Neetel Inside ニートノベル
表紙

メシガルド 竜人食堂奮闘記
第一話「増やせお客」

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 ミシュガルド南部にある大交易所は来訪する冒険者の多くが、ミシュガルドに来てほぼ最初に訪れる場所。
 はじめは停戦状態にある甲皇国とアルフヘイム、強大な財力を持つ商業連合国SHW(スーパーハローワーク)が協力して作り上げた施設であったが、冒険者たちのが様々な店を構えたことにより、今ではミシュガルドきっての交易都市として栄えている。厳重な警備が敷かれているため紛争まがいの事件が頻発することもなく、多くの人々は旅行感覚でこの交易所に訪れ、のんびりとした調子で暮らしていた。
 が――――
「……おかしい」
 彼に関しては、その限りではないようだった。
 交易所を貫くメインストリートの端。
 鍛冶屋を思わせる、豪快な石造りの飯屋『炭火火竜サラマンドル』の中で。
 店主のトーチは、煙の昇らない煙突の代わりに溜め息を吐いていた。
「飯屋を開いたはいいが、客が来ん」
 戦争が終わり、ミシュガルドへと渡ったトーチは、仲間の手を借りて早速飯屋を構えた。
 外装は大陸の奥地で見つけた頑丈な岩を用いているので、多少のことではびくともしない。内装はアルフヘイムの酒場を想像したうえで、香辛料の実がなる樹を材木として使用しているため、一歩踏み入れれば即座に空腹が駆り立てられる香りで満ちている。随所に見本として並べてある食材(のレプリカ)も、『炭火火竜』のレパートリーの多さを示すものとして申し分ない。もちろん肝心の料理も、竜人族ならではの巧みな炎捌き(?)による肉汁たっぷりのステーキから、内地で取れた珍しいフルーツの盛り合わせまで、多種多様に富んでいる。
 すべて、ミシュガルドを訪れたトーチとその仲間がが三ヶ月かけて集めた技術・情報を総結集させており、これだけ魅力的な要素が揃っていれば、客が集まるのは間違いなかった。
 さあ、どんと来い冒険者諸君。この俺が腹いっぱい食わせてやろう!
 トーチはそんな思いで最初の一ヶ月を過ごした。
 最初の一ヶ月は主に仲間の竜人族が休憩所として利用していた。これはこれで悪くなかったが、仲間の竜人族以外は全く立ち寄らなかった。きっと竜人族ばかりがいると入りづらいのだろう。トーチは仲間に「他の店のリサーチを頼む」と婉曲的に竜人族を店から遠ざけることで対策をとった。
 次の一ヶ月は反省した。近くの店から苦情が来たのだ。原因は横に広がりすぎる煙突の煙だった。店の場所がよく分かるようにと設置したものだったが、泣く泣く止めることにした。煙突はオブジェとなった煙を出さずに済む方法は分からなかったため、最寄りの書店でトーチはひたすら書物を読み漁った。知識も増え、これでこんどこそ間違いなく客が集まると考えた。
 次の一ヶ月は疑問だった。相変わらず客の集まりが悪かったため、オーチは自ら店頭に立って宣伝を行ったのだ。書物に書いてあった。いくら質が良くても、宣伝・広報が弱けりゃ客は来ない、なるほど、とトーチは店の前に立った。
「いらっしゃい! 美味いメシに美味い酒! この『炭火火竜』ならその全てを用意済みだ! お、どうだいそこの兄ちゃん? うちでメシ食っていかないかい?」
 全力で避けられた。それどころか警備隊を思しき連中まで呼ばれる始末だった。悪意がないことを伝えると去っていったが、ますます客は寄りつかなくなった。気づけば、仲間の竜人族たちも他に良い店を見つけたのか、『炭火火竜』には来なくなった。トーチは自分の発言を恨んでいた。
 そうして、店を構えて、かれこれ半年が過ぎようとしているが、『炭火火竜』は今だに客が全くやってこない状況を覆せずにいた。
「飯屋を開いたはいいが、客が来ん」
 愚痴ばかりが増えるようになり、ミシュガルドにやって来た当時のトーチの明るい顔はなかなか見られなくなっていた。
「なぜだ……なぜなんだ。俺はただ、美味いメシを食ってほしいだけなのに」
「なぜって、そんなもんちぃーっと考えれば分かるだろ」
 そんな『炭火火竜』の貴重な常連客であるラークは、グレリオ豚の丸焼きにかぶりつきながら節操なくしゃべる。
「まず外装。飯屋には見えん。『炭火火竜』って字面も相まって、どっちかっつーと鍛冶屋ってとこだな。んで中身。マルカンの木の香りは悪くないけど……多くの人間にとってはよろしくない匂いだろうな。人を焼いた匂いに近い」
「人を焼いたことがあるのか、お前は」
「あるよ。こう見えても軍事関係者だからね。だからこの店の匂いを嗅ぐと、顔に刻まれた紋章がうずくのさ」
「うずくって、その変な模様が? メイクなのにか?」
「おいおいそれは言わない約束だろ。まあいいか」
 ラークは洒脱した様子で笑い、話を続ける。
「んで、この『炭火火竜』が人気のない、もっともな理由。それは――」
 ぶちっと噛み切り、一言。
「トーチ、お前がデカくて怖いからだ!」
「がが――――――ん!」
 トーチは分かりやすくうなだれ、地面に膝をつく。
 その体勢になっても、椅子に座るラークとは大して身長が変わらない。
 トーチの身の丈は二メートルとんで三〇センチ。自分より背の低い生き物は同じ竜人族のレドフィンくらいしか見たことがない。で、竜人族ということもあり特徴的な太い腕、牙の並んだ顔、紅く光る双眸も健在だ。手の爪などは、並の人間の眼球なら容易に突き破れそうなほど鋭く光っている。
 まあ、簡単に言うと怖い。威圧感があるのだ。
 竜人族の中で育ち、他の種族と深くかかわらずに生きていたトーチにとっては、自分がデカくて怖いというのは信じがたい事実だった。
 確かに、仲間と比べても上背は高いが……。
「そ、それが客が来ないって理由には」
「なるね。断言できる。軍属の俺だって初めて入った時はションベンチビるかと思った。どっかのダンジョンのボス部屋にでも入った気分だよ」
 おくびもなくラークは言い放つ。
「あと睨むような顔もよくない。もうちょっと笑ってみろよトーチ」
「こ、こうか?」
 にちゃあ……
 どう見ても獲物を見つけた竜の様相であった。
「かなり重症だな。こうなりゃ他のところで対策を考えるしかない」
「他って、これ以上何をすればいいんだ。メシも最高のものを揃えた。店舗自体だって……俺にとっては最高品質だ。これ以上は改良しようがない」
「ふむ……」
 ラークはしばらく顎に手を当てて考えたあと、言葉を口に出す。
「極東の島国・エドマチの話を知っているか?」
「エドマチ……行ったことはないが、少し前に話だけは聞いたことがある」
「俺だって行ったことはないさ。でも、同じように話は聞いている。卓越した技術を持ちながら、長らく国を閉じているために進化が止まっている国だ」
「進化が? どうして?」
「新しい物を取り入れないんだから、当然さ」
 トーチの疑問符に、ラークは頷いて答える。
「現に、エドマチの中でも外国と交易のある一部の地域は、エドマチ全体とくらべて格段に技術が発達してるって話だ。面白い話だと思わないか、トーチ?」
「……?」
「つまりだな」話しながらつまんでいたグレリオ豚を食べ終え、ラークは咳払いしながら口元を紙エプロンで拭く。「この店にも、新しい時代の風を吹かせようって話だ」
「新しいって言っても、一体どんな……」
「もう一つだけ聞こう」
 ラークは指を立てる。
「戦争を経験したなら、トーチは奴隷文化を知っているな」
「ああ……エルフを飼いならして嗜好品として扱うっていう」
「そうそう。今じゃ規制されてなかなか見かけなくなったが、その代用品として新しい文化が流行っているんんだよ。それが貴族でいう“メイド”だ」
「召し使いみたいなもんか?」
「古臭い言い回しをするとそうなる。最近じゃ酒場とかでもメイドみたいなのは珍しくなくなってきてる。貴族の間でしか働いていなかったメイドたちが戦争が終わってミシュガルドに来て、自ずと働き始めたせいだな。それによって更に新しい文化が生まれていることを、俺のレーダーは探知している」
「……その文化ってのは、何なんだ?」
 話の要点を察知し、問いかけるトーチ。
 ラークは密会でもするように、にやりと嫌らしい笑みを浮かべていたが、その軽そうな口から飛び出したのは同じく軽い一言だった。
「――――“看板娘”だよ、トーチ」

     

「……看板娘?」
「いうなれば店の顔だよ、トーチ」
 ラークは懐から取り出した羊皮紙に、簡易的なメイド服少女をさらさらと描く。メイドと言うには少しフリフリした格好だな、とトーチは思った。
「なかなか上手いな」
「メイクばっかしてたら器用になってね。まあそれはいい。今はこういったメイド服じみたものを着た子が増えていてね。しかも酒場とか食堂とかに。トーチだって、ある酒場に可愛い少女がいると知ったら、ちょっと見てみたくはならないか?」
「可愛いエルフなら、まあ」
「お前の趣向はさておき、看板娘ってのはさっき言った通り店の顔だ。『炭火火竜』には上等なメシ、則ち心臓はあるが肝心の顔がない。そりゃ客も寄りつかないってもんだ」
「なるほど、耳が痛いな。だが、具体的にはどうすりゃいいんだ?」
「そんなん俺は知らないよォ」
 残った骨を指でくるくる器用に回して、ラークは言う。
「あとはお前が考えるしかないよ。俺だってただの客だし。アトランダムにその辺のエルフ拾ってくるか、人造人間ホムンクルスでも作り出してみるのか、あとはトーチがどうするかじゃないのかねえ」
「そ、そうか」
 確かに、ラークに頼りきりでは良くない。看板娘がいないというヒントは貰ったのだ。あとは自力でなんとか解決しなければ。
「ありがとうラーク。お前がいなかったらどうなっていたことか」
「感謝されるほどじゃないって。その代わりと言っちゃあなんだけど、今日の分はつけといてくれない? 今持ち合わせがなくってさあ」
「それは、困窮している食堂に対する正しい行為なのか」
「だからだよ」
 ラークは片目を閉じ、ビシっとトーチを指差す。
「そうだな。この食堂に看板娘が現れたら払ってやる。で、『俺のおかげだな』って言ってまたつけてもらう」
「……その次は、『この店が繁盛したら払ってやる』、か?」
「分かってんじゃん、トーチ」
 ラークはけらけら笑う。
「俺はな、この店が好きなんだ。だからこそ甘やかしたくもあるし、厳しい面を見せたくもある。まあ、なんていうか、『この店は俺が育てた』って言いたいわけよ。だからがんばれ」
「動機は不純だが、期待されちゃノーとは言えないな」
 この店を、大陸一の食堂にしたいのは事実だ。
 トーチは今一度頭のバンダナを引き締め、表情に力を込める。
「今に見てろラーク。俺はこの店を絶対に繁盛出せてみせる!」
「……まあ、まずは笑顔づくりからだな」


          ○

 と言っても、さすがにエルフを攫えば今度こそ警備のお世話になる。
 そう思ったトーチは再び最寄りのアレク書店に来た。冒険者はあまり本を読まないのか、アレク書店の客足は炭火火竜と同じく少ない。だからというわけではなかったが、図体のデカいトーチでも居心地は良かった。
 よく頭をぶつけそうになるのは玉に瑕だったが。
「求人誌、ですか?」
「ああ」
 アレク書店の店主・ローロにトーチは言う。
「ラー……知り合いに聞いたんだよ。なんかそういう雑誌みたいのがあるんだって。今うちの店で、看板娘っていうのか? そういうの募集してるんだが、いい感じのものがないかと思って」
「そんなの、うちの店がほしいくらいですよ」
 ガランと人気のない店内を見渡し、ローロは溜め息を吐く。
 アレク書店は客が少なければ店員も少ない。というかローロだけだ。状況で言えば炭火火竜と何ら変わりない様子で、トーチは情報を求めるというよりは痛み分けのような気分で訪れていた。
「バイト、どうやったら来るんでしょうねえ。あ、トーチさんうちで働きませんか? たまにカミクイ退治してもらってますし」
「悪い気はしないが、うちも商売があるんでな」
「あうぅ、そうですよねぇ……」
 再び溜め息。頼られるのは悪くないが、トーチにも目的があるのだ。
「ローロこそ、一度うちでアルバイトしてみないか? 看板娘として」
「えぇ!? 無理ですよ! 看板娘って歳でもないですし……」
 ローロは両手を振って否定する。
 とはいえ、慌てふためくローロは10代と言っても差し支えないほど若々しい。小さな書店でくすぶっているのはもったいないんじゃないか、とトーチは柄にもなく考えた。エルフ好きのトーチでも惹かれるものがある。
「うーん、そうか……じゃあ、看板娘やってくれそうな知り合いとか」
「いたらもうこの店で勧誘してますよ」
「だよなあ……」
 このままだと堂々巡りで埒が明かない。トーチは暇をつぶすように、並んでいる本の表紙に目を走らせる。
 ミシュガルド外交の歴史、交易収入の仕組み、エドマチの秘密……どうやら交易関係の棚のようだった。この辺りの本はまだ読んだことがない。ふと、トーチはラークが言っていたことを思い出す。
「ローロはエドマチについて詳しいか? 俺は何も知らないんだが」
「エドマチですか? それなら、確か今日交易船が来ているはずですよ。今行けばちょうどよい頃合いじゃないかと」
「おお、そうなのか!」
 エドマチは卓越した技術を持っていて、異国の文化を組み合わせるとさらに発展したと聞いた。そんな国の人々と話せば、何かためになることが聞けるかもしれない。そうとなれば、トーチは居ても立ってもいられなかった。
「いいことを聞いた、早速港の方に――――」

 その時だ。
 ズドン!! と、爆発でも起こったのかのような轟音が聞こえたのは。

「――――!」
 途端、トーチの表情が変わり、次の瞬間には書店の外に飛び出していた。
 少し遠く、港の方向から白煙が上がっている。交易船が来ていると言っていたから何かいざこざがあったのだろうか。対岸の火事だとは分かっているが、元戦士であるトーチとしては放っておける事態ではない。
「エドマチの人間か、それとも甲皇国の過激派か……」
 着の身着のままでトーチは走りだす。交易所で暴れるような連中にろくな奴はいない。だからトーチも交易所で暮らし営む一人として、交易所の平和のために暴動などの抑制には一役買っていたのだが――――。
「なんっ、だこれは……」
 走ってたどり着いた港にいたのは。



 とてつもなくデカく、凶暴な面持ちの――――ハムスターだった。
「……なんだこれは!?」
 ハムスターだった。

     

 ハムスターという生き物はトーチも知っていた。大きくても体長は一〇センチそこらで、ネズミとよく間違えられるが、多くの人からは愛玩動物として親しまれている。最初は異国からの船に紛れてやって来たのだったか。
 ともかく、ハムスターというのはいわゆる“ペット”として愛されている動物のはずなのだが……
「うおおおおおおおおおおおおおおお!!」
 鋭利な爪での一撃を、トーチはすんでのところで回避する。
 戦闘経験がなかったら一撃で心臓を貫かれていたかもしれない。現に、外れた先の煉瓦壁は見るも無残に崩れてしまっている。リザード肌が立つ思いになった。
「じょ、冗談じゃない……!」
 トーチはすぐさま距離を取る。
 ハムスター……と思しき猛獣は、燦然と輝く赤い両眼で、周囲をギロリと睨んでいる。警戒行動だろうか。げっ歯類特有の前歯は恐ろしいほど伸びていて、伝う唾液が地面に落ちるたび、じゅっという音が聞こえた。よく見ると、ハムスターの足元に生えている草が溶けているようだった。
「デッカイ身体、両手両足に鋭い爪、そして唾液は酸性……か? くそっ、こんなハムスターがいてたまるかってんだ」
 港の人々が逃げ惑う最中、トーチは逃げる人々の誰かが落としていった斧を手に取る。手斧は専門外だが、四の五の言っている場合ではない。
 交易所の港ならある程度戦える連中はいるかもしれないが、多くは突然現れた猛獣に恐怖して逃げているか、腰が抜けて立てなくなっているか――それかすでに戦って事切れているかだ。トーチは横たわる人々にできるだけ目を向けないようにしながらハムスターと対峙する。
 周囲にトーチ以上の体躯をもつ生き物がいないからか、ハムスターは完全にトーチのことを対象として捉えていた。今さら尻尾巻いて逃げようものなら背後からひと突きだろう。新たな生き方を見つけた今、無残に死にさらすというのは避けたい。かといって倒せる自信があるかというと、そうでもなかった。
(……さて、どうしたもんか)
 最後に剣を振るったのはいつだったか。大戦時は隊を率いて甲皇国軍の兵士をなぎ倒したものだったが、平和ボケというのは恐ろしいもので、トーチは戦闘時の立ち回りを上手く思い出せなかった。
 自分よりも大きい相手に遭遇することがほぼなかった……というのも理由のひとつだが、それ以上に武器を振るうということが久しぶりすぎて、上手く渡り合えるか不安だった。
 小難しいことを考えているが、要するに勝てる気がしなかった。
「せめて他に戦ってくれる連中がいれば……」
 周囲を見渡す。昼間で多くの冒険者が奥地に出払っているということもあり、戦える人数は想像以上に少ない。この稼ぎ時の時間帯に交易所にいるくらいだ、あまり腕は立たないのだろう。多くがトーチの巨躯に隠れるようにして、手持ちの剣やら槍やらを構えている。じろと見ても、「がんばってくれ」とばかりに眼差しを向けてくるだけだ。トーチが戦うほかに手段はなさそうだった。
「ああもう、どうにでもなれってんだ!」
 やけくそ気味にトーチは突っ込む。それを察知して、ハムスターも目をカッと見開いて飛びかかってきた。両手両足に、牙に、唾液。どれかに触れたらもう終わりだ。それか、肉を斬らせて骨を断つしかない。トーチは死も覚悟して大口を開けるハムスターに正面から突っ込み――――

「邪魔です、どいてください」

 ――ハムスターは何者かから横腹に飛び蹴りを喰らい、近くの民家らしき家屋にドゴッ! と吹き飛ばされた。
「んなっ……!?」
 トーチはぴたりと動きを止める。
 ハムスターは遠くに吹き飛ばされ、周囲からはどよめく声が聞こえた。誰かがハムスターの死角から蹴飛ばしたというのはトーチにも分かったが、その実行犯を目にすると、信じられない思いになった。
「全く、暴れるなら場所をわきまえてほしいものです」
 小さな身体からは想像もつかない蹴りを繰り出したのは――見慣れない服姿をした少女。着物キモノと呼ぶのだと書物で読んだような気もする。着物姿の少女は短く揃えた髪に針が並んだ奇妙なものを差していて、腰には一振りの刀が結わえ付けられていた。顔は、何ごともなかったという風に平然としている。
「あ、アンタは一体……」
「ん? あなたあの猛獣の飼い主ですか? 困りますよ、ちゃんと管理してもらわないと迷惑するのは我々旅人なんですから」
「旅人? アンタもしかして、今の船に乗ってきたのか」
「ええ、そうですが……何か?」
 トーチは港に停泊中の船を見る。甲皇国やアルフヘイム、SHWのものとも違う形状の船だ。船は多く見てきたが、この形状のものは早々見たことがない。それに加えて、この少女の服装。トーチの頭のなかでピースがうまくはまった。
「ってことはアンタ、エドマチってとこの出身か」
「おや、察しが良いですね」
 少女は革張りのブーツで地面を鳴らす。
「あなたの言う通り、私はエドマチ出身です。少し仕事を探しに……というか、どこで判断しました?」
「いや、その着物ってやつを本で読んだことがあったから」
「なるほど、そういうことですか」
 少女はなかなかに整った容姿をしていた。赤い葉が散りばめられている着物にも、腰に刺さっている立派な業物にも負けない顔立ちだった。警戒するような瞳は少しマイナスだが、笑ってさえいれば客引き――たとえば看板娘にでもなれそうな風格だ。
「……あの、あまりジロジロ見ないでもらえません?」
「は、すまん」
 トーチは我に返る。看板娘を探し始めてからというものの、つい女性を見ると選別まがいの行為を始める癖がついてしまっていた。良くないことだ。
 それに、今は他に対処すべきものがある。ぐるるるる……と、崩れた壁の向こうから、再びハムスターの唸り声が聞こえてきたのだ。
「……まだくたばったわけじゃなかったか。なんとかして退治しないとな」
「はあ。ではせいぜい頑張ってください」
 え、とトーチは少女に目を向ける。件の少女は我関せずといった調子で、すたすたと歩き去ろうとしていた。慌ててその肩を引っ掴む。
「ちょっと待て! 一緒に退治してくれるんじゃなかったのか!?」
「はあ? 誰がそんなことするんですか」
 侮蔑的な視線に、トーチには少しだけ身震いする。
「私は非効率的なことは嫌いなんです。あの猛獣を殺したところで私には何の利益もありません。他がどうなろうと知ったこっちゃありませんから」
「お、おい!」
 トーチを振り切り、少女は再び早足で歩き出す。後ろからは再び恐怖の悲鳴。どうやらハムスターが這い出してきたようだ。どうにもならないか、と諦めかけたところで、トーチはふと少女の発言を思い出す。
『あなたの言う通り、私はエドマチ出身です。少し仕事を探しに……』
 再び、頭のなかでピースが符合する思いになった。

「――――仕事だ!」
 ハムスターに立ち向かいながら、トーチは背中越しに叫ぶ。
 もうそこにはいないかもしれないが、振り返っている余裕もない。
「仕事を探しに来た、って言ってたな!? 俺と一緒にこいつを退治したら、仕事をやる! 約束しよう! 絶対食いっぱぐれることのない仕事だ!!」
 ハムスターが眼前に迫る。
 ――頼む、届いてくれ。そして、聞き入れてくれ。
 トーチはすがる思いで手斧を構え、迎撃の体勢を取る。そして次の瞬間、ハムスターの鋭爪はトーチの身体に深く突き刺さり、牙が頭蓋を破壊――――

「……仕事をやると、言いましたね?」

 することはなく、ハムスターはトーチに襲いかかる寸前で動きを止めた。
 トーチが構えを解くと、先刻まで殺気を放っていた猛獣からはそれが消え、いつの間にか流れ始めていた鮮血の中に倒れこんだ。胴体が真っ二つになっている。しばらくハムスターは痙攣していたが、血塗れの刀を提げた少女がブーツで足蹴にすると身動ぎしなくなった。
「良いでしょう。その代わり約束は守っていただきます」
 懐紙で血を拭うと鞘に収め、唖然としているトーチを、動かないハムスターの上から見下ろす。ちょうど陽と重なり、影絵のようにシルエットが浮かび上がった姿は、やはりこの猛獣を倒した者とは思えなかった。
「仕事の話、詳しく教えていただけますか?」
 少し悪そうな笑みとともに、言い放つ。
 これが、エドマチ出身の少女・猪鹿蝶いのしかちょうチギリとトーチの出会いであった。

     

 仕事というのは、看板娘だ。
 うちの店の宣伝やら客引きやらを、アンタにしてもらいたいんだ。

「………………はあ?」
 茶の席でトーチが仕事内容をかいつまんで話すと、チギリは心底期待はずれといった顔をした。生きる価値がない虫を見下ろすような目だ。トーチの見た目が威圧的な竜人族でなければ、一笑ならぬ、一閃に付されていたかもしれない。
「だから、うちの店でその、看板娘を……」
「冗談じゃありませんよ」
 少し縮こまって言うトーチを、チギリは一蹴する。
「看板娘? 誰がそんなもの引き受けるっていうんですか。私がさっき何をしたのか見ていなかったんですか? 猛獣を切り捨てたんですよ? その私に対して看板娘の仕事を寄越すなんて、気が動転しているか狂っているかとしか思えません」
「えらく自分の腕に自信があるんだな」
「当然です」
 チギリは漆塗りの鞘を撫で、ふふんと誇らしげに笑う。
「あなたは知らないかもしれませんが、こう見えても私は女子にして免許皆伝とも言われた身。熊や虎程度なら敵ではありません。ひとたび刀を振るえば、千の軍人が地に頭を付けて命乞いすることでしょう」
「そいつはまた、大きく出たもんだ」
 エドマチと言ったか。彼の地で戦を経験しているのかもしれない。確かに看板娘の仕事を依頼するのは筋違いな気もしてきた。
 しかしトーチは諦めきれない。腕が立つ以上に、チギリは衆目麗しい所謂“美少女”の類にあると言える。その証拠に今でさえ通りがかる冒険者(もちろん主に男)がチギリのことをしきりに気にしている。チギリが看板娘を務めてくれれば、百人力であることは間違いないのだが。
「本当にやってみる気はないか? 案外楽しいものかもしれないぞ」
「結構です。試してみる価値もありません。全く、無駄な時間を使いました」
 チギリは立ち上がると、それ以上言葉を残すこともなく――付け加えれば茶代を支払うこともなく――トーチを残してさっさと歩き去ってしまった。
「……振り出しに戻っちまったな」
 さてどうするか。
 絶望的な状況には変わりなかったが、トーチはどこか上機嫌に空を見上げて呟いた。名前も知らない鳥が甲高い声で鳴いていた。


「ですから、仕事を探しているのです。用心棒の」
「お嬢ちゃんが用心棒? はは、冗談きついよ」
「お嬢ちゃんではありません! ほら、見てください! 立派な刀だってあるんです! 仕事を務め上げられる自信は十二分にあります」
「おー、良い業物だね。エドマチ製? 大事に飾っておくと良いよ。何なら、高く買い取ってくれる質屋でも紹介してあげようか」
「ですから、話を……」
「そこまで言うなら良い話をしてあげよう、お嬢ちゃん」
 仲買人ブローカーの男はくわえている人参煙草の煙を、チギリに向けて不味そうに吐き出す。嗅いだこともない異臭に、チギリは思わず口に手を当てて咳き込んだ。
「用心棒とかそういう仕事はな、あるにはあるが……結局のところは金持ちの道楽なんだよ。奥地まで薬草を取りに行きたいから同伴してほしい、なんて依頼はもうてんで見かけねえ。そんなことするくらいならハナから冒険者に頼むか、そもそも市場で買うかしているだろうからな」
「そ、そんな……」
「用心棒の仕事を紹介できたとしても、言った通り今じゃただの道楽、金持ちのポーズみたいなもんだ。戦争のまっただ中ってわけでもねえからな。それでも請け負うには、屈強な身体と腕前が必要になる。お嬢ちゃんの様子じゃ、どう足掻いても屈強とは言えないから、紹介は無理だねえ」
 ぶふぅと煙草の煙が立ち昇る。男はやんわりとチギリの頼みを断ったつもりだったが、俯くチギリの両手はわなわなと震えていた。
「――――私が女だからですか」
「ん? あー、まあ、平たく言えばそういう……」
「つまりそれは、貴様も私を見下しているということか!」
 途端、チギリは血相を変えて男に食って掛かる。周囲が俄にざわついた。
「おう!? いきなり何だ!?」
「女であれば腕は立たない! 女であるから用心棒にはならない! 貴様もそういう思想の持ち主か! 私が嫌悪する人種と同じ思考回路の生き物か!」
 チギリの眼から歳相応の少女性は抜け落ち、
 その代わりに、親でも殺されたかのような怒りが浮かび上がっていた。
「貴様も同じか! そうして椅子の上から私のことを、ただのガキだ女だと見下ろしているのか!」
「お、おい! このガキつまみ出せ! 早く」
「私は、私は……!」
 程なく現れた警備兵がチギリの両肩を掴み、引き剥がす。
 怒気に満ちた言葉とは裏腹に、鋭く細められた目元には涙が溜まっていた。
「私は、ただ…………!」
 仕事がほしいだけなのに。
 一人で生きていきたい、だけなのに。
 とうとう、その言葉が届くことはなかった。


          ○

 お縄にかかったものの、大した被害も与えてないということから無罪放免となったチギリは、暮れ始めた陽が落とす長い影を引きずって歩いていた。
 このミシュガルドには昼間やって来たばかりだ。宿どころか、頼れるものなんて何もない。本当なら明るいうちに仕事を見つけて、十分な報酬をもらって、今頃は美味しいご飯にありついて、暇だからとミシュガルドの観光でもしているはずだった。
 未踏の地であれば、差別なんてないものだと思っていた。「女だから」という理由で断られることなんてないと思っていた。あまつさえミシュガルドはまだまだ発展途上の土地。仕事なんて勝手に舞い込んでくるものだと考えていた。
 現実はかつて住んでいたエドマチと変わらない。女性差別は同じように根付いている上に、魔物退治の仕事でさえも、年端もいかぬ少女というだけの理由で門前払いに近い扱いを受けた。受けられたのは、せいぜい雑魚モンスターの討伐くらい。晩飯の足しにもならなかった。
『お前が女であるから、この奥義は伝授できんのだ』
 もはや、縁を切ったも同然の父親の言葉が頭をよぎる。
「口を開けば女、女、女。女であることの何が悪いというのですか」
 女だって用心棒はできる。護衛となりうる。それなのにどうして皆、本質を見極める前に断るのか。試してみてからでも遅くはないのではないか。この大陸もエドマチのように腐ってしまっているのか。
 考えは湯水のように尽きることなく浮かんできたが、ともかく。
「……おなかが、すいた」
 今はそのことで頭がいっぱいだった。
 大した手持ち金もないまま船に乗り込み、着の身着のままでミシュガルドへやって来たのだ。ここ三日ほどはまともな食事を口にしていない。ドブネズミやらを捕まえて焼いて食うのはさすがに嫌だった。だから少しでも稼ぎたかったのだが、今持っている報酬金すべてを合わせても、味のないスープが飲めるかどうかだった。それほどチギリは低く見られていたのだ。
 何を見ていたんだ、民衆は。
 あの猛獣をぶった斬ったのは私なんだぞ。
 その私が、どうして仕事を受けるのに力不足だと言うんだ。
 心底嫌気が差す。女に生まれたことを今まで何度も呪ってきたが、その思いがいっそう強くなった。どうして女に生まれたというだけで、ここまで理不尽な扱いを受けないといけないのか。どうして、女というだけで……――――
「ああ、ダメだ」
 ふらふら歩いていたチギリは、とうとう倒れこむ。もはやここまで、立ち上がる気力もなかった。かくなる上は、こうして倒れているところを裕福な人間に拾ってもらうしか手立てはない。
 そう、チギリが半ば投げやり気味に運命に身を任せた時の事だった。
 どこからか漂ってくる、香ばしい香り。
 脳内に電気が走る錯覚に襲われ、チギリはつぶりかけていた目をカッと開く。
 ――――“メシ”の匂いだ。
 本能的にそう感じ取り、チギリは力の抜けた身体を奮い起こすと、匂いの出どころと思しき店の前までチギリ足――もとい千鳥足でたどり着く。
 もう、ご飯があるところならなんでも良い。転がり込んでなんとかご飯にありつければそれでいい。
 妙な名前の店だなと思いながら、チギリは我慢できずにその門をたたく。
 中からは「おう、入ってきな」と元気のいい声が聞こえたので、チギリは仔鹿のように震える手でそろりと開いた。
 そして――――

「あ! 昼間の意気地なし竜人族!」
「あ! ハムスター狩りのエドマチ娘!」

 互いに指差し、叫び合う。
 チギリが彷徨の末にたどり着いたのは――他でもない『炭火火竜』だった。

     

「誰この子、トーチの知り合い?」
「いや、今日の昼間に少し話したぐらいなんだが……」
 叫ぶやいなや、即座に燃え尽きてテーブルに突っ伏したチギリと、怪訝な表情をしてそれを眺めているトーチを交互に見て、ラークは首を傾げる。
「それならどうしてここまでやって来たの? 飯屋ってことは教えてなかったんだよね? ふっしぎィー」
「さあ。あの様子じゃ、どうも行き倒れみてえだが」
 名前も知らないエドマチ娘は、おそらく今日の交易船でミシュガルドへやって来たと言っていた。胃袋が抗議の声を上げていることから、あまり食事を口にしていないんだろう。トーチは壁にかけていたバンダナをキュッとモヒカン頭に結んだ。
「どれ、片付けたところだったがもう一仕事するか」
「いいのかい? あの調子じゃ、お代なんて持ってなさそうだよ?」
「腹空かせた奴を放っておけない。俺は守銭奴じゃなくて飯屋なんだ」
「……ここが儲からないのは、君が優しいからじゃないのかね」
 ラークの言葉を聞き流し、トーチは料理に取り掛かる。最近はグレリオ豚の焼き料理くらいしかしていなかったから、久しぶりに他人に料理を振る舞う良い機会だ。トーチは頬をたたいて気合いを入れた。
 メインにミシュガルド産のグレリオ豚を使用するのは変わりないが、いつもラークに出している、ただ焼いただけのものとは少し趣向を変える。あの娘はエドマチ出身というから、せっかくなら自国に近い味付けをしてやろうと思ったのだ。
 トーチは交易船から入手したコショーという香辛料を、常温に慣らしたグレリオ豚のリブロースにざっとかける。同名の木の実を乾燥させてすり潰したものらしい。肉などにかけると独特の香りが食欲を刺激するが、その代わり……
「ぶぁーっくしょーい!」
「うわびっくりした。何やってんのトーチ」
「いや、どうってことはない」
 多く振りかけすぎるとくしゃみが出る。先ほど試しに使ってみた時に学習したが、すっかり忘れてしまっていた。
 改めて肉に向き直り、岩塩を削りとって作った食塩も同じく散りばめていく。塩は肉の水分をすぐに吸うので、トーチは肉をすぐさま削り出しの鉄板に乗せる。ちなみにトーチの口元からはヨダレがずっと垂れている。
 じゅわぁっ、と脂のの心地よい音が響く。コショーの香りも相まって思わずかぶりつきたくなるが、トーチはなんとか我慢して付け合わせの準備を始めた。
 
 付け合わせにはミシュガルド芋を使う。先日収穫されたばかりの新鮮素材だ。開墾地の農家から買っているが、そのあたりに自生していることもあるので入手には困らない。貧困階級のものは率先して食べているとも聞く。
 高級ではないが、加熱すると甘みが増して美味いので、塩味の強いステーキの付け合わせには持って来いだ。
 ミシュガルド芋をスライスして鉄板に乗せ、トーチはグレリオ豚の焼け具合を見る。エドマチの人間はどれくらいの焼き加減が好みだろうか。竜人族のトーチとしては生でも全く問題なかったが、そういうわけにはいかない。
「そういえば、さっき読んだエドマチの本に“タタキ”ってのがあったな」
 タタキというのはエドマチの独自料理で、魚の表面を炙って冷やした料理だということだ。ということは、エドマチの人間は少し火を通しておけば大丈夫なのだろうか? そう考えたトーチは、火が通りきらないうちにグレリオ豚のステーキを鉄板から上げ、マルカンの木で作った皿に乗せる。
「……思うんだけどさ、トーチ」
「なんだラーク」
「マルカンの木で皿作るのやめたほうが良いよ、多分臭いから」
「そういえばそうだった」
 まあ今は良いか、と気にせずに盛り付けを始める。ミシュガルド芋の焼け具合もいい感じだ。ホクホクのうちに切り分け、ステーキの横に添える。これだけでは物足りないので、三種豆(食べられる)を軽く煎ったものと、なんか見た目が綺麗な野草(食べられるかわからない)を飾りとして付け加えれば、ほぼ完成だ。
「さて、ここからだな」
 腕の見せ所は、味の決め手となるソースだ。これに関しても、トーチは今日手に入れたエドマチの調味料を使おうと考えていた。
「えーっと、確かこの辺りに……ああこれだ」
 取り出したるは、ソイソースという名前の黒い液体調味料。エドマチでは醤油ショーユと呼ぶらしい。コショーと同じく独特の香りがするもので、焼いた肉の風味付けには持って来いだとエドマチの商人は言っていた。
 その言葉を信じ、トーチは鉄板に醤油を流し込む。シュー、と煙を上げる醤油からは、焼く前とはまた違う香りが漂ってきた。これは当たりだな、とトーチは口角を吊り上げる。
 程よく芳醇な香りになった醤油と、更に風味をくわえるために酒を混ぜたものを、トーチは手際よくステーキにかける。コショーとの相性も抜群なのか、香りも見た目も申し分ない。久しぶりに自信作の完成だった。
「エドマチ風・グレリオ豚のステーキ一丁上がりぃ!」
 出来上がった料理を、崩れ落ちているエドマチ娘の前に差し出す。食事の匂いを嗅ぎつけたのか、死に体同然のエドマチ娘はおもむろに顔を上げる。
「ふぇ」
「お、ようやく目ぇ覚ましたかい。まあとりあえず食って元気出しな」
「食う……元気……食べ物……」
「そうだ。代金は要らねえから、まずは腹いっぱいに……」
「食べ物おおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
「うおおおおおおおおおおおおおお!?」
 トーチが差し出したフォークとナイフを奪い気味に受け取ると、少女は文字通り目の色を変えて目の前のステーキにかぶりついた。


          ○

「いやあ、本当に助かりました」
 エドマチの娘はチギリと名乗ったあと、トーチに向かって深々と頭を下げた。
「もう野垂れ死に同然のところを拾ってもらい、あまつさえ食事までごちそうになってしまうとは……面目ありません」
「はは、気にすんなって」
 皿を片付けながらトーチは笑う。
「飯屋ってのはそれが商売だ。胃袋空っぽになってる奴を放っておくのは俺の名がすたるってもんだ」
「すたるもなにも、すでに客足は廃れてるけどね」
「何か言ったかラーク」
「いいやなんにも」
 二人のやり取りを聞きながら、チギリは首を傾げる。
「……この店、そんなに客が少ないのですか? そうは思えませんが」
「そりゃあそうだよ。だって香木からはヘンな匂いするし、見た目はただの鍛冶屋だし、店主はどデカい竜人族だし」
「そうでしょうか。私はこの匂い好きですが」
 え、と声を上げるトーチを余所にチギリは立ち上がり、マルカンの木で造られた壁に触れる。表情はどこか綻んでいるように見えた。
「この香ばしく芳醇な香り、どれだけ嗅いでも飽きませんね。我が家を思い出すといいますか、食欲も湧いてくるというものです」
「ヘンな子だねえ」
「お前が言えたことか、ラーク」
 談笑していると、遠くの方で大きく鐘が鳴った。店仕舞いの合図だ。酒場と宿屋以外は許可をもらっていない場合閉店しなければならない。『炭火火竜』はまだ許可を得られていないので、今日のところはお開きだ。
「んじゃ、そろそろ俺ぁ帰るよ。また明日来っからね~」
「いい加減、まじめに仕事したらどうなんだ、お前も」
「俺は食べることが仕事なの」
 ひらひらと手を振りながら出て行くラークを見送り、トーチはようやく一息つく。ラークは話し相手にはありがたいが、いたらいたで話が絶えず、なかなかに疲れるものがあるのだ。
「……あの」
 皿洗いでもするかと袖捲りしていると、チギリがひっそりと声を上げた。
 トーチはチギリの方を見る。
 その顔は、昼間見た刀剣士のチギリのものとは全く違っていた。
「頼みが――いえ、お願いがあります」

     

 朝を告げる鐘の音は、商いが始まる合図。
 大交易所は名前の通り、港と併設しているために交易が盛んだ。甲皇国やアルフヘイム以外からも多くの船が訪れるため、太陽が一番高くなる頃合いには多くの旅行客、冒険者で賑わうことが多い。そう考えると昨日は人が少ない方だったんだなと、トーチは朝市を回りながら考える。
 朝は勝負の時間だ。大通りに開かれている朝市には新鮮な食材も数多く並んでいる。珍しいものを格安で売っていることも珍しくはないので、トーチはここぞとばかりに目を光らせる(そのせいで少し怖がられる)。
 懐に余裕がある飯屋なら、余裕を持って専属の取引先とやりくりしていればいいのだが、『炭火火竜』はそうではない。貧乏も貧乏、日々生きていくだけでも精一杯だ。なのでまずはこうして市場を周り、“お得意様”を作ってお得に買い物を済ませる必要がある。
「ランプソウがあればと思ったが、どうもなさそうだな……」
 ランプソウというのは一年草の一種だが、球根部分は芋の代用、根っこは粉末状にすれば辛味のきいたスパイスとして使える万能素材だ。
 肉との相性もバッチリなので見かけるたびに仕入れているのだが、今日はどこにも見かけない。こういったことは度々ある。専門の農家もいるという話は聞くが、それこそお得意様になって掛けあわなければならない。
「まあ、これだけ仕入れられれば十分か」
 大きなグレリオ豚一頭分を肩に抱えながら、トーチは店へと戻っていく。
 通りすがる人々はその姿を見かけながら、一意に同じ考えを浮かべていた。
 ――それ、そうやって運ぶもんじゃねえよ、と。


「………………」
『炭火火竜』はランチ営業から始まるので、店を開けるのは昼からとなる。今からは食材の仕込みやら何やらをする必要があって、当然まだ開いていない店にお客など居るはずもないのだが。
「らっしゃーせー」
 今日は気の抜けた声が、『炭火火竜』の前に居座っていた。
「いかがですかー、とってもおいしい肉、いかがですかー」
「……まだ店は開けてないぞ」
「おや、これはこれは、おはようございますトーチさん」
 声の正体、猪鹿蝶チギリは態とらしく身を正して、トーチと向き合う。
 チギリは相も変わらず季節の文様が施された着物に刀を一本携えていて、まあ、見ようによっては用心棒に見えなくもなかった。が、それもグレリオ豚を抱えたトーチが並ぶとまるで効果がなくなる。どっちが用心棒なのか分からないほどだ。
「まだ開店までは三時間近くある。俺はこれから仕込みをせにゃならんから、そこをどいてくれ」
「む、そうですか。まあいいでしょう」
 チギリは道を開けると、同時に狡っぽく微笑んだ。
「いやあ疲れましたよ。看板娘ってのも楽じゃないですね。こうやってずっと呼びこみをしていないといけないんですから。というわけで、それに見合った分の食事を私は要求します」
「あのな……」
「嫌だというなら、仕事はお断りしますよ」
 呆れた様子のトーチを余所に、チギリはふふんと調子めいて言う。
「看板娘が必要なのでしょう? 食事さえ提供していただければ、見事お役目を果たしてみせるのですが、もしかして不要でしょうか? ん?」
「いや、そういうわけじゃないが……この時間に客寄せしても……」
「文句があるというなら、私はちゃっちゃと帰りますよ」
「どこにだ。帰るところないだろお前」
「……どこかに帰ります」
 強情だな、とトーチは溜め息を吐く。
 チギリは一宿一飯の恩義と言って、看板娘の仕事をやらせてくれとトーチに言ってきたのだ。
 トーチとしては願ってもない提案だったので快く受け入れたのだが、どうもチギリは文字通り“味をしめて”いるらしく、事あるごとに飯を食わせろ、飯を食わせろとしつこく言い寄ってくるのだ。飯屋としては冥利に尽きる言葉だった。
「そうか。んじゃ、帰るのならもうアレを作る必要はないな」
 同時に、トーチはチギリの弱点も握っていた。
「……アレ?」
「キビダンゴモドキだよ。材料も不足しがちだし、もう作らなくても……」
「なっ、何を言っているんですか!」
 その単語を口にした途端、踵を返し始めていたチギリがあっという間にトーチの目の前にまで詰め寄ってきた。
 頬はかすかに紅潮し、狡猾さに満ちていた両目は興奮でみなぎっている。
「アレを作らないってことがどういうことか分かっているんですか!? この世の終わりですよ!? 甲皇国とアルフヘイムの停戦以上に衝撃的な事件ですよ!? いいですか、この世界において甘味の存在というものは偉大で……」
「分かった分かった、飯もキビダンゴも食わせてやるから手伝ってくれ」
「い、言いましたね!? 絶対ですよ!?」
 猪鹿蝶チギリは、甘いものに弱い。トーチがあの夜に食後のおやつとしてキビダンゴモドキを出した時に知ったことだった。
 とはいえ、モドキというように完璧な代物ではない。原材料も何も知らず、味の感覚だけで作っているので仕方のないことだ。どれだけ精巧に作っても、あの日エイルゥに貰って食べたキビダンゴにはどうしても近づけなかった。材料となるものを知らないかぎりは、限りなく本物に近い偽物を作り続けるしかないのだ。
「なあチギリ。お前、キビダンゴの材料って知ってるか?」
「さあ。吉備の辺りで作られていたお団子じゃないんでしょうか」
 エドマチ出身で甘味好きのチギリに聞いてもこの始末だ。手がかりは皆無に等しく、暗闇の中を手探りで彷徨っている感覚に近い。
 少し前なら、戦時中のトーチなら「仕方ない」と簡単に諦めていたかもしれなかった。見限りをつけるのが早かったのだ。
 だが、今はそうじゃない。
「早く本物のキビダンゴを完成させてくださいよ。じゃないとこんな飽き飽きする看板娘なんてやめちゃいますよ」
「その場合、完成しても食えなくなるが、いいんだな?」
「……早く完成させてください、お願いします」
 俺の飯を、毎日のように平らげていく謎の男がいる。
 俺の飯を、作るものの完成を待ち望んでくれている異国の少女がいる。
 それだけで、トーチは救われたような気分になっているのだった。
 誰かに期待されるというのは、存外悪い気分ではなかった。元々は、困っている人を救おうとして始めた飯屋なのに、気づけばトーチ自身も救われていたのだ。
「情けは人のためならず、っていうのかねえ」
 いつかエドマチの文献で知った言葉を、トーチは諳んじる。
 照りつけ始めた太陽は、今日も暑くなるだろうことを予感させた。
「何をしているんですかトーチ。さっさと食事の準備を始めますよ」
「食事もだが、まずは仕込みだな」
「不可能です。空腹で死にます、私」
「……分かった分かった」
 食い意地の張ったチギリを横目で見て、呆れた声で笑いながらも、トーチはどこか嬉しそうに仕事へとりかかるのだった。
 天高く、陽は昇る。
 今日は『炭火火竜』の初めての従業員がやって来た、記念すべき日。この日を境に、『炭火火竜』はお客で溢れ、トーチの望む賑やかな飯屋へと発展していくはずなのだが――――





「竜人族が、飯屋を、ねえ?」

 安寧の日々は、そう長く続きそうにもない。



 第一話「増やせお客」完

       

表紙

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