29 むら咲むらにて・裏




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 光の申し子柔原めいなは、影の令嬢となった。そして背後のテラスのような場所の、気の行き届かない申しわけ程度の美観(テーブルをかこむ以外にも、あまった椅子を乱雑にならべ、周囲には華のない雑草のような鉢植えたち。)は、「久米体験館」の看板にはりつけられた手作りのコース表とおなじように、人の手の「匂い」を残しており、この場所で立ち働く人々の日常を感じさせるのだった。観光客の目線というものは、つねにガラスの外側を斜めの角度ですべりながら通りすぎていくようなもので、痛みもしなければ傷つけられもしないのだが、かといって、その場所で働く内側の人々に、複雑な、深刻な内情があるのかといえば、それもないように思えるのだった。ここは紛争地帯でもソマリアでもなく、例えるなら、雑然とした日常の、暮らしぶりと癒着した、母親が午前中に働きにでる近所のちいさな弁当工場のようなものである。人が傷つけられるためには、余人の納得する明確な「理由」が必要になり、それは例えば、沖縄で「鉄の雨」と呼ばれる第二次世界大戦の陸上決戦で、大量にばらまかれた銃弾のうちの一つのようなものである。いくら、かげった令嬢の、外面の柔原めいなの神経が、青白く繊細にふるえはじめているように感じられても、背後の光でとんだ庭が、白くぬるく弛緩しすぎているように感じられても、それによって観光客の柔原めいなが、そして、現地で営みをつづける心やさしい沖縄の人々が、なにかを傷つけられる理由にはまったくならないのだった。このような意味の通らないことをいう私は、幼稚園児レベルと評された柔原めいなの意識の発する感想(「すっごい、すごくてぇ、すっごい上手でした!」)にも劣るほど、表現能力が欠如しているようだった。それとは別に、この場所でおこなわれているはずの、「ガラスフュージング作り、スクリーンT.シャツ印刷体験」という耳慣れないものは一体なんなのだろう。とんぼ玉作りは、球体関節人形にはめこむ美しい義眼のようなガラス玉を(おそらく「吹いて」)つくるものだと、かろうじてわかった。とんぼ玉作りと、ガラスフュージング作りの字体は、ガラスを意識して、斜めから日差しをうけたように、黄色にちかい黄緑から濃い緑へと変化するグラデーションでえがかれていた。調べれば簡単にわかってしまうことでも、調べなければ、知らなければ、いつまでも語感の混ざりあった不可思議なイメージを持続するようでもある。知ることと理解することには、遠縁の近親者たるこま犬とシーサーほどの差があるようでもあった。しかし、現代において求められることはなにごとも「効率」であり、調べれば簡単にわかるフュージングの意味で悩むような、古典的な小説でえがかれる貴族の恋愛事件や決闘、あげくピストル自殺のような有閑階級の戯れは、悲劇的というよりも、大げさな、気取った、悠長な、うすら寒いものにも思われるのである。また、門をとおり庭へと入るときにきこえていた沖縄音楽は、室内に入るとぱったりと沈黙していた。それは、距離がはなれたからきこえなくなった、たまたまCDの演奏が終了した、というよりかは、役目(柔原めいなを引き込むという)を終えて静止したようでもあり、おそろしい昔話や童話にある、歓楽の予兆で旅人をひきこむ怪奇の罠のようにも感じられるのだった。読者にとってこの小説がなにものでもないように、現実にとってもこの小説はなにものでもない。したがって、ヒロインのために、意味深に用意された、まちかまえたような特別あつかいはおこるはずはないのだ。しかし、「ホテル」のような、すっきりとした機能的な、意図されきった場所よりも、かえって、この場所の意図のほつれが、偶然が、混沌が、生命感のように錯覚され、なんらかの意図を隠しもっているようにも感じられるのである。それはいずれおこる柔原めいなの全的な破滅の予兆、ではなく、たんに人間的な錯覚のようにも思われた。信じやすい人間には、詐欺師の甘言や観光業者の煽り文句のような露骨な意図すらも、感じられないのとは逆に、疑りぶかい人間には、無意図というものはなかなか信じられず、些細なことがらから人間的な意思を感じとってしまうのである。それはいわゆる「結びつけ」の機能であるが、おおくの場合は、観察者の感情、欲求、意思を反映したきわめて偏ったものだった。
 光の聖女たる柔原めいなの美しさについては、もう書いただろうか。私が筆を急ぐたびに、なにか尊いものが(例えば、ちいさな黄色い梅の実のようなものが)、手の隙間からこぼれ、ばらばらと地に落ち、たちまちに腐っていくようでもあった。もし私が主観主義者であるなら、理知的に、あるいは現実的に推測される「手前にある開け放たれた戸」などに、言及することはなかっただろう。なぜなら、光は彼女自身から発せられているようにも感じられるからである。彼女の二の腕が白すぎるので、白いエプロン風のレースの脇の部分との境目が曖昧になり、おそらく、壁掛けのシーサーを指差すためにかるく前にだした腕に、ショールのような天女の羽衣をまとっているようにもみえるのだった。しかし、それがなんだろう。それがどのような意味をもつのだろう。彼女の肉体はいつも肉にすぎず、表情の変化は、顔面の筋肉のわずかな張りと緩みの影響にすぎず、光はつねに科学的な光源なしにはありえないものだった。しかし、同時に、その微妙な変化から、なんらかの尊い、よりおおくの連想を包括する、抽象的な観念を見出すということほど非科学的なことはなかった。また、表情という視覚的なことを表現するために、文章という方法はまわりくどく、不完全であって、絵や、写真や、映像のように、瞬間的に多量の情報を、直感的につたえることのできる表現形式より、遥かに劣るものだということは理解できた。しかし、例えば、ある聖母像の視覚的な印象から、強烈な宗教的恍惚を感じる傑出した心情の持ち主がいたとしても、その聖母像を的確に転写した映像から、おなじ宗教的な恍惚を、凡俗な人物が感じることは決してないのだった。この場合は、みえるということが、すくなくともなんらかの印象は得られるということが、本来の意図の伝達にとっては、逆にジャミングとなって働くのである。なぜなら、「みた、感じた。」というプロセスがおこれば、心は一応の完結をむかえるからであり、例えの宗教的恍惚に限定していえば、文章以上になにもつたえず、なおかつ、低い意味での理解という不誠実な結果をのこすことになるからだ。しかし、また、私の感じる柔原めいなの美しさというものも、彼女のまわりをうるさく飛び回る蝿のような視線にすぎないのではないか、とも思われるのである。人は、鏡や写真や第三者の反応をみなければ、自分の外見的印象をちくいち確認することもできないという意味では、これほどまでに当人の心情と乖離したものはないようにも思われるのだ。ジェイムス・ジョイスの「若き芸術家の肖像」にみられるような、「私の感じるものこそが価値あるものである」という、芸術家の自信たっぷりなエゴイズムによる視線の洗礼は、(当人にとっては、浄化や啓示の意味合いをもつものだが)、用件を、あるいは心情を、一方的にまくしたてて、満足して勝手に去っていく早急な人物のようにも思えるのだった。柔原めいなが天女にみえようと、ニンフにみえようと、白いレースの背中部分が逆まく波にみえようと、その海面から垂直に立ちのぼり、宇宙(円形の天体のような頭部)に直結する、黒くかがやく天の川のようなポニーテールがみえようと、それは、観察者の自涜のようなものにも思えるのである。しかし、やはり、柔原めいなは、やさしいセロファンに全身の皮膚をつつまれているようでもあった。「光の申し子」たる彼女の表情について、ほとんど言及されていない理由は、不思議とこの場面にかぎっては、表情に注目してそれだけを拡大してみると、人間の外見をみるのに顕微鏡をもちだして皮膚の角質をみるように、美を構成する自然な尺度の数段階をとばしみるように思うからだ。かといって、彼女の(柔和な外行きのはじまりの)表情が美しくないというわけではなく、それなりに美しくはあるのだが、顔だけに集中したのなら、横顔という性質のためなのか、暗闇に白く浮かぶ能面の小姫の微笑みのように、全体から切りだされたものにも感じられるのだった。前回には、「珍しく西洋的」と表現された横顔だが、顔だけをみれば、扁平なひたいと、指の幅ほどの薄い眉が主張し、いつも通りに日本的にみえるようだった。このような些細な印象の変化は、袋小路の迷路をいったりきたりするようでもある。なぜなら、本来ならば、脈動が、うねりが、(砂浜の、首をのばしたミル貝のぬめった胴体が、細かいきらきらした貝殻の破片を吸いつけていくように)、印象の連鎖的な結びつきをまきこみながら、より全的な小宇宙(思想なり、時間をこえた総合的な印象)へと高揚していくことが、芸術の「常道」とされているように思うからだ。そういう意味では、霊をもちだし、肉で否定し、また肉を忘れて霊をもちだすような雑駁な混交は、「三歩すすんで二歩さがる」以外のなにものでもないようにも思えるのだ。そして、この話は、気分本位のでたらめというわけではなく、「柔原めいなの内面に入っていくこと」、すなわち同一化の、あるいは「共感」の問題につながっていくのである。
 場面のなかには、光の申し子から影の令嬢へとジョブチェンジした柔原めいながいた。そのどちらもあきらかに戦闘職ではなく、特に、影の令嬢の声は、ピアノの表面を慎重に指でなでて音のない演奏をするようにひ弱く、このあとあらわれる、削りだした岩石のような肉体をもつ女性店員に太刀打ちできるものではなかった。そして、前段落からつづく、「共感」について考えたこととは、私が、柔原めいなのなかに入っていけない理由は、「感覚がたりていないのか、それとも、余分な感覚がたりすぎているのか」という問題である。例えば、二人の囚人が、刑務所からの脱走を試みて地下にトンネルを掘っていたとしよう。作業は順調にすすみ、もうじきトンネルは開通し、自由の身になれるというところまでいき、二人は興奮と希望につつまれるのである。しかし、ちょっとしたきっかけから、片方の囚人が「最後のところで、掘ることはとても不可能な、ぶ厚い岩の壁に阻まれる」ことを知るのだ。それを知った囚人は、もはや退路もなく、計画の変更も不可能なために、勇んでトンネルを掘りつづけるかたわらの相棒に、その事実を告げることができなくなるのである。そのような仮想的な状況を想定したときに、中途にはたしかにあった、二人のあいだの連帯と共感を破壊したものは、片一方が余分に知ることになった事実である、ということがわかるのだ。依然として、事実を知った囚人には、もう一方の囚人の心情が痛いほどに理解できるのだが(なぜなら、さきほどまではおなじ世界を生きており、生々しい感触が残っているからである。)、二人のあいだにながれるものは、共感から隔絶に変わるのである。そして、この例では短期的なものを想像したのだが、仮にこのような状態が長期的につづき、十年、二十年と時がながれれば、事実を知った人物の精神は、もはや最初の気持ちを完全に忘れて、もう片方の人物の心情を、理解することも、想像することもむずかしくなるように思うのだ。そのような状況において、余分な情報と、そこから発生した心情をもつ人物が、それをもたない人物の心情に共感しようと思ったのなら、余分な情報を「なかったこと」のように、滅却しようと努めなければならないようにも思うのである。なぜなら、この場合の、共感を阻害する最大の要因は、精神構造の相違ではなく、想像力の欠如でもなく、視野のせまさでもなく、努力のたりなさでもなく、「余分なもの」そのものにあるからだ。それは私が、「光の申し子」の、柔原めいなの美しさを感じるときに、なんども現実的な視点をおりまぜなければならなかったこととも共通する。例え、感覚的な幻想のイメージに集中しようと試みても、私のなかにすでに確立した現実のイメージは、ぬぐえない染みのようになんども立ち現れて、幻想の感覚を阻害し、その足をつかみ、飛翔を許さないのである。柔原めいなの、わりとシンプルで率直にも思える(ホテルの部屋と体験館の庭の「わーすごい」のような、)心情に、私が共感できない理由は、シンプルな、みずみずしい感性が欠如しているからではなく、柔原めいなのなかにはない、多量の余分な荷物を背負っているからではないだろうか、とも思えるのだ。だとすれば、それらの荷物の重量を無視して、精神のちいさな空きスロットを利用して、彼女の心情を再現しようと試みることは、不可能なことにも思えるのである。また、「感覚がたりていないのか、それとも、余分な感覚がたりすぎているのか」という言い方には語弊があり、まるで、余分な感覚がたりすぎているケースでは、いうまでもなく、必要な感覚はたりているといわんばかりである。しかし、仮想の数十年を経た「事実の囚人」が、最初の心情を想像することもできなくなっていったように、私が、柔原めいなの心情を、現時点で「包括」するようなことは決してないようにも思うのだ。「人は老いると子供にかえる」とは本当なのだろうか。人が、生きていく上で必要な能力をつぎつぎと手放していく過程で、子供に立ちかえっていくのだとしたら、それまで「子供の心情」は、どこかに眠っていたのだろうか。忘れられていたのだろうか。かつて、柔原めいなの表情が、美しさが、彼女の内部からあらわれたものというよりも、彼女の内面とも、肉体とも、服装とも、環境とも、観察者の心情とも、あらゆるものとも無関係な、外部から飛んできた気まぐれな精霊の憑依とみえたように、「忘れられた心情の復活」も、内面的に沈んでいたものが浮かびあがったというよりかは、どこかの異次元の世界を旅していたもの(意思をもった魂のようなもの)が、古巣に帰ってきたかのようにも思われるのだった。


sage