クラスメイトに肩を背中を叩かれ称賛を受けながらも、晴は心の奥底で自身の性能の低さに冷たい感情が込み上げてきそうになるのを抑えていた。
(こんなんが部長とは、まったく情けない限りだ…)
「おう、お疲れさん!!」
 心中で自嘲しながら待機場所として指定されたグラウンドの中央へ戻ると、一瞬驚きで肩が跳ね上がるほどの大声量で労いの言葉を掛けてきたクラスメイトと目が合った。
「速いな、速いッ。やはり陸上部員とはそうでなくてはな!お前んとこの一年坊にもちっとは見習わせたらどうだ!?」
「見習うほどのもんでもないさ。そっちの部員にだって、この程度はゴロゴロいるだろ?」
 丸刈りの頭に太い眉。体育着の半袖短パンから伸びる手足はもはや高校生のそれには見えないほどだ。晴も筋トレはそこそこやっているが、きっとこの男はその三倍も四倍もの量をこなしているに違いない。
 清々しいほど運動部であることを主張してくるその外見の通り、藤沢ふじさわ拓斗たくとは野球部員にして晴と同じく部長の任を負っている三年生だ。
 とてつもない熱血漢で、一昔前のスポ根を体現したかのような男であり、全運動部中で最も情熱に燃えている漢であるとも言われている。
 その熱気は学校全体にもおよび、以前彼が腕を骨折して学校を休んだ日(これが拓斗の高校生活での唯一の欠席だった)などは校内の温度が下がり多数の生徒が肌寒さを感じたという。もちろん真偽のほどは定かでは無い。
 自嘲気味な雰囲気のままで力なく返した晴の言葉に、拓斗は目をカッと見開く。
「違う、意欲の問題だ!お前がその域に到達するまでに一年生の頃から努力していたのをオレは知っている!ただ走れるだけの人間なんぞに価値は無いッ」
「いや価値無いことはないでしょ…。才能ある人は俺より少ない鍛錬で俺より速かったりするし」
 晴は自身に陸上部員としての素質があるとは思っていなかった。そこそこは速くなれたが、これもちゃんとトレーニングして練習を重ねれば誰でも至れる領域だ。
 もっと効率的に、晴よりも負担も無駄も少なく最短で晴の実力を上回る選手などごまんといる。
「才能なんぞいらん!そんなものは二の次だ。才能なんていうふざけた言葉にかまけて努力を怠る人間がオレは大嫌いだ!だからオレはお前を尊敬している!!」
「ごめんちょっと何言ってるかわからない」
「…ふぬ……」
 拓斗とは一年生時から面識があったが、時折よくわからないことがある。
 順番が控えているのか、拓斗は待機場所からスタート地点へと足を向ける。その途中、必然的に走り終えて戻ってきた晴と入れ違う。その間際。
「『才能』は、その数倍の努力で容易に追い越せる程度の素質の差でしかないということだ。肝心なのは継続する力。努力を投げ出さず意地でも続けること。…万人に備わるものではなく、かつお前に備わっているものだ、晴!!」
「いだっ!」
 スパァンッ!!と入れ違い様に晴の背中を大きな平手打ちが襲い、驚愕の声と共に前のめりにつんのめる。
 振り返ると、もう拓斗はストレッチを始めていつでも走り出せるよう準備していた。
(相変わらず、時々よくわからんヤツだなあ。小難しいこと言ったりするし)
 既に走り終えた晴も手首足首を入念に曲げてしっかり体操もしておく。
 拓斗の言い分はわからなくもない。晴だって自分に無い素質…『才能』と呼ばれるものを前にして、ただ折れるのは気に喰わない。だから頑張る、だから努力する。
 でも、それでいつか追い付けるのだろうか?才能ある者を追い越せるのだろうか?
 特に、三年生である自分に残された時間は少ない。
 卒業後の進路も大方決まっているし、その為の勉強もしなくてはならない。部活に割ける時間も、次第に減っていくだろう。
(ちょっと前まで入学したばっかりだと思ってたのに、もう三年生とは。楽しい時間ほど短く感じる人間の感覚機能はどうかしてるよ)
 どうにもできないことにふと憤慨を覚えながら、晴は豪快に走り出した野球部部長の疾走を黙って見届けていた。



   『第二話 陸上部その弐 《過ぎ行く時は瞬間で》』



「はい、じゃあそれぞれ分かれて練習開始してー」
 放課後、アップの駆け足と体操までを部員全員でこなしたあと、晴は昨夜作った練習メニュー表をそれぞれの担当者に手渡す。
「長距離は井川」
「あいよ」
「砲丸は佐藤、円盤は仲井。ジャグリングは古田な。投擲は落下地点の場所とか人いないかよく確認するように」
「はい」
「わかってるって」
「了解」
「幅跳びは廣瀬。足首ぐねらないよーに」
「今更そんなドジしねえよ誰も」
 同学年の部員達にメニューを渡すと、それぞれが二年一年を引き連れて和気藹々三々五々に散っていく。
「そんで……サエ、ハードル頼む」
「はぁい」
 唯一三年生でやっている者がいないハードル走に関しては、一番実力のある紗依莉に一任する。
「後輩に特に気を配ってやれ、ハードル転ぶと痛いぞ」
「あはー、そんなん選手わたしが一番よく知ってますよ。この副部長にお任せくださいな」
「自称だろ」
 ぺしりと紗依莉の頭に乗せるだけの軽いチョップを当てると、嬉しそうに微笑みながら同学年のハードル選手と共に後輩らと設置を始める。
「で、短距離は俺だ。夏場はあんまり無理しないように。各人適度な水分補給をこまめにな」
『はいっ!』
 元気の良い返事に満足そうに頷いて、晴も自身のメニューに則って練習を開始した。



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「ハードル、もうそろそろ新しいのが欲しいところだな」
 部活動が終了し部員達が下校したあと、またしても部長の晴は部室に居残って呟いていた。
 片付けの時に軽くそれぞれの道具や備品を点検してみたのだが、一番損耗が激しいのがハードルだった。錆が酷くて高さ調整もままならないし、全体的にガタが来ている。
「顧問に相談しておくかあ」
「別にまだ使えると思いますけどねぇ」
 一覧に記した各備品の備考欄に思い当った事項を書きながら、またしても椅子をカタカタ鳴らしながら部室に置いてあった誰かの団扇で顔を扇いでいる紗依莉に答える。
「駄目だ。怪我してからじゃ遅いんだからな」
「さっすが頼れる部長さま。惚れ直しました」
 その言葉に、珍しく晴は口元に意地悪な笑みを浮かべ紗依莉に顔を向ける。
「なんだ、惚れてたのか」
「……、言葉の綾的な、あれですよ」
 一瞬詰まってから、紗依莉はぷいと顔を背ける。
「はは、知ってるっての」
 たまにはこちらから攻めてみるかと打って出てみたが、予想外に効き目があったらしいことに内心少し驚く。とはいえ後輩の女子をいじめる趣味は晴にはないので、それ以上はやめておくことにした。
 普段いじられているからといって、別にやり返してやろうという気は晴には無いのだ。
 再び晴は備品の状態を書く作業に戻り、紗依莉はそれをそっぽ向いたまま気を紛らわせるように自販機で買って来たスポーツ飲料を一口飲む。
「…ハル先輩」
 しばし流れた沈黙の時を破ったのは紗依莉だった。
「どした」
「今日、ちょっと元気ないですね」
 シャーペンの動きが一瞬止まり、すぐまた動き出す。
「普通だろ。いつも通りの部長さまだ」
「そうですかね。いつもより三割ほど覇気が無いですけど」
 両手の人差し指と親指でカメラフレームのように長方形を作って、その枠の中に晴の姿を入れてみる。
 夕焼けが差し込む部室で黙々と作業に励む部長の姿は、紗依莉にとっては誰よりも映えて見えた。
 体勢は崩さぬまま、視線だけずらして指のフレーム越しに紗依莉と目を合わせる。
「……時間ってのは、思ったよりあっという間に過ぎて行くんだなって思ったのさ。そしたらちょっと感傷的な気分になった。そんだけ」
「おお、詩的ですね。ポエムでも創ってみます?」
 いつもの調子で返す紗依莉に苦笑する。
 真面目に取り合ってもらっても困る。茶化してくれる少女の言動は意図的なものか、それとも天然なものか。
 …いや、この後輩のことだ。おそらく晴の心中を汲んだ上での返しなのだろう。
 その上で、紗依莉はさらにこう続ける。
「あっという間に感じるなら、その時間内をもっと堪能すればいいんですよ。楽しい時間が普段の二倍速く過ぎるなら、こっちも二倍でも四倍でも楽しめばいいんです。そうすりゃこっちの勝ちですぜ先輩」
「勝ちって、何と競ってんだお前は」
 思わず噴き出すと、後輩の少女はふっと微笑んで立ち上がる。
「青春と、ですよ!私達は長い人生の中、この短い学生生活を青春を相手に闘っているのです。学生短し楽しめ諸君!ってね」
「また勝手に名言を増産しおって」
 途中だった用紙を机に置いて、晴も立ち上がる。
 この後輩が居残ると、いつも作業が中断されてしまうな。そう思いながらもそれが不愉快だとは感じていない自分に可笑しくなる。
「それに青春ってのはあれだろ、ぶつかったり競ったりするもんじゃない。並走して駆け抜けるもんだ」
「お、それっぽいこと言いましたね先輩。なら走りますか?あの夕陽に向かってーってヤツ。ちょいと古臭いですが、これ以上のスポ根せいしゅんはありませんよ」
 開け放った部室の戸から廊下に出て、晴は後ろから上機嫌なステップで付いて来る紗依莉の気配を感じつつ笑みを隠して静かに腰を落とす。
「そうな、四百メートルまでなら付き合ってやるよ」
 言って、返事を聞くより先に駆け出した。
「ちょっ!?四百メートルって短距離走せ ん ぱ い得意分野ホ ー ムじゃないですか!ずるい!!」
 もうずっと後方に引き離した後輩の声を耳に留めながら、らしくない自分の行動に隠し切れなかった笑みが声と共に漏れる。
 悩みや考え事が解消されたわけではない。自身へのコンプレックス、過ぎる時間への焦燥。そういうものは依然として晴の心に付き纏って離れない。
 でも、今くらいは忘れてもいいかな、と思う。
 物理的に付き纏ってくる後輩との駆けっこに興じながらも正面玄関へ向けて走る。
 こんなに気分良く走れたのは久しぶりかもしれない。
 晴は午前中の体育で走った時とは比べ物にならないくらいの爽快感を覚え、その後方で先輩の背を追う自称副部長の少女もまた、その様子に満足そうに微笑んでいたのだった。

       

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Neetsha