6 顔面ポーチお化け




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少女は可愛いものを好む。柔原めいなも同様である。その理由については、少年がカッコいいものを求めるように、自分もそうなりたい、つねにそうありたい、という願望、嗜好だとも判断できる。うがった見方をする人に言わせれば、女性の言う「これ可愛い」は、「これを好きな私、可愛い」なのだそうだ。
柔原めいなは可愛い見た目をしている。周囲からもそう認められている。しかし、柔原めいなの執拗な可愛いもの推しを見ると、既に可愛さを認められている彼女が、平凡な少女とまったく同じように、さらなる可愛いものを求める必要があるのだろうか、と不思議になる。すでに可愛いものが、可愛いものを愛するというのは、同性愛というか、共食いのように感じられるのだ。柔原めいなは、もっと可愛さの中に安穏としていてもいいように、逆に、もっと可愛くないものに関心を示してもいいように思われる。そこはたぶん、人間の欲望の際限のないところであって、現実は、美少女であっても不細工であっても、女の子に産まれたからには、別種の価値観をもっているのでなければ、可愛いものが好き、という感情は一般的なものなのかもしれない。
女の子に限らず、可愛いものを好むのは男性も同じであって、例えば、ねこが好きな男性は珍しくない。また、意味が違ってくるが、美少女が好きな男性も珍しくない。柔原めいなが、車内でお気に入りのポーチを見せびらかし、「可愛いねこちゃんでーす。あー、やっぱりこれお気に入りだぁ」と感極まったように言っているのだが、同じようなことを男性が言っていたのなら、ずいぶん少女チックに思えるし、オカマとか、ナヨナヨしているとか、そんな印象を受けるだろう。これは、男性の感じる、可愛いもの=好ましいものと、女性の感じる、可愛いもの=好ましいものの間に、ズレが存在しているからではないかと思うのだ。男性にとっての可愛いもの、性的な欲望をそそるとか、保護欲をそそるとか、癒されるとか、それと似たような感情は女性にもあると思う。同時に、男性にはない、あるいは、男性にあった場合は女性的と見られる、そういう女性特有の可愛さへの欲求があるように思えるのだ。それは、冒頭に言った、自分がそうなりたいということ、そして、それだけではなく、自分の周りに可愛いものを集めることで、自分も含めて、世界をそのような色に染めてしまいたいという欲求だ。それは、可愛さの全体支配とでも言うべきもので、男性に媚びるために可愛くありたい、という欲求ともまた違っているように思われる。女性が可愛さを求めるのは、もともとは男性を惹きつける本能のためであったり、社会的に優位に働くということを感知するためであったりするのかもしれない。しかし、性的にも、社会的にも未発達な、柔原めいなのような少女にあっては、そのような目的を獲得しないままに、手段だけが嗜好性としてふくれあがった状態になっている。そのような状態を「乙女チック」と呼ぶのではないだろうか。それが、異性を獲得するためだとか、社会の中で優位性を示すだとか、明確な目的をもった時には、もっと対外的な、社会的なものに変わっていくのだ。
柔原めいなのような少女が、あるいは、彼女よりもずっと年下の女の子であっても、判を押したように可愛いものを好むのは、媚のため、くだけて言えばセックスアピールなのではないか、と最初は思ったのだ。しかし、それは、源流には似たものをもちながら、どうも方向性が「ズレ」ているようで、明確な目的をもっていない、現実的とは言いがたい、いまだ閉じられた世界のように思えるのだ。そういう意味で、柔原めいなの可愛さへの嗜好は自己満足的であって、仮に世間が「そのポーチ可愛くないね」と言ったとしても、彼女は自分の感覚を疑うことなく、可愛さの根拠たるものを説明しようとつとめるだろう。彼女にとって、これほどまでに自明のものはなく、他人に受け入れられなかったからといって、簡単に自信を失って、方向性を変えようと試みる、思春期のファッションのようなものとは異なっている。それは純粋に趣味的で、たんに目的に対する手段であるよりも、外部の評価の影響を受けにくいのだ。
前の場面では不満をこぼしていた柔原めいなだったが、場面が変わり、今は一時的に空腹を忘れて、お気に入りのポーチを読者に紹介している。そのポーチは薄べったく、かつ、圧縮された猫の形をしているので、大きさといい、形状といい、私には、駄菓子のいかの姿フライを連想させるようだったが、背筋もパリッとはしておらず、願かけのお札のように彼女の手にしなだれかかっていた。まず、彼女が上機嫌に強調したのは、それが「可愛いねこちゃん」であることだ。ポーチなのだが、同時に、彼女の心には、ぬいぐるみのように、ペットのように、生き物のようにも映っていたのだ。小説の導入部で説明したように、彼女は猫好きであって、ねこちゃんポーチの紹介は、それを現す三つの場面のうちの一つである。この空間において、彼女は車のバッグシートから身を起こしている。また、背中だけではなく、彼女の左右にも大きな空間があいているように思える。その空間に車窓の光がただよっているのだ。このように、ことさら彼女の周りの空間が広く見えたのは、彼女の身体が大人よりも小柄なことと、大人のように、背もたれに身体をあずけきって、身を起こす時には「よいしょっ」という感じに反動をつける、そんな重たさを感じさせず、背筋が起立していて、かつ、お尻にかかる体重が、正三角形をかたちづくるように、体重分散の黄金比率を感じさせるからだろう。彼女は読者に向かって、「後ろにこういうチャック・・・」と言いながら、ポーチの首筋にあるチャックを指し示そうとする。これは機能的な側面を指し示すもので、こまごました、お気に入りの小物を入れておけるポーチの側面を強調する試みだ。しかし、「チャック・・・」と言っている途中で、別の側面に気づいて、「ホラ!」と叫ぶのである。彼女の意識がポーチに気をとられていたために、ふいに発見したそれは、視野外からの一撃だったのだろう。唐突に、ピョコンと鼻先に現れたものは、可愛いねこちゃんの尻尾である。尻尾だけではなく、足も目に入ってくる。表面の柔らかい手触りも感覚をくすぐってくる。かといってチャックを忘れたわけではなく、頭の中にはパーツのもつ素晴らしさが幻惑的にちかちかしているのだ。「ホラ!尻尾とかもついてぇ、足とかもついててぇ、」足のもつ魅力を表現しようとした時、彼女はダイナミックな表情を作ってみせた。そのような意図を見せられても、私に伝わってくるのは、ポーチに足がついていることと、ダイナミックな表情だけなのだが、おそらく、猫バスのような、細かく密集してつくられた肉球のようなものが、そこにまとまっていて、ディティールが好ましいのではないかと想像した。何となく、オクトパスという単語が浮かぶのだが、それは前述の、いかの姿フライのイメージとも重なるようだ。そのように、柔原めいなの意識は、ひじょうに短時間の間に、可愛いねこちゃんという全体像、ポーチ、背中のポーチのチャック、尻尾、足、を素早く移動し、そのすべてが彼女にとって可愛く、好ましいものであったので、もうほとんど逆上してしまったようだった。そうして、ひきおこされた感興に満足してしまって、「なぜ、お気に入りなのか」を読者に紹介する意図は失われてしまったのだが、そんなことは、どうでもいいだろう。彼女のアピールポイントは、続く「可愛いんですよー」の一言に収まっている。さらに、感きわまった彼女は、意味を伝えるというよりかは、断末魔の叫びのように、ほとんど裏声で、二度目の「かわいいんですよー」を言いながら、読者に向かって顔面をこすりつけるように、アップの顔を見せつけてきた。その際、彼女はポーチに頬擦りをしていたのだが、顔面が強調されすぎたせいか、「顔面ポーチお化け」というような新種の生物のように、ほとんど一体化せんばかりにみえた。このような姿をみて、私は前半の、同一化の考察にいたったのだ。もしこれが、美少女フィギュアの素晴らしさを熱狂的に伝える男性であったなら、頬擦りは頬擦りで行い、フィギュアをよく見えるように差し出すのは差し出すので行い、それを別々に行うように思われた。しかし、柔原めいなは、頬とポーチが不可分に癒着しているのではないかというほどに、完全な頬擦りをみせると同時に、表情はまるで取り繕うことを忘れて、視線も、笑顔のなかに隠れており、こちらを見ることもなく、ほとんど顔面ごと、頭部を傾けたまま倒れこむようにして、雪崩れこんできたのである。
そして、自分の世界に没頭してしまった柔原めいなは、「・・・あーやっぱりこれお気に入りだぁ」と、今まで何度も確かめてきたように思われる感慨を、確認しているのだった。そのようにして、彼女のポーチ愛は確かめられ、とりあえず、これでしばらくは、ポーチの命運も守られたように思える。これが、数ヵ月後、数年後ともなれば、可愛いねこちゃんのポーチへの興味を失ってしまっているかもしれない。しかし、そんな相対化するような視点は、この瞬間には無意味だろう。今、彼女は、曇天を忘れるほどに輝いて想起される窓辺にて、どのような相対化の視点の角度もない、絶対的な感情に身をひたして、すっかり幸せにみえるからである。


sage