12 服についてる?




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時空のねじれはようやく解消された、かに思われた。しかし、タイムマシンのエネルギーが足りなかったために、私は、ねこちゃんポーチ直後から、シーサー着色の直後に移動したにとどまったようなのであった。特殊な未来予知によって、私の目は、ステーキハウスで夕食を食べる柔原めいな、ホテルの夜に眠りかけて顔面を枕に押しつけている柔原めいなを見た、ような気がしたのであったが、それらの途方もない夢は見失われ、再び、沖縄民族工芸体験工房に戻ってきたようなのであった。尚、これらのものはすべて何の奥意もない比ゆである。私は、ハムを縛りつけて形を整えるように、自身のなかで溶解し、溶けだし、こぼれだしたものを再び整理しようとこころみた。素人芸術家が廃材でつくりあげたような、形だけの、こわれた傘の骨がいたるところに突き出した、鉄塊のような私のタイムマシンは店の裏へと仕舞ってある。その名は、ふざけた名前だが「ビヨンセ一号」と言う。
店のなかへと戻った瞬間、柔原めいなは、誰にみせるでもなく筆によるペン回しを披露しているところだった。それが机の片隅で、あまりにもひそやかにおこなわれていたため、見落とされていたのである。また、以前のシーサー着色の場面ではよくみることのできなかった、柔原めいな謹製のピンクのシーサーをはっきりと観察することができたのだが、それは不自然な色で着色された砂糖菓子、落雁やシュガービスケットのように、気味の悪いほどにピンク一色に染まっていたのだ。ほかに私の目をひいたものは、柔原めいなの、汗をかいているためにみだれた前髪や、光の加減なのか、ほかのどの場面よりも色白にみえることや、ピンクのシーサーがおかれた机のうえの新聞紙の「タイムス住宅新聞」の文字などであった。私はそれらの事物を無意識的な感性によって捉えることしかできないのだが、同時に、より分析的にとらえることも思い出し、腕を組み、片手をあごにつけ、しかめっ面をして、この場面では少し肩肘を張ってみせているのである。目の前には、様々なものが山積みにされた問題集のように場面にちりばめられているのであった。また、店内の別のテーブルから聞こえてくる「ロケットォン!」という、私のしかめっ面をさらにしかめさせるような、不快な、きちがいの匂いのする解釈不能な発言もあった。それにしても、落雁と表現されたように明るいピンク色が、新聞紙のうえのシーサーで、絵の具の皿で、何と強く主張していることか。皿のピンク色はよごれたカレー鍋のように、ふちに至るまで完全に、ゆるく溶かれた絵の具にまみれていた。かといって皿になみなみと絵の具がそそがれているわけではなく、ただ全体が汚れているだけなのだ。私は、ねこちゃんポーチの場面で「可愛いもので、世界をそのような色に染めてしまいたいという欲求だ」と分析していたのだが、今、この場では言葉通りに、可愛いピンク色が、ひらべったい皿の表面のすべてを、シーサーのすべてを、わきに置かれた平べったい筆先を、そして黒い墨のついた雑巾の一部をうすく染めあげていたのである。さらに、このあと「服についてる?」と柔原めいなに言わせたように、彼女の服をも染めあげようとしているのであった。
今や、ごく局所的な意味で視界がオールグリーンとなった私の目には、彼女の服装や、彼女の表情が、痛々しいほどに生々しく見えているのだが、彼女は、表にあらわれることはなかった別場面においてえんえん語られた、白と黒で構成されたエプロン型のキャミソールと、そのしたに袖のない黒のシャツを着ているのであった。そして、手先をからだから少し離すようにして、独特の表情でみおろすような視線をおくりながら、たいして上手でもない筆回しを行っていた。その時、本人にも十分に意識されない第六感的な読者感知能力で、柔原めいなは、手先からこちらに視線をうつしたのだが、私には、その表情はとほうもなく残酷なものに思われのたのであった。柔原めいなは今、草原のうえにかがみこんで、四葉のクローバー探しに没頭するあまり、体感では何時間も経ったような忘我の頃に、ふと草のなかから頭をあげて、耳元にほつれた髪に風を感じながら、こちらをみたときの表情のような、(二人は別々にクローバー探しをしていたのだ。)、途方もない表情を勝手に浮かべているだけなのであった。なぜ、一度は「カシャリ!」という高い音をたてて机に細筆を落っことした、下手な筆回しを披露しているだけで、そのような顔をするのか、私にはまったく理解できなかったのである。そのような表情は、世間のいう「心理」などというものとは無縁にも思われ、同時に、彼女が見せるのはそういう表情ばかりなのであった。もしかすると心理などというものは、人間の見せる言動を物語で脚色しただけのフィクション作品なのではないか、そうも思われるのであった。
私は先回りして、汗をかいていると結論してしまったが、こんなにも彼女の前髪がみだれているのをみるのは初めてであった。病的に白いような顔色にほつれた前髪を垂らして、目を見開いて、前歯を少しだけ、齧歯類のように見せていたのであった。私の混沌とした無意識は、その表情から「ダイヤル、まわして、手をとめた。」という曲をながしている灯油販売車を思い浮かべるのであるが、そもそもなぜ、灯油の移動販売車が、古い歌謡曲をテーマソングのように扱っているのか、そこから分からないのである。私はそのような灯油販売車を憎み、凡庸な外見のくせに期待したような視線をむけてくる黄色い水入れを憎み、また、柔原めいなの途方もない表情を憎みながら、同時に愛した。そして、その表情にかぶるタイミングで発射された「ロケットォン!」が、「ぼけたワン!」のようにも聞こえることに気づいたのだが、それでも意味はわからず、ただ知能欠落と狂気が同時に訪れたような声の調子に嫌悪と反感を感じるだけなのであった。
柔原めいなは、もはやこちらを見ることは止めて、ほとんど塗りのこしがなく仕上がった手元のシーサーに集中しはじめた。まるで、読者など最初から存在していないかのようであった。同様に、丸い小さな目をみひらき、歯をむいた恐ろしい表情のシーサーは、そのような表情など一切存在しないかのようにファンシーに塗りたくられているのであった。柔原めいなは小手先の几帳面さだけに完全に集中しきっているようで、その集中によって、彼女の神経が少しむきだされてしまったために、肌の白さに「病的な」と付け加えられるものが見られているのかもしれなかった。視線を下にむけた彼女の、頭部の重みをささえる首筋は露出し、傾いているために細い僧坊筋のラインを見せており、ほつれ毛をまとわせて美しく観察された。肩にフリルのかかった袖なしを着ているために、露出した彼女の二の腕の左側には、中にゴムの入ったプラスチック玉を並べたような腕輪がはまっており、肘の角度にあわせて前腕の途中までずれ落ちていた。その時、柔原めいなは急に、新聞紙上のシーサーにむけていた視線を自分のお腹に落として、肘を曲げたまま両腕をひらいて、肩を後ろにひき、胸を少しそらしながら、(おそらく私の後ろにいる)、母親にむかって、「服についてる?」と聞いたのであった。
私は「トルソー(胴体)」という言葉を何かの本で覚えたのだが、その人間の肉体を部分彫刻によって取り出したような芸術的な響きは、当時の私の心に魅力的な響きとして記憶されたのである。あるいは「マッス(量感)」という響きにも同様のものがあっただろう。しかし、この場合の柔原めいなの胴体をあらわすには、私は「レゴブロック」という言葉を使いたい。しかし、このような言葉遊びは、理知的なものの見方を著しく損なうものであって、むしろ「建材」というような言葉を使うべきなのかもしれない。それは、肩をひき突き出され強調された柔原めいなの胴体が、人間的な曲面をもっているにも関わらず、ふくらみやくびれに乏しいために、立方体のように抽象化されたものとして取り出された、ということである。デフォルメとは余計な情報をそぎおとすということであり、物事の特徴を強調して取り出すということだが、行きすぎた簡素、例えば、四角い立方体のみで組み立てられた人体のようなものには感動できないのであり、微妙さを求める心と抽象化を求める心が拮抗しているようなのである。
「服についてる?」と柔原めいなは聞いた。その時、母親は「えぇっ!??」という、声を高くかすれさせるような反応を見せたのであった。それはまるで「トイレいっちゃっといてね」と母親が言い、もはや安々とトイレには行けない場面にはいってすぐに「トイレいきたい」と子供が言い出す時の反応のようであった。あるいは、母親と子供が連れ立って中学受験にむかい、さんざん準備と確認をしてきたにも関わらず、直前で子供が「受験票ない」と言った時の反応のようでもあった。そのような瑣末な、物質的な侘しさに満ちていたのである。一生を生きやがて滅する身である人間の生命を、生涯にわたって支配し続ける現実性に満ちていたのである。これが母親ではなく、私にとって親しみのある存在になりつつある父親であったなら、逆に「パパ(の方が)絵の具ついちゃった」、と言ってくれるのではないかと想像されるのである。私が未来予知の夢のなかで訪れたステーキの場面であっても、熱帯魚型のつまようじを見せる柔原めいなにむかって、父親は「えっへっへっへっ、なんだそれ」と笑っていたのであり、その飾り気のない態度から、彼に対する親愛の情はますます深められたのであった。
柔原めいなが突き出してみせた胴体には、肩紐や胸や腹部に白いレース飾りをつけた、エプロン型の服が着せられていた。また、その下に着た黒い袖なしの肩には、透き通った昆虫の羽根のようなフリルがつき、胸元には二つの円を描くように宝石のようなものが散りばめられていた。おそらく、レースのエプロンをはぎとってみたなら、二つの円を描く宝石の正体はハートマークの上部を構成するパーツであることが分かるのではないかと、そう推測されたのである。エプロン型の服には、横隔膜のあたりに細く横にレースがはしっているのだが、それを境にしてドレススカートのように下にひろがっているのである。そのように、まるでファンタジーヒロインのような服装をしている柔原めいなであるにも関わらず、「(絵の具が)服についてる?ついてない?」という、うっとりした気持ちとはまるで対極の心配事が、彼女の身に突如、起こっていたのである。その時、私はここぞとばかりに精神の目を近づけてみたのだが、彼女の服の、くっきりしたチェック模様のどこにもピンクの混入は見当たらず、ただ丸っこい白いボタンが角度を少しずつ変えながら順番に並んでいるだけなのであった。