Neetel Inside ニートノベル
表紙

ヤミアン -戦場の雛姫-
05.戦闘思想

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 キャンフゥはフィーンのジオラマをいじっている。
 ヤミアンが来ないからだ。
 市街地をモデルにしたステージは精巧に作られていて、実際にそこで生活する小型の人間人形が窓の向こうで上司にこっぴどく叱られ鬱病の薬をトイレでこっそり飲んでいる。
 トイレの採光兼用の排気ファンからキャンフゥはそれを見て人差し指を突っ込み、トイレであと七時間の労働に耐えようとしていた若い男の人形を破壊してビルに風穴が空いた。
 金髪のスリオム教官がやめなさいと注意してきたが、キャンフゥは肩をすくめただけだった。クレーンかなんかが突っ込んだんですよ、先生。そういう設定でいきましょう。
 キャンフゥは死んだ人形を引っ張りだし、それがまだ動き続け自分を見上げているのに気づいて喜々としてさらに引き裂いた。作り物なんだからいいだろう、たとえどんなに哀れな目でおれを見上げてきたとしても。これはゲームにすぎないし、おれはそれを楽しむ資格がある。なにせ優秀だからな。
 照明が絞られたステージにはまばらに人数がいるが、じきにいなくなる。
 キャンフゥが左手で弄んでいるフィーンのジオラマは1/144スケールとはいえ化学熱傷を負わせる薬品を弾丸の代わりに装填している。
 それを浴びればビルの模型は本物そっくりに吹っ飛ぶし、人肌に当たれば穴が空く。
 いまのところこの小さな蜜蜂が人間を襲ったという話は聞かないが、キャンフゥがそれを破ってもいい。見学席の窓ガラス、あれにはヒビが入っているように見えないか?
 確かめてみるのも悪くはないが、今日はそこにアネロラが座っている。綺麗な肌には残しておく価値がある。
 それにしても退屈だった。あまりにもヒマすぎて人形遊びに興じてしまうほどだ。ヤミアン・グリッジヴィルが来ないのは、もう教練開始時刻から十五分も過ぎているのだからわかってもいい頃。
 軍人にとって時間厳守は絶対だ。サラリーマンだって時間を破れば首が飛ぶ。失敗の赦されない世界。とても静謐。
 しかし、一向に教官連中は今日のジオラマは中止だと宣言しない。
 おかしい。
 実際、一度は業を煮やしたジュリトが教官用の最上級テラスから立ち上がり何か言いかけた。が、すぐに縁の向こうに引っ込んで、また澄ました顔で出てきて着席し、いまや幼稚園児が作ったパパ人形のようにおとなしくしている。
 どういうことなのか。
 誰かがこのジオラマの中止に「待った」をかけたのか? なんのために? べつにこんなの中止もよくある。延期にしたっていい。それなのに、呼び出しかけても出てこない成績不良者のために――キャンフゥはジオラマの中央にある首都の象徴とされているチャーム・タイムを見た――もう三十分。すべての行動が停止している。それでいいのか、この軍隊?
(ま、俺はいいけどね)
 不戦敗だろうと構わない。要は勝てばいいのだ。勝つことが最優先にされる、だからみんな戦争が大好きなのだ。勝ちさえすれば好き放題ができる。そうでもなければどうしてリスクなど犯せる?
 リスクには、それに見合った報酬が必要だ。低賃金で手足を失ってもいいと思うやつはいない。リスクに対して、それに見合った価値――リスクがなければなおいい。誰かにおっかぶせて自分が得するものいい。自得他損。素晴らしい。
 誰だってやってる。
 俺だってそうする。
 ただ、どうせならあの影の薄い根暗女に見せつけてやりたいものだ。
 家族に捨てられ、めそめそしながら大人に連れてこられた哀れな少女に教えてやりたい。
 才能というものを。
 所詮、カスには生まれてくる価値がない。生きているだけで無駄。存在そのものが蛇足。いなくてもいいし、いない方がいい。
 そういう存在が自分なのだと気づいた時の人間のツラほど笑えるものはない。特等席からそれを眺めていると生きてると感じられる。
 そういう瞬間が、一日の初めにはあったほうがいい。
 そうだろ?
 だが、もう、それも限界――戦闘開始予定から四十五分が過ぎて、しびれを切らしたキャンフゥが「やめようぜ!」と叫ぼうと息を吸った瞬間、ばたん、とジオラマルームの扉が開いた。
 観戦席にいる生徒も、ジオラマのそばで時間を潰していた連中も、誰もがそっちを見た。
 その少女は、その視線に明らかに怯んでいた。肩をどつかれたように上半身がのけぞり、しかし足は進もうとしていたがために身体がゆるい『く』の字になっていた。視線は泳ぎ、おそるおそるそばにいたスリオムに話しかけようとしたが頬を張られていた。どさっとその場に倒れこみ、めそめそ泣き出す。なにしに来たんだ、この女?
 まさかこんなのが俺と戦うっていうんじゃないだろうな。
 キャンフゥはため息をついて、頭上十七メートルのところから高みの見物を決め込んでいるジュリトを見上げた。マジでやるのかこんなのと、というサインだったのだが、ジュリトはキャンフゥの方を見てはいなかった。驚いたように目を見開いて、ヤミアンを見ていた。誰かと来るか来ないか賭けていた、そんな表情だ。やれやれ。
「やるならやろうよ!」
 ざわめくステージに、キャンフゥの声が響き渡った。それが同調波だったかのように、周囲のどよめきをかき消していった。
 あとには静寂と、めそつくヤミアンの気配だけ。
 キャンフゥはそれを遠目に眺めながら、
「やるならやろうよ、さっさとさ」
「……グリッジヴィル候補生、やれますか」
 スリオムの質問に、ヤミアンはふらつきながら立ち上がって、やります、とつぶやいた。そうして背中を向けて、クッションに乗った斜めのタマゴにしか見えないコックピットに乗り込んでいった。タラップから足を踏み外して落ちるのはやめてほしかった。さすがに笑える。
 スリオムに見つめられ、キャンフゥもしぶしぶ、ヤミアンのそれと真向かいに設置されたコックピットに向かった。タラップを二段飛ばしで駆け上がり、誰かが破いた使いふるしのシートにドサッと滑りこむ。
 キャノピを降ろすと周囲の気配が途絶えてキャンフゥのムードが狭い空間に満ちていく。操縦桿を握りしめる。視線の先でフィーンのジオラマが飛行形態(フライヤー)モードでジオラマの南西方向第七カタパルトに自動設置されていた。ヤミアンの機体は見えない。わざわざ探しもしなかった。
「いつも思うんだけどさ、無駄なんだよな」
 通信回線をすべてオープンにしてキャンフゥは言った。
「なんでシミュレーションにしないわけ? わざわざ立体模型で訓練なんてさ、金かかるだけじゃない?」
『無駄口は終わってからにしろ、キャンフゥ』
 サウンドオンリーの回線の向こうからジュリトの声がしたが、キャンフゥには見なくても彼が襟元に指を突っ込み外気を肌に取り入れているのがわかった。
『私も早く、昼食にしたいのでな』
「イエッサ、ダディ」
 電源レバーを倒して、仮想のエンジンに火を入れる。
 クラッチペダルに足をつっこみギアを切り、モニターの中に広がる、自分の機体から見える首都そっくりの景色とそれに重なる『3.2.1』のカウントダウン。
 まるでレースゲームだなと首都育ちのキャンフゥは思った。
 人生はゲームだ。
 0。

 ○

 ヤミアンはひとりぼっちのコックピットのなかで、アネロラの顔も探し出せずに、操縦桿の向こうにある各種計器を眺めていた。エンジンには火を入れてある。回転数が表示され、速度計は停止しているためにゼロだ。ギアを繋げば爆発的なエンジンの回転数が一気に機体を動かすだろう。それをあらかじめ上げておいて急発進をかけることもできるが、しかし、どうあがいても機体に負担はかかる。止まっているものが瞬間的に動き出すことなどないのだ。
 しかし軽空機乗りの教本には必ず『勝利の為に必要なのは速やかな加速と変形である』と書いてある。
 理屈はわかる。
 フライヤー形態はあくまで加速のためのフェイズでしかなく、武装も機銃程度しかない。ある程度の加速をつけ戦闘速位まで機体を上げてようやく軽空機は人型機体(アームズ)へと変形できるようになる。インタロックというやつだ。
 それが武装にもかかっていて、人型にならなければほとんどの武装が使用不能。ゆえにフライヤーからアームズに変形することを業界用語で『タマゴが孵る』と言ったりする。なにが出てくるかはお楽しみ。
 だから、なにがなんでも速く飛ぶことが最優先される。すぐに速度をつけろ、すぐに回転数をあげろ、すぐに敵を攻撃できるようにしろ、だからすぐに飛べ。
 しかし、どうしてもヤミアンにはそれが納得できない。
 なぜと言われてもうまく言えないし、無意味な拘りだというわけでもない。ただ、飛ぶというのは、もっと自然なことにヤミアンには思えるのだ。
 最初はおまけで敵を打倒する最終形態こそ真髄、本当にそうだろうか?
 飛ぶというのは、最初はゆっくり、丁寧に立ち上げるべきではないのか。いや、べきとかそういうことではなく、それこそ自然――考えるまでもないこと、のように思える。
 誰に言っても、アネロラにさえ困ったような顔をされてしまうけど、
 それでもわたしは――

 汗が流れて目を瞬き、まつげの向こうに『2』が見えた。
 キャンフゥの機体がどこにいるのかわからない。
 ヤミアンにとっては空想の中にしかない首都は見知らぬ街だ。こんなに大きな街があるとは思えない。ヤミアンは緑豊かな故郷と、そしてこの訓練基地しか知らない。土地勘などなく、この立体模型の世界で何もかも遠く感じる――コックピットに自分を縛り付ける加圧帯が薄い胸とその奥の肋骨からさらに心臓までをも圧迫する。息が苦しい。助けて欲しい。
 1。
 パパとママは、とヤミアンは思った。わたしが逃げ帰っても迎えてくれるだろうか? お疲れ様、よくがんばったね、やっぱりお前には無理だったんだよ。そう言って慰めてくれるだろうか。背中を叩いて家に迎え入れてくれ、そして奥の居間にいるフィーンはふてくされたように「やっぱりお姉ちゃんがいないと寂しい」と言ってくれる。そんな優しい世界が欲しかった。
 そんなに難しいことにも、そんなにできないことにも思えないけれど。
 でもやっぱり、もうそれは『ない』から。
 だから、いまは。
 ヤミアンは頭上十七メートルの高みを見上げる。そこにはジュリトがいて、自分を見ているだろう。勝ったら褒めてくれるだろうか。わたしを選んでよかったと言ってくれるだろうか。
 きっとそうではないだろう、それでもわたしにできることは、一つしかない。
 一つしか。
 カウントダウンがゼロを叩き、ヤミアンは機体を発進させた。立ち上がりはまずかったと言われて当然だろう、あまりに丁寧すぎて、機体がようやく浮かんだ頃にはキャンフゥの機体が高速で飛び上がっていくところだった。ちょうど高低差十七メートルほどの空差を挟んで二機の軽空機が交錯した。ヤミアンは息を飲む。過ぎ去っていく影のなかにキャンフゥの声を見た。
 馬鹿か、お前。

       

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