Neetel Inside ニートノベル
表紙

怪猫、未だ死せず
開幕

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   開幕

   錫/

 ニャーゴ、という猫の鳴き声で目を覚ました。
 続いてカリカリカリと窓を引っ掻く音が耳に届く。
 眠かったがこのまま放置しておくといつまでも引っ掻いていそうなので、眠い目を擦りながら窓を開けると、ヒョイッと大きな黒猫が入って来た。
「おはよう、錫ちゃん」
 あろう事か黒猫が喋る。
 否、窓から入って来たのは黒猫であった筈だが、部屋の中を我が物顔で座っているのは一人の少年である。窓から差し込む月光が反射し、彼の瞳は爛々と輝いていた。
 優しげだが何処となく不思議な印象を持つ顔立ちに小柄で女の子みたいな身体つき。真っ黒な髪は妙な形で跳ねており、遠目から見ると動物か何かの耳がピョンッと屹立しているように見えなくもない。
「おはよう、じゃないわよ」
 部屋の主である錫は苛立たしげに言うと、窓を閉めてベッドに腰を下ろした。
「何時だと思ってるの」
 錫が抗議すると少年は屈託のない笑みを浮かべる。
「ごめん、ごめん。ボクはさっき起きたから」
「クロ、あんたは良いわよね。学校も仕事もないんだもん」
 文句を言ってから錫は欠伸をした。
 時計を確認してみれば午前二時。草木も眠る丑三つ刻である。
 こんな時間にやってくるのであるから非常識極まりないが、さもありない、そもそもクロは存在自体が非常識極まるのであまり気にならない。
 迷惑ではあるが。
「猫には猫なりに義務があるのさ」
 白い歯をニッと見せる。
 鋭い犬歯が光って、やや不気味だ。
「嘘吐け、いつも屋根の上で日光浴しているくせに」
 また錫は大きく欠伸をすると、ゴロリとベッドに横になった。
「寝るの? せっかくボクが来たのに?」
 不服そうに少年――クロが抗議する。
 文句がある時は素直にブスッとふくれっ面をするのは彼の特徴の一つである。
「昼間に来て」
 それだけ言い返すと錫は布団を被った。
 しばらくクロが何か文句を言っているようであったが、少しするとノシッと布団の上に何かが乗っかる。おそらくはクロだろうが、しかし人間の重さではない。布団から顔を出せば、黒い猫が丸くなっていた。
「おやすみ、錫ちゃん」
 クロが微笑みながら言う。
 猫には表情がないとよくいうが、それは嘘だ。長いこと猫と接していると何となくではあるが、猫には猫なりの表情があるというのが解る。
 実際、錫にはクロが笑っているという事がよく解った。
「……あんたはまた寝るのね」
 呆れながら錫も枕に頭を預けた。


 化け猫であるクロとの出会いは昔、まだ錫がヨチヨチ歩きをしていた頃である。
 当時、クロは人間の姿をする事はなかったし、人語を喋る事もなかった。それは錫が高校に上がってからも同様であり、だから当然錫もクロが化け猫であるなど全く気付きもしなかった。
 祖母の家に住んでいる、やったら長生きなデカい黒猫。それが当時の錫の認識である。
 だが祖母が亡くなるとピョッコリと人型で現れるようになってきた。普段は猫の姿で寝転がっているのだが、時たま今のように人の形をしてやってくるのである。
 猫とはいえ何しろ長生きだ。博識だし、いろんな話を知っているので話しをしていて面白いのであるが、猫故にマイペースなのか今夜のように平然と真夜中にやってきたり、思い出したかのように小言を言ったりするので中々に厄介な存在でもある。
 さりとて当人曰く祖母から遺言で「孫娘を頼んだ」と言われたというので無下にも出来ない。それに心配してくれている事に変わりはないのだ。邪険に扱うのも何かが違う気がする。
 とはいえ迷惑なのは確かであり、そういう時は今のようにぞんざいに扱う様に決めていた。


「……暑いんだけど」
 声を掛けるも、クロはピスピスッと妙な寝息を立てているだけで全く起きる気配はない。どうやら熱を発している当人は暑くないようだ。
「退いてくれない?」
 やはり返答はない。
「明日かつおぶし上げるよ」
「そこらの野良猫と一緒にしないでくれるかな」
 不貞腐れた声でクロは言う。
「起きてるじゃん」
 片目だけ開けて、クロは錫の顔を見た。
「頭を撫でてくれたら降りる」
「……解ったわ」
 面倒くさいが背に腹は代えられない。
 承諾するとクロは至極あっさりと掛け布団から降りて、錫の手が届く程度の距離に離れて横になった。
 頭を撫でてやるとクロはゴロゴロと喉を鳴らす。
「あんた私よりも年上なんだよね……」
「だけど猫だ」
 顎を上げる。どうやら顎を撫でろという事らしい。生意気だ、と錫はやや強めに撫でるとクロは咽喉をゴロゴロと鳴らした。
結局、こうやって構ってしまうのは毎度の事だ。そして構えと言ったくせに先に寝るのもだいたいクロの方である。
例によって今日もクロは先に眠ってしまった。
「クロ」
 呼んでみる。耳だけ錫の方に向いたが他には全く反応を示さずにクロは寝てしまっている。
 このまま起きていても時間の無駄であるし、なにより学校なのに起きられないという事態になったら目も当てられないので、錫は素直に寝る事に決めて布団の中で丸くなる。
 そして瞼を閉じると、そのまままどろみの世界に真っ直ぐに落ちていった。

   クロ/

「猫には猫の義務がある」
 錫にはそう言った。
 そしてそれは間違いではない。人間には人間の仕事があるように、猫には猫の仕事がある。
 錫の家の屋根の上で座りながら、クロは遠くの方を眺めていた。
 無論、人型ではなく猫の姿でだ。人間の姿で屋根の上に座っていたら変質者として通報されてしまう。
 チリンチリンと音がしたので屋根の下を見ると、錫が自転車に乗っている姿が見えた。どうやら学校は終わったらしい。
 錫は前に住んでいた家の主の孫娘だ。黒くて長い髪は綺麗だし、顔も整っているが取り立てて突出したものはなく、そういった意味では〝普通の女子高生〟なのだろう。
 それでもクロにとって、彼女は大切な存在だった。
 理由は様々であるが最たるものは見守ってきた年月だろう。
 クロは錫よりもずっと長生きだ。錫が生まれた時から彼女の事を知っているし、彼女の成長も間近で見てきた。だから大切に想うのも当たり前なのだ。
 少なくともクロはそう思っていた。
「?」
 ふと、空気の中に異物なモノが混じっているのを感じ取り、クロは顔を上げて視線を錫から地平線の彼方に移す。
 酷く歪な臭いだ。
 動物特有の獣臭さでもなければ、人間の体臭でもない。無機物の発する奇妙な臭いとも異なるし、魚類のような生臭さでもない。
 とても、嫌な臭いだ。
 クロは思わず顔を顰めた。
 この臭いは好きではない。否、臭いそのものよりも、この臭いがしてくるという状態が好きではない。
 この臭いはいわば「問題あり」の合図であり、これから何か面倒くさい事が起こる事の前兆である。
「面倒くさいなぁ」
 クロは呟いた。
 しかし対処しなければもっと面倒くさい事になる。
 本来であれば錫の家の屋根でぬくぬくと日向ぼっこする予定であったのだが、どうやらその予定は捨てなければならないようだ。
「猫には猫の義務がある」
 その義務を、今まさに果たさねばならない時なのだ。
 例え面倒くさくとも、やりたくなくともやらねばならない。
 義務というのはそういうものだ。

   *

「錫、最近変わった噂を聞かない?」
 今朝方、クロは錫にそう訊いた。
 錫は学校にいく準備をしながら片眉を吊り上げると幾つかの噂を教える。不満もなければ、不思議でもなかっただろう。クロが近隣の噂を訊くのが毎日の事であるからだ。
「噂ってわけじゃないけど」
 少し悩んでから錫は言う。
「新聞とかで最近虎みたいなのが人襲っているって話あるじゃん?」
「そうなの?」
「ニュースとかでやってるよ。なんかその虎みたいなのを学校近くで見たって人がいてさ。まぁー嘘だとは思うけど」
「他には?」
「変質者が出たらしいよ。フード深く被ってるステレオタイプ。世の中怖くなったね」
 ふーん、とクロは気の抜けた返事をした。
 その時は全く面白みのない、噂と言っていいのか悩むような話でしかなかったからだ。
 しかし感知した臭いから鑑みるに、どうやら面白おかしい噂話の類ではなかったらしい。
 現にいま、噂の元となったモノが目の前に立っている。
 それは端から見ると人間の姿をしていた。
 真っ白い髪の毛とやはり同様に真っ白な顔をフードで隠し、腰を低くして猫背気味で立っている。ソレはクロの顔を見ると歯を剥き出してグルルルと唸り声を上げた。
「念の為に言っておくけど」
 ポケットに手を入れながらクロは裏路地の塀の上から眼下で唸っているソレを見下ろす。
「ここはボクのテリトリーだから出て行ってくれないかな」
 猫は縄張りを持っている。それはクロにも変わりはない。人間的な視点も持ち合わせているクロにとってはテリトリーに他の猫が入ってくる事に抵抗はなかったが、それも相手による。特に平然と土足で上がり込んで狩りをしているような不躾な相手であれば尚更だ。
 眼下のソレはクロの言葉に反応しない。ただ敵意を剥き出しにして唸っているだけだ。
「人語も解せないのか」
 口をへの字に曲げ、不快感を露わにクロは呟く。
 その言葉は解らなかったようであるが、しかしクロが不快感を表したという事は理解したのだろう。歯を剥きだしにしたかと思った瞬間、男の姿をしていたソレは巨大な真っ白い猫へと変貌した。
 牙を剥き出し、尾が二つに割れた姿は化け猫と呼ぶに相応しい。
 しかしクロは眉一つ動かさずに塀から降りると、白い化け猫の前に立った。
 シャーッと化け猫が鳴き声を上げる。対照的にクロは冷ややかだ。ただ冷たい視線を向けたまま、化け猫へと歩み寄っていく。
 端から見れば無謀な行為だ。
 何しろクロは少女のような華奢な身体であり、対照的に化け猫の方は獅子並みの巨躯を誇っている。
 いざ戦えば肉片になるのはクロの方である筈だ。
 しかしクロは冷静そのもので化け猫へと近付いていく。
 化け猫が飛び掛かる。
 鮮血。
 狭い裏路地に真っ赤な液体と肉の塊が飛び散り、一瞬にして血の海が顕現する。
 その血の海の中央で、右手を巨大な異形と化したクロが真っ赤に染まりながら立っていた。足元には真っ二つに別れた、かつて化け猫であった肉の塊。
 クロは右手を振るって血を払うと、グッと右手のひらを握った。途端に今まで異形であった手は元の人間の手に戻る。
「年季が違うんだよ」
 侮蔑も露わにクロはかつて化け猫だったものに言い捨てると、猫の姿になってから塀の上に昇り、ニャアッと鳴いてから裏路地から去っていった。

       

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