Neetel Inside ニートノベル
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 朝を告げる鐘の音は、商いが始まる合図。
 大交易所は名前の通り、港と併設しているために交易が盛んだ。甲皇国やアルフヘイム以外からも多くの船が訪れるため、太陽が一番高くなる頃合いには多くの旅行客、冒険者で賑わうことが多い。そう考えると昨日は人が少ない方だったんだなと、トーチは朝市を回りながら考える。
 朝は勝負の時間だ。大通りに開かれている朝市には新鮮な食材も数多く並んでいる。珍しいものを格安で売っていることも珍しくはないので、トーチはここぞとばかりに目を光らせる(そのせいで少し怖がられる)。
 懐に余裕がある飯屋なら、余裕を持って専属の取引先とやりくりしていればいいのだが、『炭火火竜』はそうではない。貧乏も貧乏、日々生きていくだけでも精一杯だ。なのでまずはこうして市場を周り、“お得意様”を作ってお得に買い物を済ませる必要がある。
「ランプソウがあればと思ったが、どうもなさそうだな……」
 ランプソウというのは一年草の一種だが、球根部分は芋の代用、根っこは粉末状にすれば辛味のきいたスパイスとして使える万能素材だ。
 肉との相性もバッチリなので見かけるたびに仕入れているのだが、今日はどこにも見かけない。こういったことは度々ある。専門の農家もいるという話は聞くが、それこそお得意様になって掛けあわなければならない。
「まあ、これだけ仕入れられれば十分か」
 大きなグレリオ豚一頭分を肩に抱えながら、トーチは店へと戻っていく。
 通りすがる人々はその姿を見かけながら、一意に同じ考えを浮かべていた。
 ――それ、そうやって運ぶもんじゃねえよ、と。


「………………」
『炭火火竜』はランチ営業から始まるので、店を開けるのは昼からとなる。今からは食材の仕込みやら何やらをする必要があって、当然まだ開いていない店にお客など居るはずもないのだが。
「らっしゃーせー」
 今日は気の抜けた声が、『炭火火竜』の前に居座っていた。
「いかがですかー、とってもおいしい肉、いかがですかー」
「……まだ店は開けてないぞ」
「おや、これはこれは、おはようございますトーチさん」
 声の正体、猪鹿蝶チギリは態とらしく身を正して、トーチと向き合う。
 チギリは相も変わらず季節の文様が施された着物に刀を一本携えていて、まあ、見ようによっては用心棒に見えなくもなかった。が、それもグレリオ豚を抱えたトーチが並ぶとまるで効果がなくなる。どっちが用心棒なのか分からないほどだ。
「まだ開店までは三時間近くある。俺はこれから仕込みをせにゃならんから、そこをどいてくれ」
「む、そうですか。まあいいでしょう」
 チギリは道を開けると、同時に狡っぽく微笑んだ。
「いやあ疲れましたよ。看板娘ってのも楽じゃないですね。こうやってずっと呼びこみをしていないといけないんですから。というわけで、それに見合った分の食事を私は要求します」
「あのな……」
「嫌だというなら、仕事はお断りしますよ」
 呆れた様子のトーチを余所に、チギリはふふんと調子めいて言う。
「看板娘が必要なのでしょう? 食事さえ提供していただければ、見事お役目を果たしてみせるのですが、もしかして不要でしょうか? ん?」
「いや、そういうわけじゃないが……この時間に客寄せしても……」
「文句があるというなら、私はちゃっちゃと帰りますよ」
「どこにだ。帰るところないだろお前」
「……どこかに帰ります」
 強情だな、とトーチは溜め息を吐く。
 チギリは一宿一飯の恩義と言って、看板娘の仕事をやらせてくれとトーチに言ってきたのだ。
 トーチとしては願ってもない提案だったので快く受け入れたのだが、どうもチギリは文字通り“味をしめて”いるらしく、事あるごとに飯を食わせろ、飯を食わせろとしつこく言い寄ってくるのだ。飯屋としては冥利に尽きる言葉だった。
「そうか。んじゃ、帰るのならもうアレを作る必要はないな」
 同時に、トーチはチギリの弱点も握っていた。
「……アレ?」
「キビダンゴモドキだよ。材料も不足しがちだし、もう作らなくても……」
「なっ、何を言っているんですか!」
 その単語を口にした途端、踵を返し始めていたチギリがあっという間にトーチの目の前にまで詰め寄ってきた。
 頬はかすかに紅潮し、狡猾さに満ちていた両目は興奮でみなぎっている。
「アレを作らないってことがどういうことか分かっているんですか!? この世の終わりですよ!? 甲皇国とアルフヘイムの停戦以上に衝撃的な事件ですよ!? いいですか、この世界において甘味の存在というものは偉大で……」
「分かった分かった、飯もキビダンゴも食わせてやるから手伝ってくれ」
「い、言いましたね!? 絶対ですよ!?」
 猪鹿蝶チギリは、甘いものに弱い。トーチがあの夜に食後のおやつとしてキビダンゴモドキを出した時に知ったことだった。
 とはいえ、モドキというように完璧な代物ではない。原材料も何も知らず、味の感覚だけで作っているので仕方のないことだ。どれだけ精巧に作っても、あの日エイルゥに貰って食べたキビダンゴにはどうしても近づけなかった。材料となるものを知らないかぎりは、限りなく本物に近い偽物を作り続けるしかないのだ。
「なあチギリ。お前、キビダンゴの材料って知ってるか?」
「さあ。吉備の辺りで作られていたお団子じゃないんでしょうか」
 エドマチ出身で甘味好きのチギリに聞いてもこの始末だ。手がかりは皆無に等しく、暗闇の中を手探りで彷徨っている感覚に近い。
 少し前なら、戦時中のトーチなら「仕方ない」と簡単に諦めていたかもしれなかった。見限りをつけるのが早かったのだ。
 だが、今はそうじゃない。
「早く本物のキビダンゴを完成させてくださいよ。じゃないとこんな飽き飽きする看板娘なんてやめちゃいますよ」
「その場合、完成しても食えなくなるが、いいんだな?」
「……早く完成させてください、お願いします」
 俺の飯を、毎日のように平らげていく謎の男がいる。
 俺の飯を、作るものの完成を待ち望んでくれている異国の少女がいる。
 それだけで、トーチは救われたような気分になっているのだった。
 誰かに期待されるというのは、存外悪い気分ではなかった。元々は、困っている人を救おうとして始めた飯屋なのに、気づけばトーチ自身も救われていたのだ。
「情けは人のためならず、っていうのかねえ」
 いつかエドマチの文献で知った言葉を、トーチは諳んじる。
 照りつけ始めた太陽は、今日も暑くなるだろうことを予感させた。
「何をしているんですかトーチ。さっさと食事の準備を始めますよ」
「食事もだが、まずは仕込みだな」
「不可能です。空腹で死にます、私」
「……分かった分かった」
 食い意地の張ったチギリを横目で見て、呆れた声で笑いながらも、トーチはどこか嬉しそうに仕事へとりかかるのだった。
 天高く、陽は昇る。
 今日は『炭火火竜』の初めての従業員がやって来た、記念すべき日。この日を境に、『炭火火竜』はお客で溢れ、トーチの望む賑やかな飯屋へと発展していくはずなのだが――――





「竜人族が、飯屋を、ねえ?」

 安寧の日々は、そう長く続きそうにもない。



 第一話「増やせお客」完

       

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