s3 昼と夜のフィルム重ね




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柔原めいなはアメリカンヴィレッジ内をさまよっていたのだが、六月の沖縄の外気は、日が傾きやや涼しくなってきたとはいえまだ暑く、彼女の衣服のなかの、肌と接地する面はしっとりとしめっているようにも想像された。そして、何かしら沈滞するような気分が、ゆるやかに下降するような気分が全体を支配しているようにも思えるのだった。歩調のリズムとともに繰り広げられる父娘の会話は、そのような気分をまるで暗示していなかったが、しかし、柔原めいなのなかの非実在性はそれを気にしているようでもあった。例えば、このように書けばいいのだろうかとも思うのだ。もはや、何ものも存在しない、何ものも存在しないが、柔原めいなの外観は存在し続けている、と。そのような非実在性を、私のなかの非実在性は気にし、また、非実体である読者という存在も同様に気にしているように感じられた。世界が諸手をあげて、柔原めいなの欺瞞と虚飾を指摘しているようでもあったが、同時に、やはり彼女は存在しているようにも感じられた。ウエハースに描かれているのはSoftBankの看板であり、チョコレートに描かれているのは小気味良くかたまった何かの看板である。私達がかつて一つの完結した物語の入り口としてみたくだんのステーキ屋は、今、現代の建築物でBEST5には入ろうかという異様な建物のなかに、ディティールはそのままで、小さく入り込んでいるのだった。すると、私は知るのだ。柔原めいなの非実在性もまた、知ったのだ。上には上がいる、あるいは、ある概念はより上位の概念に包括される、ごく一部の、断片に過ぎないといったような当たり前のことを。柔原めいなの親指と小指の、必要以上に広げられ張り詰めた様も、それを示唆しているようであった。ここが・・・、つづいて彼女は何を言おうとしているのだろうか。ここが、いかさまだらけの、昼と夜の透明なフィルムを二枚重ね合わせた、現代の奇跡ともいえる、バースデーケーキ風の城である、とでも言いたかったのだろうか。さきほど、彼女は観覧車を目にしていた気がしたが、それはまだ光が弱く、灰色の空のなかで薄味の存在感しか持っていなかった。眠れる巨体をもたげきらず、まどろんでいるようだった。"ロードサイド"という言葉が、頭のなかでちかちか点滅するような道沿いを、彼女は歩き、レストラン風の建物とヤシ風の植物の間を、幾台もの車が走っていく様が見えたのだった。おそらく、感性の銃弾がとびかう危険な領域から、避難する人々が渋滞を起こしていたのだろう。柔原めいなは何も知らず、笑っているのだけなのだが、私の連想に符号するように、柔原めいなから逃げるように、左側の車線には車がたっぷりと積み重なっているのだ。映画の視点でいえば、何らかの目的を果たすために、死地へと舞い戻る勇敢な登場人物が、わずかに、右側の車線を逆走しているようにも見えるのである。おどけきって、細い腕をときに真っ直ぐに、ときにL字にと、いくつかのパターンの組み合わせによってダンスを踊る柔原めいなは、ふやけきったスポンジのようであり、彼女のなかの非実在性がしきりにならす警鐘を無視しつづけていた。柔原めいながビデオカメラ片手に歩く道の脇の、赤い欄干のついた小さな川の排水溝からは、何かの液体がしみだして壁にゆがんだ痕をつけていた。アメリカンヴィレッジという人為的に作られた街の景観は、本来は無害で、多様で、たのしくおだやかなものであるはずなのだが、曇り空と落ちかけた日による絶妙な色調のトーンダウンによって、茫漠とした靄のようなもどかしい危うさを隠し持っているようにも思えるのだった。あやうさ。たしかに彼女のふらふらとした歩調をみると、川へと落っこちそうにもみえた。彼女の表情は、急に10年も老けてみえるとか、別人にみえるといった可能性のあやうさを持っていた。ポニーテールをちぎるように振り回した彼女が、意気込んで紹介した建物、ステーキハウスとその他いくつもの店舗を内包する湾曲した前庭をもつショッピングモールは、たかだか二階建てに過ぎないのに、なぜ壮大な外観をひけらかしているのだろう。このような建物は百年前には存在せず、人類の歴史のなかではごく最近に出現した人工物に過ぎないのだが、おそろしいことに、当初の作為を超えて環境に、岩山や花畑のような自然に変化しているようだった。もはや私達は、博物館や水族館のなかの、天井や絨毯が音を吸い込んでいるかのような不思議な静けさを、その場所の印象と切り離して考えることは出来ない。この建物は、存在によって世界の印象を規定し、内部にいともたやすく別の世界たちを、次いで柔原めいなを、取り込むキャパシティーを持っているのだった。なおかつ、外観は華やかで、美しく、機能的で、清潔だった。それと同時に、ありふれた建物でもあって、あまりにも私達の生活に密着しているために、あらためて魅力を感じがたいものなのだが、もし、この建物の精巧なミニュチュア模型を目にしたのなら、効果的に配置された、薄暗いというほど薄暗くもないために真価を発揮しきらない照明は、内部の店舗の看板の字体のりんかくまで見える完璧なディティールは、吐き出された舌のように突き出したあざやかなシルエットを持つ階段は、おさまりが良く、きらびやかで、可愛らしくもあり、人の心を打つだろうと想像されるのだ。ここが、・・・柔原めいなが口を開いた。「ここが、お店です」


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