2 横断歩道みたいなの




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柔原めいなが、旅行用のトランクを引きながら、空港内の屋内駐車場を歩いている。鉄骨のはりめぐらされたような、金属のシャッターの音や、車のバックの音がひびく、薄暗い場面だ。あとになってくればわかるが、どうも、この旅行には薄暗い場面が多すぎる。
彼女が言うには、そこで「横断歩道みたいなの」をみたそうだ。しかし、横断歩道というのは、べつに珍しいものではない。あえて注目することのようには思えない。子供でも、いちいち横断歩道に注目はしないだろう。これが街中ではなく、砂漠のど真ん中であったら別だが、柔原めいなが歩いているのは、屋内駐車場だ。屋内駐車場に設けられた車や、歩行者の通るスペースも、立派に道路であるように思われるのだが、そこに横断歩道があるのかどうかはわからない。それは駐車場の規模にもよるだろう。記憶が定かではないが、カラーコーン、踏み切りの遮断機のような、黄色と黒で交互に塗られた棒などは、あってもいいように思い出される。何となく、生クリームを攪拌するような匂いも思い出される。どちらにしても、屋内駐車場に横断歩道という光景は、それほど奇異なものではないと思われるのだ。
柔原めいなは、「横断歩道みたいなのがある」、と、少し珍しいものをみたように報告している。報告というほど大げさなものではないかもしれないが、彼女の心にとまったことは確かだ。この場面では、その視線の先を、間接的に想像することしかできない。「みたいなの」の意味は、「確証がもてなかった」という意味なのだろうか?それとも、「横断歩道に似た別のもの」という意味なのだろうか?彼女がイメージする横断歩道と、似ていながら、異なるものがそこにはあって、あるいはそれは、黄色で描かれているので、普通の白い横断歩道とはちがっている、程度の意味かもしれない。もっと新奇な、海のようにすきとおるブルーや、おとぎの国のような、パステル調のピンクの横断歩道であれば、彼女の声のトーンは、もっと上がっていたように思われる。
彼女が見たもの、それが、普通の横断歩道にすぎなかったとしたらどうか。その場合は、「屋内に横断歩道があるのは何か変」という感覚をもっていた、と考えられるだろう。だから、確証がもてなかったのだ。柔原めいなは、屋内駐車場では初めて横断歩道を見た。あるいは、見たことはあっても、小さい頃の記憶であるか、その時は興味がなかったので、忘れていた。彼女に経験がなかったとしても、それに似た経験を総合して類推することで、屋内駐車場と横断歩道を結びつけて、当たり前のものとしてとらえることもできただろう。しかし、彼女はそのように、イメージで先んじて、屋内駐車場の横断歩道にたどりつくことはできなかったようなのだ。だから、「横断歩道みたいなのがある」、と子供っぽい言い方をしたのだろう。これがもし、近所のデパートや、どこかの大型スーパーマーケットの屋内駐車場を歩いている時だったら、横断歩道を見つけても、同じようには言わなかったかもしれない。沖縄に行く、という新鮮な気持ち、車内の退屈な時間が終わって、これから飛行機に乗ろうという、楽しい気持ちが、目にうつる、少しだけ新奇なものへの注目をうながしたのだろう。
彼女がこれから成長し、さまざまな経験をつんで、大人になっていったら、このような、当たり前のことを未知にとらえる発言は、聞かれなくなっていくように思うのだ。だから、この発言に注目してみて、彼女の経験が少ないことがわかった。「横断歩道みたいなのがある」という言葉は、何気なく発せられた言葉だが、一度きりの言葉であって、未知の空間がいっぱい詰まった柔原めいなの脳内に、また一つブロックが埋めこまれて、少なくとも、屋内駐車場の横断歩道にかんしての初めては、今、痛みも、抵抗も、感慨もなく、失われてしまった。