Neetel Inside ニートノベル
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今その瞬間を全力で
第六話 野球部その参 《副部長は今日も胸が痛い》

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『よく見てけ田原ー!いつもと勝手が違うぞぉ!』
『ここらで引き離せ!お前次第で大勢が決するんだから!』
『田原のー!?ちょっといいとこ見てみたいー!!』

『取れる取れる!どうせやれてもロクでもないカス当たりだっ』
『ゲッツーで終わらせっぞ!!』
『なぁこれ素手の方がやりやすいんだけど!グローブ取っていい?』


「なんだかなぁ…」
 げっそりとした様子で、ベンチに座る尊がすぐ近くで盛り上がる彼らを遠い目で眺める。
 放課後のグラウンド。いつもならば活動場所をきっちり割り振られた上でいくつかの運動部が活動するであろう時間帯のここが、何故だか今はたった二つの部活動で占領されていた。
 いつも野球部が使用している場所が本来の倍以上の人数でひしめき合っている。本塁には同級生の田原が立ち、足首を回して来るべき一投に備えていた。既に塁に出ている者もおり、さらに後方には野球部ならざる者達が守備に散っている。
 それぞれの立ち位置を一見するにただの野球試合に見えるが、断じて違う。
 違うのだ。
 だというのに。

「うぉおおおおおお田原ぁあああああああ!!!ここがお前という漢の見せ場だぞ!!括目せい!!」
「よっしゃーいけいけ田っ原くーん!」

 クラブメイト達が本試合さながらの声援を送り、副部長尊を挟んで逆側ではそれら部員連中の乱雑に纏まった声援をすら掻き消すほどの大声量で檄を飛ばす部長と、その隣で両手に持ったポンポンを適当に振るうマネージャーの姿があった。
 今一度溜息を吐き、尊は視線を左右から正面に戻す。ちょうどその時だった。
 何かを蹴る音が軽やかに鳴り、それが空高々と打ち上げられるのを見た。それと同時、攻撃側になっているこちらの歓声がさっきの倍ほどとなって沸き起こる。
 我が事のように喜ぶ部長が両手を上げてガッツポーズする。その隣でぶんぶんわさわさとポンポンを振り回すマネージャーもまた、歓喜に震えていた。
「部長さん部長さんっ。田原くんやりましたよー!?」
「応!!オレは最初から信じていたがな!ヤツはここ一番が滅法強い漢よ!!」
 そんな風に和気藹々と仲良く話す二人をベンチに座ったまま横目で見上げる尊の胸が僅かに痛むのを、本人は嫌悪感と罪悪感を持って押し潰す。
 兄はそんな感情は抱いていない。兄は純粋に彼女を友人として後輩として扱っている。だが、おそらく彼女は方は違う。
 それを知った上で、二人の友好関係に少しでも邪推の混じった感情を向けてしまう自分のこういう部分が、尊は死ぬほど嫌いだった。
「先輩?…尊先輩!」
「おーい副部長!次だぞお前!」
「……えっ?」
 自身の内側で渦巻く何かと葛藤し思うに耽る尊は、肩を叩かれることでようやく打順が自分に回って来たことを知る。
「あ、ごめん。すぐ出るよ」
 苦笑して謝る尊が駆け足で前に出る。勝負はもうじき大詰め。この辺りの動き次第で事は大きく揺れ動くことだろう。
 今まさに、藤沢拓斗率いる野球部と対決するサッカー部とのキックベースの勝敗が決まり掛けようとしていた。



   『第六話 野球部その参 《副部長は今日も胸が痛い》』



 始まりは授業終了から十数分の後、部活動が開始される直前の出来事だった。

「おうコラ藤沢兄。テメーまたやったらしいな?」
「む…また学生服の前ボタンを全て外しおって、この不良め」

 夏場ということもあって、冷房の存在しない部室棟から出て外気で涼を得ながらユニフォームに着替えていた拓斗のもとへ、一人の学生が近づいて来るなり威圧的な態度で突っかかってきた。
 夕陽に煌めく金髪をワックスで固めたオールバック。整った顔立ちはまさしく美青年のそれであったが、眉間に皺を寄せてメンチを切りながら猫背気味に近寄る姿ではただの不良生徒以外の何者でもない。顔立ちに釣り合う高身長もその威圧を増すのに一役買っていた。
「あ、天河あまかわさん。お疲れさまです」
 兄と共に着替えをしていた尊が、現れた先輩に正対して丁寧な挨拶を放つ。尊にとっても彼の存在は関係の薄い相手ではなかった。
 彼こそは拓斗と同学年でありサッカー部の現部長である天河織彦おりひこ。度々兄である野球部部長と衝突を繰り返していることから、その間に割って入ることの多い尊と織彦とも当然顔見知りとなる。
 拓斗に凄んでいる最中でも律儀に片手を上げて挨拶に応じる織彦がさらにその整った顔を近づけて威嚇を続ける。
「あの一年坊主は俺んとこに入れるって何度言わせりゃ気が済むんだよテメーは。勝手に追い回して強引に入部させようとしてんじゃねえぞ筋肉ダルマ。ああ?」
「シャツも出して、だらしがないぞ織彦。ちゃんとズボンに入れろ」
「名前で呼ぶんじゃねぇ…!」
 まだ袖を通していないユニフォームの胸倉を掴んで引き寄せる。目と鼻の先にある織彦の顔は怒りに染まっていた。
「とにかく野郎には手ぇ出すな。東雲はサッカー部に入ってもらう」
「あとその猫背も良くないな。せっかくの良い体が台無しだ」
 しばし睨み合い、織彦は掴んでいたユニフォームを離して拓斗の厚い胸板を拳でゴツと突く。
「調子に乗んなよ藤沢兄。俺らは元々、例の部長集会の決め事だって納得いってねえんだ。なんでサッカー部がこぢんまりと活動しなくちゃならねえんだよ。あれじゃ試合だって満足に出来やしねえ」
 数歩離れて、織彦は途中だった着替えを済ませた拓斗にぴっと人差し指を向けて宣言する。
「いいか、領地グラウンド人材しののめもサッカー部が頂く。テメーは部員共がこれ以上のさばらねえようにきちんと目を光らせときゃいいんだ。わかったか!」
 対する拓斗も、対等な相手として軽く頷いて織彦と真っ直ぐ視線を合わせる。長い付き合い、互いはさながら好敵手の如く相手を認め合っている。
 故に返すべき言葉は決まっていた。

「あとワックス付け過ぎだ。髪質に響くぞ」
「全然わかってねえな!?」

 凄まじい勢いで再び、今度は両手で胸倉を掴み上げる。
「テメーさっきから会話が成り立ってねえじゃねえか!馬鹿にしてんのかコラァ!野球部部長のクセに会話のキャッチボールも出来ねえのかオイ!!」
 ちょっと上手いこと言ったな、と。黙々とユニフォームに着替えていた尊は思った。口に出すと事態が拗れるから心中に留めておいたが。
「おー上手いですね先輩!座布団一枚だっ」
(うぉーい)
 せっかく黙っていたというのに、尊の背後からやってきたマネージャーの少女が台無しにしてくれた。
「あ゛!?…なんだ、瀬戸の小娘か」
「なんだとはなんですか、天河の旦那」
 更衣室でジャージに着替えてから来た瀬戸那月が、物怖じせずにサッカー部の部長に気軽な挨拶を投げる。
「オイ藤沢弟、ジャーマネ!このクソボケ部長をどうにかしろ!意思疎通すら難しいぞこの脳筋野郎!」
 掴んだ胸倉をガクガク揺らしながら叫ぶ織彦に二人はそれぞれ苦笑と大笑で返事する。
「まぁ、兄はこういう人なんで…」
「筋肉語で話さないと部長さん応答しませんよ?つまり天河先輩は筋肉が足りないってことですな」
「んだとテメー……!!」
「まあ落ち着け織彦。部活前に体力を使うのはよろしくない。それとな」
 がっしり掴んでいたはずの両手を万力のような馬鹿力で引き剥がし、拓斗は織彦の手を掴んだまま軽く息を吸う。
 そして、
「―――東雲は渡さんッ!!グラウンドも仲良く使えぇ!!あと素行を直せええええ!!!」
「っぎゃあああああ!!?」
 藤沢拓斗お得意の衝撃を伴う大怒声を間近で喰らい、両手を掴まれているせいで聴覚への防御もままならない織彦は哀れ人力フラッシュ・バンの餌食となり地に伏す羽目となった。
「うわぁ…」
「鼓膜ヤっちゃったかな?」
 耳を塞いでいた尊と那月は、横倒しのまま痙攣する織彦の隣まで近寄りその状態を覗き込む。
 泡を吹いていてもおかしくない様子で白目を剥いていた織彦だが、そこは何かプライドのようなものが勝ったのかすぐさま黒目を取り戻し起き上がった。
「起きた」
「あの、天月さん。大丈」
「上っ等だこの野郎…!」
 ふらりゆらりと見てる側が不安になる動きで立つ織彦が、尊の心配を無視して見開いた眼光を忌々しい野球部の長に向ける。
「勝負だ筋肉ゴリラ!!東雲のクソガキとグラウンドの領有権を賭けてな!敗けた方はおとなしく両方を差し出すこと!文句は言わせねえからな受けて立てコラ!!」
「うわぁ…」
「すごい!今度はありきたりテンプレートな感じで攻めてきたよタケちゃん!」
 面倒事の予感に絶句する尊とは裏腹に那月は楽しそうに両手を胸の前で握って瞳を輝かせていた。
 尊にはわかっていた。こんな正々堂々とした攻め手を前にして、事態がどう転ぶのかを。
「その意気や良し!!ならばかかって来るがいい織彦!オレ達は逃げも隠れもせんわ!!」
「名前で呼ぶんじゃねっつってんだろ痴呆かテメーは!!」
 これが野球部全体が巻き込まれることの確定した瞬間であった。



 そうして、互いの有利不利を取り除いた結果として決まった対戦形式が昔懐かしキックベースである。
 野球部とサッカー部の対抗戦ということで、本来使う予定だった他の運動部には(主に尊が)事情を説明して、謝罪とグラウンド占有に釣り合う条件提示と交渉駆け引きも当然(尊によって)行われた。
 大体の部活は事情を察して尊への同情と共に許諾してくれた。その代わり、活動できなくなった他の部員達が観客としてグラウンドを囲いちょっとした騒ぎとなってしまったのはもはやどうしようもないことであった。

「テメーら気ィ引き締めろ!藤沢弟が出たぞ!あれはああ見えて結構やるからな!!」
『おおう!!!』
(なんだか、えらい警戒されてる…)
 軽く体の筋を伸ばしながら、尊は手早く済ませるべく最短最善の筋書を脳内で組み立てていく。
「タケちゃんがんばー!!」
 ぴょんぴょん跳ねるマネージャーにはもはや苦笑すら浮かばない。
「……」
 打席に立つ前に、一度真顔でじっと那月の顔を見つめる。
「ん?」
 きょとんとする彼女から視線を横に移し、何やら熱の込められた期待の眼差しでこちらを貫かんばかりに見つめる兄。
「……まあ、負けたくはないよね」
 ゆっくり頷いて、親指を立てた右手を兄に突き出す。それだけで満足したように、拓斗は再び耳に痛いほどの声援を送ってくれる。他の部員達もそれに続いて声帯を使い捨てのように扱い尊を鼓舞する騒音を撒き散らす。その内ほんとに近隣住民から苦情が来てもおかしくない。
 そんな、何を言っても掻き消されてしまうような空間で。
 尊は小さく漏らす。

「負けないよ。兄さんには」

 それは野球に限った話ではない。那月の表情を最後にちらと視界に入れて、気力を充たした尊が打席に立つ。
 突然だが、尊には勘違いされがちなことが一つある。
 部長を筆頭に血気盛んな者で大半を占められている野球部。その中で異質とすら見られがちな尊の理知的な性格。しかしそれはあくまで表面的なものに過ぎない。
 何に置いても、藤沢尊はあの部長の弟であることを忘れてはならないのだ。
 その内に滾る熱意、熱情。負けん気はその兄にすら負けず劣らず。
 だから尊は諦めない。勝敗の決していない勝負ならもちろん、必敗が決まり切っているような試合すら尊は棄てない。
 どんな勝負にだって全力で挑む。その胸の痛みはマグマの如き熱が覆い包む。
 たとえ一生敵わないかもと思わせる兄を相手にしたって、この初恋は譲れない。兄が彼女を女性としてなんら意識していなくとも。彼女が兄を慕い想っていたとしても。
 そこに強引に割り込むくらいしなければ、そのくらいの難度がなければ面白くない。
 尊の本質が燃え滾る。
 ひとまずサッカー部には悪いと思うが、彼女に良い所を見せる絶好の機会であることに違いは無い。踏み台として、利用させてもらう。
 普段から前面に押し出している理性の奥に宿る蛮性は、やはり兄に劣らぬものがあった。

       

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Neetsha