28 むら咲むらにて




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 山頂に立てられた休憩所のような、簡素な木の柱と、ベンチとテーブルのある食事休憩所で昼食をたべた柔原めいなは、病から回復したように、ふたたび元気なすがたを取り戻し、むら咲むらのなかを遊びまわった。そこは、それほど魅力的でもないが、それほど悪くもない、石の敷きつめられた地面と塀のある史跡のような場所だった。家屋は皆、けばけばしくもあるオレンジがかった赤い湾曲した屋根瓦をもち、軒下には風鈴が吊られ、庭をよごれた毛並みのみしらぬ鳥が歩き、飛んでいった。この微妙な趣の欠如は、京都のような洗練された美観に、田舎の観光名所の間の抜けたところを混ぜ、さらに、タイやインドの、金箔をはられた仏像やペンキで塗りたてたヒンドゥー教の神々のけばけばしさを混ぜ合わせたような、日本的なやさしい情緒と、異質な鷹揚な感性の混在するものだった。しかし、それらの要素を組み合わせてみたところで沖縄ができあがるわけではなく、やはり、ほかのどれともちがった「沖縄」の趣を感じさせるのだった。柔原めいながピンクの帽子をかぶせてあそんだシーサーの石像一つとっても、それは神社のこま犬から派生した、おなじ意図、おなじおおきさ、おなじポーズをもつ近親者のようでもあったが、こま犬とシーサーを横に並べて比べたのなら、シーサーは昔の日本人が想像したような、鬼と天狗を融合させた「南蛮人」のイメージのように、強烈に異質な、なじまないものにも感じられるはずだった。私は、沖縄の美点を発見するよりも、日本的なものとの相違を感じるたびに、たいして興味ももたなかった「純日本的な」風情の、心やすまる美しさを再確認してしまうのである。なぜなら、沖縄はどことなく体育会系であって、例えば「チャンプルー(混ぜるの意)」という料理法一つとっても、雑多な食材をいれた、フライパンをガタガタと揺らす、ものにこだわらない、混在したイメージが感じられるのである。独特な混在感と、それにおさまりきらない沖縄らしさを「良い」と感じるか「悪い」と感じるか、あるいは「別に」と感じるかどうかで、沖縄好きとそうでない人の明暗がわかれる、といわれているようにも思う。しかし、考えてみれば、これは沖縄にかぎったことではなく、すべての土地にいえることで、ただ、特色がつよいほどにその傾向が顕著になるのだ。
 「空腹とお菓子」の場面で、車外の景色をうまく想像できなかったように、私は沖縄にかんしてほとんど予備知識がなく、特別な感じ方も考え方も持っていない。もし、これからなにか「人外の(望外の、というようなニュアンスで使っている。)」新しいものを見出そうとつとめるのなら、柔原めいなにたいしてそうであるように、多量のページを費やさなければならなくなるだろう。現段階では、郷愁的な愛国心が刺激されるだけで、沖縄はまだ、魚の小骨のように喉にひっかかって、「異物」としての隔たりを感じさせ、胃のなかにまでは落ちてこなかった。帽子をかぶらされた、赤いシーサーの表情は過度に大げさであって、警戒色でどこまでも着色しなければ気がすまない、そのわりに色むらのみえる、大雑把な神経を感じさせるのだった。それは、この空気感のただなかにあるものすべてがそうであるように、土地、建築、文化、芸術、料理、方言、人柄や動物の生態系にまでおよんでいるように思うのだった。
 現地にて別行動(別思考)をとっていて、合流したかのようにも思うのだが、柔原めいなはといえば、風鈴をみて「風鈴、いいですねぇー」と感想をもらしたり、鳥をみて「あーいかないでぇ、あー飛んでったぁ」と平坦な、調子外れのうら声を発していた。ホテル一階の簡易動物園のオウムを前にしたときもそうだったが、動物のように単純な思考回路と生態をもっている彼女であるにもかかわらず、本物の動物を前にしたときには、子供慣れしていない人が無理に子供の相手をするような、不自然な、つくった、距離感をまちがえた態度をとるのだった。それはときには押しつけがましく一方的で、ときには引きすぎて顔色をうかがうようでもあった。一方、そのような態度をとられた子供や動物は、そういった違和には敏感らしく、的確に察知して反発するのである。子供慣れしていない人は、なぜ、経験をもった保母さんや母親の振る舞い(結構、きびしいこともいい、好き勝手にやっているようにもみえる。)のように、うまく従わせることも、なつかせることも出来ないのかと不思議に思うものだ。これは子供の目線に立ってみれば簡単にわかることだが、意図ありげに近づいてくる人物は、わざとらしく、気持ち悪く感じられるのである。例えば、人(読者)は、顔色をうかがうように、揉み手をしながらやってくる人物に好感をいだくだろうか。あるいは、こちらが不審そうな顔をしていると、急にむっつりと黙りこみ、きびしい命令をくだしはじめる(第一の作戦がうまくいかなかったのだ。)人物に好感をいだくだろうか。また、厳格なだけの、やさしさの欠片もない人物はうとましく感じ、逆に、甘いやさしい顔しかみせない人物は、都合の良い存在にも、つけこむ隙がおおいようにも感じられるはずだ。この話で面白いところは、「柔原めいなのような子供」であっても、極端な年少者や、小動物のような目下のものを前にすれば、下手糞な大人の態度をとってしまうということである。そして、このような、意識的なぎこちない態度の原因は、同年代の友達のようには、対等にはみていない。あるいは、母親のようには(育てるという意味合いに限定してのことだが)、とことんまで付き合うつもりはない。ということにあるようにも思うのだ。そういう意味では「理解」はさほど重要にならないようにも思う。本来、関係性をもつ上で、相手のことを理解しなければならない義務はどこにもないのである。なぜなら、子供であっても、動物であっても、その内面世界は、「自分(観察者)」にとっては、宇宙をとりまくきら星の一つのような存在にすぎず、過度に尊重するべきものではないからで、そのような他者の態度から、子供や動物は自らの立ち位置をさっする能力をもっているからである。
 このようなことで、一体どれだけの、世の心やさしい、愛情ある、思慮ある人たちが悩んだことだろう。私には、「どうすれば子供や動物と良い関係性をきずけるのか」ということは一切わからないし、そのような実務的なことには興味もないのだが、すこしわかることはといえば、やさしさや、愛情や、思慮をもちながらも、上手な関係性をきずくことのできなかった、理解されない苦しみと悲しみをもった人々がいた(いる)ということである。子供にたいする態度の上手な例として、母親を引き合いにだしたのは、内面的には、どのような無理解が介在していたとしても、「どうあっても(好かれようと、嫌われようと)、私が育てなければならない」という開き直りが感じられることがおおいからで、また、プロ意識のつよい保母さんであったのなら、「どうあっても、私が面倒をみなければならない」という開き直りが感じられるからである。それは繊細さを欠いたものでもあったが、たしかに、認められるものでもあった。その点では、本能的なもののせいなのか、立場的なもののせいなのか、父親のほうが遥かに他人行儀であって、「良い顔」をみせたり、逆に「つれない態度」を取ってしまうことがおおいようだった。つまり、うまくやっているときと、そうでないときの温度差が生じやすいのである。
 これは柔原めいなの両親にも適用できることだろうか。彼らは私の「考え」を反映した操り人形ではないので、断言はできないが、当てはまる部分もあるようには感じた。いずれ書くつもりだったが、私は、シーサーの場面で、母親が珍しくやさしい口調で、柔原めいなに話しかけているすがたを発見しているし、父親はといえば、むら咲むら内で、相変わらずくだけた態度で、「(歩くのが)早すぎるんです」といい、背中をみせたままの柔原めいなに、「だから、早すぎるじゃない!」と、若干キレられたようにいわれているのだった。ここにきて、母親の株が急上昇するようで安心している。父親は付き合いやすい人物なのだが、やはり「舐められて」いた。そして母親は、柔原めいなの空腹を制御したように、「ダメ」といえる人物であり、柔原めいなの態度をみるかぎり、うとまれてもおらず、また、どのような関係性かは知らないが、姉の手綱をも握り、御しているようなのだった。
 どことなくぎこちない歩調で、むら咲むらを徘徊した柔原めいなは、沖縄の民族的な音楽にふらふらと誘われて、偶然出会ったように、久米体験館に到着した。看板に貼りつけられた紙には、「父親の沖縄旅行」で推測された通りに、体験王国の101のコースのうちの5つほどが並べて書いてあった。まず、おなじみのシーサー色つけ体験。そして、とんぼ玉作り体験、藍染バンダナ・染色、ガラスフュージング作り、スクリーンT.シャツ印刷体験、というものである。柔原めいなは、退出時(「疲れました…」)のナウシカのポーズを先取りするような、二羽の白鳥が左右から首を近づけるような華麗な手つきで、バレエの、あるいは指揮者のポーズをとりながら、庭へと入っていった。この三味線をつまびくような、後から尺八が波のように乗っかってくる音楽は、一体どこから流れてくるものなのか。おそらく、雰囲気作りのためにCDラジカセかなにかを置いているのだろうと思われる、ちゃちな音響ではあった。柔原めいなは、今まで目にしてきた建物と、どこがちがうのかよくわからない、どこかシナ、朝鮮的にもみえる庭内(むら咲むらの建物は、巨大な竜宮城の別棟のように、すべてが似たような味付けの料理のように、どれも特色なく統一されている)をみて、「がっかりホテル」のときと台詞の内容はおなじに「わー、すごい」という、斜めに通りすぎるものにたいしていうような、感嘆の声をもらした。以上が、柔原めいながシーサーの色塗りをおこなう建物に入るまでの話である。
 室内では、帽子と羽織っていたシャツを脱いで、肩と脇をだした柔原めいなが、姉と話しているところだった。「歯にぬっちゃう?」の場面の外面(そとづら)の序章であるように、彼女の表情は変わり、いつもはあまり見栄えのしない横顔が、西洋の古典絵画にみられる女性の顔のようにみえた。例えば、ダ・ヴィンチのかく横顔である。彼女の前髪は汗で濡れたように左右に流れ、ひたいの骨格の丸みが読みとれるようでもあり、その部分にかんしては「白貂を抱く貴婦人」のようでもあった。しかし、頬はぷっくりとし、全体にやさしい印象なので、ダ・ヴィンチ風の骨格の主張した女性像というよりかは、現代的にほどよくふくよかさの抑えられた、ラファエロの「キリストを抱く聖母」の雰囲気にちかいともいえた。というよりも、そのどちらでもない、もっと確実に今の横顔に類似するものを、なにかの絵画でみたように思うのだが、思いだすことができなかったのだ。ことさら外見の描写にこだわりだしたのは、今の柔原めいなが美しくみえるからである。それは表情や服装のせいだけではなく、外からの光が彼女を照らしていて、風通しの良い日陰のような、室内のうすぐらい色調のなかに浮かびあがらせているのだ。後ろの人物も、となりに立つ姉も、背景とおなじ色調をしているのだが、神に選ばれた人のように、不思議と柔原めいなだけが白く輝いているのだった。さきほど昼食をたべた食堂は、山頂の休憩場のように屋根と柱だけの場所だといったが、そこに木の壁を付けくわえただけのように、室内は開放的で、おそらく、すぐ奥にみえる開け放たれた戸とは別に、柔原めいなの手前にも戸があって、彼女はそこからの光をうけているのだろう。私はそう推測したのだが、それにしても、光の当たり方が恣意的すぎるようにも思うのだ。まるで対象を引き絞って持続的なフラッシュをたいているようで、すぐ近くにいる姉のほうには、わずかな光もこぼれていないのである。
 そして、姉はといえば、ここにきて、ほとんど全身をさらけだしていた。ほっそりとした人物で、黒い、胸元のおおきくひらいたシャツをきていた。別の場面でみた後ろすがたも、服装はちがっていたが、首筋がやたらと強調される、背中のおおきくひらいたものだったので、首もとに余裕のある服装を好んでいるのかもしれない。黒いシャツの胸元からは、下着をのぞかせるように、ピンクがかった紅色のシャツをのぞかせて、まったくおなじ色のシャツを腰に巻いてむすんでいた。顔はぼやけてみえなかったが、さきほど柔原めいながかぶっていた(あるいはもう一つの)ピンクの帽子をかぶっているようだった。そして、片手に腰をあてて、姿勢よく胸をそらして、完全に素の状態で「あぁでもこれぇ、これとこれでいいじゃん」と、壁掛けのシーサーを指差していた。髪型はポニーテールだったが、柔原めいなの可愛さを強調したポニーテールとはちがって、機能的な、それでいて野暮ではない、すっきりとしたものだった。私が前に、女子フィギュアスケートの選手のようにみえるといったのは、このすがたをみていったのである。柔原めいなも、えび反りだけは得意なからだの柔らかい少女に思えるが、それはふざけた軟体生物のようでもあり、姉の場合は、もっと芯のとおった、機敏な柔軟性を感じさせるのだった。「これとこれでいいじゃん」という言い方も、ながい腕の伸ばし方も、指差す速度も、すばやく、普段の(これが普段なのだが)ぎこちない棒読みの印象は微塵もみられないのだった。姉はおそらく、本来は個人主義的な人物であって、なんらかの役割を演じることが苦手なために、母親には(約二名がたよりにならないので)しっかり者であることを求められ、また、因果の神には場面の進行役を任じられ、それぞれの枷のなかで、萎縮しているのかもしれなかった。そういう意味では、裏のディレクター的な母親と、二名の自由気ままな出演者のあいだで働く、現場ADのような役割であり、一番わりに合わない立ち居地のようにも思われるのである。そのような想像上の不遇さと、さっぱりした機敏さから、体格と雰囲気から中高生にみえる姉は、将来的に家をでて一人暮らしをはじめたときには、「すっきりした」と、たのしくやっていけるタイプのようにも思えるのだった。柔原めいなとの関係はよくわからないのだが、すくなくとも大の仲良しにはみえず、性質的にうまが合うようにも思えず、精神的な距離がはなれているために、喧嘩をするようにも思えなかった。この場面の柔原めいなは、姉の「これとこれでいいじゃん」に、まるっきり流されるだけの人のように素直にしたがっていたが、それは発動した外面モードゆえの大人しさであって、二人の関係性をあらわすものではない。
 柔原めいなは、食物連鎖ピラミッドのような陣形でかけられた色取り取りのシーサーのなかから、薄暗くてよくわからなかったが、ピンク系統のものと、頂点のピカチュウ風に黄色いものを選んで取った。今度は、さきほど浴びていた光に背をむけて、かげになった表情をみせていた。その後ろには、いくつもの椅子が詰まって並べられた庭のような場所がみえた。(どこからかあらわれた)父親に「それはなに?」ときかれると、もうすでに落ちきった外面のテンションで「壁掛けのシーサー」と答えた。その弱々しさと、かげった控えめな表情と、そしてレースのエプロン風の服と耳元のほつれた髪の毛は「深窓の令嬢」といったふうでもあった。しかし、彼女の後ろにあるのは窓ではなくて開け放たれた戸である。柔原めいなが色を塗るのは、真っ白なシーサーのはずで、彩色済みの二つのシーサーは見本としてもっていくものなのだろう。ここでもまた、彼女の手つきは必要以上にあやしく、手のひらを上にむけて、吊りそうにひらいて伸ばした人差し指と中指に二つのシーサーをぶらさげて運んでいた。その手は、彼女の単純な性格の十倍は複雑な神経をもっているようで、本体の意思から切りはなされて独立した生命体のようにもみえた。おそらく、それは無意識的な仕草だからそうみえるのだろう。彼女が意思的に「ペン回し」をおこなうときには、本体の不器用さをそのままに受けつぎ、両者は一体化するのだ。


sage