うちの店の宣伝やら客引きやらを、アンタにしてもらいたいんだ。
「………………はあ?」
茶の席でトーチが仕事内容をかいつまんで話すと、チギリは心底期待はずれといった顔をした。生きる価値がない虫を見下ろすような目だ。トーチの見た目が威圧的な竜人族でなければ、一笑ならぬ、一閃に付されていたかもしれない。
「だから、うちの店でその、看板娘を……」
「冗談じゃありませんよ」
少し縮こまって言うトーチを、チギリは一蹴する。
「看板娘? 誰がそんなもの引き受けるっていうんですか。私がさっき何をしたのか見ていなかったんですか? 猛獣を切り捨てたんですよ? その私に対して看板娘の仕事を寄越すなんて、気が動転しているか狂っているかとしか思えません」
「えらく自分の腕に自信があるんだな」
「当然です」
チギリは漆塗りの鞘を撫で、ふふんと誇らしげに笑う。
「あなたは知らないかもしれませんが、こう見えても私は女子にして免許皆伝とも言われた身。熊や虎程度なら敵ではありません。ひとたび刀を振るえば、千の軍人が地に頭を付けて命乞いすることでしょう」
「そいつはまた、大きく出たもんだ」
エドマチと言ったか。彼の地で戦を経験しているのかもしれない。確かに看板娘の仕事を依頼するのは筋違いな気もしてきた。
しかしトーチは諦めきれない。腕が立つ以上に、チギリは衆目麗しい所謂“美少女”の類にあると言える。その証拠に今でさえ通りがかる冒険者(もちろん主に男)がチギリのことをしきりに気にしている。チギリが看板娘を務めてくれれば、百人力であることは間違いないのだが。
「本当にやってみる気はないか? 案外楽しいものかもしれないぞ」
「結構です。試してみる価値もありません。全く、無駄な時間を使いました」
チギリは立ち上がると、それ以上言葉を残すこともなく――付け加えれば茶代を支払うこともなく――トーチを残してさっさと歩き去ってしまった。
「……振り出しに戻っちまったな」
さてどうするか。
絶望的な状況には変わりなかったが、トーチはどこか上機嫌に空を見上げて呟いた。名前も知らない鳥が甲高い声で鳴いていた。
「ですから、仕事を探しているのです。用心棒の」
「お嬢ちゃんが用心棒? はは、冗談きついよ」
「お嬢ちゃんではありません! ほら、見てください! 立派な刀だってあるんです! 仕事を務め上げられる自信は十二分にあります」
「おー、良い業物だね。エドマチ製? 大事に飾っておくと良いよ。何なら、高く買い取ってくれる質屋でも紹介してあげようか」
「ですから、話を……」
「そこまで言うなら良い話をしてあげよう、お嬢ちゃん」
「用心棒とかそういう仕事はな、あるにはあるが……結局のところは金持ちの道楽なんだよ。奥地まで薬草を取りに行きたいから同伴してほしい、なんて依頼はもうてんで見かけねえ。そんなことするくらいならハナから冒険者に頼むか、そもそも市場で買うかしているだろうからな」
「そ、そんな……」
「用心棒の仕事を紹介できたとしても、言った通り今じゃただの道楽、金持ちのポーズみたいなもんだ。戦争のまっただ中ってわけでもねえからな。それでも請け負うには、屈強な身体と腕前が必要になる。お嬢ちゃんの様子じゃ、どう足掻いても屈強とは言えないから、紹介は無理だねえ」
ぶふぅと煙草の煙が立ち昇る。男はやんわりとチギリの頼みを断ったつもりだったが、俯くチギリの両手はわなわなと震えていた。
「――――私が女だからですか」
「ん? あー、まあ、平たく言えばそういう……」
「つまりそれは、貴様も私を見下しているということか!」
途端、チギリは血相を変えて男に食って掛かる。周囲が俄にざわついた。
「おう!? いきなり何だ!?」
「女であれば腕は立たない! 女であるから用心棒にはならない! 貴様もそういう思想の持ち主か! 私が嫌悪する人種と同じ思考回路の生き物か!」
チギリの眼から歳相応の少女性は抜け落ち、
その代わりに、親でも殺されたかのような怒りが浮かび上がっていた。
「貴様も同じか! そうして椅子の上から私のことを、ただのガキだ女だと見下ろしているのか!」
「お、おい! このガキつまみ出せ! 早く」
「私は、私は……!」
程なく現れた警備兵がチギリの両肩を掴み、引き剥がす。
怒気に満ちた言葉とは裏腹に、鋭く細められた目元には涙が溜まっていた。
「私は、ただ…………!」
仕事がほしいだけなのに。
一人で生きていきたい、だけなのに。
とうとう、その言葉が届くことはなかった。
○
お縄にかかったものの、大した被害も与えてないということから無罪放免となったチギリは、暮れ始めた陽が落とす長い影を引きずって歩いていた。
このミシュガルドには昼間やって来たばかりだ。宿どころか、頼れるものなんて何もない。本当なら明るいうちに仕事を見つけて、十分な報酬をもらって、今頃は美味しいご飯にありついて、暇だからとミシュガルドの観光でもしているはずだった。
未踏の地であれば、差別なんてないものだと思っていた。「女だから」という理由で断られることなんてないと思っていた。あまつさえミシュガルドはまだまだ発展途上の土地。仕事なんて勝手に舞い込んでくるものだと考えていた。
現実はかつて住んでいたエドマチと変わらない。女性差別は同じように根付いている上に、魔物退治の仕事でさえも、年端もいかぬ少女というだけの理由で門前払いに近い扱いを受けた。受けられたのは、せいぜい雑魚モンスターの討伐くらい。晩飯の足しにもならなかった。
『お前が女であるから、この奥義は伝授できんのだ』
もはや、縁を切ったも同然の父親の言葉が頭をよぎる。
「口を開けば女、女、女。女であることの何が悪いというのですか」
女だって用心棒はできる。護衛となりうる。それなのにどうして皆、本質を見極める前に断るのか。試してみてからでも遅くはないのではないか。この大陸もエドマチのように腐ってしまっているのか。
考えは湯水のように尽きることなく浮かんできたが、ともかく。
「……おなかが、すいた」
今はそのことで頭がいっぱいだった。
大した手持ち金もないまま船に乗り込み、着の身着のままでミシュガルドへやって来たのだ。ここ三日ほどはまともな食事を口にしていない。ドブネズミやらを捕まえて焼いて食うのはさすがに嫌だった。だから少しでも稼ぎたかったのだが、今持っている報酬金すべてを合わせても、味のないスープが飲めるかどうかだった。それほどチギリは低く見られていたのだ。
何を見ていたんだ、民衆は。
あの猛獣をぶった斬ったのは私なんだぞ。
その私が、どうして仕事を受けるのに力不足だと言うんだ。
心底嫌気が差す。女に生まれたことを今まで何度も呪ってきたが、その思いがいっそう強くなった。どうして女に生まれたというだけで、ここまで理不尽な扱いを受けないといけないのか。どうして、女というだけで……――――
「ああ、ダメだ」
ふらふら歩いていたチギリは、とうとう倒れこむ。もはやここまで、立ち上がる気力もなかった。かくなる上は、こうして倒れているところを裕福な人間に拾ってもらうしか手立てはない。
そう、チギリが半ば投げやり気味に運命に身を任せた時の事だった。
どこからか漂ってくる、香ばしい香り。
脳内に電気が走る錯覚に襲われ、チギリはつぶりかけていた目をカッと開く。
――――“メシ”の匂いだ。
本能的にそう感じ取り、チギリは力の抜けた身体を奮い起こすと、匂いの出どころと思しき店の前までチギリ足――もとい千鳥足でたどり着く。
もう、ご飯があるところならなんでも良い。転がり込んでなんとかご飯にありつければそれでいい。
妙な名前の店だなと思いながら、チギリは我慢できずにその門をたたく。
中からは「おう、入ってきな」と元気のいい声が聞こえたので、チギリは仔鹿のように震える手でそろりと開いた。
そして――――
「あ! 昼間の意気地なし竜人族!」
「あ! ハムスター狩りのエドマチ娘!」
互いに指差し、叫び合う。
チギリが彷徨の末にたどり着いたのは――他でもない『炭火火竜』だった。