Neetel Inside 文芸新都
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永遠の向こうにある果て【完結】
果て。1の章

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 薄口の淡い水色のグラスを、非力な少女が振り下ろした拳で力いっぱいたたき割るかのように、空気の壁は粉々になっていきました。
 散っていく空の破片は、不思議なことに、どこに落ちるわけでもなく消えていきます。

 それは、世界中で、同時多発的に起こりました。

 偶然。と呼ぶには、あまりに不自然に全世界中で、良死朗と同じく永遠を求めてやまない、数限りない人間が、同時多発的にダルマ死体の製造に着手し、その全ての人間が、コンマ1秒すら間を空けずに、ダルマ死体を完成させたのです。

 その瞬間。空は、粉々に砕け、そして剥がれ落ちました。
 その瞬間に合わせ、5000年の時間軸は、終焉を迎え、そして、1秒という時間の単位は消滅したのです。

 かつて、「三戸恭介」なる人物がひとつの仮説をたてました。あまりにも突飛なその仮説は、一時オカルト雑誌を賑わわせ、学界からの一定の拒絶を得た後、やがて忘れられていきました。
 しかし、それは紛れもない事実でした。
 彼は、800年にも渡る長い時間を時間の流れの緩やかな深海で生活したと伝えられています。長い時間を生き抜いた事で、本来知る事のできるはずがなかった、1秒の減少を突き止めることが出来たのです。
 その肉体的感覚を、数字に置き換え換算した結果から導き出された結論は、時間とは100年に50分の1秒ずつ短くなっていくと言うものでした。
 この世界は初めから5000年に一度、時間軸が消滅するように、決められていたのです。

 永遠という言葉に取りつかれた男がひとり、永遠を探して、旅に出ました。あてのない旅路の中では、何も見つけることが出来ませんでした。それでも歩き続けた結果、足はただただ爛れていきました。
 ある日、男の脳裏に不意を突きよぎる言葉がありました。
 それは、男が長い旅路の中で何かしらたどり着いた一つの確実な真実だったのかも知れません。
 「永遠などこの世にはない」
 男は、足を止めました。
 そこは何もない世界。
 地平線すら見えませんでした。
 男はふと気がつきました。
 「ここが・・・永遠・・・?」だと。
 夢で見ていた永遠とその場所は、まったく同じでした。
 ただひとつ。ついさっきまで、一緒に存在していた、樹齢5000年を数える雄大な木だけが、横に同じく存在しているのみです。
 た何もないその場所において、この男の旅路は、誰にも知られることもなかったのです。
 男は、以前存在していたその世界において、「良死朗」と呼ばれた人物でした。

 空の全てが剥がれ落ちたその空間では、それと同時に360度見渡す限り視界の中にあった、ありとあらゆる、数え切れない雑多な生命も消え失せてしまいました。
 見上げれば、樹齢5000年を数える雄大な木だけ。
 木と自分以外には、何もない世界でした。
 地平線すらも見えないその空間では、自分が今立っている地面がどこまで続いているかさえも理解できず、自分の体が、実は、立っているのではなく、浮いているように感じました。
 地面と空(と言うには、違和感を覚える真っ白い空間だったのですが)が一体となり、それが、そのまま自分の頭上を通って後ろに回り、また、空と地面が一体となった不思議な球形の中に立っているようにも感じました。
 色もなく、音もなく、動きもない世界。
 「ここが、永遠・・・?」
 そうつぶやいたとしても、それは、誰にも届く事の無い。ただの空気の振動でしかありません。
 世界は、良死朗とこの木を残して、全てなくなってしまったのです。
 「だとすれば、なぜ、この私だけが、残ってしまったと言うのでしょうか?・・・いや、そこだけを鑑みて、もう一度思い直してみれば、残ってしまったのではなく、来てしまったのかも知れません。そして、この木は、たまたま近くにいたために、巻き込まれてしまった。という、何とも不幸な事実がひとつ・・・」
 そう思い直した、良死朗は、自分でも驚くほど優しく、その木を撫でてあげたのでした。
 良死朗は、木を撫でながら、随分と早くに死別した母親の葬儀のことを考えていました。
 今、自分が存在しているこの白亜に埋もれ包み囲まれたような空間。そして、色。それが、火葬場で十二分に焼き尽くされた母の骨のように思えてならなかったのです。
 母親の魂が肉体から離れていった瞬間から、母親の腐食はとめどなく進行していきました。死因が、分からなかったものですから、(今際家の本意ではありませんでしたが)司法解剖に回され、そして戻ってきた母親は、さらに血色がなくなり、土色の強い、そして、もう生気のない表情になっていました。
 静かに、粛々と焼かれた母親が、白亜にも似た真っ白な骨となったときに良死朗の感じた「これ以上永遠に変化することのない」と言う不思議な安堵感は、今も脳裏の後ろの方で、強烈に残っています。
 それは、深い懐古感。
 母親と胎盤で繋がっていた、まだ、記憶もない頃に近い感覚でした。
 ただ、色で表わすならあの瞬間の感覚は深紅であり、今この時の感覚は白亜である。と言うだけの差異です。
 時間は進むことをやめ、かと言って、戻るわけでもありません。
 止まってしまいました。
 思えば、時間とは何だったのか。
 なぜ、進み続けなければいけなかったのか。
 そこには、実は何者かの意思があったようにすら思えてなりませんでした。
 良死朗が、深く深く自らを包み込む白亜の懐古感に、その身を委ね続け、しばらくの時間が流れました。(とは言え、時間の進むことがなくなった現状において、それが果たして長い時間だったのか、短い時間だったのか推して知るべく方法など残されてはいなのですが。)
 不意に、良死朗とともに、唯一この世界に今、存在しいている木が風もないのに、ざわんざわんと揺れました。
 はっと、我に返った良死朗の前には、一人の男が立っていました。

       

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