8 がっかりホテル




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ここでようやく、柔原めいなはホテルへと到着する。それは私の目には、ガッカリホテルのようにうつった。それは名前にもリゾートをうたっているリゾートホテルなのだが、内装はビジネスホテルとほとんど変わらない。これといった「すごさ」は感じられない。テレビで有名スケート選手が、高級ホテルに泊まっている映像を見たのだが、それはいかにもお洒落な、機能性を無視しながら、それでいて洗練された内装をもっていた。ロビーからエレベーターにつづく廊下には、オレンジ色の、光沢をもったガラスのような四角い板が壁にはまっていて、名画のように、額縁におさまっているようにみえた。スケート選手は大会を終えた直後で疲れていて、同時に、そんな現代的で豪華な、金と名声の匂いのする、クリーンなホテルには慣れているようにみえた。なので、柔原めいなのようなリアクションもなく、頭のなかの大半は、休息への欲求と、大会の反省点や、明日からの練習の課題点でしめられているようだった。
柔原めいなが沖縄滞在の一日目に宿泊するホテルは、そのようなホテルとは異なっている。それは、普通の意味で清潔ではあるが、何の遊びも無駄もなく、もうしわけ程度の南国情緒すら感じさせなかった。例え、美少女という法外な特権をもって、ミルキーペンやぬいぐるみで飾り立てた、女の子らしい世界を演出しているようにみえる柔原めいなであっても、前述の有名スケート選手とは、一試合で億を稼いで、高級外車をのりまわす一流プロボクサーと、過酷な練習をつづけるかたわら、牛丼屋のアルバイトで生計を立てる三流プロボクサーほどの差があるようだった。社会的な身分はたんに一小学生にすぎない彼女を、このように無茶な比較の対象にえらぶのは、柔原めいなに対して、彼女のように華やかな美少女であったなら、泊まるホテルもさぞかし華やかだろうと、私が、一方的な幻想をいだいていたせいかもしれない。しかし、理知的に考えてみれば、泊まるホテルの格は彼女の顔面とは関係がなく、家庭の経済事情にあるのだろう。
ホテルの内観は、数百年前の基準でいったなら、その清潔さのあたえる上等な感じは破格であったろうと思われた。現代においては、最底辺の格安旅行に親しい光景として、いつもあるような、ベッド、枕、テーブル、椅子、そして、壁が並んでいた。そこには、ホテル側が気をまわして壁に飾りつけたハイビスカスすらなく、映画でみた囚人たちの牢屋内のほうが、雑誌からきりぬかれたピンナップなどの飾りもあって、まだにぎやかに思えた。これが、柔原めいなが「わーすごい」を二回繰り返したホテルの実情である。
彼女は肩にバッグをかけながら、足早に部屋の中へと入っていった。一度目の「わーすごい」は、美しい、おだやかな湖水を目にしたような感嘆だったのだが、二度目にはギアが三段ほど上がり、彼女の背中から、瞬間的にハリネズミの針が垂直に飛び出したかのように思われた。また、その時、彼女の顔は見えなかったので、声の印象からイメージした想像に過ぎないのだが、二度目の「わーすごい」を言った瞬間の表情は、どことなく、ミッキーマウスが作る固定されたスマイルを、強い光でななめ下から照らしたもののように想像された。それは、ディズニーランドのエレクトリックパレードに狂喜する子供のような表情ともいえたかもしれない。私のイメージのなかの彼女の周囲は暗黒で、表情だけが浮かびあがってみえるのだが、そこに、LEDライトのような、緑色の光を基調に、青やピンクの光も少量、ホタルのように、精子のように、尾をひきながら飛びまわる感覚も少し重なっているようだった。目を大きくみひらき、口を逆かまぼこ型に開いた表情は、通常みられる自然な笑みよりも、口角のうえの部分のほおにりきみがあって、ぽっこり膨らんでいて、なおかつ持続的だった。下まぶたのりきみも通常よりつよく、全体に顔面上のでこぼこがはっきり感じられる表情で、私が最初、意図せず思い浮かべたように、たしかに、ライトで下から照らしたら映えそうなミッキーマウスの顔といえた。そのような柔原めいなの表情が思い浮かべられた時に、私には、なぜか、気分を害されるような、複雑な胸の痛みが感じられた。今、この文章を書いている時点では、すでにその理由が推測されていて、ライティング作業の時系列的な矛盾を感じるのだが、書きはじめた時点では、その不快感のようなものの理由はわからなかった。おそらく、今までに何度も感じてきた感情、何度も思い浮かべられたイメージなのだが、そのたびに感情の玉を心のなかに転がしながら放置して、理由を考えたことはなかった。それは、そのような表情が狂気的であって、美しくはないので、柔原めいなにいだく幻想を害するとか、そういう意味ではなく、おそらく、彼女が部屋に入って真っ先に感じた、根拠のないつよい喜びが、同じように根拠のない強い失望に変わる、その繰り返しが、私の、子供時代から今までの体験の蓄積が思い出されたためだろう。想像上の彼女の表情は、無防備すぎるように、現在的すぎるように、痛々しく思われたのだ。取り違えやすいことなのだが、まったく共感する要素を見出せない、平凡なホテルの内装に喜びの声をあげる彼女や、点在した追想のなかで同様の表情をみせる人々の、埋没間をともなった表情が、それそのものが痛々しいのではなくて、それらの表情によってひきおこされる、私の感情が痛々しいのだ。経験によって人が疑りぶかくなって、わりと素直な気質にみえる大人であっても、人が「これ面白いよ」とすすめてくれるものに対して、最初はどこかななめにかまえた、皮肉っぽい表情をみせるように思われるのも、無防備すぎる喜びや期待は、反動となって大きな失望をつれてくることを知っているからだろう。それは覚えたくて覚えた警戒ではなく、体験によって、覚えざるをえなかった警戒だ。まだ、そのような経験側を十分にもたないからこそ、柔原めいなは、ほとんど、部屋に入ったその瞬間に、まだ何も確認していないと思われるほどの短時間のうちに、外界と直につながっているような神経の伝達スピードで、「わーすごい、わーすごい」と言うことができたのだろう。それは、鎧のような保険をなにももたない、軽装兵の身軽さのようだった。


sage