Neetel Inside 文芸新都
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永遠の向こうにある果て【完結】
永遠の向こうにある果ての章

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 彼は、名前を「今際 良死朗」と言います。
 良い死に方が出来る素敵な人生を歩む男になって欲しいと言う両親の願いが込められた名前です。良死朗がこどもの頃には、「名前に死が入るなんて縁起でも無かろう。」と、今際家の親戚一同から批判されはしましたが、今となっては、何事も無かったかのように受け入れられていました。
 良死朗は、今、27歳。
 しがない地方の四流大学で、助教授として教鞭をとっています。
 教える内容は、「時間」について。
 誰が考えだしたのかは、もう知る由もありませんが、ひとつの時間軸が無限に続く状態。俗に言う「永遠」についてただ、淡々と研究を重ねていました。
 良死朗がなぜ「永遠」について研究を始めたのか。それはもう、あいまいな記憶しか残ってはいませんが、おそらくは、随分と早くに死別した母親の影響があったのでしょう。
 良死朗の母親は、裕福な上流家庭から、決して裕福ではない今際家に嫁いできました。それは、幼い頃から「身分相応な恋愛をしなさい。」と強く強く教育されてきたその家の教育方針に対する反発を含んではいました。ただ、そうであっても、本気で恋愛をし、一生を貧しいまま(決して貧しいわけではないのですが、裕福な上流家庭で過ごしていた為にそう感じたのです。)に過ごしても構わないと言う、強い決意の上での結婚でした。
 実際、母親が幸せだったかどうかについてなど、本人以外に分かるはずもありませんが、とある検診のときに、自然治癒した胃の潰瘍痕が10ほど見つかった事からも、少なからず苦労はあったのでしょう。時に、一人、誰にも見られないように泣いている母親を、良死朗は何度も目撃していました。
 そんな母親は、良死朗が多感な高校生の時に死にました。
 それは麗らかな陽気の春。
 縁側から、庭の池で泳ぐカメを眺め、いつになくぼんやりと座りこくっていた母親は、良死朗が声をかけたときには、すでに息をしていませんでした。何を思って普段せわしなく通るだけの縁側に座り、庭を眺めていたのかは、今となってはもう分かりません。ただ、良死朗は母親の死に顔を見て、なんだか少しだけ幸せそうな表情だと思いました。
 良死朗はもう動くことの無い母親が、静かに火葬されていく工程を静心無く眺めていました。
 とりわけ、骨となった母親を見たときには「これ以上母親が朽ちていく事は無いのだな。」と、心のどこかで思いました。

 「骨は、永遠の象徴。」

 そう考えた瞬間から、良死朗の頭の中は、もう誰に言われるでもなく、永遠の虜となってしまっていたのです。
 春は、出会いの季節ではなく、別れの季節となりました。
 父親は、それからも変わりない生活を良死朗に与えてはくれましたが、それは、もうどうしたって母親の居た、かつての生活とは、まるで違うものでした。
 やがて10年余が過ぎ去りました。
 遅い子どもだった為に、父親はすでに定年退職し、日がな一日、母親の死んだ縁側から庭を眺め、死んだ母親のことを思い出しては、目に涙を浮かべるばかりの日々を過ごしていました。エサ欲しさに寄ってくるカメに対して「かつてココには、信じられない程にキレイな女性が座って死んでいた事をお前も覚えているか?」と語りかけ、また、目に涙を浮かべる日々です。
 そんな父親の姿を眺め、今際家を出る事が出来ないまま、良死朗は今に至るのでした。
 
 とある有名なの科学者の見解。
 「時間軸は常に動き続けるものであり、動き続けるということは、原始レベルでの物質の変化を意味する。つまり、この世界は永遠では無いのです。」

 とあるしがないロマンチストの見解。
 「例え物質に変化があるとしても、変化しないものがある。それは気持ちだよ。つまり、君へのこの気持ちだけは、永遠に変わることは無い。」

 とあるさえない哲学者の見解。
 「時間とは、個々の生命体が感じる心の感覚の総称である。つまり、心の感覚が停止する事を、永遠と呼ぶ事がふさわしい。」

 誰のどんな意見であったとしても、良死朗は平等に受け止め、そうして、集めた言葉を「永遠収集冊子」と名付けたルーズリーフに綴じていきました。

     

 永遠についての見解は、十人十色、千差万別。わずかな研究時間でも、すぐに、良死朗の研究室の壁は「永遠収集冊子」の本棚で埋め尽くされていました。
 その過程において良死朗の興味を引く人物も何人か存在しました。
 例えば、彼がそうです。
 彼は、名前さえも教えてくれず、ただ「名前が無くては、これから関係を築いていく上で、どうしたって不都合があるかも知れないが、別に関係を築こうと言う訳でもないのだよ。」とだけ言い、そのたるんだ体を震わせながら笑いました。
 良死朗は少し怪訝そうな顔をしながら語りかけます。
 「永遠について研究しております。」
 「永遠とは、また何ともニッチな感覚を持ち出してきたものだね。とは言え、かつて、私が出会った人の中になかなか愉快な人がいてねぇ。彼は、永遠について面白い話を私に聞かせてくれたよ。」
 「永遠についての面白い話?」
 良死朗は、少し身を乗り出して、この男の話に耳を傾けました。
 「彼はね、今の世の中を随分と嘆いていた。そう。『永遠の意味さえも理解できずに、安易に使っているものだから、そんな奴には、永遠の向こうにある果てを垣間見せてあげたい。』とね。こうも言ったよ。『永遠に君を愛すると言うロマンチストがもし存在するのであれば、永遠に人を愛する事の真実を教えて差し上げないといけないじゃあないかい。』とね。」
 「永遠の向こうにある果て?」
 「今しがた、一瞬だけ想像して見れば良い。終わらないから永遠なのだとすれば、終わらない先にある終わりとは、一体どんなものなのだろうかねぇ。」
 「永遠に終わりがあるのですかね?」
 「それを考えるのが研究じゃあないのかい?倒錯法と言うものを知らないのかね君は。この世の物事はね、全て終わりから考えなくちゃあいけないんだよ。君のご両親は、そのことを実に深く理解していた。良死朗。実に良い名前じゃあないか。まさに、倒錯法だよ。良い死に方をする為に生きる。この世の条理は結局の所全て同じなんじゃあないのかい?」
 そう言って、男はまたたるんだ体を震わせながら笑いました。
 良死郎がその人物の名前をせがむように聞くと男は少し不機嫌そうに「ああ・・・確か、マイクと名乗っていたねぇ。」とだけ、最後に付け加え、何処かへと歩いていきました。
 
 また一人。良死朗の興味を引く人物がいました。
 彼は、しがない検視官で、数多くの死体を見てきたと言う経験以外には、何のことはない取り留めのない人生を送って来た男でした。しかし、その中の一つの経験が、どうにも良死朗を捕らえて離さないのです。
 「今際先生はダルマ死体なるものをご覧になった事がおありですか?」
 「ダルマ死体?いいや。今、初めて耳にしましたが。」
 「いやね。元々は、単なる監禁事件だったんですよ。その事件で死んでしまった、それはそれは若い・・・まだ17歳の娘さんがね。何とも、凄惨に殺されましてね。・・・いえいえ。レイプなんてとんでもない。その殺され方が、ダルマ死体なるものだったんですよ。ええ。ええ。」
 そういうと、しがない検視官は、ポケットに入っていた小さなメモ帳に簡単に人間の身体のイメージを書き上げ、続けました。
 「人間の身体とは、なんともまぁ不可思議なもので、どこをどう考えても沢山の突起物があるわけですね。そして、幸か不幸か、その突起物ほど傷みを感じやすい。ご経験がおありでしょう。指先を怪我した時の、あのえも言われぬ痛みですよね。さてさて、その一つ一つを切り取っていくとした時、実は、それは、歴史上最も残虐な王と言われた『ファラオ』ですら凌駕する残酷な拷問になりえてしまうわけですよ。突起物を一つ一つ切除していくとね、人間はだんだん丸くなっていくんですよ。」
 「つまり・・・ダルマ?」
 「ご明察。」
 「それで、そのお話が、一体私の聞きたかった、永遠とどのように関係してしまうわけなんでしょうか。」
 「不思議な事です。その娘さんのことなんですけどね。いつまで経ってもダルマにならなかったんですよ。一つ突起物を切除すると、そのために次の突起物が出てきてしまう。どんどんと破片は細かくなっていき、そうあっても、永遠に終わることがないのです。アキレスとカメのパラドックスはご存知ですね?アレをね。人間でやっちゃったわけですよ。切り刻みながらね。うしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃ・・・」
 「だけれども、アキレスとカメのパラドックスは、最終極限値として1になってしまう。はたして、そのダルマ死体はどうなってしまったのですかね?」
 「消えてしまいました・・・いくつかの、破片だけを残してね。」
 「消えてしまった?」
 「ココから先は、今際先生の分野であるので、あくまでも事実だけを述べてしまいましょう。ダルマ死体を作る為、突起物を削除し始めると、それは、永遠に終わることはなく、そうして、最後には、全てなくなってしまうのですよ。」
 「質量的に考えて、なくなってしまうはずはないじゃあありませんか。細かくなって、それはもう目に見える大きさではなくなってしまった。とは・・・?」
 「いいえ。消えてしまうわけですよ。また機会がありましたら、ぜひ、一度お試し下さい。全てを失ってもよろしいのでしたらね。うしゃしゃしゃしゃしゃしゃ・・・」
 そう言って、しがない検視官は、今しがた出した小さなメモ帳を内ポケットにしまい、もう一度だけ「うしゃしゃしゃしゃ」と笑いました。

     

 それは、いつも聞こえる虫の音がほとんど聞こえない静かな夏の夜でした。
 夕方に降り注いだ夕立のために、何だか蒸し返すような、息苦しい夜。
 静かに、「永遠収集冊子」をめくりながら、良死朗は静かに物思いにふけっていました。
 良死朗がこれまで、どうしたって追い求めずにはおられなかった「永遠」には、果てがあり、その向こう側が存在する。と言う事実を確かめる術が何ともないものか。そんな事ばかり、いつまでもいつまでも考えていました。
 人は、良死朗の事を狂気と呼ぶかもしれません。でも、その狂気と理想を結びつける方法にどれほど頭を回転させたとしても、その先にある答えは犯罪と言う凡庸なものだったのです。
 不意に知った事実ではあるのですが、しがない検視官の言うダルマ死体を作り上げようとした男は、実は「永遠の向こうにある果て」について清々嬉々と語り明かしたマイクなる男と、どうやら同一人物だったらしいのです。
 犯罪と言う狂気の果てに、マイクが「永遠」を知り、その「果て」も、あまつさえ「向こう側」についてまでも知る事が出来たのであれば、同じ道を通る以外に方法があるのか。それは、きっとありはしないのでした。
 部屋に散らばった安売り広告の裏には、アキレスとカメのパラドックスを解き明かし、極限値である「1」を導き出す数式が、長々と書き連ねられていました。しかし、それは、永遠ではなかったのです。
 なぜ、ダルマ死体を作ろうとした時に、最後、全てがなくなってしまうのか。答えは、どうしたって導き出せるものではありませんでした。それはおおよそ、条理、不条理に関係なくこの世に存在する、何がしかのルールに則る限りにおいて、絶対的に有り得ない事象。つまり、陳腐な表現をするのであれば、「神」による何かでもない限り起こるはずのないものでした。
 いつもより、なぜか時計の音が大きく聞こえる夜でした。
 「夜の時間に歩き始めよう。闇は、全てを隠してくれる。これから行う行為も、そして、その最中の誰彼に見せられたものではない醜いであろう顔までも・・・」
 意を決した風でもなく、それはまるで小さな虫が、夏の花火に飛び込んで焼け死ぬかのように自然と良死朗は立ち上がりました。
 親にもらった「良死朗の名前」の通り、良い死に方は出来ないだろうな。と、少しだけ自嘲を浮かべ、静かに部屋を出て行きました。
 
 この世に、死ぬるべき人間が果たして存在するのか。ラスコリーニコフと同じ葛藤を心の中に抱えながら、殺すべく考えたのは、近所に住むファンダメンタリストの少女でした。
 敬虔に信仰を守り、何よりもひとつの本を崇拝するファンダメンタリスト。
 彼女を選んだ理由の一つには、どうしたって、あり得ない事象を実現させる(と、無意識に良死朗が考えていた)「神」と言う存在を連想する何かがあったのでしょう。
 もう一つには、マイクが行ったダルマ殺人で殺された少女が、敬虔なファンダメンタリストだったという事実もまた、そこにはありました。
 良死朗は計画と呼ぶには、ひどくお粗末な計画を考えました。
 彼女が、毎週日曜日に教会へと赴く事を知っていた良死朗は、その道中でただ、彼女を連れ去る事が出来れば、それで全てが万事OKだと考えていたのです。それは本当にお粗末な計画でした。その後、ダルマ死体を作る場所だって、考えてやおりませんでした。
 おりしも、その夜は新月の土曜日。
 安息の休日を、明日に控えていました。
 部屋を早くにあとにしたのは、もし、朝になり、いつも通りの瞬間を経験すれば、人となりにこの気持ちを夜に書く手紙の如く、ただの恥辱としてしまう事を恐れたからでした。
 つまりは、決意表明。
 ガソリンの少なくなった蒸し暑い車の中で、エンジンも切ってその瞬間を待ちました。
 流れる汗。
 恐怖などありませんでした。あったのは、今、手にある肉切り包丁が果たして、永遠に続くダルマ死体を作る過程の一体どこまで持つのか・・・と言う心配だけでした。
 良死朗は、「まずは、左手の薬指から切り取ろう」とだけつぶやきました。
 月明かりもない夜は静かに過ぎ、この瞬間の良死朗を誰も見ることなど叶わないまま、夜は明けようとしていたのでした。

       

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