4 悪夢を背負ったトラック




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最初、前を走るトラックの背面を見た時、私は、七福神の絵が描いてあるように感じた。色合い、絵柄からそのように感じたのだ。何となく、関西方面に向かう(あるいはそちらからやってきた)トラックのようにも思われた。しかし、柔原めいなの声を聞くとともに、ぼんやりした意識の焦点が定まっていき、それは七福神の絵ではなく、彼女の言う通り、お菓子の絵であることが分かった。改めて見てみれば、串にささった三連のみたらし団子が、たこ焼きのようにも見える。そこから私は、関西(大阪)を想像したのだろう。
この場面では、柔原めいなは、読者に向かって語りかけている。ですます口調はそのためだ。とりあえず、何かをリポートしようと思ったが、目につくもののなかで一番目立つ、注目に値すると思ったものが、前を走るトラックの背面に描かれた絵くらいしかなかったのだろう。もし、彼女にしゃべる才能があったのなら、もっときちんとしたリポートになったのだろうが、彼女のしゃべり方は、伝えることの才能をまるで感じさせない、たどたどしい物言いだった。良く言えば、慣れていないだけであって、悪く言えば、本当に女優志望なのか?と思わせる素人臭さだった。彼女は、その整った顔立ちと明るい雰囲気以外には、優れたところはなく、だからこそ、作り慣れたような素振りではなく、現実の無常感を感じさせてくれるような、平凡な素顔を見せてくれる。
この場面での彼女の発言を文章に直すなら、「前にお菓子の絵の描かれたトラックが走っています。」、となる。彼女が「お菓子?」と自信なさげに言うのには理由があって、最初、七福神の絵が描いてあるように思われた、串だんごはたこ焼きのように錯覚された、私の錯誤的な感覚と共通している。ようするに、このトラックの背面に描かれた絵は、じつに奇妙な絵柄なのだ。はっきりいって下手であるし、中央に描かれたソフトクリームは、芋ソフトなのか紫色をしており、くすんで汚れたような色をしていて、変に細長い。背景には、建物が建っているように見えたのだが、よく見ればそれは建物ではなく、引出しがついていて、タンスなのかと思えば、足元にはなぜか移動用のキャスターがついている。そこに、力なく垂れ下がった、萎れた花のような(比喩ではなく、そのように描かれている)電気スタンドが乗っている。そのタンスは、最初、背景に描かれた学校、あるいは病院のような建物に見えていた。なので、尺度の狂った巨大なソフトクリーム、それと同等の大きさの串だんご、チューリップの植えられた、丸っこい窓とドアのついた植木鉢、そして、それらのものよりも遥かに小さい木が、なぜ野外に、完全に直立した状態で並んでいるのか、無意識も解釈に苦しみ、錯誤的な理解を引き出したものと思える。
この一切画才の感じられない、幼稚さと、実務的なことに長けた中年男性の絵心とが混じり合ったような、陳腐な悪夢を背面に貼り付けたトラックは、いったいどのような貨物を積んでいるのだろう?この絵は、どのような宣伝効果を狙っているのだろう?それは、柔原めいなにも分からなかっただろう。彼女の、「お菓子?かな?」、の自信なさげな発言の後の、「あ!」、で何かに気づいた様子は、焦点を合わせるに先んじて、この絵の、本来的な「良くないもの」を感じ取った瞬間だった。一見すれば童話的にも見えるために、あまりにも警戒心なく、うっかりと近づきすぎてしまった心が、即座に感性のシャッターを下ろすことによって、彼女の内面的な世界を守ったのだ。自動的に行われたこの感覚の遮断は、例えば、「このような悲惨な世界にあって、なぜ、この人のような平和な人間が存在しうるのか?」というような疑問に答えるものだろう。こうして、柔原めいなと不可解な珍トラックとの邂逅は、「絵の、なんかトラックが、通ってます。」という、安全に読者に紹介できる事象に変わった。


sage