Neetel Inside ニートノベル
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退魔を担う彼の場合は
第十三話 義妹と初任務

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「旭兄ぃ。やっと帰ってきた」
「ああうん、ただいま日和」
 顔のすぐ真横から聞こえる声と吐息にくすぐったい思いをしながら、旭は自分の首に両腕を回して背中にぺったりとくっついた少女に応じる。
「退屈だった。早く遊んで」
「うーん…君はもっと学校の友達と遊びなさい。日和の年頃の女の子ってのは、こう、もっと寄り集まってわいわいやるもんじゃない?」
「姦しいのは嫌い」
「難しい言葉を知ってるね…」
 胡坐をかいて、任務の遠征で消耗した物品の整理をしている旭の視界の端から、長い着物の袖がぶらぶらと揺れているのが映る。首筋にはショートカットの毛先が触れてどうにもむず痒い。
 立派な木造建築の居間で、主である旭と共に住まうは義妹である昊。そして背中にしがみついている十歳の少女、陽向日和。
 両親とはとうの昔に死別していた。本来退魔の家系とは天寿を全うできるものでは到底ない。数多くの人外との戦闘を経て、その戦場にて死するが陽向家の常であった。故に旭も両親の戦死については哀しみこそすれ、ある種の諦めと共に認めている部分が大きい。自分も、おそらくは十年か二十年…肉体と退魔の全盛期を越えた少し先辺りで死ぬのであろうと考えている。
 だからこそ陽向家は成人を迎える前からの近親交配を奨励している。旭の母親も歳若くして身籠ったこと聞いたことがあった。事実、父母は子供だった当時から見ても親というほどの貫禄も風格も持ち合わせておらず、未熟さが垣間見えるところがあった。
 陽向家では特に才覚に秀でた者の種を残すことに強い関心があった。この世代においてそれは旭達に当たり、さらには数年前の幼き内から四人一組という制限はあれど数々の任務をこなしてきた彼らのリーダー格である旭にはその重責が集中していた。
 目下、その子種を授かるに相応しきとされているのが、その四人組の一人に数えられた昊である。さらに次いで候補として挙げられたのが未だに背中でぶさらがって遊んでいる日和だった。
 そういった思惑が絡んでいるからなのかどうか、今現在はこの三人が一つ屋根の下で共に生活している現状にある。
「日和ちゃん。兄様はお疲れなんだから、あんまり困らせちゃ駄目ですよ?」
 リリンと後頭部に括られた鈴を鳴らして、膝立ちの昊が手を伸ばして旭の背中に引っ付く日和を引き剥がそうとする。
 だが、日和は両腕をぎゅうと旭に首に絡み付かせたまま抵抗の意思を見せ、
「…わがままは子供の特権。存分に振るわずしてなんとするか」
「むぅ…」
 こんなに賢しい子供がいるかと無言で嘆息する旭とは対照的に、昊は痛いところを突かれたとばかりに口を噤ませる。
 さらに畳み掛けんと日和は口を開き、
「あと一応、私は旭兄ぃの妹。兄が妹に甘えるのは至極当然。世界の真理。将来的には嫁となる以上は一切合切なんの問題も無く、これが最上にして最善の関係性…と距離感」
「うぅ…」
「で、それは昊姉ぇも同じく。というわけで」
 この閉鎖的な集落内での常識と正論を叩きつけられてたじろぐ昊へ、言いたいことを言い切った日和が最後に旭の首へ回していた片手を昊へ向けて、その指先をちょいと曲げて接近を促す。
「姉ちゃんも、こっち来れば?」
「…えっと、いいのかな?」
「お互いに旭兄ぃの妹で、将来嫁で、つまりは妻で、私にある大義名分は昊姉ぇにも同じく充分にあるはずだと思う」
 おいでおいでと手招きする日和に、戸惑いがちだがしっかりと寄って来る昊が小さく呟きを溢しながら旭の隣に擦り寄る。
「いいのかな…えへへ」
「いいのです。正当な権利」
(……あっれぇー?日和を窘めていたはずの昊が逆に言いくるめられてるぞぉ!?一体どうしてこうなった…!)
 日和の話術によってあっさりと陥落した昊と安住の地の防衛に成功した日和の二人にくっつかれ、もはや物品の整理どころではなくなった旭が木張りの床にリュックの中身を並べていた手を止めて頭を垂れる。
 それを、壁にもたれて煙草をふかして眺めていた日昏が笑みを噛み殺しながら皮肉たっぷりに、

「羨ましいことだ、両手に華……いや片方はまだ蕾か?外の世界なら警察のお世話だ」
「面白がってるよねぇ!友達の受難を!最低だな君ってヤツは!!」




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 結局帰ってきてすぐ済まそうと思っていた荷物の整理は一向に片付かず、仕方なしに日和を連れて集落でもっとも大きな屋敷、陽向隷曦のもとを訪ねた。
「ほう、早かったの旭。もうしばし疲れを休めてから来ても良かったが」
「いや家にいた方が余計に疲れそうだったんで…」
 手早く正門から中へ通され、最奥の座敷にて日和と隣り合い正対する長老は、旭のそんな返しにはてと小首を傾げる。それから旭の疲れを慮ってかすぐさま本題を切り出した。
「帰ってきたばかりで悪いとは思うておる。だが、仕事だ」
 立て続けに任務が来ることは珍しくはないが、それはすなわち急を要する内容であることが大半である。旭は表情を引き締め火急の依頼について訊ねる。
「承知しました。して、その内容は」
「うむ。今現在、晶納が調査を進めている任務への支援・援護。これが此度の任務となる」
 『調査』。その単語に旭は眉を顰める。
「…あれ?晶納が請け負ってる任務はたしか…」
 荒事の対処を得意とする火力特化の晶納には振られる仕事内容自体が限られていた。それは今回にしても同じだったはずで、少なくとも調査を必要とする仕事などは言ってはなんだがあの晶納には不向きというか不可能なものである。
 そんな疑問に隷曦は軽く頷き、
「いつも通りの討伐依頼だった。ただ、こちらへ入ってきた新たな情報と任務の先がの、討伐を終えた晶納のいる地にほど近かったのじゃ」
 ここから新たに退魔師を送り込むより早く事に当たれると踏んで晶納に連絡を入れた、ということだろうかと旭は判断する。完全な人選ミスだとも思ったが。
「…ちなみにその調査とやらの進捗具合は?」
「推して知るべし、というべきだの。だからこそのお前達二人の派遣だ」
 軽い苦笑と溜息が漏れる。
 つまりはこの仕事、実質的には調べるということ自体を不得手とする晶納に成り代わり旭が達成に導けということであろう。それも、血気盛んな晶納の手綱を握りつつだ。
「晶兄ぃ馬鹿だから、仕方ない」
 隣にちょこんと正座する朱色の着物姿の日和が、半眼で中空を見据えたままぼそっと呟いたのを旭は聞き逃さなかった。ここに当人がいたら大騒ぎになるところだ。
 そこで訊くべきだったもう一つの事柄を思い出し、口を開きかけたところを隷曦が遮った。
「疲れを癒し、準備を整えた後に向かえ。それから日和は下がってよいぞ。初任務となる、旭に従い特例に恥じぬ行動をせよ」
「ん…、わかった」
 音も無く立ち上がり、長時間の正座にも足をくたびれさせた様子もなく、日和は着物の裾を翻して隷曦に背を向ける。立ち去る間際に旭へじっと視線を固定し、
「外で待ってる、旭兄ぃ」
「あ、うん」
 それだけ言って長老への挨拶もそこそこにさっさと出て行ってしまう。相も変わらず、身近な人間以外には極めて淡白な反応しか示さない少女だった。
「申し訳ありません長老。まだ幼い身にて、礼節というものを重んじていないもので…」
「よい。気にしてはおらん」
 寛容な態度を見せる長老は、それから静かに瞳を細める。
「あれは天才ぞ、旭」
「はい。未だ原石ですが、その段階ですら並の退魔師を凌駕するほどに」
 頷き、白い髭を撫でつける。
「異能の三重所有、出鱈目なほどの陰陽術に対する適性、『陽向』としてその身に流るる退魔の血統は儂をすら凌ぐ。いくつかの世代を跨いで、時折現れるのだ。まさしく天賦と呼ぶに相応しい、退魔の神子が」
 大昔から歴史と力を紡いできた退魔の一族『陽向』には、極稀にああいった飛び抜けた才覚を発揮させる者がいたという。歴代陽向家当主の何人かもそれに含まれていた。その者達は、神話に記載されるレベルでの強大な力を持つ人外である天神種や魔神種といった存在らとも互角に渡り合ったという逸話も語られている。
「しかし、いくらなんでも早すぎます。あの子はまだ十歳です、飛び抜けた才能も経験を兼ねなければその全てを発揮することは難しいかと」
「その為に行かせるのだろうに。経験を積ませる為にな」
「いきなり実戦で、ですか」
「問題なかろ。その為にお前を選んだのだから」
「……」
 陽向家は退魔を生業とする一族。いつ強大な人外との決戦になるかはわかったものではない。人外連中は、いつでも突拍子なく動き出し、破壊と虐殺を広げていく。
 それに備えた退魔の精鋭を揃えておくことに越したことがないというのは旭も理解できる。だが、隷曦はその備えを産まれて十年程度の少女に求めている。いくらなんでも酷だ。
「この家の者として生を受けた以上、その手の同情や悲観は意味を成さんぞ旭。情を捨てろとは言わぬ、だが割り切れ。次期当主としても、多感であればあるほど心は死んでゆくものだ」
「……」
 旭は答えられない。間違っていると声高に喚き散らすのは簡単だ。だが散らかした言葉は積もることも刺さることもなく、きっとどこにも残ることなく消えていく。ここはそういうところで、自分はそういう場所で生まれ育ったのだから。
 割り切るつもりは毛頭無い。だけど、この身がこの言葉が虚無に呑まれていく度に心は削れていく。擦れていく。
「…長老。して、晶納に与えた調査の内容とは?」
 言葉として答えを返せずに話をすり替えた旭には何も追及せず、禿頭の長は淡々と質問に対する回答だけを用意し発す。
「今、その地ではあらゆる病を治す万能の薬が秘密裏に高値で取引されているという」
 懐から取り出した一つの巻物を旭へ放る。開いて見れば、そこには調査の地の位置や詳細な調査内容、それから得られただけの情報をありったけ書き連ねてあった。
「退魔とは些か逸れるが、人の世に大きな変動を来たす恐れを孕む。それ故に万能の薬を生み出す根源の発見、あるいはそれに与する者達の撃滅。…万病に対し後遺症の一つも残さぬ仙薬だという話だ」
 人外の業でなくてなんだというのだ。そう言いたげな隷曦の言葉には旭も頷かざるを得ない。
「傷を跡形もなく消し去る傷薬というのであれば、『鎌鼬の秘薬』などがそれに該当しますが、万病に効く仙薬となると…」
 日本に伝わる怪奇や現象に対し発生した認識の集積で生み出された人外、妖怪種と呼ばれる中にそういった効能を持つ人外がいる。だが鎌鼬の薬は外傷・内傷問わずいかな致命傷でも完治させるだけのものであって、病にまでは効果が届かない。
 確かにこれは調べてみる必要がありそうだと、顎に手を当てながら旭は思案しつつも立ち上がる。これ以上この場に留まる理由はもう無い。
「では明朝、日和を連れて発ちます。晶納とは現地で合流ということで」
「うむ。頼んだぞ」
 初めから目的がはっきりしていればやりやすいことこの上ないのだが、調べて正体を見極めなくてはならないこの任務。晶納でなくとも面倒な仕事ではある。
 だが調査次第では荒事に発展せずとも済むかもしれない。
(結局僕の頑張り次第ってところなのかな…?)
 これは日和の初任務でもある。最初から人外との血みどろの戦闘なんてあの子にはやらせたくない。
 ここ最近は単独での仕事が多く、さらにさしたる苦戦を強いられたことも無かった旭も、久々にやる気を出してこの一件は取り組むことにした。

       

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