Neetel Inside ニートノベル
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――数日後の日曜、駅前の喫茶店で紅茶を啜る横山の隣に一人の男が座っていた。横山が住むマンションの近所に住んでいる通称、猫飼い。チラ見スタとして活動する横山に憧れる一人だという。

《横山君とは通いつけの居酒屋で知り合って。最初は犯罪一歩手前の事やってるやばい人だと思ってたんだけど(笑い)。実際やってみると奥が深いね。チラ見》

 猫飼いは数年前から横山と一緒にこの駅で若い女性のチラ見をする仲だという。喫茶店を出ると一人ひとり別々に行動し、戻ってきてはここで結果報告をする。

《ちなみにご家族は?》

《学生時代に知り合った相手と結婚して娘がふたり。会社ではそれなりの地位を得て部下も何人か居るよ(プライバシー保護のためモザイク処理を加え、音声は変えています)。チラ見は一種のスポーツ感覚だよね。週末の運動(笑い)。ストレス解消になるし、勝負勘も磨かれる》

 インタビューに答える猫飼いを見て微笑む横山。そんな彼の前に若い男二人組みが姿を現した。

《今日はよろしくっす》

「どうも。こちらこそ」

《荷物こっちでいいっすか?》

 席に着いてコーヒーを注文するその男達。聞く話によると彼らは地方の大学に通うかたわら、ユーチューバーとして活動しており、番組で取り上げていた横山の動画を見たという。

 我々は名義上、彼ら二人を背が低く頭にニットを被る男をトビとし、青いスカジャンを着た短髪の男をトラと呼ぶことにした。トビがカメラに向かって指を向けて話し始めた。

《動画見て驚きましたよー。まさか自分らがやろうとしてる馬鹿げた事に先駆者がいるだなんて。今日は勉強させて頂きます。先輩》

「いや、いや。そういうのいいから。座って」

 立ち上がって大げさに頭を下げたトビを見て横山が席を立った。トラが口に咥えた煙草に火を着けた。横山は煙草を吸わない。衣服に煙草の臭いが付いてしまうのが、嫌だという。

「俺は女性にとって煙でありたい、なんてね。それに駆け出しの頃は臭いでバレちゃう事が多かった」

 窓際で腕を組んで今日現れた二人を眺める横山。今回彼らの呼びかけにより、番組では横山に対決を持ちかけた。

 この日駅近くの会場で若い女性に向けたファッションイベントが開かれており、その帰りで訪れた女性達をどちらが上手くチラ見出来るかを競う。場所は駅に向かう商店街の一角。

 新旧チラ見ストの誇りを賭けた戦いがここに切って落とされた。

「若い人が自分の映像を見て色んな事を感じて貰えるのは嬉しい事。でもそれが良い方向に受け止めて貰える事は少ないね。残念ながら」


――時刻は16:00。イベントが終わり会場から駅を目指して色めいた洋服を身に纏った女性達が歩いてきた。この日は春先だが気温が高く、下着の上にシャツを羽織っただけの大胆な装いの女性も多数見受けられた。

《オレが行きます》

 先頭バッターはトビ。商店街の入り口に並んだ横山と猫飼いの表情が引き締まる。トビはターゲットを見つけると対向する人たちをすり抜けながらその黄色いシャツを羽織った女性目がけて進んでいく。

 その女性はファッショントレンドになっているロックテイストのキャップを被り、襟を立てた薄手の長袖シャツのボタンは全て開けられ、小ぶりだが美しく揺れる彼女の象徴となった谷間があらわになっている。

《アレは難しい。携帯いじってないもんね。それに気が強そうだ》

 猫飼いが顎ひげを親指の腹でなでながらトビの動向を見守る。緊張の一瞬。黄色いシャツとすれ違ったトビが目を大きく見開いてこちら側に右手を振り上げた。

「駄目だあれは。ぜんぜんダメ」

 苦笑いを浮かべて首を振る横山。黄色いシャツの女性はトビが胸を見たことに気付いていない様子。では一体何が、横山の中ではダメだったのだろう。


コォォォン..『サードアイ(第三者の目)』


 さっきのトビの行動をVTRで見てみよう。周りの雑踏を上手くすり抜け、気配を消したまま女性とすれ違うその一瞬に揺れる胸を注視。いわゆる模範的なチラ見である。

 だが横山はこの後にトビが犯したミステイクあるという。

「ほら、ここ。通り過ぎて少し経った後。彼女の知り合いが肩を叩いて彼女に何か知らせてる」

 横山が説明をしているその時、トビがチラ見した女性が我々スタッフとすれ違った。思わず目を疑った。彼女は胸元のボタンを上まで全て閉じていた。振り返って横山が話を続ける。

「(緊張から開放された安心感で)こっちに向かってガッツポーズしたでしょ。こういうのは本当に良くない。せっかくこっそりおっぱい見れたのに自分からバラしているようなもんだからさ。
チラ見にだってマナーがある。それに女性の胸は男の心の給水所。悦びはみんなでシェアしないといけない」

《どうでした?オレのチラ見?》

 達成感のある顔をしてトビが我々の元に戻ってきた。《ぜんぜんダメだってさ》横山の言葉を借りた猫飼いが彼を迎え入れる。

《次は俺が行きますよ》

 人ごみの中でも一際目を引く風貌のトラが仲間の後に続いた。「大丈夫かな」歩き出すトラの背中の刺繍に目を落とした後、横山は辺りを見渡した。この日は要所に並べられた警官の数が多い。

 テロ対象国となり数年後にオリンピックを控えている日本。人々の安全を守るため有事の際には多くの警官達が街を見張る。今までと比べてより強固となった警備を敷かれた中でチラ見スト達は思い出を積み上げていかなければならなくなった。

《ちょっと、何!?》

 突然響いた女性の大声。我々は先を歩いていたトラの姿を探す。《ちげぇし!見てねぇって!》彼は振り返り女性に向かって身の潔白を晴らすように両腕を広げて声を張り上げている。近くに立った警官のレシーバーの声をマイクが拾った。

《こちら商店街入り口。男が女性に向かって大声をあげている。対応よろしく》

《待てって!何もしてねぇって!離せや!》

「まずいことになった。失敗した」

 その場から無関係だという風に歩き出す横山と猫飼いの二人。人集りのできた商店街に警官複数に取り押さえられたトラの声が響き渡る。

「まぁ法律がその、女性にとって有利過ぎるよね。こっちは別に触った訳じゃなくても相手からしたら性的な目で見られたって訴えられるしさ。こっちだってタダでおっぱいが見られるわけじゃない。なんだってリスクはあるよ、それは」

 ある意味、特別な性的嗜好を持つ男性の趣味と思われたおっぱいのチラ見。その実態には社会的に糾弾されるといったこのような危険性も孕んでいる。


 先程まで居た喫茶店に戻って来た四人。警官から釈放されたトラが席に着くなり、顔を両手で覆って膝をついて俯いた。

《これ、モザイク入ってますよね?》

 番組スタッフに何度も確認のため尋ねるトビ。同じ大学に通う仲間を思っての行動。しかし彼らの悪行は皮肉にもこの後に活動していたユーチューブで裁かれる事となった。

《そんなに落ち込む事ないよ。ただあの場で女性にキレちゃったのはね。あのままやり過ごす事だって出来たはずだよね?どうして突っかかって行っちゃったの?》

 柔らかい口調で猫飼いがトラに尋ねる。トラは掌で顔を擦るばかりでその問いには答えなかった。後に彼はユーチューバーとして活動する自分のチャンネルで《田舎から都会に来て傷跡を残したかった》と語っている。

 苛立ちを堪えた横山が彼ら二人のチラ見を総括するように厳しい口調で告げた。

「やっぱりそんなに甘い世界じゃないよ。こっちは18で東京出てきて20年続けてるんだ。目立とうとしてやってたらダメ。もっと女性に見せてもらう事に対して謙虚にならなきゃ」

 その瞬間、トラが荷物を抱えて立ち上がり、トビを連れてその場から歩き出した。そして入り口の前で振り返ると横山に向かって声を張り上げた。

「世の中のゴミが偉そうに説教しやがって。きめぇんだよ、この中年童貞!」

 騒然となる店内。残された店内で横山はカップの飲み物を飲み干して一度だけ伸びをするように顔を歪めて呻いた。


「やっぱり上手く行かなくて(彼も)悔しかっただと思う。あんな大勢の前でチラ見して捕まったなんて言ったら恥ずかしくて(地元に)帰れないよね。家族もみんな大変だ」

 マンションへの帰り道。番組スタッフのひとりが彼と並んでインタビューを続けていた。いつもと変わらないトーンで語る横山。だがその足取りはどこか力なかった。

「そうだ、トイレの紙が無い。帰りにコンビ二寄らなくちゃ。そこの交差点でさよなら」

 信号が青になりスタッフと別れて歩き出す横山。歩道の真ん中で胸元を露出した若い女性とすれ違った。女性はすぐにバッグから防犯ブザーと取り出すと、怪訝そうな顔で横山の姿を振り返った。

「世の中のゴミ、か」

 去り際に彼が残した一言。これまでに何度も女性の胸を見続けてきた横山の瞳からその魔力が消えていた。

       

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