26 父親の沖縄旅行




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 柔原めいなが手にしている赤いパンフレットは、シーサーの彩色の場面への案内書のようなものである。それを支える彼女の手は、親指と人差し指が四角形の直角部分をあらわしているような奇妙なアクセントをもっていた。彼女は、恵方巻をもつにも、パックのジュースをもつにも、てのひらを単調に押しつける「ベタ握り」はしないで、なぜか、手で作った「きつね」の、口ばしでつまむような持ち方をして、てのひらにはいつも空間を残しているのだった。パンフレットのような薄いものをもつときこそ、そういう持ち方をすれば良いと思うのだが、今はなぜか、すべての指を折りたたんだ掌底に、パンフレットの裏側を貼りつけて、クリップ代わりの親指だけで落ちないように固定して、垂直の角度にもちあげているのだった。これは、ホテルの朝の逆三角形の前屈体勢とおなじで、みただけではなんとも思わないのだが、実際にやってみると指がつりそうに感じられる難易度の高い持ち方である。丸っこい顔立ちにはんして、柔原めいなの手がピアニストのようにしなやかな「綺麗系」の美しさをもっていることは前にいったが、それは、このような絶えざる不可解な柔軟運動によって創られたもののようにも思えるのだ。柔原めいなの手についてはすでに書いた。柔原めいなが右利きであることについてはすでに書いた。小説中の手の描写など、人は読み飛ばすだろうが、現実では小指一本が飛ぶだけでも大惨事である。それどころか、爪の端がわずかに剥がれかかるだけでも、柔原めいなはつらそうに涙をにじませて、空腹も眠気も忘れてしまうだろう。彼女の左手の親指は、今、厳然とここに存在し、左手の人差し指はパンフレットからはみだすように、今、厳然とここに存在していた。それは「欠けて」はならないものだった。しかし、パンフレットの裏側に隠れている部分にかんしては、私はなにも知らない。他人の認識とはそういうものである。人はみえるものしかみようとはしないし、みえないものにかんしては知っているようにしか想像しない。例え、柔原めいなが、平常の笑顔にはあらわれない、心の奥底で、どのような悲鳴を、どのような絶望の声をあげていても、それは私には知ったことではないのである。それよりも私は、表面にあらわれる、彼女が怪訝に眉をくもらす表情の一つのほうに注目するだろう。それは、チョコクリームだと思ったアイスの一部分がココアクリームだったとか、つまらない理由であらわれた表情にすぎないのだが、顔面は、そのようなつまらないことでたちまちに埋め尽くされて、飽和状態になってしまうのである。その速度は、空席をみつけるや否や我先に駆けこんでいく、観客で混雑した自由席の市民ホールのようで、口からでてくるお喋りもまた、そのような特性の映し鏡になっているのだった。
 運転席のほうから「出ぇ口ってのはどっちだぁいぃ…」という父親の声がきこえてきた。おそらく、その前に「出口⇒」というような、明確な看板を目にしていたのではないだろうか。その看板のさししめすところが、あまりにも明確、明瞭、明善だったために、実験用のラットが知能テストの迷路のなかをさまよっているような、現状とのギャップが余計につよく感じられて、困り果てるとともに誰かに「正しさ」を問いなおしたい気持ちなのだろう。ハンドルにあごをこすりつけるようにして、眉間にしわをよせて、視界をさえぎる車高を、いりくんだみしらぬ街路の特徴のなさを、断片的な地理の把握を、それをさらにおおう思考のもやを、晴らそうとしてかなわずに、大量の息を声とともに吐きだしている父親のすがたが目に浮かぶようだった。運転手というのは孤独なものである。ゆるんだ笑顔でパンフレットをみせびらかしている柔原めいなは、もちろん真っ先に除外するが、姉も、助手席にすわっているはずの母親も、この柔原家に、的確な助言をする有能なナビゲーターのような人物はまったく存在せず、誰も一言も口を差しはさむことさえしないのだった。今まで、薄っすらとは意識していた「父親と母親の関係」についてだが、家族のなかで、この二人の組み合わせだけが例外的に、「会話している声を一度たりともきいたことがない」のだった。と、いいきってしまえば小説としてはわかりやすくていいのだが、よく考えてみれば、父親と姉の会話もきいたことがないように思えた。しかし、ベタベタした性格の父親と、年頃のさっぱりした性格の姉の場合は、たんに話す機会がすくないだけのようにも、世間一般の関係性のつねから考えてそれが自然なことのようにも思えた。逆に、父親と母親は、今のように「道に迷った運転席のたよりない父親」と「指図することに長けていそうな助手席の頭のまわる母親」のような構図が出来あがっていても、会話はまったくはじまらないのだった。諸々の意思決定をにぎっているはずのこの二人が、まるで会話なしで、どうやって旅行を進行させているというのだろう。私の知らないところでは、子供のいないところでは、母親は想像もつかない甘えた声で、父親は人がちがったようにいつもの馬鹿っぷりの回転率を思いっきりさげて、「夫婦間には他人にはわからないことがある」といわんばかりの仲をみせているとでもいうのだろうか。そうだとしたら、母親は、実は極端な羞恥心の持ち主で、父親は、実は意図的に道化役を演じるしまり者ということになるようでもあった。そのような考えは、この厳然たる現実にくらべてあまりにも陳腐なもので、私は不快ですらある。なぜなら、私には、母親の「ぶれない」冷たさが、それはそれで良いものにも思えてきているからだ。私は父親寄りの人間で、母親の心情には共感できないのだが、だからこそ逆に、精神の権化が対極にある肉体の権化に一目置くように、厳粛な古典派の音楽家が自由なロマン派の音楽家を、相反する作風だからこそ、自身の領域をおかされる心配なしに賞賛できるように、認められるものがあるようにも思うのである。立場的にはロマン派にちかいはずの私が、例えに古典派を先にもってきたのは、ブラームスの例が念頭にあったからだ。気むずかしい完ぺき主義者の、作風の頂をきわめたような音楽家は、自分がすでに通過した山の中途をいくものには厳しく、毛色がことなっていて、反発するものさえあるはずの、隣の山の頂をきわめたものからおおくの滋養を受け取るという、伝記作家のかいたブラームスの話である。本来、この場面には、そのような大げさな話は一切ないはずで、ただ柔原めいなの両親の「冷えきっているようにみえる」関係性について話をしているだけだ。しかし、よく思い出してみれば、父親のおおきな声につづいて、車内になにかざわめく音がきこえたようにも、それが、非常にぼそぼそした母親の声であるようにも思えたのだった。あるいは、それはカーオーディオから少量のボリュームで流れている音かもしれず、そう考えてみれば、ざわめきは父親の発言のあいだにも途切れることなくつづいていたようにも思えた。しかし、万が一のような可能性で、そのなかに母親のひそひそ声が、絶対にまぎれていなかったと誰がいえるだろうか。なぜか、最初の頃に、母親の顔を思い浮かべようとして浮かんでしまった毒物混入事件の女容疑者のように、母親が喋り声を、ざわめきのなかにひっそりと混入させている可能性も、皆無ではないと思うのである。したがって、父親と母親の会話をきいたことがない理由は「たまたま」で、両親の夫婦仲についていえることは「なにもない」のかもしれなかった。
 「語りえないことについては、沈黙するべきである」といったのは誰だっただろうか。そのようなことは、死人にもトイレのマットにもできるように思うのである。大抵、流通する偉人の名言などは、部分的に抜きだされて曲解されたものであって、私もまた、ほとんどそのようにとらえている。この場合は、沈黙ではなくて、「語りえないことについては、徹底的に断言をさけて、徹底的に追求して、追求の度合いがつよまっても、また、徹底的に断言をさけるべきである」といってほしかったのだ。そのような考え方は、まるで一人SMのように、思考のマッチポンプのようにも感じられる。しかし、柔原家の実情が「これ。」といって明確に差しだされたのなら、私はそれを黙殺できるほどには、想像力ゆたかでも常識外れの人間でもないために、この考え方は「語りえないこと」限定である。また、本来的にいえば、「語りえないこと」という言葉の真意は、「常識や先入観の圧力に敗北しないこと」という意味でしかないようにも思えるのだった。どちらにしても、そのような「立派」にもみえる考えの先走りから、曖昧に感じられることを無理に明確に、明確に感じられることを無理に曖昧にするような偽りは、この小説ではしてはならないだろう。また、「語りえないことについては、沈黙するべきである」という考えは、「語りえることがある」と思っているからこそ出てくる、日の光と影の境目を明確に区切ろうとする意思からうまれた考えのようにも思えた。それは「室内では靴を脱ぎましょう」あるいは「雨が降ったら傘をさそう」という考えと似ているようにも思うのである。人は、雨が降りだせば張子の虎のように濡れることを嫌がるのだが、徹底的に、パンツのなかまでずぶ濡れになってしまえば、もう気にしても仕方がないと開きなおるものだ。同様に、室内が綺麗だから汚れを気にするのであって、徹底的に、床も壁もみえなくなるほどに泥まみれにしてしまえば、靴を脱ごうとは逆に思わなくなるだろう。それとおなじように、語りえることも、知りえることも、まるでないと思えば、どのようにでも語れるし、どのようにでも知りえるのである。ただ、問題は、そのように空っぽから発した語るという行為が、ふたたび部屋を綺麗にし、知るという行為が、雨に濡れたからだを、また乾かしてしまうということだ。そして、精神は保守的な位置にたちもどるのである。
 パンフレットの文字と、柔原めいなの言説によると、目指しているのは「むら咲むら」なのであるが、パンフレット上の「咲」という文字は、左右二つの「むら」から突出したおおきさで、手書き文字風の字体で「口」部分が完全に「視力検査の下」とおなじに欠けた正円でかかれていた。そのために、やや右にかしいだ「咲」は、丸いからを背負ったかたつむりが、異常進化して二足歩行をはじめ、あるべき位置にはおさまりきれずに、今まさにどこかに向かうかのようにもみえるのだった。柔原めいなの手元のパンフレットを読んでみると、「32工房101の体験アイテム」と、さらっと書いてあるのだが、それはつまりシーサーの彩色のような施設が、ほかにも31箇所存在するということである。「体験アイテム」というものが、どういうものなのかはわからないが、おなじ施設で3つ、乃至4つの体験コースを並行しておこなっているのかもしれず、柔原めいながおこなったシーサーの色塗りのようなものが、ほかに100コースあるのかもしれなかった。ということは、毎日3回のコースをこなしていったとしても、すべてをまわるには一ヶ月以上がかかるということになる。それをおこなったとすれば、シーサーの彩色だけでも精力のかなりの部分を使い果たしていた柔原めいなは、三日目辺りで瀕死になることは確実だった。なるほど、たしかに、赤、青、緑、黄で、真四角の枠のなかに四角い判をそれぞれ押したような「体 験 王 国」の名は伊達ではないということである。私がみたのはごく一部であるが、実地を目にした印象では、特定の企業が計画的につくったアミューズメント施設というよりかは、芸術家のあつまる「芸術村」のような場所に住む人々が、生活の糧をえるために、横のつながりで相互連絡をとりながら、観光者向けのサービスをおこなっているようにも感じるのだった。したがって、おそらく、この赤いパンフレットは、むら咲むらの統括本部、運営本部に属する人々が作成したのではないかと想像されるのだった。沖縄の地方色を売りにした体験王国の運営は、観光促進に、地域経済の活性化につながることでもあるし、私の感じたなんとなく「ゆるい」印象は、たんに反企業的、個人運営的というよりかは、地元の町役場や自治会とべったりな雰囲気にも思えるのだった。それは極端にいえば、八百屋の店主が商店会の会長を兼任し、さらに町長をも兼任するという、言葉通りに「官民一体」を実現する地方の現状というようなものである。私は沖縄を、まるでアマゾンの奥地か北アルプスの山村のような極端な過疎地域としてとらえているようだったが、この場面は「ねこちゃんポーチ」の場面につながる車内であるために、以前にいったように車外の様子がうまく想像できないのである。
 まだ、むら咲むらを目指している段階であるのに、父親は、なんの「出口」を探しているのだろうか。ここはどこなのだろうか。これは、最初の段階では本気でわからず、推測のおやつのように楽しみに取っておいたもので、あっさり謎が解けるのは残念なことなのだが、前後のつながりから考えて、空港の出口であるように思えた。「この場面ではすでに沖縄に到着している」ということを、まだいっていなかったように思うが、車はおそらく那覇空港の敷地内をさまよっているのである。柔原めいなは11歳であるという基本的なことさえ、11話になってようやく、活字の海に溺れさせるように「さらっと」明かした、しかも私自身がそのことに気づかずに、何度も説明しているように勝手に錯覚していたこの小説であるから、千里眼をもつ神のごとき作者が、有能なプレゼンテーターのように、すべての資料を提示しおえてから小説を進行させるようにはいかないのである。
 あらためて思い返すと、父親の「出口ってのはどっちだぁいぃ…」の声は、必要以上に感情がこもっており、沖縄旅行一日目では屈指の名演技ともいえた。なぜ、彼はそこまで感情をこめなければならなかったのか。どのようにすればそれが可能なのか。誰であっても、日常生活においては「名優」であり、些細な一言であらわされる感情の機微、舞台背景の説明能力は、名声あるつくりものの演技者をはるかに凌駕しているようにも思えるのだった。芸術家や、芸術家気質のある精神分析学者は「人は日常生活において、誰でも仮面をかぶって、演技をしており、それは無意識的なものであるために、本当の心情というものは本人にも気づかれない。かえって、舞台の上の天才的な演技者のほうが、それが虚構であるにもかかわらず、真実をあらわすことができるのだ。」という、「無邪気なリアリティ信仰」に反発するようなことをいうだろう。私もまた、作中ではそれに類することをいっているように思う。しかし、「素晴らしく真実味のある演技」は、やはり演技のようにみえ、「実在する異次元世界」に「実在する人物」のふるまいにはみえないのだ。そして、父親の発した「どっちだいぃぃ…」の声は、演劇上の素晴らしい表現とはベクトルがまったくことなっているのだが、それはそれで別種の含蓄を感じさせて、演技にはきこえないのである。つまり、真面目な芸術のように、現実から出発して、現実の奥底に隠された「真実」をあらわすことを目指したはずの表現というものは、「それ」とは方向性のことなる、つくりもので塗りかためた、「それらしい」ものをひたすらに洗練させていったようにも思えるのだ。いわば、それは人類の裏の歴史であって、表の歴史がつみかさなって、都市を発展させていった裏側で、芸術というジャンルでは、現実の密度よりは遥かに薄いものではあるが、現実にはない独自の美学をもった架空の都市を発展させていたようでもあった。それが蜃気楼の都市のような、手抜きの欠陥住宅のようなものにすぎなくても、人が芸術のなかに真実性や感動を見出すことができるのは、たんに人の感性が「それ」よりも、「それらしい」ものを「それ」と感じるためであるように思う。「素晴らしく真実味のある演技」は、演技に感じられても、方向性というものが明確に決まっていて心を打つものなのだが、父親の「どっちだいぃぃ…」の声は、水面下のふくみは感じられても、拡散しすぎてとらえがたい光のように、多重に焦点のぶれた写真のように、一直線に迫ってくるものがないために、よくわからないものなのである。くだけていえば、一般的な意味では「ピンとこない」のだ。
 映画「セル」のように、仕掛けに富んだ、人工の迷宮と化した空港の敷地内を何時間さ迷ったら出るだろうかという声のあとに、父親は「こぉこだ、全然気にしない…」といった。それにしても、那覇空港というのは、そんなに迷いやすい場所なのだろうか。私の頭のなかでは、おそらく現実はそうなのであろうと思われる一般的な空港の敷地内のイメージと、広大な、奇妙な、からみあった空港の敷地内のイメージが二つに分裂して戦闘をはじめるようでもあった。もしその戦闘で迷宮側が勝利したのなら、この小説は永久に那覇空港を出られないのかもしれないが、わりとあっさり勝利したのは現実側である。ただ不可解なのは、父親の感情がこもりすぎていて、本当に何時間も紆余曲折を経たあとのことのように思えることだ。そしてつづく不可解さは、「ここだ、ぜぇんぜん気にしない…」という発言の、「何が、何を気にしないのか」ということである。文字だけをみれば、「(迷ったことを自分は)全然気にしない…」という、負け惜しみと弱気の混ざった言い聞かせのようでもあるが、声の調子はそうではなく、どちらかといえば「数台先を割りこんではいってきた車が、周囲の状況を全然気にしていない」ことへの軽い非難のようなものだった。パンフレットを手にして、「むら咲むらにいきまーす」と、鼻面の濡れた黒い子犬のような、その鼻面を人なつっこく読者に押しあてるような、当然のヒロイン面をしている柔原めいなであったが、そのような当たり前の発言から拾うものはとくにないために黙殺され、この回は、柔原めいなの「父親の沖縄旅行」の様相を呈しているのであった。彼のいう「ここだ」が、出口の発見であることは素直に推測できるのだが、「全然気にしない…」はどういう意味であるのか。私が想像したのは、「←↑出口→↓」あるいは、「←出口」「出口↓」のような、まぎらわしい、ややこしい、誘導する気のない(誘導を気にしない)看板の存在である。「全然気にしない」の声はちいさく、驚きも感じられず、「いっても届かない」というような、消極性をふくんでいたために、私が「「数台先」を割りこんで」と表現したように、自分自身のことではない、車内のことでもない、車のすぐ近くをみていったことでもない、すこしはなれた位置をみていった言葉のように思えたのだ。父親のみた看板の分岐は、意地悪な分かれ道のようなものとはかぎらずに、たんに指示にしたがって車をはしらせたのなら、微妙にちがった方向に流されてしまい、おなじ場所をぐるぐるまわってしまうものなのかもしれなかった。そして、出口はすぐそばにみえているにもかかわらず、出口付近の看板には「←出口 この先300メートル」のように表示されていたのかもしれず、出口と看板をセットでみた父親は、看板のいかさま具合をはじめて確信し、「(この看板、正しさを)全然気にしない…」といったのかもしれなかった。あるいは、ほかの車は看板にしたがって、狂った自動運転の車のように、おなじところをぐるぐるとまわりつづけていて、空港の敷地内は教習場のような外見になっているために、「(この車たち、看板にしたがっても出口がみつからないことを)全然気にしない…」といったのかもしれなかった。しかし、東南アジアの鷹揚な小国の首都から遠くはなれた、数機のおんぼろセスナしか飛ばない空港の周辺であるならいざしらず、世界有数の口うるさい消費者をもつ、熾烈な経済競争をくりひろげる、サービス精神のたかい、安全意識のたかい、厳格な法治国家である現代日本の、国内有数の規模をもつ「那覇空港」にかぎって、そのようなことはあるはずがない、と現実的な視点はいうのである。それは最初からわかりきっていることなのであるが、ただ、わかりきった事実よりも、父親の声のイントネーションから感じとられるものを優先して、想像をおこなったにすぎないのだ。父親の声の調子は、たんに出口がわかりづらくて迷ってしまったというよりかは、なにかに不満を感じているようなのだった。それはこの場合、那覇空港の敷地の構造に、案内方法に、なんらかの形で不備があったようにしか思えないのである。あるいは、父親の頭の回転が思いのほか鈍かったために、平常なら簡単に飲みこめることが飲みこめず、ものごとを混乱してとらえてしまったのかもしれなかった。そう考えると、彼の心情をかえりみた場合、私の想像はそれほど荒唐無稽なものではなくなってくるのである。那覇空港は不親切であったか、案内になんらかの不備があったか、という客観的事実の審判はさておいて、実際に、そのなかで父親は迷ってしまったのだ。それも、エアコンが暴走して、車内が冷凍室のように、あるいは、サウナのようになってしまい、「こりゃ、熱(寒)すぎるよぉ…(どっちだぃぃ…)」というような声の調子で、である。したがって、「ここだ、全然気にしない…」は「やっと治った、(ダッシュボードに)ツララだよ…」というふうにもきこえるのであった。しかし、自分でつけた三点ダッシュの魔力から、大げさに考えすぎたようでもあったが、あらためて思い返してみれば、「ン」をかすかに引っ張った「ぜんンぜん気にしない」の声は、語尾を弱々しく減退させていくというよりかは、愚痴をこぼしながらも首をすこし傾げているようでもあった。もはや、なにが正しいことなのかよくわからないのだが、父親はなにに不満を感じ、なにに疑問(混乱)を感じたというのだろうか。今までの推測の材料から考えれば、それはやはり、那覇空港の敷地の不親切さにたいしての感情に思え、「那覇空港の敷地の不案内さは、具体的に、なにを全然気にしていないためのものなのか?」という疑問に集約されるようにも思うのである。もし、父親がまったく別のことを問題にしていても、それを知るためには「別の材料」をつけくわえる必要があって、場面から拾い集められる材料はといえば、この辺りが限界なのだった。これは、「自分はなぜ生まれてきたのか」「人はなぜ生きるのか」というような哲学的な命題であってもおなじことで、知りうることには限界があり、推測のための材料がまるで足りていないために、例えどのように考えていったとしても、この場面の私のように、ひとたび「別の材料」(例えば、父親はもうとっくに空港を出ていたなどの。)を突きつけられれば、とたんに滑稽になる、瓦解してしまう、一人よがりな脆い推測をくりひろげるしかないのである。


sage